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なぜ「痛み」は存在? 感覚だけではない体験の深淵1

2021-02-11 08:30:00 | 日記

下記の記事はN22(日経)プレジデントオンラインからの借用(コピー)です

3カ月以上の慢性痛をもつ人は、日本に2000万人以上いるという。多くは腰痛や四十肩などだが、なかには日常生活に困るまでこじらせてしまう人もいる。実はとても不思議な「痛み」とその治療について教わりに、『慢性疼痛(とうつう)治療ガイドライン』の研究代表者も務めた名医、牛田享宏先生の研究室に行ってみた!(文 川端裕人、写真 内海裕之)
まったくもって個人的な話だが、この5年ほど、親指付け根の関節痛に悩んでいる。
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きっかけはささいなことだ。キャッチボールで変化球をいろいろ投げて曲がり具合を楽しんでいたところ、親指付け根がピキッとなるような感覚があり、軽く痛んだ。1週間もすれば治るだろうと思っていたのだが、残念なことに、以降、ずっと痛い。
激痛ではないものの、お箸をうまく使えなくなったり、缶詰やペットボトルの蓋を開けるときの「ねじる」動作が辛かったり、生活上の不都合も多少はある。「手の外科」という専門医を訪ねて、注射を打ったり、装具をつけて「鍛える」治療を試みたりしたものの、一向によくなる気配はなく、2年ほど通って、諦めた。そうこうするうちに、ジャワ島の田園地帯にて乾季の水田の凹凸に足を取られて捻挫をして、そこも痛みが慢性化した。ふとまわりを見渡しても、年齢とともに慢性的な痛みを抱える人が増えていくようだ。
しかし、あるときふと疑問に思った。
なぜ、痛いんだ? と。
素朴な考えで言うと、痛みというのは警報のようなものだ。たとえば、鋭利なものをうっかり触れてしまったとしたら、痛みがあるからこそあわてて手を離し、大きな怪我を防ぐことができる。あるいは、喉が痛ければ風邪かもしれないし、胃痛なら、食べすぎや、食あたりや、あるいは何かもっと危険な病気の兆候かもしれない。病院に行ったほうがいい。
こういった痛みは、それ自体不快であることはなはだしいが、ぼくたちの生存上、大切な身体の情報を伝えてくれる必要不可欠なものだ。
でも、慢性的な痛みは、どうだろう。
治るわけでもなく、悪くなるわけでもなく、ただずっと痛いという場合もあるわけで、痛みが持っているはずの本来の「警告機能」が機能していないこともあるように思う。そんな場合は、本当に何のために痛いのだろう。
にもかかわらず、今、日本で「3カ月以上の慢性疼痛」を持っている人は実に2000万人以上と推定されている(日本における慢性疼痛保有者の実態調査 : Pain in Japan 2010より A Nationwide Survey of Chronic Pain Sufferers in Japan)。
まったくもって厄介だ。個人としても、社会としても。
日本の慢性疼痛医療をけん引する医師の1人、愛知医科大学の牛田享宏教授
そんな訳の分からなさを感じていたところ、日本の疼痛(とうつう)医療の拠点の一つとされている愛知医科大学・学際的痛みセンターの牛田享宏教授と話す機会を得た。牛田教授は、大学病院で臨床の現場を持ちつつ、研究者でもある。2018年にできたばかりの『慢性疼痛治療ガイドライン』では、厚生労働省の作成ワーキンググループの研究代表者をつとめた人物だ。
名古屋駅から地下鉄東山線に乗って藤が丘駅へ。そして、バスで15分ほどの距離に、愛知医科大学病院はある。診療科や病室が入っている中央棟をつっきった先の建物には、「体育館・運動療育センター」という名前が掲げてあった。市民も利用できる体育館やスイミングプールがある建物で、さらにその奥にある居室にてお話を伺った。
「どうぞ、どうぞ」と招き入れてくれた牛田さんは、白衣姿で、にこにこ愛想よく、人あしらいのうまい町のお医者さん、というふうな雰囲気だった。
