史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

記紀神話:天照大御神と須佐之男命の誓約

2019-12-17 | 記紀神話
須佐之男命の昇天
続いて記紀神話は高天原に舞台を移して行きます。
主役は天照大御神と須佐之男命です。
高天原の神話を略説すると、伊邪那岐命から根の国へ行くよう命ぜられたスサノヲが、姉のアマテラスへ別れの挨拶に赴いたところ、そのまま同地に居座って悪事の限りを尽くした挙句、諸神によって高天原を追放されたという話です。
天の岩戸隠れという余りに有名な挿話があるため、最高神であるアマテラスが話題の中心であるかのように思えてしまいますが、この物語は高天原を追放されたスサノヲの出雲下りを経て、大国主命(スサノヲの娘婿または数代の孫とされる)の出雲神話へと続き、やがてオオクニヌシからアマテラスへの国譲り、そしてスサノヲの子孫による天孫降臨と続いて行くので、あくまで真の主役はスサノヲです。

まずは前回同様に『古事記』の記述から見て行くと、父君のイザナギから「汝はこの国に住むべからず」と言われて根の国へ放逐されたスサノヲは、「姉上に話してから罷ろう」と言って高天原へ上って行きました。
スサノヲが高天原に向かっていることを知ったアマテラスは大いに驚き、「我が弟の上り来る理由は必ず善い心ではあるまい。我が国を奪わんと欲するものであろう」と言い、男装し全身に武器を纏って待ち受けると、「何故に上って来たのか」とスサノオを詰問しました。
スサノヲはこれに答えて、僕には邪な心はないと言い、父から根の国へ行くように命ぜられた経緯を説明した上で、罷り行くのを話そうと思って参上したことを伝えました。
するとアマテラスが「然らば汝の心が清明であることをどうやって知るのか」と尋ねたので、スサノヲは「お互いに誓約して子を生む」ことを提案しました。

アマテラスとスサノヲの神生み
アマテラスとスサノヲは天の安の河を間に置いて誓約し、まずアマテラスがスサノヲの佩いていた十拳劔を譲り受け、これを三段に折って天の眞名井で振り漱ぎ、噛みに噛んで吹き棄てた気吹の霧から生まれた神は、多紀理毘売命、またの名を奥津島比売命、次に市寸島比売命、またの名を狭依毘売命、次に多岐都比売命の三柱です。
続いてスサノヲがアマテラスの纏っていた八尺の勾玉を譲り受け、同じく天の名井で振り漱ぎ、噛みに噛んで吹き棄てた気吹の霧から生まれた神は、天之忍穂耳命天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命の五柱です。
ここにアマテラスはスサノヲに告げて、「後に生まれた五柱の男子は我が物から生まれた。故に吾が子である。先に生まれた三柱の女子は汝の物から生まれた。故に汝の子である。」と言って子を分け合いました。
スサノヲがアマテラスへ申すには、「我が心は清明であるが故に、(我が物から)嫋やかな女を得た。これによって言えば、我が勝ちである。」と言い、勝ちに任せてやりたい放題を始めました。

以上が『古事記』高天原神話の冒頭部分ですが、『日本書紀』本文も基本的にはほぼ同じ内容となっています。
アマテラスとスサノヲが生んだ子にしても、『日本書紀』では三柱の女子を田心姫市杵嶋姫湍津姫、五柱の男子を天忍穂耳命天穂日命天津彦根命活津彦根命熊野櫲樟日命に作りますが、字が異なるだけで人数名前共に記紀で一致しています。
また『日本書紀』は本文の他に一書(第一~第三)の三部の異伝を伝えており、それぞれ多少本文と相違する箇所はあるものの、その言わんとするところと大まかな流れは変りません。
ただ面白いのはアマテラスとスサノヲの誓約に際して『日本書紀』では、本文一書共にスサノヲが男の子を生むことを以て彼の赤心の証とすることを両神の間で事前に取り決めており、(結果としては同じなのですが)スサノオの物から女の子が生まれたことを以て彼の勝ちとする『古事記』とは真逆の判断基準となっています。

人の世に見る安河の誓約
ではこれらの出来事を神話ではなく人話として見た場合、果してそこから何を読み解くべきなのでしょうか。
少なくともこの前後の記述の中に、末弟のスサノヲが髭を蓄えていたという描写もある通り、この時点で既に三神は成人しています。
従ってスサノヲは(それが根の国かどうかは別にして)高天原以外の場所に領地を与えられていた筈で、その自領から(或いは自領へ赴かずに)高天原に上って来たものと思われます。
表向きは姉への挨拶となっているものの、この行動にアマテラスが大いに驚き、弟の本心を疑い自ら武装して待ち受けている辺り、恐らくスサノヲは兵を従えていたのでしょう。
逆に言えば一人で上って来る実弟を出迎えるのに兵事の男装までする必要はありません。
また高天原の主であり女性でもあるアマテラスが武装しているということは、当然彼女は既に帷幄の中に居るということであり、女神の左右にはやはり武装して兵を従えた諸神が侍っていた訳です。

