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眞子さまの結婚で海外メディアが注目する、結婚の是非より深刻な日本の皇室の課題

2021-01-01 11:10:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

イギリス王室の「おとぎ話」
ネットフリックスで人気のイギリスの王室をテーマにしたドラマ「ザ・クラウン」が、最近物議をかもしている。11月に公開されたこのドラマのシーズン4では、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の出会いと結婚、そして皇太子の不倫についても描かれていて、かなり辛辣な内容だ。日本でこのような皇室をテーマにしたドラマを作ることなどありえないと思っていたところ、イギリスの文化相が、このドラマはフィクションであると注意書きを付けるようにネットフリックス側に求めたと報じられた。
シーズン4のチャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚するエピソードのタイトルは「おとぎ話」。このおとぎ話、現実には2人は離婚し、その後、ダイアナ妃が交通事故で亡くなってしまうため、「お姫様は王子様といつまでも幸せにくらしましたとさ」というふうにはならないが、さて、日本の皇室のおとぎ話の方はどうだろうか。
海外メディアで注目を集める眞子さまの結婚
先日、「日本のプリンセスにとって、おとぎ話のような結婚は遠い先のこと(For Japanese Princess, Fairy-Tale Wedding May Be Distant Prospect)」という見出しの記事をニューヨークタイムズで見つけた。秋篠宮さまが眞子さまと小室圭さんの結婚についてご自身の誕生日の会見で「認める」という発言をしたことについての記事だが、2人の今までの経緯を紹介するとともに、1月に王室を離れると宣言し、同じく自国の王室と不協和音をだしているイギリスのハリー王子とメーガン妃についても触れていた。
2018年5月、結婚式のあと馬車でパレードするハリー王子とメーガン妃
「なぜ日本のプリンセス眞子の結婚は前に進んでいないのか?(Why has wedding of Japan’s Princess Mako still not gone ahead?)」という記事を掲載したのはイギリスのガーディアン紙。記事は、「2人は大学で出会い、大陸と海を隔て離れ離れになっているにもかかわらず、2人の心の絆は明らかに今まで以上に強まっている。しかし、彼らのウェディングベルの音は3年前よりもさらに遠のいている」といった書き出しで始まる。こんなふうに眞子さまと小室さんの結婚をめぐる話は、海外からも注目されているのだ。
王室に挑戦したダイアナ妃
香港のサウスチャイナ・モーニングポストにいたっては、「反旗をひるがえす王室メンバーたち:ダイアナから日本のプリンセス眞子まで。王室のしきたりを破って自分たちのルールで生きる5人のお姫様たち(Rebel royals: From Diana to Japan’s Princess Mako, 5 princesses who broke royal protocol and lived by their own rules)」というなんとも挑発的な見出しの記事とともに眞子様の写真がダイアナ妃、そしてナイジェリアのケイシャ妃とともに大きく掲載されていた。
ダイアナ妃はイギリス王室の暗黙のルールである「不満を言わない、説明しない」ということを守らず、メディアに彼女の出産後の鬱と過食症について語り、王室に挑戦した女性として取り上げられていた。眞子さまの結婚については、「プリンセス眞子の一般人との結婚は婚約発表後2年以上たってもまだ波紋を広げている」と記事はつづっている。最近の報道だけをとれば、眞子さまは海外でかなり有名な日本のプリンセスになっているようだ。
「負け犬の最後の大物」だった紀宮さま
自国に王室があるせいか特にイギリスのメディアは、日本の皇室についての関心が高い。そんな海外からの皇室報道は、日本が海外からどう見られているかのヒントになるだけでなく、日本の現状、そして未来を、時には日本のメディアより、はっきり表現していると感じることがある。
たとえば、2006年に紀宮さま(現在の黒田清子さん)がご結婚された時、海外メディアが強調したのは36歳のプリンセスの結婚が時の日本社会をいかに反映しているかということだった。
もっとも印象的だった論調は、「紀宮さまは結婚によって負け犬ではなくなる(A 'loser dog' no more.)」というもの。当時、ベストセラーだった酒井順子氏の著書「負け犬の遠吠え」の中で、独身だった紀宮さまが「負け犬の最後の大物だ」と書かれていたことにひっかけ、いくつかのメディアがこんな表現で報道していたのを覚えている。それらの記事によると、ひと昔前はこの年齢で結婚ということは考えられなかった。だからこの結婚で、日本の30代の多くの独身女性たちは、「結婚するのには、まだ遅くない」と勇気づけられたのだと。
あれから10年以上たった今、30代で結婚する女性は多い。40代での結婚ですらもはやそう珍しいものではなくなった。
日本とまったく異なる海外メディアの視点
では、今回の報道ではどうだろう?
