下記の記事は日経ヘルスアップからの借用(コピー)です
リモートワークが増え、家でコーヒーを飲む機会が増えた、という人も多いのではないだろうか。リラックス効果をもたらすこのコーヒー、ここ十数年の間には含有成分の疫学的な分析が進み、多くの研究者が健康効果についての論文や著書を次々と発表している。東京薬科大学名誉教授で、「コーヒー博士」として知られる岡希太郎さんもその一人。最近注目しているのはニコチン酸という成分と健康寿命の密接な関係だ。そこで岡さんに、コロナ禍の今だからこそ気になる、コーヒー習慣の効用についておさらいしてもらった。
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「日本のように社会が高齢化すると、ロコモティブシンドローム(ロコモ、運動器症候群)やフレイル(要介護一歩手前の虚弱状態)に悩む人が多くなります。コーヒーに含まれるニコチン酸には、これらのリスクを低減する効果が期待できる。日本人を元気で長持ちにする、つまり健康寿命の延長効果が期待できるわけです」
こう語る岡さんは1941年生まれの薬学博士。東京薬科大や米スタンフォード大で臨床薬理学などを専攻し、漢方薬や生活習慣病にも詳しい。2004年からコーヒーと健康についての研究に取り組み、『珈琲一杯の薬理学』(医薬経済社)、『がんになりたくなければ、ボケたくなければ、毎日コーヒーを飲みなさい。』(集英社)などの著書がある。第一線を退いた今も英科学誌「ネイチャー」などを熟読し、最新の文献をつぶさにチェックしている。
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健康寿命の延長効果が期待できる物質
その岡さんが「今後の研究の進展に最も注目している」のが、ビタミンB3のひとつであるニコチン酸だ。キノコのヒラタケや大粒種のピーナツの含有成分として知られ、深く煎ったコーヒーに含まれる。様々なコーヒーの成分のうち、唯一のビタミン。ちなみにタバコのニコチンとは異なる物質だ。
「試験や論文の蓄積により、ニコチン酸の効果が広く認識されるようになるのはこれからでしょう」と岡希太郎さんは予測する
なぜニコチン酸には「健康寿命の延長効果」が期待できるのか。それはNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)という物質との関係で説明できる。
NADとは細胞内のミトコンドリアの中にある補酵素のこと。酸化還元反応に関与する重要な物質で、細胞にできた傷の修復を促すほか、「人間が生きていくうえで一番大事なエネルギーをつくります」。人間のエネルギーは、ミトコンドリア内の様々な代謝酵素が栄養素を分解することによって得られる。「この代謝酵素はNADと結合することによって酵素活性を発揮するのです」。ここでつくられたエネルギーはATP(アデノシン3リン酸)というリン酸化合物に保存され、体の隅々にまで運搬される。
NADは加齢とともに減少し、これが老化関連疾患の原因の1つになるとみられている。「NADが不足すると体の中でエネルギーが生み出せなくなり、それが筋肉量が減少するサルコペニアやロコモ、フレイルにつながる可能性があるわけです。いわば体というエンジンがガソリン不足になり、元気が出なくなる」
ニコチン酸は体内で、このNADに変化するのだ。深く煎ったコーヒー豆10グラム中には、ニコチン酸が3~5ミリグラム含まれる。これを1日に3、4杯飲めば、NAD不足にならないだけの量に近いニコチン酸を摂取できるという。ビタミンB3自体は100年以上前に発見され、戦後の食料難の時代には病気の予防のために小麦や米に添加された歴史がある。「これが社会の高齢化に伴い、“老人病”(加齢性疾患)を防ぐ効果が見直され始めた。いわば古くて新しい成分なんです」と岡さんは指摘する。
「ニコチン酸の効能に関する論文は近年、ようやく数が増えてきました。一般には善玉コレステロールを増やす効果や、皮膚・粘膜の健康を保つ美肌効果などが注目されていますが、医療の現場では、様々な病気の治療にも使われ始めています」
その1つが、先天的なNAD不足による筋無力症で難病に指定されている「ミトコンドリア・ミオパチー」。昨年にはヘルシンキ大の研究チームが、ニコチン酸の投与で患者の筋肉中のNAD濃度が高まり、副作用もなく運動機能が回復したと発表した。また中国の医師団からは、やはり難病の潰瘍性大腸炎をニコチン酸の追加投与で治癒させたとの論文も発表されている。
「年をとってもニコチン酸を摂取してNADを増やし、細胞内のミトコンドリアでしっかりエネルギーをつくることができれば、免疫力も高められる。人間本来の生命力を上げられるわけです。コーヒーを飲む習慣は、この点でも健康維持に役立つ可能性がある。なかにはコーヒーが苦手な人もいるので、容易に手に入るニコチン酸のサプリメントなどが今後、普及するといいですね」
悪者扱いされがちだったコーヒーがなぜ注目されるように?
