美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

週に2回の雑談タイム

2015年01月16日 | 日記
今日も暖かい。夫が配達にいってくれた。紋次郎と遊ぶ。私は坂道にそりを持って行って滑ろうとしたが雪ががさがさしていて滑らない。紋次郎は不思議そうに見ている。しばらく遊んで繋いだ。今日は珍しく鹿たちが現れない。昨日一日紋次郎家の周囲に放したので来ないのかもしれない。鹿の姿を見ないと少し寂しいな?

午後は週に2回の移動販売車の日。下の店を開けてくれるので村の人達のたまり場になる。正月明けから3人も入院して一人はショートステイに行ったので4人だけになった。3人ともしばらくは帰ってこれそうもない。高齢者でやっていたミニサロンも休止しなければならない。男の人達は村の役職の選挙に困っている。役職が10ぐらいあるのに役職に就ける人は5人しかない。一人2役はしなければならない。夫は4役ほどしている。そのうちに村の機能がしなくなりそうだ。尚美さんに編み物を見てもらいながら4人で2時間ほど話をしていた。その間に移動販売車も来た。子持ちかれいを買った。焼き豆腐がなかったので豆腐と煮付けにした。

寒の嵐

2015年01月15日 | 日記
朝雨の音で目が覚めた。仕事は休むことにした。編みかけのセーター身頃編み上げた。雨の中紋次郎は外に出て帰って来なかった。1時間ほどして捕獲。犬小屋に繋いだ。雨と夕方からは突風まで吹いた。今晩いっぱいは荒れた天気になりそうだ。朝母屋の玄関前で雄鹿が寝転んでいた。夕方音がするのでガラス窓越しにのぞくと、雄鹿は南天の木を引っ張っていた。蔦の葉も狙っているようだ。家の中と外を出たりはいったりしているうちに一日が終わった。雪も嫌だが寒の冷たい雨はよけいにやっかいだ。生協の若い女の子は「雪がなくてよかったです」とも言っていた。ここまでの配達は街に住む人には大変だと思う。夫は夜お寺参りに行った。帰って来ていた長男にお餅と煮て冷凍しておいた小豆を持たす。彼はぜんざいが大好物である
「お母さん、炭火かストーブで焼いた餅は美味しいけれど電子レンジで温めた餅は美味しくないなあ」と言った。フライパンでゆっくり焼いてもいいのだが、今の若い嫁さんはそんなことはしない。孫が英会話のお稽古に行きだしたそうだ。ピアノとか公文とか言っていたが英会話に落ち着いたらしい。暮れに英語の絵本「アナと雪の女王」送った。私は読めなくてもいいから見るだけでいいと言っておいた。

休みなのに

2015年01月14日 | 日記
今日は一日中くもり。道の駅の店が休みなので私も休み。紋次郎を放す。紋次郎は繋がれるのを嫌がる犬である。雪の上でゴロゴロしたり田んぼの雪の上を走ったりしている。でも目を放すとどこかに行きそうなので遠くから眺めている。今日は午前中1回午後2回放してやった。
1回目の時は大きな鹿と遭遇。追いかけて行ったが鹿は山に逃げたようだ。夜は小鹿が来た。私が追い払っても急いで逃げずに私の顔を見ていた。だいぶ鹿が私たちに慣れてきたようだ。こんなに何度も家の前に出てくることはめずらしい。

一日中編み物をしていた。ロングセーターの身頃が2枚編みあがってきた。脇の所は金曜日に尚美さんに教えてもらう。そこができたら袖2枚編めば出来上がりだ。なんとか1月中にできそうな気がしてきた。

今豆乳抹茶プリンを試作している。抹茶ソースを作って底に入れたがうまくいかない。豆乳と抹茶を混ぜたほうがいいのかもしれない。豆乳プリンは美味しい。あのまったり感がいい。

