下記は文春オンラインからの借用(コピー)です
一流大学を卒業し、エリートとして新卒で企業に入社したはずなのに、心の病で3カ月でクビに――そんな世間の荒波の直撃を受けたある女性が、悩んだ末に選んだ次のフィールドは…なんと「女性間風俗」の世界だった。現在、対話型女性間風俗店「Relieve(リリーヴ)」を経営している橘みつさんが考える、コロナ禍の中で感じた「マイノリティの性愛」に大切なものとは?
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対話の重要性を知るきっかけは「複雑な家庭環境」
わたし・橘みつは、大学を卒業した22歳から6年が経った今まで、他の同期よりも少し珍しい経歴を歩んできた。
偏差値69の大学から新卒でベンチャーへ入社し、3カ月後に解雇され、翌月からは銀座でホステスに転身した。その後は紆余曲折あり、現在は、対話に特化した女性間風俗(レズ風俗の俗称で知られている※)と、セクシュアリティについても気兼ねなく話してもらえるコーチングサービスを自ら営んでいる。
わたしが対話に着目した仕事をすることになった経緯は、複雑な家庭環境に強く影響されている。不安定な家庭で身につけた振る舞い方は、大人になったときに多種多様な困難を与え、逆説的に対話の重要性を知る機会となり、共感力と洞察力という武器になってくれた。その過程を記したこの記事が、わたしのように周りにロールモデルが居なくて迷っている人や、どことなく満たされない・違和感のある日常に悩んでいる人に届くことを願っている。
(※女性客の元に女性キャストが派遣される業態にはレズ風俗という呼び名が定着しているが、「レズ」という語が蔑称として使われてきた歴史と、レズビアン女性のみが利用/勤務しているわけではない現状があり、新たな呼称を求める声が高まっている。本稿では店名・書籍名を除き、業態を指す際には「女性間風俗」という語を使用する。)橘みつさん
大人が何を求めているか察してしまった子供時代
他人の感じる「快/不快」の源を、あなたが慎重に辿ったのは何歳の頃だろうか。
空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。
「聞き分けのいい子」であることの代償は…
10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。
父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。
若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。
下された診断は…「双極性障害Ⅱ型」
実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害Ⅱ型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。
そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。
会社を解雇後は夜の仕事へ
解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。
『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。
一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。
「不快の源」に過敏になってしまう…
さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。
自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。
お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み
再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。
今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。
“風俗っぽくない”から出会える人たち
そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。
また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。
“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。
「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」 “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性
自分に向き合おうと決めた人に寄り添う90分
2018年2月に独立してから、丸3年が経った。自身の苦難とお客様とのかかわりをまとめた本を出し、各種メディアへの出演や執筆の依頼を貰うなど、順調にキャリアを積み上げてきたが、コロナ禍で再び苦境に立たされている。風俗業が感染症と隣り合わせなのは平時も同じだが、世界的なコロナウイルスの流行は性感染症よりも社会的な影響範囲が広く、顧客心理はマイナス方向に大きく振れた。月間の売上は5~7割程下がり、1カ月後の生活を心配する日々に逆戻りしている。今まで、対話をウリにした風俗店であるリリーヴには、話だけを目的に訪れるお客様もいた。しかし、感染症の流行と共に「夜の街」全体が敵視されたり、感染経路の把握に協力しなければならなくなったり、会社から行動の記録を取られるようになったりした中では、どのような動機の利用であっても、萎縮したムードが漂っている。
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そんな日々でわたしが信じ続けられることといえば、対話の持つ可能性だけだ。2021年5月、風俗業とは別に新しくコーチングのような対話サービス「Cozy Dialogue」を始めた。