日本の報道を見ていると、二人のご結婚を認め祝福してあげたいという声がある一方、まずは小室さんが母親の金銭問題を含め目に見える形で対応する必要があるという主張の記事が多かった。また、小室さんはまだ学生の身、結婚については小室さんが弁護士の試験を終え、就職してから決めるべきだという意見も見られた。
一方、海外の報道では、眞子さまのご結婚について認めるべき、認める必要はないなどとの論調を述べる記事はほとんどなかった代わりに、日本の皇室の将来を危ぶむ記事が多かったのが印象的だった。
「今回の騒動は、日本の皇室は世界で最も脆弱な王室であるということを思い出させるものだ」と書いたのは前述のニューヨークタイムズだ。
縮小(shrink)する日本の皇室
この記事だけでなく、眞子さまのご結婚をめぐる話を報道した海外のメディアのほとんどが、日本の皇室が年月とともに縮小(shrink)している点に言及していた。
イギリスのBBC放送も、第2次世界大戦前の日本の皇室では遠い従妹、華族の息子や娘たちとの結婚が多かったが、戦後の皇籍離脱により「今日では、日本の若い姫たちは、一般人の男性と結婚する以外の選択肢はない」と伝えた。
ちなみに官邸が以前発表した資料によると、皇籍離脱が行われた前日の1947年10月13日の皇室会議で、片山哲議長(内閣総理大臣)は「皇位継承の御資格者としましては、現在、今上陛下に二親王、皇弟として三親王、皇甥として一親王がおわしますので、皇位継承の点で不安が存しないと信ずる次第であります」と説明している。
それから73年たった現在、40歳以下の皇室のメンバーは7人のみ。そのうち悠仁さまを除いてはすべて女性だ。
報道によると政府は、結婚後の皇族女子を特別職の国家公務員と位置づけ、「皇女」という新たな呼称を贈り皇室活動を継続してもらう制度を創設する検討に入ったといわれている。眞子さまがもし結婚された場合にはこれに当てはまる。
しかし、皇女といっても国家公務員ということになれば女性皇族として皇室に残ることにはならない。女性天皇や女系天皇の容認にもつながらない制度であり、もし皇女制度を導入することで皇位継承策の議論が止まってしまうような事態となれば、皇室が直面する問題を先延ばしにするだけではないかとさえ思えてくる。
2005年11月には小泉純一郎内閣が女性・女系天皇を容認する報告書をまとめ、2012年には野田佳彦内閣が「女性宮家創設」を含む論点整理を公表した。しかし、その後、残念ながらそれらの議論の進展はない。
「おとぎ話」に隠された深刻な問題
実は、日本の皇室のお手本にもなってきたイギリスでは、300年以上続いた男性優位の王位継承のルールが2013年に改正された。今の時代にそぐわないルールは変えるべきだという理由からだ。
それまでは王位継承者は、王の直系の子孫の最年長の男子と決められていて、男子がいない場合のみ最年長の女子が王位を継承できるとしていた。現在のエリザベス女王2世がこれにあたる。
直系の子孫がいない場合は最近親の傍系の男子の子孫が優先されていた。しかし、2013年王位継承法により、男女関係なく女性でも王位継承の上位につくことができるようになったのだ。たとえば、現在のウィリアム王子とキャサリン妃の第2子のシャーロット王女は弟のルイ王子よりも皇位継承順位が上になる。
インドのインディアン・エクスプレス紙は、日本の皇室について「歴史家や学者が皇室における女性のステータスや役割について真剣に考えるべき時がきているといっている。男系による皇位継承にこだわり続けていると、いずれ皇室は消滅してしまうからだ」と述べている。
眞子さまの結婚の話が今後どうなっていくかわからないが、間違いなくこの「おとぎ話」には日本の皇室が避けて通れない問題が残っている。海外メディアの率直な指摘を真摯に受け止め、今後どうしていくべきかの本格的な議論を早くスタートさせてほしいと、多くの人が思っているのではないだろうか。

「小室さんはふさわしくない」眞子さまの気持ちを無視するモラハラ人間が多すぎる

