教えて頂きました。ジュリー主演『キネマの神様』5月4日、BSテレ東で無料放送です(^-^)
シネマジャパン『キネマの神様』無料テレビ初放送!山田洋次監督が贈る奇跡の物語(BSテレ東、2024/5/4 18:30 OA)の番組情報ページ | テレ東・BSテレ東 7ch(公式)
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テレ東・BSテレ東
高い社会的地位に品位と教養、小まめで働き者で綺麗好きで女性にもてる大作家のツトムとは正反対、アルチューでギャンブル好きで金にユルクて、とてもいい加減な奴だけど憎めないゴーちゃん。正反対な役柄だけど、どっちもジュリー以外の人が演じるなんて考えられません、だってそこには隠せぬ色気があるんだも~ん
GWの楽しみにしたいと思います
「歌えるJ-POP 黄金のベストアルバム」
面白かった京本さんの解説に、一言 付け加えさせて頂きます。
(55)京本政樹 - 歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M
音楽という「タイムマシン」に乗って1980~2000年代の音楽シーンを楽しみながら「番組オリジナルのベストアルバムを作っていく」。出演:DJKOO・京本政樹
歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M - NHK
MCのDJ-KOOさん、ジュリーに憧れて音楽の道を目ざしました。
アナウンサーさんは、TOKIOの1980年はまだ生まれていませんでした。
DJ-KOO:JPOPのラスボス、ジュリー!!
音楽コンシェルジュだという、京本政樹さん。
DJ-KOO:皆さん、ご存じないと思いますが、京本さんの音楽に対する、知識と見解はすごいんですよ。まさに音楽コンシェルジュ
京本:音楽には中学の頃に目覚めて、研究して作っていたから、音楽に詳しい。
DJ-KOO:沢田研二さんの存在は貴重でしたね。
京本:その前に歌謡界の流れが一回、GS一色になるんですよ。そこに沢田さんがいらっしゃる。GSは職業作家が作っていた、スパイダースの様に自分たちで作っていたものもあるけど。
そこから沢田さんは、1人になって初めはバラード調の曲を歌っていた。そこから爆発的にヒットしたのは勝手にしやがれなど、あの辺から沢田さんの猛攻撃が始まった。
毎度毎度、どんな仕掛けで出て来るのか、そこにパラシュートがTOKIOがあるんですよ。
DJ-KOO:カッコ良かったですね!!
京本:沢田さんが日本のロックシンガーの代表みたいなもんなので、新御三家は沢田さんが出てから出てくるわけで、秀樹さんは ものスゴイ目標だったと思います。ジュリーさんに追い付け追い越せみたいな。
そんな京本さんが、20世紀のJーPOPを仕置き。
登場曲はご自分が必殺で作曲した曲で。
京本:実は必殺は自分の作った曲で(番組に)出てきている。デビュー時のキャッチコピーはシンガーソング・アクター。作曲しているのに、ライターはどこにいったんだ、アクターにするから俺は火がつかなかったんだ。 お怒りでした。
続いて、布施明 「シクラメンのかほり」
DJ-KOO:この曲はJPOPの歴史上、どんな曲?
京本:沢田研二さんの話をしましたが、世の中をフっとみれば、陽水、拓郎、小椋佳などが出て来た。布施さんは平尾昌晃の「霧の摩周湖」などのヒットで出て来た、平尾メロディーの印象が強い。ところが「シクラメンのかほり」1曲で、アーティストのイメージがついた。
DJ-KOO:歌謡シーンがガラっと変わりましたね。
京本:当時は大半の人は小椋佳を知らなかったと思う。レコジャケは女の人で本人は出ていない。
小椋佳のTV初出演の貴重な映像「さらば青春」
DJ-KOO:70年代は激動の時代ですが、音楽の様子はどんな時代でしたか?
京本:GSも演歌も有りバンド音楽も出て来る、陽水、拓郎などが出てきて、歌謡界が変わってくるわけです。どうしたら彼らに曲を書いてもらえるだろうか、それが森進一の「襟裳岬」、中森明菜は陽水。あのシンガーソングライターに新人の新曲を書かしたらどうだろう、そういう時代にはいっていった。
京本:影響をうけたのは、目指していたのは筒美京平さん。幅広い曲を作っている。松本隆とのコンビで沢山の名曲がある。
1978年ドール。太田裕美さん
京本:プロ中のプロの曲、太田さんのそれまでのテイストとは違う。女性アイドルシンガーがうたってもおかしくない、キャッチーな曲
シンガーソングライターと職業作家がしのぎを削っていた時代。
次に選んだのはユーミン
京本:ユーミン詞と曲が出来上がった人だなと思っていた。スマートを粗削りなところがない、アイドルに楽曲を提供していた。「待ちぶせ」は三木聖子さんがアイドルチックに歌っていた曲、その曲を石川ひとみさんがカバー。
僕は分析派だという京本さん、自分がイヤになるそうですが、楽しかったと言っていました。
京本さんの歌謡界への視線には、大いに同感しました。私も一言いわせてください(^-^)
京本:沢田さんが日本のロックシンガーの代表みたいなもんなので、新御三家は沢田さんが出てから出てくるわけで、ヒデキさんは ものスゴイ目標だったと思います。ジュリーさんに追い付け追い越せみたいな。
そうそうそうそう!!ジュリーこそロック!京本さん、もっと大きな声でアチコチで言ってください(^o^)丿 新御三家と一緒に語らんといて!ステージが違います。
京本:その前に歌謡界の流れが一回、GS一色になるんですよ。そこに沢田さんがいらっしゃる。
ここの「GS一色になる」には大いに同感しました。ほんとに当時小学生の私は、歌謡界はGSだけ、GS以外は売れてない、GSいがいは古臭く感じる。そう思っていました。1967~1968年の、わずか2年間にしかすぎないのですが。実はGS以外のヒット曲もちゃんとあったんですけどね。
京本:GSは職業作家が作っていた、スパイダースの様に自分たちで作っていたものもあるけど。
スパイダースが人気爆発したのは、職業作家の書いた曲で、自分達で作くった曲はそれほどヒットしていません。スパイダースは1968年頃には若い世代のGSがいっぱい出てきて、影が薄くなってました。
京本:布施さんは平尾昌晃の曲のヒットで出て来たが、平尾メロディーの印象が強い。
確かに布施さんは平尾メロディーで出てきましたが、「霧の摩周湖は」60年代で古すぎです。 布施さんは70年代半ばはジュリーなどと伍してヒット曲を連発していました。加瀬さんの作曲した「甘い十字架」や、他には「積木の部屋」もかなりヒットしました。
京本:「待ちぶせ」は三木聖子さんがアイドルチックに歌っていた曲、その曲を石川ひとみさんがカバー。
三木聖子さんを知らない人は多いでしょうが、当時のジュリーファンなら知っている。悪魔のようなあいつの妹役でした。三木さんの「待ちぶせ」は、たいして話題にもならなかったような? さっさと結婚して辞めちゃって、ユーミンに曲を書いてもらってナベプロが力を入れて売り出した割に、もう辞めるんやと当時思いました。三木聖子さんも石川ひとみさんも、ジュリーと同じナベプロです。
京本さん、怪しい年齢不詳の俳優というイメージがありましたが、実はシンガーソングライター、一気に見直しました。