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夫が先に逝ったなら、やっと私の人生がきたと叫びたい

2021-09-17 12:00:00 | 日記

下記は婦人公論.jpからの借用(コピー)です

人生に「もしも」はないけれど、妄想せずにはいられない。この足枷さえなければ、新しい生き方、私だけの場所へ飛び出せるのに。81歳の夫と暮らす田代さんの夢は(「読者体験手記」より)
病を生き延びた夫は、健康を気づかうように
私がまだ40代の頃だったと思う。近所の大金持ちのご主人が病気で亡くなり、その四十九日も済まぬうちに奥さんが家で首を吊って後を追ったのだ。それを人から聞いた私は、なんてもったいないと思った。ご主人は大金を残し、あの世に旅立ったというのに。これからいくらでも自由に生きられるだろうに。
そこへいくと、私と夫は老夫婦になっても狭いアパートで年金を頼りにその日暮らしである。もしあの年、夫が病との闘いに負けて逝っていたなら、今頃私はどうしていただろうと考える。長年、ともに暮らしていたのだからそりゃあ悲しいけど、同時にホッとしていたに違いない。
夫はよほど悪運が強いのか、何回も死線をさまよったが、何ごともなかったかのように平然と生き延びている。さすがに足腰は弱ったが、真夏の暑いさなかも朝晩と散歩に出かけていた。そして近くの公園で鉄棒体操をする。戻ってくると「オイ、西瓜出してくれ」とか「あの高いヨーグルトを二つ持ってこい」とか私に命令する。
扇風機だけが回る部屋はムンムンとしているので、私は化粧もせず、まだら汗の顔で「ハイよ」と夫の注文に応じる。食べ終わった夫は一番風通しのよい場所に移ってしばし居眠り。汗でかゆくなった顎のあたりをボリボリきながら私は夕飯の支度をする。
夫はブロッコリーやトマトが胃がんに効果があると何かの雑誌で知って、毎食それを取り入れるようになった。もう81歳なのだから、そうまでして食事に気をつかわなくてもいいのに。
ちゃぶ台を庭に放り出し、机を新調して
もし夫が先に逝ってくれたら、やっと私の人生がきたよ~、と空に向かって大声を出してしまうだろう。お金はたんまりなくっても、私はもう自由!! どこへでも一人で行くことができるんだ。
まずしたいのは墓参り。両親、兄たち、なんといっても息子の墓前に報告する。おまえの父ちゃんはやっと逝った。これから私のために残りの人生を楽しむよ、と。その後私は夫の物を全部、ゴミ袋にポンポンと放り込んで固く紐でくくるのだ。イヤな思い出しか残っていない夫の物なんてすぐ粗大ゴミに出そう。こんなの引き取れないよと業者の人が言ったなら、お金をたんと出してでも引き取っていただく。
ほーら、この狭い部屋は私のすてきな部屋になる。灰色にくすんだカーテンだって、真っ白なレースに取り換えて。いくら私がカーテンを替えようと言っても、そんな金があるならオレによこせと言った夫。でももう邪魔されない。
並んで食事したちゃぶ台も思い切り庭に投げ捨て、そこへ花の鉢を置く。ほしかった勉強机は新しいのを買おう。子どもの頃から、私の机はきょうだいのお古だったから。今の狭い六畳の部屋でかまわないが、机だけは手に入れたい。いつもちゃぶ台で手紙を書いていると、夫は「ナニさ、文豪ぶって」と恥ずかしくなる暴言を吐くんだもの。
友人たちへの手紙には、「やっとこ一人になれました。これからはいつでも会えます。少しくらい帰りが遅くなっても誰も叱る人なんていません。私の部屋にも遊びに来てくださいね」と書き、ポストに何十通も投函する。
落ち着いたらお茶会を催すつもりだ。気取ってお紅茶と上等なクッキーを用意して。夫への長年の恨みを話して……いいえ、そんな話題、素晴らしいお茶会には似合いません。私は小花模様のロングドレスを着て、みんなにこれからの私の夢を語るのです。集まってくれた友人や妹に「よかったね。これからは貴女の好きなだけ本を読み、手紙を書き、旅行をしてね」と言われるのだ。
友人からのハガキはいつも外国旅行や温泉への旅の思い出をつづったものばかり。私だってたまには旅行をしたい。そして「温泉で羽を伸ばし、旅先でいい男に出会ったわ」とつづるのだ。
旅の記録がまとまったら、出版社に持ち込もう。それを本にしたらスゴク売れて金がわんさか入ってきたりして。そしたらまたみんなを集めてさらに盛大なお茶会をする。高価なカップに馥郁とした紅茶を。
集まった人たちが「やっと貴女はデビューしたのね!」と涙ぐむ。私は今まで苦労を重ねたことはおくびにも出さず、悠然と微笑むのだ。「ありがとう」とみんなのテーブルを回り、「お代わりはいかが?」と優雅に振る舞う。
となれば、この狭い部屋でなく、どこかのマンションにでも移ろうかしら……と思案にくれる。
しかし現実は厳しい。
私も齢76、もうじき喜寿だ。貯金も底をつきかけている。この歳でパートの仕事をもち、1日3時間、月に5万円くらいの収入がある。でも年金とその5万円では、やっとの生活だ。そのうちパートも打ち切られるかもしれない。
どうにか私が元気なうちに夫に逝ってもらいたいのが本音だ。そうとも知らずあの人は気そうな顔をして自分でスーパーまで行き、買ってきたお寿司をパクついている。私は夕べの残りの冷や飯に湯をかけてお茶漬けの予定だというのに。それにしてもなんとさみしい予定だろうか。
それでも私は一人暮らしを諦めぬ。どっちかが先に逝くのであれば、私ではないはずだから。諦めずに体を鍛えて生きてゆく。
パート・76歳



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