新年から病人続出

2015年01月14日 | 日記
7時過ぎに起きていつも通りお弁当作りをしていたら電話が鳴った。早朝の電話はあまりありがたくない。「今から病院にいくわ。留守中のこと頼むわ」「えっ、どうしたの?」「3日前から腰がたたなくなって、ずっと寝ていたの」彼女は家の一番近くに住み夫の親戚にも当たる
Tさんの奥さん。まだ75歳である。私は揚げ物を中断してその家に向かった。雪の坂道は走ると滑ることもある。家に着くと夫のTさんにお粥を食べさせてもらっていた。腰は立たないようだが顔色は良くて元気に喋るので一安心した。病院には症状が言ってあるとのことで、車で向かった。4日前の夜中には80歳のYさんが救急車で病院に行った。一人暮らしの88歳のKさんは雪の中での生活が困難で一月の半分以上はショートステイで老人ホームであずかってもらっている。お互いに高齢者同士が支えあってきた暮らしが一気に崩れていくような気がする。67歳の私はどう対処したらいいのと考える一日となった。

鹿が悪さをしています。母屋の玄関が昼間空いていたら入ってお正月用の花と鉢植えの花を全部食べてしまいました。幸い今日花を活け替えようと思っていたので腹がたちませんでした。夜は家の前の広場をわがもの顔にあるいています。私の顔を見ても逃げようともしません。

過疎地の宅急便はありがたい。

2015年01月12日 | 日記
今朝も夫は4時過ぎから除雪に行った。私も一度目覚めて眠れないので早めに起きた。配達に行く。除雪は綺麗にできていたがやはりはしり難い。40分もかかった。帰りはもっとたいへんだった。雪が舞い前が見えない。ホワイトアウト状態。途中で車を何度も止めながら帰って来た。1時間もかかった。夫は居間で横になっていた。よほど疲れたのだろう?私もうたたねをしてしまった。いつもなら家の前の除雪をするのに今日は何もしないで6時過ぎに自分の部屋に帰って行った。明日は降らないだろうと思っているがわからない。

昨日ネットで頼んだ紋次郎の犬の餌が宅配で届いた。友人からいちごが届いていた。宅配は本当にありがたい。どれだけ雪が降っても届けてくれる。郵送で届く新聞は日曜日と祝日が重なって2日も来ない。明日3日分が配達されるが読むのは当日分だけになる。過疎地で冬季は食料や日用品などが買えないような状態になる地域は多いと聞くがここはまだそんなことはない。週に2回小浜から移動販売車が来るし生協も週に一度来てくれる。友人やネットで頼めば宅急便や郵パックで届く。

凍てついた雪野原

2015年01月11日 | 日記
昨夜から冷え込んで今日はよく凍てた。朝は青空が広がった。夫が配達に行ってくれたので助かった。我が家の坂道はバリバリに凍てていた。紋ちゃんを放すと滑りながら走っていた。紋ちゃんは雪の上で少しの間日向ぼっこ。午後から曇ってきました。雪か雨になりそうです。

ばりばりと音がするので外に出るといつもの雄鹿がいた。声をあげるとゆっくりと移動した。わずかに残っている葉を探して家の軒下までやってきた。蔦をひっぱろうとしているのだ。夜にももちろん来るが昼間平然と来るのは珍しい。急な雪で山に餌がなくなったにちがいない。一度デジカメで撮ろうと思っているが、そういう時は急いで走って逃げる。

またまた編み物を始めました。1月中にロングセーターを仕上げようと頑張っています。私は手芸が苦手なので、あまり一生懸命しないのですが、下の尚美さんが教えてくれるので、なんとか形になって仕上がります。でも一カ月に一枚しかできません。今年はこの一枚だけになりそうです。

雪は一服か?