リリーヴでの対話タイムは、「背負ってきたものをおろして一息ついてもらう労いの時間」を意識していた。風俗店である以上、楽しさや癒しといった娯楽性を消してはならないと思ったし、がんばった日々に対するご褒美の時間を提供することは、自身と向き合う機会と同等に大切にすべきだと考えているからだ。だからこそ、お客様に伝えず心に仕舞った気づきも今までにたくさんある。橘みつさん
コロナでグッと身近になった死の可能性
コロナをきっかけに生活が一変した人は多い。仕事の仕方はもちろん、死の可能性がグッと身近に感じられるようになった中で、自分の内面を見つめ、考えを深める機会を得たいと思う人が増えるのは必然だ。信じるべき情報と信じたいことが相反し、自己責任で選択することが求められるようになった世界で、甘く優しい娯楽ではなく、現実に沿った鋭い切り口が求められている実感がある。そんな日々にひとりで立ち向かう苦しさと心細さを、わたしはよく知っている。
そうした人に寄り添うべく始めた対話サービスでは、自分に向き合おうと決めた人と90分間対話(=セッション)をする。クライアントの性別は問わないし、テーマも人によってさまざまだが、女性向け風俗店を経営している経歴から、やはり「性」や「愛」について扱うことが多い。
「実体験から得た理解力」があることがカギ
初回セッションに参加したクライアントは、恋愛に関してマイノリティ性を持っていると、“一般”のカウンセラーやコーチに対して本当に話の核が伝わっているか疑問になることがあったとコメントしていた。「ただ愚痴をこぼすなら性別を変えるとか、ぼかして話しても通じるけど、関係性を改善したいレベルだと詳細が必要になってくるし、話したところで理解できなさそうだと感じてしまう」ということらしい。たしかに、異性パートナーとの過ごし方と違って、同性パートナーとの過ごし方は社会の理解が追い付いていないこともあり、直面する課題も特有のものであったりする。
たとえば、クライアントが同性パートナーとの関係性に悩んでいて、恋人として紹介できる場面が限られてしまったことが原因ですれ違いが起きていたとする。そもそも異性カップルの場合、婚外関係などの事情を除いて、自身のパートナーを他者に紹介できない場面はそう多くないのではないだろうか。
そもそもなぜ恋人として紹介できないのか、紹介することでどのような困難が想定されるのか、それ以外の場面でも恋人らしい振る舞いが制限されているだろうという見立てなど、社会的背景から引き起こされる感情を即座に想像し、対話に織り込むことができなければ、その先にあるクライアントの深層心理まで扱うことは難しい。どんなカウンセラーもコーチもプロとして磨かれた傾聴技術を持っているが、そういったマイノリティの窮屈さや独特の文化を肌感覚で理解していないと、クライアントは事情の説明から始めなくてはならず遠回りだ。自分の深いところにある話を他者にすることは並々ならぬ気力が必要な作業だし、時間も限られているから、クライアントにはなるべく自分の感覚を話すことや感じることにだけ集中してもらいたい。大学でセクシュアリティについて専攻したことや、リリーヴでさまざまなパートナーシップの在り方を聞いてきたことが、ここでとても役立っている。
カウンセラー相手でも躊躇してしまう「性」の話題
また、マイノリティ性を帯びていなくとも、自身の性生活や行為自体について話すこと自体、傾聴のプロが相手でも躊躇してきた人もいる。「性」を話題にすることがタブー視されやすい日本で、しかも一般論ではなく自分のリアルな性体験について取り扱うことは、相手が自分に対して持つ印象を一変させてしまうのではないかという恐怖さえ感じるし、そこまでではなくともなんとなく気まずい空気が流れることもある。その点、風俗の現場で働くわたしには「性」が日常的な話題だから、気後れする必要がなくフラットに話せると思われているようだ。
Cozy Dialogueではセッションの後に、その日話した内容や話し方の特徴・言葉の使い方から伺えるものをまとめたレポートを送信し、次回のセッションまでの行動や思考に役立ててもらう。隔週程度での定期的な利用を基本として自分のことをじっくり考える期間を作り、参加前よりも「じぶんに対して素直に居られる」状態を目指すという趣旨だ。
「身近じゃないからこそ」できる対話もある
リリーヴも Cozy Dialogue も、その人の内面について話すからか、カウンセリングのような作用を期待されることがある。しかし、そのような人にはいつも、臨床的な意味と責任を負えないことを丁寧に説明し、時には利用を断っている。必要とされるキーワードくらいは提供できるが、精神科的な知識は実体験の分しか話せないし、わたしが相手の状態を判断すべきでないことは、どちらの仕事をする上でも一番気をつけていることだ。
お試しの初回セッションを通じて、リリーヴでは出会えなかった人と、リリーヴとは違った関わり方で、新たな対話の可能性を見出している日々が嬉しい。世の中が落ち着いてリリーヴの予約が戻ってきたら、風俗キャストの自分との違いを、よりはっきりと見いだせそうなことも楽しみだ。
感染症の流行を抑えるために、人間の仕事が機械に置き換わることが今後は一層増えるだろう。セルフレジが増え、AIがおすすめ商品を教え、直接会話する相手が身近な人だけになる社会の訪れも近いのかもしれない。
しかし、人間が存在する限り、誰かと接して関係性が生まれ、自分が何者かを語り、相手を知って自分も変化するというプロセスは無くならない。そのとき、「身近じゃないからこそ」できる対話が、あなたにとっての「きっかけ」になることを、わたしは確信しながら今日も対話している。横に置いてきたことや、急激な変化に向き合うのは大きな勇気と気力が要ることだと思う。それでも必要に迫られたとき、わたしを知った人に、「気兼ねなく話せそうな人がこの社会に1人くらいはいるのだ」と思ってもらえるような、頭の片隅に小さく光る可能性のようなものになれたら嬉しい。わたしが自分の過去の苦労を恨まず、生死さえ想像のつかない未来に向かって恐怖せず歩めるのは、必要としている誰かと対話でつながる尊さがあるからに違いない。対話は、相手が変化するきっかけであると同時に、「人生捨てたもんじゃないな」とわたしに思わせてくれる、大切な機会なのだ。
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