コーヒーはかつて発がんリスクが疑われるなど“悪者扱い”されがちだった。逆にその健康効果が注目されるようになったのは、ようやく今世紀に入ってからのことだ。2002年にオランダの学者が、コーヒーの摂取が(生活習慣病の)2型糖尿病になるリスクを低下させる、という内容の論文を英医学誌「ランセット」に発表したのを機に、様々な疾病に関するコーヒーの疫学研究が活発になった。
「人種や国、文化の違いによらず、コーヒーを飲むことで3大死因病(心臓病、脳卒中、呼吸器疾患)などの罹患(りかん)リスクが下がることを指摘する論文がこれまでにも数多く発表されており、4、5年前までにはその多くで根拠が認められています」
健康との関連においてよく取り上げられるコーヒーの有効成分が、植物の色素や苦みの成分であるポリフェノールの1つで、抗酸化作用が認められているクロロゲン酸だ。
「体の中の過剰な活性酸素は細胞自体を痛め、老化を引き起こします。例えば血管の壁が老化すると動脈瘤(りゅう)などが起きやすくなり、糖尿病が重なれば粥状(じゅくじょう)動脈硬化が起こって血行を阻害し、心臓や脳の働きに悪影響を与えます。クロロゲン酸はこうした過剰な活性酸素の無力化に貢献し、細胞の老化、炎症を抑えます」
クロロゲン酸にはインスリンの分泌を促すなど2型糖尿病の予防効果も指摘されている。ただ、コーヒー豆を深く煎ると、このクロロゲン酸は失われてしまう。そこで岡さんは、ニコチン酸が豊富に含まれる深煎りの豆と、クロロゲン酸が豊富に含まれる浅煎りの豆をブレンドしたコーヒーを飲むことを勧めている。
岡さんは第一線を退いた後も最新の「ネイチャー」など科学誌や学術論文にこまめに目を通し、情報発信にも積極的だ
コーヒーの健康効果については、がんの予防も気になるところだ。岡さんによると、様々な臓器のがん全体で見れば、コーヒーは発がんリスクをわずかに下げる程度だという。ただ、そうした中で肝臓がんに関してはリスク低下の効果が「ほぼ確実」とされている。予防効果の指摘は今世紀に入ってから目立ち始め、2005年には国立がん研究センターが「コーヒーをほとんど飲まない人に比べ、ほぼ毎日飲む人の肝臓がんの発生リスクは半減する」という研究結果を発表 した。
「肝臓はとても複雑な臓器です。抗酸化物質であるクロロゲン酸をはじめ、コーヒーに含まれる様々な成分を総動員することで、がんの発症が抑えられると考えられます」
岡さんは「コーヒーは本当に不思議な飲み物なんですね」としみじみ語る。
「例えば漢方薬の原料となる生薬の成分はだいたい1つか2つ。でもコーヒーにはいくつもの有効成分があります。そのうえ習慣性があるので、嫌いな人や体質に合わない人を除けば、無理なく毎日飲める。そこが魅力です」
もちろん、何事も「過剰」は禁物。飲み過ぎは避けたほうがいいし、砂糖も入れすぎは良くない。適量は1日に3、4杯だ。また妊婦はカフェイン入りのコーヒーを控えたほうがいい、という指摘もある。
いずれにせよコーヒーと健康に関する研究は多角化しつつあり、深化の途上でもある。今後も様々な疾病の予防効果だけでなく、アンチエイジング、美容といった側面からも、新たな研究成果が注目を集めることになるだろう。
(名出晃)
岡希太郎さん
東京薬科大学名誉教授、コーヒー研究家。1941年、東京都生まれ。東京薬科大学卒業。東京大学薬学博士。スタンフォード大学医学部留学。コーヒーの薬理作用について研究。
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