2015年01月10日 | 日記
夫は今日も4時半に除雪に出て行った。10センチぐらいの積雪だった。しかし、昼間はほとんど降らず夜は星が輝き晴れて来た。この連休は成人式がある。
20年前私は職場の成人式で代表として誓いの言葉を述べた。「踏まれても踏まれてもたくましく伸びる雑草のように生きたいと思います」と。高校の卒業式では校長先生が「日新日々新たなり」と言われた。そして今の私の座右の言葉は「人間どこに住んでも地球の一角」だ、これらの言葉をたびたび思い出しながら67歳の今日まで生きてきた。もう人生の最終章に入ってきた。最後は「死ぬまで生き切りたい」と思っている。元気な間はできるだけ働いて子供たちに迷惑をかけないで、消えるように亡くなるか、癌で余命を宣告されて納得して死ぬかであってほしい。認知症だけにはなりたくないと思っているが、それは神のみが知ることである。

今年の成人達はどんな決意でこの日を迎えるのだろうか?

2週間ぶりの移動販売車

2015年01月09日 | 日記
今日も一日中雪が降ったり止んだり。夫は10時前から除雪に出かけた。配達を済ませ昼前に帰って来たが夫は4時前にしか帰って来なかった。2週間ぶりに小浜からの移動販売車がやっtきた。食材が切れていたので助かった。生の鰆と鰤の切り身を買った。鰆は骨をはずして塩をした。日曜日のお弁当にてんぷらかフライにする。鰤は照り焼きか鰤大根にしようと思っている。この頃は肉屋さんからの肉も持って来てくれるので助かる。ほとんど国産肉で若狭肉の上等もある。紋次郎用に豚の細切れ肉と筋肉を買った。しかし筋肉はこんにゃくと炊いた。筋肉を湯がいて水に晒しそのごこんにゃくと調味料を入れて2時間ほど炊く。この時期は石油ストーブを焚いているので煮物をするときは便利である。野菜はあまり買わないが縮緬雑魚やちくわも買った。紋次郎はできあいの鰺のフライを買ってやるとどこかに持って行った。雪の下に隠したらわからなくなるのに、いつも口に銜え走って行く。



夜豆乳プリンを初めて作った。昨日台湾の人が豆乳はよく飲むと言われた。牛乳よりも豆乳のほうが人気があるそうだ。ここ2年前から急に台湾の観光客が増えている。

春の香り

2015年01月08日 | 日記
朝から雪。15センチほど積もった。夫は除雪に出かけた。私は昼過ぎから観光協会主催の研修会に行った。河鹿荘であった。台湾からの観光客受け入れについての現地旅行代理店の人の講演。そこででたのはやはり公共交通のアクセスの悪さだった。それに大きなグループは美山での受け入れは無理。日帰り観光客になるとのこと。個人旅行客、研修生の受け入れが良いとのことだった。サイクリング、川での遊び、桜ツアー、紅葉ツアーなどの企画をしたらとのこと我が家のような辺鄙なところでの対応を質問すると「ありのままの対応でいい」と言われて一安心。食事も野菜中心がいいですよとも言われた。私は無理をしないで自分流にやりたかったので、その話ににも納得した。久しぶりに2時間も座って講演を聞いていたので疲れた。帰り道は雪が敷いていた。

生協で頼んでいたいちごが届いた。はるの香りと春の味。 

ささやかな贅沢

2015年01月07日 | 日記
今日は一日中雪が降ったり止んだりしているが積もるわけでもない。配達をすませ帰りに美容院に寄る。シャンプーとカットをする。私は月に2回はシャンプーに来る。贅沢と言う人も多いが私にとってはささやかな贅沢でもある。36年前甲状腺癌で88日間入院した。気分のいい時に外出許可をもらい美容院でシャンプーをしてもらうのが唯一の楽しみだった。それ以来私は美容院でシャンプーをしてもらうことが普通になった。今日はカットもしたが短めにしないで毛先だけそろえてもらった。顔そりもしてくれた。私はほとんど化粧しない。コバル照射で顔の半分の皮膚がケロイド状態になった。再生が不可能かと思われたのに今ではわからない。ただその時から気を付けていることは皮膚に紫外線があたらないようにしている。化粧水とサンオイルと帽子はいつもつけている。家の中でも帽子を被っている時があり夫は時々「家の中まで帽子はいらんぜ」という。1時間余りで3000円を支払い帰って来た。午後は少し昼寝をした。心地よい疲れが睡魔を誘ったのかもしれない。