眞子さまの揺るぎない「お気持ち」
11月13日、宮内庁は小室圭さんとの結婚が延期されている秋篠宮家の長女・眞子さまの「お気持ち」を文書で公表しました(なお宮内庁のウェブサイトには掲示されていませんが、報道各社が全文を公表しています)。
そのなかで眞子さまは「小室さんと結婚後の生活がどうあるべきかを話し合いながら考えてきたこと」「結婚について否定的な意見もあることを承知していること」に触れた後、「二人が互いに幸せな時も不幸せな時も寄り添えるかけがえのない存在であること」だと述べています。
特に印象的だったのは「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」というくだり。「生きていくために必要な選択」——眞子さまはハッキリとこう述べました。それなのに世間ではなぜこうも反発の声が強いのでしょうか。
まだあった「嫁ぐ」という考え方……結婚相手の「家」を問題視する人々
眞子さまの「結婚は生きていくために必要な選択」だというお気持ちを受けてもなおインターネットでは「眞子さまはだまされている」「結婚には反対」という意見が多く見られます。反対意見のなかで目立つのは「小室さんの家族」を問題視する声です。
週刊誌が取り上げてきた母親の金銭トラブルや父親および父方家族の自殺が「結婚に反対する理由」として挙げられており「そんな問題のある家族がいる人とは一緒になるべきではない」という意見が幅を利かせています。
ただ上記に書かれているようなことはあくまでも彼の「家族」の話であり、小室さん「本人」がしてきたことではありません。
戦後にいわゆる「家制度」が廃止されてから70年以上が経ちました。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」と日本国憲法(日本国憲法第24条1項)で決められており、結婚をすることは相手の家に「嫁ぐ」ことではないはずです。また結婚相手の「家族」に過剰にこだわることは差別につながるという認識も近年は社会でひろく共有されているかのように思えました。
しかしながら、今回の眞子さまと小室さんの結婚について、世間では当たり前のように「結婚相手の家族に問題があるから、結婚に反対する」という意見が21世紀、いや令和の今もなお幅を利かせているのでした。
本人の気持ちより「親」や「家」が優先される謎
制度上は廃止された「家制度」ですが、多くの人が「家」という考え方をまだ引きずっていると感じることがあります。筆者の知人の30代前半の日本人男性は先日こんな話をしてくれました。
その男性は大学在学時から8年近く、ほぼ遠距離で交際を続けていました。婚約指輪を渡し、プロポーズも済ませ、二人は結婚するつもりでいたけれど、結局は「彼女の父親の猛烈な反対」で女性の心は折れてしまい、別れざるを得なかったとのこと。
地方都市に住む女性の父親が「娘がそのまま東京で結婚することに反対で地元に帰ってきてほしかった」のも理由ですが、もっと大きな理由は、男性の弟が仕事をしていないことでした。その男性は「ずっと遠距離でしたが真剣に付き合っていたのでショックでした。それに家族も否定され……。気分はバツイチですよ」と話しました。
「長年交際して別れた」なんていう話は世界中にごまんとあり、珍しいことでも何でもありません。でも筆者がひっかかったのは「日本では弟が“仕事をしていないこと”が破談の理由になる」という点です。
筆者の出身地・ドイツではどんなに親がエリートでも「兄弟が働いていないから結婚に反対した(された)」という話は聞いたことがありません。そういう発想じたいがありません。そもそも「結婚を親に反対されたから結婚を諦めた」という話をドイツではあまり聞きません。
ドイツには親が子供に対して“Solange deine Füße unter meinem Tisch sind…”(和訳「貴方の脚が私のテーブルの下にあるうちは……」)という言い回しをよく使いますが、これは「未成年で親と一つ屋根の下に住んでいるうちは親の言うことを聞け」という意味です。