まずは、今、慢性の痛み、つまり慢性疼痛がどんなふうに問題になっているのか聞いた。治療ガイドラインができるなど、注目が集まっているのは間違いなく、その背景にはどんなことがあるのだろうか、と。
「まあ、人口の20パーセント、2000万人以上という数字は、よくある運動器、つまり、腰や肩、膝など全般的な痛みなどに加えて、頭痛まですべて入ったものです。これが運動器に限れば16パーセントくらい、その中で、厄介な難治性の慢性疼痛は、人口の1パーセントから数パーセントくらいまでだろうと思っています。僕たちのところには、数パーセントの、なかなか治らない患者さんたちが来ています」
頭痛にせよ、腰や肩や膝の痛みにしても、「痛い」と思った人たちは、それぞれの診療科を訪ねて、そこで診察され、治療を受けるのが通常の流れだ。それで改善するならよいのだが、中には治らないどころか、日常生活に困るようなレベルの痛みを抱えるようになる人も多く、そういった場合、「痛み」の専門医の出番だ。今では「ペインクリニック」を看板に掲げる医療機関も増えており、まずはそういったところを訪ねることになるだろうが、牛田さんの「学際的痛みセンター」は、さらに難治性の慢性疼痛患者を多く診てきた。つまり、「こじらせた慢性の痛み」の専門家である。
1) 矢吹 省司: “1章 慢性痛って何? 03 わが国における慢性痛の実態は?” jmed mook 33 あなたも名医!患者さんを苦しめる慢性痛にアタック! 慢性の痛みとの上手な付き合い方 小川 節郎 編 1 日本医事新報社: 11, 2014 [L20150226003]2) 矢吹 省司 ほか: 臨整外 47(2): 127, 2012 [L201502260002]より (画像提供:牛田享宏)
「これまで、がんや、感染症、精神疾患、生活習慣病、様々な難病について、政府は対策をしてきました。でも、慢性疼痛についての施策は抜け落ちていたんです。難治性の慢性疼痛の人たちって、すごく医療費を使うのに、なかなかよくならないんですよ。薬の効きも悪くて、いろんな医療機関を渡り歩きますし。じゃあどうすればいいのかと、2010年に、対策を立てるために有識者会議を開いて、まずは国内の状況を把握して、外国の視察をしたりして、今では全国で23カ所に『痛みセンター』ができました。整形外科や麻酔科などの生粋の専門医が2人以上、精神心理の専門医が1人以上、専門看護師や理学療法士などのコメディカルもいて、チームで治療方針のカンファレンスをしているようなところっていう定義づけで、進めています」
先に触れた「治療ガイドライン」が策定されたのもそのような背景があってのことだった。
ここまで聞いた時点で、ぼくは自分自身の指や足首の痛みが、「16パーセントくらい」の一般的な運動器の慢性疼痛のたぐいだと理解した。なかなか治りにくいものではあるが、生活上それほど困っているわけではないので、今後もうまく付き合っていくことが大事なのだろうという結論である。
では、それを「こじらせる」というのはどういう状態を言うのだろう。
「痛みって慢性化するほど、心理的、社会的な要因が強く絡まってくるようになります。痛みが続いて、不安だとか、恐怖だとかを感じて、痛くないように動かさないようにしていると、当然、筋肉も使わないので萎縮し、関節が固まってくる関節拘縮(かんせつこうしゅく)、骨が吸収されてやせ細る骨萎縮(こついしゅく)が起きたり、結果として全体の機能が落ちてきて、別の部位に新たにひどい痛みが出てくることも多いんです。当然、眠れなくなるとかといったことも起きてきますし、抑うつ的になって、薬に依存したり、医師に依存したりすることもあります。いったん悪循環が始まってしまうと、断ち切ることが難しくなってしまいます」
これらを引き起こすもともとの「原因」は様々だ。
交通事故はもちろん単に手足をひねったというレベルの怪我のこともありうるし、関節リウマチや椎間板ヘルニアなどよく知られている疾患の場合もある。最近では、多くの人ががんの治療の後で長く生きられるようになっているので、放射線治療や化学療法に由来する神経障害、組織障害の痛みも問題だ。
