一つの番組の中で、二度もジュリーの「勝手にしやがれ」が聴けたのは、得をしたのでしょうね。
ジュリーの出番が多いのは嬉しいけど、男性アーティスト部門で「勝手にしやがれ」は16位という、もうひとつどころか、順位が低過ぎでしょ!と文句をつける(1位・コメコメ浪漫飛行、2位・いとしのエリー、3位・勝手にシンドバット)
https://www.tv-asahi.co.jp/showa-meikyoku/
家人が新聞にジュリーの名前が出ていると教えてくれるまで、こんな番組があるとは知らず、慌ててTVを変えた途端にトップバッターで登場。やっぱり、勝手にしやがれ。
映像はABCの番組よりでした(関西の朝日放送の番組)
最後のポーズが両手を上に突き上げず、右手だけを前に突き出すポーズだったので、まだフリが固まっていなかった、新曲として出たばかりの頃の映像だと思います。
最初に出てきただけで、もう出ないのか つまんな~い!と思いながら見ていたら、西田敏行さんの追悼映像で、二人で歌う「勝手にしやがれ」。他の曲なら良かったのにねと隣が笑う😓
多分、当時この放送は見たんでしょうけど、西田さんと二人で歌う番組は、もう全く記憶がありません。
西田さんと二人で出ているのはNHKの映像で、ジュリーには当時41歳とテロップが出ていました。
41歳(1989年)のジュリーの歌い出しの声が、とても自然で軽~い歌い方で甘い声で、西田さんと2人のせいか、全然きばっていない、ええ声やわ~ とても良かったです。
また同じ曲かと文句つけながらも、1975年の歌声と図らずも対比できることになりました。しかも41歳のジュリーは、男盛りの大人の色気が溢れていて とても素敵
ただ、私はこの頃はジュリーが歳を取った・・と思いながら見ていたはずで、こんなにいい男だったのに。
TVに出ていたのもこの年までで、90年代はTVから遠ざかります。
ジュリーが41歳の1989年はどんな年だったのかと、wikiの記述より
『1989年、EXOTICSのメンバーだった吉田建をプロデューサーに迎え、村上'ポンタ'秀一を加えて新バンドJAZZ MASTERを結成し、アルバム『彼は眠れない』を発表。同年、10年間にわたって継続する音楽劇『ACTシリーズ』がスタート。横浜アリーナで行われたタイガースメモリアルクラブバンドのコンサートに参加した。同年末の「第40回NHK紅白歌合戦」ではシングル「DOWN」の他、ザ・タイガースとしても出場し、「花の首飾り」と「君だけに愛を」のヒットメドレーを披露した。同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。』
1989年はACTシリーズが始まった年でした。後年、ジュリーが「あの頃は暇でね~」と述懐していました。暇だったから始まったACTシリーズの第1回、私はこの時はちょうど都内に住んでいたので、グローブ座に観に行きました。初めての場所で迷ってしまい、開演に間に合わないと大焦りしたせいもあり、最初のACTは思い出深いです。
ACTクルトワイルの舞台の中で「勝手にしやがれ」の楽曲が、舞台の内容にそぐわず、そこだけ浮いていたのもよく覚えている・・と思っていたのに、CDには収録れていない。あれ??それは私の思い違いだったのでしょうか。
(追記)kayokoさんから、アクト・クルトワイルのパンフレットを見ると、確かに『勝手にしやがれ』歌ってますね♪と、コメントを頂き、やはり間違いではなかったと思いました(^-^) 初のACTのステージ、その内容にはそぐわなくても、ヒット曲は入れなければいけなかったのでしょうね。