「これが丹沢の顔だ!」《塔ノ岳編》山日記rev.0
2025/1/25
本文を書いているうちに、タイトルを変える事にした。悩んだ末のことだが、内容的にシリーズ物になりそうなので後々の事を考えて上記のタイトルに変更した。
《》で括られている部分が書き換えられる部分になる。今回は、《塔ノ岳》だが、次回は《蛭が岳》とかに変えられるように考慮した。
Rev.0レヴィジョンを入れたのは、更にランクアップした”顔”が撮れた時のためで、私の成長のノリシロだ。
智恵子は丹沢に顔が無いといふ、
ほんとの顔が見たいといふ。
私は驚いて丹沢を見る。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
相模湾の照り返しを浴びた
光り輝いている顔が
智恵子のほんとの顔だといふ。
あどけない顔の話である
・・・・・高村光太郎「智恵子抄『あどけない話』」引用
丹沢山地を頻繁に通い詰めて風景を見飽きたあげくに、丹沢山地の山々には顔がないと思うようになったかも知れない。初めて登られた方には、初めて見る景色は新鮮に映る物で、山容に不満など微塵も脳みそから浮かび上がってこないだろう。
今の自分の脳みその中を記録として残し、成長した数ヶ月後?、数年後?に、今の自分を顧みることを楽しむために、本山日記を「あどけない話」として記述していきたい。
では、目次に従って記述する。
----- 目次 -----
【丹沢山地の「山の顔」は、人を引き付けない】
《あどけない話》
《登山者は「丹沢山地の山の顔」に魅力を感じていない》
1.登山者の行動から見えること
2.ネット上から分かること
【カメラの被写体にならない要因を分析】
《個人として”丹沢山地”との向き合い方はどうだったのか》
《個人として”丹沢山地”との向き合い方はどうだったのか》
《丹沢山地の地形について》
1.山々が尾根上に波板のように連なっている
《山塊の形状について》
1.温泉饅頭
2.写真について
《脇役がいない》
1.脇役になる物
2.丹沢山地で期待できる脇役は何だろう?
《狙いを定めているターゲットは》
【塔ノ岳の顔】
《顔としての作品になった訳》
1.ポイントは
2.特徴は
3.言い訳
【最後に】
【丹沢山地の「山の顔」は、人を引き付けない】
丹沢山地に対する私のスタンスと、「山の顔」の魅力度はどうなのかを記述する。
《あどけない話》
一番好きな山だからこそ、「山の顔」を撮る事にこだわりが人一倍ある。
丹沢山地は、私にとって一番好きな山だ
表丹沢の麓で生まれ
小学校の遠足で塔ノ岳に登り
表丹沢を仰ぎ見ながらこの歳まで生活してきた
常に身近にある山なのだ!
・
それ故
一番好きな「山の顔を撮る」事を昨年から課題としている
「山の顔」とは、
「これが××山です」
と言う格好の良いポートレート写真みたいな物
その山の風格、特徴を捉えることが重要だ
《登山者は「丹沢山地の山の顔」に魅力を感じていない》
世間一般的に、「丹沢山地の山の顔」は、どのような位置付けとなっているのか、私なりに分析してみた。
1.登山者の行動から見えること
登山者の行動からも、丹沢山地の山々は写真映えしない事が手に取れる。
どこの登山ルート上でも
そして、山頂でも
写真撮影する方々の様子を見ると…
8割方は、富士山を撮り
1割は、相模湾方面と都心方面
残りの1割が、丹沢の稜線を撮っている
・
言えることは
「単体の山自体を撮っている方がいない」
・
単体の山に、自然とカメラを向けたくなる風景(構図)が展開しないのだ
登山者誰もが「山の顔」を撮ろうとしない
下記写真は、塔ノ岳山頂の風景であるが、山頂のベンチ全てが、西側方面を見るように設置されている。北側に拡がる丹沢主脈(『丹沢山:中央ちょい右より』、『蛭が岳:中央3つ重なったピークの一番奥』)にベンチが向いていないのが残念だ。
それでは、座った登山者は何を見ているかというと、富士山・箱根方面の景色にうっとりしている訳である。
Img3527 2023/2/11撮影
2年前に塔ノ岳山頂から撮影した写真だが、雪を纏った丹沢山・蛭が岳・奥には八ヶ岳と、感激して撮った訳だが… 何故か写真の中の皆さん、無関心!!!
此処で、丹沢山(蛭が岳)だけアップで写真の構図に入れると… どのような写真になるかというと
「ただの毬栗頭の写真」となり、面白くもない写真と化す!
