先日 NHKの「あさイチ」でラジオ特集をやっていました。10年ほど前には、もうオワコンと思われていたラジオ。
それが、ラジコなどの聞き逃しが始まり、視聴区域外でも聴けるようになって、大きく世界と可能性が拡がりました。新たに視聴者どうしの繋がりが生まれているとのことに、それこそまさにラジ関のPlaylist of Harborlandであり、「ジュリーにチェックイン!」コーナーだと思いました。
ラジオがこんなに楽しかったなんて、この番組のお陰で思いだしました(^-^)
後回しになりましたが、2月20日、ラジオ関西 Playlist of Harborland、ジュリーにチェックイン!コーナー
パーソナリティは田名部真理さん。
(番組冒頭)ジュリーにチェックインコーナーは今日も2時5分頃から。
もうカウントダウンが始まって、どうしようどうしようと思考停止になっていますが、まだまだ皆さんと色んなテーマで楽しんでいきたいと思っておりますので、お付き合い下さい。
(2時5分)火曜日歌謡曲では、ジュリーこと沢田研二さんの曲を毎週お届けしています。
いきなり始まってしまったカウントダウンということで、どうしようどうしよう、皆さんの方からもどうしようどうしようとなりながらも、正月ライブの振り返りもちゃんとやってなかったなと思いきや話題も 先週はACBによせられたメッセージも、羨ましい経験談を有難うございます、というメッセージも沢山きていて
そうなんですよね、このコーナーの面白い所は、皆さんの経験談をシェア出来るところが、尊いなと思って、先週のyasukoさんの振り返りに関しては
東京都のロミさんからメッセージを頂いて
『先週のタイガースのファンのお話、ウラヤマが3個出来るくらい、羨ましかったです。マネたかったけど、生まれた環境でどうにもできないことだから、とにかく羨ましい。
ジュリーほど長いキャリアがあれば、ファンの年齢は広く、タイガースの頃は生まれていなかった人、勝手にしやがれの時生まれたという人、ソロになってから大ファンになったという人、母親の影響でファンになったという人、若い人ではYOUTUBEなどで落ちたという人もいますもんね。
私はタイガース時代はまだ小学生で、それでも大ファンでした。ただ やはり小学生でしたから、当時の記事を読むのが精いっぱいの推し活でした。
中一の時、タイガースの解散が決まり本当に哀しくて、母親にねだって解散前の1月の大阪フェスティバルホールのコンサートに、母親にねだって同伴で行ったのが最初で最後でした。だから、2013年のタイガースのコンサートに見に行けたのが、本当に夢のようでした。』
ご自身の思い出をずーっと辿ってゆくだけで、本当に10分のコーナーはあっという間、というくらい、まだまだギリギリまで皆さんの思い出はちょっと聴いていきたいなと、思っていた所
先週なんですが、神戸市東灘区のネズミ年の爺・・あ、ジジーかもしれないですねジュリーファンだと、頂いたメッセージが
『こんにちは、初めてお便りします。Playlist of Harborlandのこのコーナーにジュリーのコーナーがあるのを知って、ラジコでいつも聴いていました。』(恐縮です)
『僕は小学校2年の時に、ザ・タイガースを初めて見てからハマリました。西宮球場に来た時は親に頼んで、球場まで行ったら当日券があり、ナマのタイガースの演奏を聴いたのは今でも忘れられません。その後は中学か高校の時に、近所の電信柱のポスターに神戸文化センターのポスターがあって観に行きましたが、この時はジュリーが謹慎後でアフロヘヤーで、大仏さんみたいになってもうた、と言ったことや、当時はステージの下に今では考えられないんですが、女性ファンがプレゼントを持って、ジュリーも誰か大八車を持ってきてと言って、プレゼントを.受け取っていました。時代ですよね。男がジュリーのコンサートに行くのは、かなり勇気がいった時代ですので、母親を連れて行った覚えがあります。
当時はジュリーファンのお姉さま方とは違い、ノリノリはさすがに出来ないので、ワシは2階でジックリ見てるんや、みたいな感じで参加してました。
最近はジュリーより一回り若いですが、カッコも気にすることなく、壁塗りから何から何まで一緒になって楽しんでいます。この放送が無くなるのは、とても残念です。』
ということで、本当にサイレントリスナーさんだったのかもしれませんが、貴重な時代がよくわかりますよね。その時は当たり前だったのかしれませんけど、今はプレゼントっていったら、また殺到しますよ、ジュリーのもとにアクスタとか行きますよ、きっと(笑)
それをどう受け止めるのか、ちょっと見てみたい気もしますけどね。
(続きます)
今回もタイガース時代の思い出や、懐かしいお話を聴けました。
ネズミ年のジジーさんの『ジュリーが謹慎後でアフロヘヤーで』についてですが、ジュリーのアフロヘアは1976年の謹慎前だと思います。あまり評判が良くなくて、ジュリーのアフロヘアの期間は短かったです。下はYOUNGの6月号。
ナベプロのファンクラブ誌・YOUNGでジュリーのスケジュールを確認しましたが、1976年の大阪フェスのライブは8月10日まで入っていませんでした。当時のジュリーは、海外での活動が忙しかったせいもあります。
私は姫路で春のツアーを3月25日に見る予定でしたが、姫路市民会館が爆発事故で8月に延期になりました。その後、6月にジュリーが謹慎したために、謹慎明け後のライブを地元の姫路で見ることになりました。殆どのコンサートは記憶から薄れ消えてしまっていますが、やはりこの謹慎後のライブは特別で、今でも記憶に残る数少ないライブです。
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