私の故郷は茅葺きの里北村です。近年日本の原風景の
村として脚光を浴びて一大観光地になりました。
今日は北村の神社のお祭りでした。本当の日は8日なのですが
観光客に見てもらおうと日曜日に変更になったのです。
私が小さかった頃は神社の境内に芝居小屋が経ち3日間
ぐらい芝居が続きました。出店もでてそれなりに賑やかでした。
母は鯖寿司、巻き寿司を作り重箱に詰めて芝居の席に持って
来ました・幕間にみんなわいわい言って食べました。
お祭りの日が楽しみでもありました。まだテレビもない時代で
村芝居と映画を見るのが唯一の娯楽だっつたのです。村芝居は
いつかなくなり、祭りだけは続いています。
父が生きていたころ、父は松茸と鯖すし、赤飯を嫁いだ娘に配り
歩きました。父が亡くなってからも、母は巻き寿司、鯖すし、赤飯を
作り「取りにおいで」と言いました。その母も90歳を超えてからは
なにも作れなくなり、今年の7月から老人ホームに入りました。
思い出と共に故郷は遠くになっていきます。
村として脚光を浴びて一大観光地になりました。
今日は北村の神社のお祭りでした。本当の日は8日なのですが
観光客に見てもらおうと日曜日に変更になったのです。
私が小さかった頃は神社の境内に芝居小屋が経ち3日間
ぐらい芝居が続きました。出店もでてそれなりに賑やかでした。
母は鯖寿司、巻き寿司を作り重箱に詰めて芝居の席に持って
来ました・幕間にみんなわいわい言って食べました。
お祭りの日が楽しみでもありました。まだテレビもない時代で
村芝居と映画を見るのが唯一の娯楽だっつたのです。村芝居は
いつかなくなり、祭りだけは続いています。
父が生きていたころ、父は松茸と鯖すし、赤飯を嫁いだ娘に配り
歩きました。父が亡くなってからも、母は巻き寿司、鯖すし、赤飯を
作り「取りにおいで」と言いました。その母も90歳を超えてからは
なにも作れなくなり、今年の7月から老人ホームに入りました。
思い出と共に故郷は遠くになっていきます。