なので、丹沢山地の山々は、複合体として撮られている。そんな訳で、「山の顔の写真」が存在しない
2.ネット上から分かること
世間で丹沢山地の写真は、どのように撮られているのだろうかと探してみたところ
ネット上を探しても「顔」がない
登山雑誌を見ても「顔」がない
漠然と「山並み」が撮影されたものばかりだ
と、
思っているのは、私だけかもしれないが…
・
何しろ、写真は、100%アナログ要素である
【カメラの被写体にならない要因を分析】
そこで、丹沢山地の山々が単体としてカメラの被写体にならない要因を私なりに分析してみた。
《個人として”丹沢山地”との向き合い方はどうだったのか》
「顔を撮る」の試み以前は、個々の山を撮ることはあきらめていた。どのように撮影しても「格好の良い山にはならない」と決めつけていた。
ちょっと見、シャッターを押す気にはなれない
所謂、「さじを投げていた!」
・
基本であるコミュニケーションが取られていなければ
被写体の隠れた良さが浮き出てこない
いくら被写体が優れていても
・
「吾輩には… 」
「猫に小判」
そう
お前が悪い
以上、被写体にならない一つの要因が明らかになったので、心を改めた。
最近では、宝探しをしているように登山を楽しんでいる。スクープを狙う記者のように、1m程の脚立が欲しいが「バックパックにはどう転んでも入りそうもないので…」
屈んでみたり、這いつくばったり・・・ 寝転んだり
岩の上にあがったり、木登りは… しません
振り返ってみたり
と、
視点を変えて
「黄金の顔」を探している
《丹沢山地の地形について》
最初に語句の説明
「波板」とは:屋根に使われているトタン屋根(現在の家屋の屋根には使われていない)の形状を意味する。波を打っているような形状を指す。
☕☕☕ ある作家のギャングシリーズにもこのような語句の説明が注略として載っていたな(笑い) 真似をした訳ではないが、書き終わってギャングシリーズと同じようなことをやっているなと思った。知らない内に、脳みそが学習したのだろう(恐ろしい) ☕
1.山々が尾根上に波板のように連なっている
以下の写真は、「三の塔」山頂から撮った写真であるが、表丹沢尾根が中央ピークの塔ノ岳まで続いている。塔ノ岳から奥に丹沢山・蛭が岳に続く尾根が見える。
尾根上に連なる山々は、起伏が少ないため波板のように山々が並んでいるのが分かる。「この波板形状で連なっていること自体がいけない」
山の顔を撮るには、遠からず、近からずの位置から撮影する必要がある。必然的に、被写体のピークの隣のピーク(波板のピーク)から撮影する事となるが、起伏が少ないために被写体のてっぺんしか撮影できないのだ。成果物が、前項で書いた「毬栗頭」となり全く面白みのない被写体と化すのだ。
どの山も撮影条件は同じなので、全ての山で「山の顔」が撮れないのである。
Img2152 2022/4/10撮影
《山塊の形状について》
1.温泉饅頭
丸い毬栗頭が尾根上に並ぶと、温泉饅頭が並んでいるように見える。
饅頭単体を特徴のある写真(山の顔)として捉えることは出来ないと言ってよい。付け加えておくが、山塊の中には個性のある餡子が入っており、登山を楽しませてくれる。
以下の写真は”塔ノ岳の顔”に挑戦して撮った物だが、風格と特徴が捉え切れていないので「塔ノ岳の顔の写真」として登録はできない写真である。
2.写真について Img2113 2022/4/10撮影
左端に蛭が岳を入れたので、かろうじて塔ノ岳を撮ったことは分かるが、塔ノ岳山塊自体を見ただけでは特徴がまったく表現されないので面白くない。これがまさしく丹沢山地の山の特徴と言ってしまえば…
「可笑しな事に…… 言えるのである」
それでは、風格は表現されているか
波板の尾根伝い上で撮影したので、山の高さが表現できていない。更に手前の樹木が高さを奪っている。
以上、現実は、これが精一杯の「顏」にならざるを得ない。
《脇役がいない》
山塊自体を見ただけでは特徴がまったく表現されていないので面白くない
これがまさしく丹沢山地の山の特徴と言ってしまえば…
「可笑しな事に…… 言えるのである」
となると、脇役に頑張ってもらうしかない
・
ところが、
主人公を際立たせる脇役は貴重な存在だが、丹沢山地にはそれが存在しない
「脇役もないとなればどうするの?」
となってしまうが
取りあえず脇役について記述してみよう
- 脇役になる物
脇役になる物を羅列してみる。
(1)湖・池
山頂直下に池を保持する山はあるが、「水面に青空とふわふわした白い雲が映る池と、山塊を写したり、水面に映った逆さ山塊と共に山塊を写す」事が出来る。
(2)お花畑と雪渓
雪渓の雪解け後に一斉に咲くお花畑と共に山塊を撮る
(3)地殻変動による遺産
遺産(火口、池塘、奇岩、滝…… )が固有の特徴をもたらす
(4)植生植物
自然映えするブナ、タケカンバ、ナナカマドのような広葉樹
(5)天候
・雲:雲には沢山の種類があるが、巻雲・笠雲・層雲・飛行機雲・雲海…… 映える雲なら絵になる
・朝陽/夕陽:朱色に…… 輝いたり……
・積雪:銀世界
・虹:アーチ
・雷:雷光
(6)偶然
予想外の出来事で、渡り鳥の飛来とか????