宅急便でアマゾンで頼んでいた本が届いた。正月に読もうと思っていたのに在庫がないと届かなかった。こんなことはめったにない。その本のタイトルは「後妻業」直木賞作家の黒川博行京都青酸連続不審死事件を予言したような小説だ。1時過ぎから4時まで読んで夜は7時から9時までかかり読み終えた。面白かった。鮮烈な犯罪小説になっている。孤独で資産家の老人を獲物に殺して資産を自分の物にしていく。女の本性のようなものが見える。一人暮らしは男の高齢者にとっては耐えられないのだろう。女のほうが強いのだ。この主人公は最後は弟に殺される。私は小説家はすごいなと思った。緻密に調べ上げて物語を作るから。この中に京都美山町出身という男が設定されていたが、驚いた。たぶんこの本はベストセラーになるだろう?

明日は食材が切れたので仕事は休みます。午後自然文化村で台湾の旅行関係者との懇談会があります。久しぶりに河鹿荘の食事とお風呂に入ろうかなあと思っています。

暖かな寒の入り

2015年01月06日 | 日記
今日は寒の入り。これから立春までが1年で一番寒い時になる。今日は暖かだった。雪ではなく雨の寒の入りだ。天気予報では明日から冬型の気圧配置になっているが、雪は降るのだろうか?正月に降った雪はほとんど消えた。雪は消えると降るから降るかもしれない。
ブータンの若者が2月5日から1週間止めてほしいとの電話を夫が受けたようだ。雪灯篭が1月31日から始まるから今年の人達は雪灯篭を見ることができる。プラスチックのそりとスコップを準備しておこうと思っている。でも雪灯篭の時に雪があるとも断言できない。

今日の夜三島亭のステーキを焼いた。やはり肉の香りが違う。あまり肉類を食べない夫がぺろりと平らげた。私は肉汁をすすっただけ。残りの肉は紋次郎に行った。紋次郎は肉が大好きだ。牛肉の筋肉が好きだったが、年をとったのでいまは豚肉の細切れか牛肉の細切れをドッグフードとともに食べている。たぶん明日は何も食べないかもしれない。今晩のお肉で満足しているにちがいない。

雪の野を鹿が走る

2015年01月05日 | 日記
夜中の3時半何かの音で目が覚めた。ガラス戸越しに外を見ると大きな鹿が飛んでいた。私が声をかけると大急ぎで山に帰って行った。たぶん雪で食べ物がないのだろう?夕方紋次郎を田んぼに放すと山から鹿が降りてきた。鹿を見た紋次郎は追いかけて行った。帰って来ないかと心配していたら、すごすごと引き返してきた。鹿が上手く逃げたらしい。若いころだったら仕留めるまで追い続けていた。紋次郎も年をとった。この雪で多くの鹿は里に下りてくるに違いない。今朝の鹿も夕方の鹿もこの冬を超えることができるだろうか?急激な大雪の時はたくさんの鹿が死ぬことが多い。

今日は初仕事。お正月メニューにした。赤飯も炊いた。今年もできる範囲で弁当作りをするつもりだ。帰りに友人のAさんと喋る。娘夫婦が二人の子供連れで帰って来て5泊したそうだ。疲れたわと言っていた。我が家は二人の息子が帰って来ないので夫婦二人の静かな正月だったと言う。夜山梨の二男に電話する。みかんが送ってほしいか尋ねる。和歌山からおくってもらたみかんがたくさんあるので食べてもらうことにした。親はいつになっても子供のことが気がかりだ。