逆にいうと「成人したら結婚も含めて何でも自分で選択し、自分の好きに生きてよい」ということです。
結婚は「家」とするものではない
ドイツには結婚は男女(または「女&女」「男&男」)、つまりは当人同士の問題だという共通認識があります。性別に関係なく結婚後も夫婦が二人とも仕事を持ち働くことが普通です。
仮に配偶者の兄弟がニートであっても、成人した兄弟に金銭的な援助はしません。「働いていない成人の弟」はあくまでも「弟本人の問題」だと見なされますので、「家」が白い目で見られることはありません。
前述の知人男性の元交際相手に関しては、女性の父親が「ニートの弟がいると将来何があるか分からない」と懸念していたとのことです。しかしこの「将来」というのは、実際のところ誰にも分からないのです。ネガティブなことを書くようですが、今は健康に働いていても鬱になったり、病に倒れたりする話はそれこそごまんとあります。
当人同士が互いに好きだという感情を持っているにもかかわらず、そのことよりも「将来問題になるかもしれない家族や親族」に注目してしまうのは、日本ではいまだに「家単位」でものを考え、かつての「家制度」の感覚から抜け出せていないと言わざるを得ません。
婚前契約書を取り交わすドイツのカップルも
ところでドイツ人は現実的ですので、「好き」という気持ちのみを重視して結婚に挑むことはありません。婚姻と同時に公証人役場で婚前契約書を取り交わし「結婚前に各自築いた資産については共同の資産ではなく個人のものである」など金銭的なことに関する取り決めをするカップルも多いのです。
結婚生活における「お金のこと」、離婚となった場合の「お金のこと」など、とにかく「お金にまつわる不安」は互いに話し合い婚前契約書に盛り込みます。
ただ日本では婚前契約書について拒否感を示す人も多く、筆者の知人のドイツ人男性は「日本人である妻と結婚の際に婚前契約書について話したら、激怒されたため、やはりドイツとは文化が違うのだなと思い、婚前契約書は取り交わさなかった」と語りました。ドイツで婚前契約を結ぶことは特殊なことではなく、むしろ当たり前のことなので、そのあたりの感覚は日本とだいぶ違うのかもしれません。
認知度は低いものの日本にも婚前契約書はあるわけですから、結婚相手の家族や親族について「金銭の不安」があるのなら、結婚に頭ごなしに反対するのではなく、あらかじめ婚前契約書でお金にまつわる詳細な取り決めをするという方法もあるのではないでしょうか。
ちなみに婚前契約書の良いところは「もめてからお金について考える」のではなく「仲の良い段階でお金について現実的に考えられること」です。
「そんな契約をしなければいけないような人は信用できない」——。そんな声が聞こえてきそうですが、婚前契約書が一般的ではない日本にも離婚に至る夫婦はいるわけで、円満な離婚ばかりではないのですから一つの突破口として考えてみる価値はあるのではないでしょうか。
「階級社会」である欧州
日本人が思う以上に欧州は階級社会です。例えばドイツでは苗字をみて貴族の家系だと分かることもあり、この苗字を求めて偽造結婚をするなどの問題もあります。そもそもなぜそういうことが起きるのかというと「貴族の家系であることが分かる苗字だと箔はくがつき、仕事も含めてさまざまなことがスムーズにいくから」です。
日本には「仕事に貴賎はない」という言い回しがあり、どの仕事も必要で尊いものだという価値観があります。ところがドイツを含む欧州では「仕事の内容」を時に「階級」とつなげて考える傾向も見られます。
例えばドイツでは大学に行かないと就けない仕事(弁護士、医者、教師や教授など)の人がAkademikerと呼ばれていますが、彼らが「大学を出ていない職人系の仕事の人」と交わることはまずありません。双方にプライドがあり、互いに一線を課しているため、交友関係もある程度決まっているのです。