2.丹沢山地で期待できる脇役は何だろう?
丹沢山地で期待できる脇役は、前項の(5)天候と(6)偶然しかないと思われる。
従って、「顔」は狙って撮れる物でなく、「運」任せではないか
《狙いを定めているターゲットは》
今回の山行きで撮影に挑戦したのが塔ノ岳、丹沢山と蛭が岳であるが、塔の岳の顔の写真はギリギリ撮れたと言って良い成果物を持ち帰ることが出来た。
第一段階:丹沢表尾根に連なる面々(大山、塔ノ岳、丹沢山)
大山については、rev.0写真扱いで撮影済みだがrev.1の機会は何時でも伺っている。
第二段階:西丹沢(蛭が岳、大室山、檜洞丸)
【塔ノ岳の顔】
今回の登山で撮影した「塔の岳の顔の写真」について記述する。
《顔としての作品になった訳》
辛うじて作品として登録したが、今後も機会を見つけてより良い写真撮影は続ける。所謂、バージョンアップだ!
顔として登録するか迷った……
塔ノ岳が絞りの関係で浮いて見えるので、重量感がない
だが、これ以上の風格を求めるのも……
・
塔ノ岳と光り輝く相模湾…… 浮かぶ大島!
見たこともない景色が展開する
・
結局
“大島”と”塔ノ岳“の合わせ技に心が動いた
・
「見たこともない景色」
それが、決め手だ!!!
振り返ると、冬の特徴である低い陽射しに相模湾全体がまぶしいぐらいに反射していた。
大島もしっかりと姿を現して居るではないかと、「これは行けるぞ」とばかり、撮影スポットを振り返りながら探し回った。
1.ポイントは
相模湾の反射で大島が浮き出ていた
塔ノ岳の西斜面を入れることが出来て山容の高さの表現が出来た
手前の樹木の葉が落ちていたので、何とか塔ノ岳の下半分が隠れずに山体をキープできた
2.特徴は
光り輝く相模湾に浮かぶ大島と塔ノ岳
頂上に見える「尊仏山荘」が、塔ノ岳の名札(ちょっと説得力に掛けるよな)
世間知らずの私の言葉だが、
「最高の特徴は、雑誌、ネット上で見たことのない構図(写真)である。」
3.言い訳
相模湾の照り返しが強いため、相模湾にカメラの絞りを併せると、塔ノ岳の容姿が真っ黒になる。では、塔ノ岳にカメラの絞りを併せると、相模湾、大島が真っ白になって消滅するので、それぞれの被写体は中途半端な絞りで撮影されている。
結果、写真の鮮やかさがなくなった物に出来上がっている。
鮮やかに撮る秘訣は
塔ノ岳北斜面に光が当たっている時を狙うしかない
が、北側にそもそも陽が当たるのかよ?
・
日の出間近の東側からの差し込んだ光
又は
真夏の高い位置からの光
が想定される
・
季節が変われば
樹木に葉が茂り、視界を遮る
三脚のお出ましがあればクリアー出来るかな?
担ぎ上げる情熱が必要だ
・
場所を変えて挑戦するのも秘策かな!
Img5396 「塔ノ岳の顔」
【最後に】
「何もない!全くない!の丹沢山地」 ならば、忠実に「何もない」を撮るのも一つの手だが、透明人間を撮って、「透明人間の写真だよ」と言っているのと同じだよなと…
何もないを撮る
何もないを写し込むには
禅の心
無になってシャッターを押す
入魂
いやいや、どんなときでも入魂は必要!
・
せめて人を説得できる写真にしたいと
常識を覆す行動を考える
・
「運」は、魔法の言葉だ
頼ることは出来ない
入魂
イラつきながらファインダーを覗いている自分がいる。
絞りのリングを右に、左にと振り子のように回しているが、
カチカチと時は刻まれていくばかり……
光の照り返しで
写真全体が浮いてしまっている事が気にくわないのだ
今回は、「顔」の触りぐらいの写真が撮れた程度だったが、「最初は、10番目ぐらいの出来で良し」とする。
こんな事が書かれている書物を想い出した
「2番が良い!」
「一番になってはダメだ!!!」
達成感と共に向上心が終わってしまうからだ
・
「10番目だと…… 」
「かなり先行き楽しむことが出来るね!」(笑い)
・
あどけない話だ