これとよく似た話に、卑弥呼の時代からそう遠くない過去に起きた、魏の曹操とその息子達の記録があります。
曹操は多くの子息に恵まれていましたが、長男の曹昂は父を護衛して戦死、次男の曹鑠は病弱だったため、三男の曹丕(魏の文帝)が後嗣となっていました。
しかし国家に功績の少ない曹丕に対して、四男の曹彰は猛獣と格闘できたとも伝わるほど武芸に秀で、各地の戦場で武功を挙げていました。
建安二十五年に曹操が洛陽で薨去した際、西方の抑えとして長安に駐屯していた曹彰は、帰京を命ずる父からの早馬を受けて急ぎ上洛したものの、その最期には間に合いませんでしたた。
しかし曹丕もまた洛陽ではなく鄴にいたので、曹彰は葬儀を取り仕切っていた賈逵に璽綬の所在を訪ねましたが、「それは貴方の知ることではない」と厳しく窘められています。
実はこの時点で曹彰にも多少の野心があり、有事に備えてかなりの兵を率いて来たのですが、既に太子曹丕の相続が揺るぎないものであることを悟ると、逆に兄から疑われることを恐れて、上洛した曹丕と共に父の死を悲しみ、配下の兵を預けて王位に異心のないことを示しています。

天照大御神と女帝
また記紀共にイザナギは、三人の子にそれぞれ任国を与えた後に身を隠したとしており、『古事記』では近江、『日本書紀』本文では淡路に坐すと伝えています。
言わば高天原をアマテラスに授けたのはイザナギであり、これを擬人的に解すれば、数ある男子を差し置いて愛娘に後事を託したことになる訳ですが、やはり現実的にこれは考えにくいものです。
例えば日本史上には十代八人の女帝が即位していますが、内親王の身で父君から立太子の宣を受けたのは、聖武帝皇女の阿倍内親王(孝謙・称徳女帝)だけで、これは唯一の皇子である安積親王が光明皇后の子ではなかったことなど、豪族間の権力闘争も絡んだ特殊な事例です。
因みにアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三子は、(『日本書紀』本文以外の書では)イザナミの死後に生まれたとされており、正妻(先妻)イザナミの子ではありません。
立太子を経ずに父君から譲位された例として、後水尾帝皇女の明正女帝の例もあるとは言え、やはりこれも紫衣事件に端を発する幕府と朝廷の軋轢が生んだ異常事態です。

イザナギ自身が「生みの終に三柱の貴い子を得た」と言っているように、恐らくアマテラス・ツクヨミ・スサノヲは晩年の子で、三子に国を分け与えたのがイザナギの最後の仕事としているのは、裏を返せば三子が成人する頃には既にこの世にいなかったということでもあります。
従って女神アマテラスが高天原の主に君臨したのは、父のイザナギによって継嗣に任じられたものではなく、イザナギの死後に諸神の合議によって擁立されたか、或いはイザナギ死後の空白期間を経て推戴されたものと思われます。
実際に後世の事例を顧みても、女帝が選ばれる時代というのは、後継者を巡る内乱や有力豪族間の紛争など、国内に政情不安を抱えているか、またはそれを経験した直後というのが殆どなのです。

アマテラスとスサノヲの関係とは
そこで前記のアマテラスとスサノヲの神話を考察し、人話として考えられる一つの仮説を立ててみると、イザナギの死後、高天原で姉のアマテラスが即位したことを知ったスサノヲは、内心ではこの相続に承服していなかったため、兵を率いての上京という挙に出たのでしょう。
しかしこの行動を知ったアマテラスは諸神を従え、自らも武装して強硬な姿勢で出迎えたため、先手を打たれたスサノヲは面食らい、自分に異心はなく挨拶に来ただけだと弁明したものの、弟の気性を知るアマテラスは当然これを真に受けません。
アマテラスから悪意のないことを証明するよう求められたスサノヲは、共に誓を立てて正邪を明白にすることを申し出ます。
それがどのような神明裁判だったのかは分かりませんが、その結果がスサノヲの無実を証明するものだったので、勝ち誇ったスサノヲがそのまま高天原に居座ってしまった訳です。
逆に言えばこの時の天意はアマテラスの負けだったのであり、それも岩戸隠れの遠因の一つになっているのかも知れません。

アマテラスとスサノヲが生んだとされる子を見てみると、五柱の男子については、史書の系譜にもある通りスサノヲの子と理解しても構わないでしょう。
要はアマテラスに対して身の潔白を証明するために、スサノヲは我が子を全て姉の養子に差し出した訳です。
系譜上アマテラスには直系の子孫がない(つまり実子がない)ので、実弟スサノヲの子を養子に迎えるのは至って自然な流れですが、記紀には月読命の子孫に関する記述もないので、或いは次弟であるツクヨミにも子がなかったのかも知れません。
これに対してアマテラスは、見返りに三人の女子をスサノヲに授けており、恐らくこれは多くの侍女の中から特に三人を選んで下賜したものと思われます。
一人の弟に複数の女子を嫁がせるという行為は、後に天智帝が四人の実娘を弟の大海人皇子の妻にした例もあり、稀有ではありますが同様の事例は歴史上いくつか確認されます。


1 コメント

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Unknown (十神島根之堅洲国)
2020-08-31 19:27:47
やっぱり安来の十神山が修理固成の舞台オノゴロ島みたいですね。
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