そうはいっても、そのような風潮も近年は徐々に変わりつつあり、こと王室に関していえばびっくりするほどの変わりようです。例えば、スウェーデン王室のヴィクトリア王女が結婚した相手はスポーツジムのトレーナーで、王女と出会った時、彼の月給は11万円程度でした。身体を壊していたヴィクトリア王女がスポーツジムに通い始め、その際についた専属トレーナーが彼だったというわけです。

アカデミックな仕事ではなくジムのトレーナーという仕事をしている彼のことを書きたてる現地のタブロイド紙もありました。その内容は酷いもので彼が当初標準語を話さず訛りがあったため「田舎者」呼ばわりされたり、顔がカエルに似ているとして「カエルの王子様」と書かれるなど散々な言われようでした。
しかし二人の結束は堅く、長年に渡り「恋人の改造計画」が行われました。家庭教師のもとで歴史やマナーの学習をするなどの努力が実を結び国民からも祝福され結婚に至っています。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」小室さんへの揚げ足取りが酷い
小室さんへのバッシングは常軌を逸しています。これはもう「彼がどう動けばよいのか」という話ではなく、まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の世界です。インターネットではとにかく「彼のやることなすこと全てが気に入らない」といった感情的な意見が目立ちます。
例えば「本当に眞子さまを大事に思っているならば海外に逃げて勉強なんかしていないで、国内でキッチリ働くべき」という「意見」があったりしますが、小室さんがかつて国内で働いていた頃は「給料が低い」と散々な言われようでした。
もしも今後「高給の良い仕事」に就けたら、それはそれでまたきっと「上昇志向が強いのはどうかと思う」とか「コネでよい仕事に就くなんて許せない」なんて声が聞こえてきそうです。
小室さんは眞子さまにふさわしい相手になろうと異国で勉学に励んでいるのですから、これを非難するのはおかしな話だと思います。「眞子さまの幸せを思って(小室さんとの結婚に)反対している」といった投稿も目立ちますが、なんだかモラハラ臭がプンプンします。眞子さまと小室さんに関しては「国民総モラハラ」の状態です。
好きな人と結婚するのが一番…大事なのは本人の気持ち
ここは一度原点にかえってみてもいいのではないでしょうか。それは「好きな人と結婚するのが一番」という原点です。
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「小室さんよりもっと合う男性が眞子さまにいるはず」などの余計なお世話とも思われる「意見」が堂々と語られる今日こんにちですが「合うか合わないか」を決めるのは眞子さまご本人です。
一般社会がそうであるように皇室でもお見合いまたはお見合いに近い形での「男女の出会い」はどんどん少なくなってきています。「結婚が第三者によってアレンジされる」時代ではありません。
そんななかで仮に「申し分のない家柄の男性を用意しました。はい、どうぞ」と場を設けたところで、眞子さまご本人が嫌なら嫌ですし、冒頭の文書の「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」というくだりからもはっきりと分かるように、眞子さまは小室さんが好きであり小室さんと結婚したいわけです。
結婚に限らないことですが、自分自身が選択したことであれば、将来的に失敗することがあっても、人間だいたいのことは納得できるものです。でも他人に薦められ好きでもない人と結婚して失敗したら……。それは目も当てられません。
「合わない」「ふさわしくない」「結婚やめろ」と言っている人たちは、その結果について何の責任もとりません。ここは静かに眞子さまを応援したいと思います。



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