入口がなんにせよ、ひとたび悪循環が始まると、ひたすら痛みにとらわれることになり、やがて最初の時点での疾患から想定されるよりもはるかに重たい状態になって、仕事や学校に行けなくなったり、生活が破綻したり、どんどんひどいことになっていく……。
こういったことが、日本の人口の数パーセントの人たちに起きているかもしれないというのは衝撃的だ。
それと同時に、こういった慢性疼痛のこじらせ方は、「痛み」とはなんだろうという、その本質というか、成り立ちみたいなものを示唆してやまない。今、慢性疼痛に悩んでいる人はもちろん、幸運にもまだ縁遠い人も知っておくに越したことはない。
端的に言えば、痛みをこじらせないためには、「痛みにとらわれすぎない」「適切な運動をする」などといったことが大切であるようなのだが、その背景には実に奥深い議論がある。そこに至るまで、少しずつ「痛み」についての理解を深めていかなければならない。
まずは、とても素朴な部分から。
「痛みって、なんですか」とぼくは牛田さんに問うた。
本当に痛みとは、本人にとっては限りなくリアルだ。
しかし、あくまで主観なので、その痛みを、たとえば「痛みの結晶」みたいな形にして取り出すことはできない。では、痛みとはそもそも何なのだろうか。
「国際疼痛学会の、痛みの定義を決めるタスクフォースのメンバーに僕もなっているんですが──」と牛田さんは切り出した。
「今、ちょうど最終案を作っているところでして、それによると、組織の損傷(tissue injury)があったときに、あるいは、そういった損傷を感じるようなときに起きる、不快な感覚・情動体験、というものです。組織の損傷は、臓器の損傷(organ damage)とした方がよいのではないかという議論もありましたけれど、感覚・情動体験である、というのがまずは重要なところです」
感覚・情動体験、というのは、つまり、感覚体験(sensory experience)と情動体験(emotional experience)の両方ということだ。
川端裕人さん
感覚体験というのは、外部からの刺激の信号が感覚器官を通じて中枢に伝わり、その結果、ぼくたちにもたらされる、熱いとか冷たいといった「感覚」についての体験だ。
一方で、情動体験は、外部からの刺激に基づきつつ、それによって引き起こされる、興奮や快不快といったことを指す。ここは英語の「エモーショナル」の意味を思い起こすとニュアンスがつかみやすいかもしれない。
というわけで、痛みというのは、感覚体験であると当時に情動体験でもあるというのが、とても大事な部分なのだという。
牛田さんは、さっそく含蓄深い表現をした。
「痛み刺激が加わったときの痛覚と、痛みは違うということです。痛い感覚があっても、辛くなかったら痛みではないんですよ」
痛い感覚と、痛み、というのは違う!
たしかに、痛い感覚があったからといって、それが必ずしも不快な情動につながるわけではない。感覚体験と情動体験がつながってこその「痛み」だというのは、言われてみればなんとなく分かる。
それにしても、日常の言葉の水準でも、「痛み」をちょっと深掘りしてみると、その奥にはさっそく深淵が口を開けている。そんな印象を持った。
(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2020年1月に公開された記事を転載)
牛田享宏(うしだ たかひろ)
1966年、香川県生まれ。愛知医科大学医学部教授、同大学学際的痛みセンター長および運動療育センター長を兼任。医学博士。1991年、高知医科大学(現高知大学医学部)を卒業後、神経障害性疼痛モデルを学ぶため1995年に渡米。テキサス大学医学部 客員研究員、ノースウエスタン大学 客員研究員、同年高知大学整形外科講師を経て、2007年、愛知医科大学教授に就任。慢性の痛みに対する集学的な治療・研究に取り組み、厚生労働省の研究班が2018年に作成した『慢性疼痛治療ガイドライン』では研究代表者を務めた。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など



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