今日の夕食は「たけよし」で握り寿司を買ってきた。

雪の晴れ間の一日

2015年01月04日 | 日記
今日は本当に雪の晴れ間の一日になりました。洗濯をして午後は明日のプリン作り。プリンの容器を取りに小屋に入ったら超大変なことになっていました。保存していた白菜はほとんど食べられていました。おかしいなと思っていた黒の大きなハクビシンが顔を出したのです。紋次郎を連れてきて放しました。紋次郎はにおいを嗅ぎまわっているのですがハクビシンが出てこないのです。夫が来てくれてハクビシンを殺してくれました。このハクビシンは我が家の白菜を全部食べつくして小屋にまで入って食べたのです。放りだされたハクビシンを紋次郎が噛みついています。これで一段落です。夫は「まだいるのと違うか?」と半信半疑です。明日から仕事を始めます。もう寝ます。お休みなさい

雪にうんざりです。

2015年01月03日 | 日記
昨夜からまた雪が降り始めて夫は4時半から除雪に出て行きました。25センチほどの新雪が積もりました。紋次郎を放そうと外に出すのですが雪の壁に阻まれて途中までしかいけません。
1時前に除雪を終えて帰って来た夫は「3日連続の除雪は久しぶりやなあ」と言っていました。京都市内に住む従妹から電話があって「修学院も25センチ積もったわ。どこにも行かないで家にいるわ」とのこと。もう一人の友人は昨日清水寺のい年始に行くのにタクシーを使ったそうだ。年始早々アマゾンで注文していた家計簿と豆乳かぼちゃジュースが届いたが、ヤマトのお兄ちゃんは坂道を歩いて登ってきた。今日の訪問者はヤマトのお兄ちゃんと郵便局のお兄ちゃんだけ。夫は自分の部屋に行って昼寝のようだ。私はお風呂を焚きに風呂場に行った。薪のお風呂である。屋根の雪が落ちるので気を付けないといけない。私は雪で2回骨折している。夫は「屋根の雪はいつ落ちてくるからわからんからなあ}という。歳を重ねて運動神経も鈍くなっているので咄嗟に動けないのだ。

おせちに飽きたのでおでんを炊いた。

大雪のお正月に。

2015年01月02日 | 日記
昨日の午後、新年会の帰りはまだ雪も積もってなく路面もでていたのに、3時過ぎ府の土木事務所から除雪要請の電話が入り夫は出て行くことになった。外に出るともう30センチ以上積もっていた。夫は8時半過ぎに帰って来た。今朝も4時半に除雪車のエンジン音で目が覚めた。8時前に起きると10センチほど新雪がのっていた、紋次郎を放す。大喜びで雪野原を走る。夫は11時過ぎに帰ってきた。私は箱根駅伝の中継を見る。午後は夫が家の前の除雪後昼寝

私は暮れに購入していた本を読む。
「美しい田舎の作り方」と「農山村再生」の2冊。読み始めたがあまり面白くない。学者と呼ばれる人が書くとどうも理論的で実情にそくしていないように思う。限界集落、過疎という言葉も作られたものである。特に四国の山村や中国地方の山村が例にたとえられている。私の住んでいる地域は京都市内から50キロ地点である。冬場は峠が通行止めになるがそれ以外は簡単に京都市内まで行きができる。村以外に出て行った子供達も帰って来るしそこに住んでいる当事者はまだそんなに悲壮感も持っていない。戸数15戸30余名の集落は私が嫁いできた40年前と住んでいる人たちの意識変化は少ない。毎年数人ずつ亡くなって人口は減っていくが大きな家は空き家になっても残っている。65歳の老人(私も含まれる)ばかりだが少ない年金でもそれなりの暮らしを営んでいる。これからどいなるかは誰にもわからない。私は住んでいいる人たちが満足していればいいと思っている。