里の常連さん情報

横田の里の常連さんが綴る里のネタ特集

サミット退陣論

2015年11月30日 | 秋ネタ

永田町に奇妙な情報が流れている。安倍晋三首相が来年5月の伊勢志摩サミットを花道に勇退するという「サミット退陣論」だ。

 にわかには信じがたい。首相は2か月前に自民党総裁選で無投票再選され、2018年まで3年間の総裁任期を得たばかり。安保法制の強行採決で落ち込んだ支持率も回復基調にある。そんな総理大臣になぜ、早期退陣論が浮上するのか。

 穏やかではないのは、この情報が自民党の非主流派ではなく、政権中枢を発信源としていることだ。官邸に近い政界関係者の話である。

「総理の最側近の1人が、最近、『万が一、安倍総理の体調に異変があった場合は』という前提で政局の流れを検討している。ポイントは、総理に無理をさせて来年の参院選を戦うのではなく、サミット議長として外交成果をあげたところで体力的にも政治的にも余力を残して身を退き、次の政権への影響力を行使するというシナリオだ」

 確かに、潰瘍性大腸炎という持病を抱える安倍首相の体調が万全とは考えにくい。本人は否定しているが、体調悪化情報がしばしば報じられた。

 この秋以降、官邸や自民党執行部は負けるはずがない総裁選で対立候補の野田聖子氏を出馬させないように圧力をかけ、野党が要求する臨時国会も開こうとしない。その理由が、「周囲が首相の体力消耗を心配した」というのは党内では根強く囁かれている見方だ。

国民にとって気になるのは、安倍首相の政治的意欲に明らかな減退が見られることだろう。

 政権発足当時と違い、今回のアベノミクス「新・3本の矢」のうちの2つ、「介護離職ゼロ」「希望出生率1.8」は経済的インパクトがゼロ。11月6日の自民党総務会では、「こんなスローガンでは参院選を戦えない」と批判があがった。

 真骨頂の強気の外交姿勢もすっかり影を潜めた。安倍首相が「完全解決済み」の立場をとってきた慰安婦問題では、日韓首脳会談を機に日本政府が韓国人元慰安婦に対して財政支援を行なう案がにわかに浮上し、首相支持派のタカ派議員も驚きを隠さない。

「日本政府が何らかの形で補償するなど安倍さんの従来の考え方とあまりに違う」(日本会議国会議員懇談会メンバー)

 経済も外交も気力も充実していた3年前の再登板当時とはまるで別人のようだ。安倍首相の無気力が、体力の限界から来るものとすれば、側近が万が一に備えた退陣シナリオを準備しているのは不思議ではない。政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が語る。

「安倍首相の勇退説は荒唐無稽とはいえない。来年の参院選は自民党に逆風という見方が強い。安倍首相はこれまで3回の選挙で大勝しているから、結果が大敗ではなく微妙な議席数であっても、その後に勇退すれば引責と見られて退陣後の発言力が小さくなる。影響力を残すために参院選前のサミットを花道にするというのは永田町ではありうる考え方です」


どのように温泉にはいれば、より効果的

2015年11月29日 | 秋ネタ

行楽シーズンまっさかりのいま、人気のスポットといえば温泉だが、温泉は、はいり方次第で毒にも薬にもなるというのは札幌国際大学温泉学教授の松田忠徳さん。

「温泉地に着いて、いきなり温泉にはいるのはNG。5分間温泉に入浴すると、5分間縄跳びしたときにほぼ匹敵するカロリーを消費するので、移動で疲れた体のまま温泉にはいると疲労が増します。旅館に着いて、1時間くらいゆっくり休息をとってからはいること。また、食後は胃に血液が集中しているので、30分~1時間たってからはいるよう心がけましょう」(松田さん)。

 熱めの温泉に汗が流れ出るくらい長く浸かるのは、体に負担がかかるので×。こう話すのは、温泉ビューティ研究家の石井宏子さん。

「1回の入浴を3~5分程度にとどめ、一度出て、休んでから入浴する分割浴を3回繰り返し、合計で10~15分程度はいるほうが、効率的に体を温められます」(石井さん)。

 そして、湯船から上がったら休養をとることも重要。

「30分くらいゆっくりして汗が引くのを待ちましょう。そのとき、水分補給も忘れずに」(石井さん)。

 起きぬけは体が完全に起ききっていないので、いきなりの入浴は避けたい。起床後、30分以上が目安だ。


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スーパー銭湯に代表される“街ナカ”の温泉施設が人気の昨今。この寒い季節、手軽に行けて、すぐあたたまることができるのが最大の魅力だが、どのように温泉にはいれば、より効果的なのだろうか。舞浜ユーラシア(千葉)の温泉入浴指導員の海老原一貴さんはこう説明する。

「温泉は数分間ずつ、休憩を挟みながらはいるのが基本。体調などにもよりますが、温冷交互浴といい、42度くらいの熱いと感じる湯船に3分、36度のぬるめの湯船に3分、休憩と水分補給を挟み、またあつ湯に3分、これを2セット行うのがおすすめ。温冷交互浴は、疲労の原因となる乳酸の排出を促す効果があるとされています。水分補給をしながら、温度の違うお湯をはしごしてみてください」

 ではサウナはどうだろうか。反復浴や交互浴のほうがデトックス効果や新陳代謝が高まるといわれているが、延羽の湯(大阪)の高山名保子さんはこう指導する。

「サウナにはいるときは、先に2~3分浴槽で体を温めてからのほうが、汗も出やすく、肌の乾燥も防ぎます。その後、サウナに5分はいり、シャワーで汗を流したら、再びお湯に5分。途中で水分補給や休憩をしながら、3セットほど繰り返すのがベターです」


目的別のサウナ活用法

2015年11月28日 | 秋ネタ

スポーツジムやスパなどに併設されている「サウナ」。筋トレなどのトレーニング後に、サウナで汗を流す40代男性も多いはずだ。ところが、自己流で入浴するとかえって筋肉に悪影響を与えてしまうこともあるという。トレーニング後の疲労回復、ダイエット、リラックスや注意点など、目的別のサウナ活用法をパーソナルトレーナーの垣内友里恵さんに聞いた。

■■今回のアドバイザー
パーソナルストレッチ専門店S-LIFE横浜店
パーソナルトレーナー 
垣内友里恵さん

1990年3月27日生まれ。日々の仕事や家事などで身体に不調を感じている方のお悩み解決や理想の身体を実現させる為、ストレッチ・体幹トレーニングを通じてトータルサポートをしている。

■サウナは筋トレの翌日に入るのが◎

垣内さん「ダイエットや疲労回復など、サウナを利用する目的は人それぞれ。期待する効果が異なるようにアプローチの方法も異なるので、目的に合せたサウナの活用法を知っておく事が理想の身体に近づける為の一番の近道です

様々な効果が期待されるサウナですが、特に筋トレ後の疲労回復を目的に利用する人が多いようです。ただし、アクティブなトレーニングで筋肉が炎症を起こしている場合、すぐサウナに入って温めてしまうと炎症がひどくなってしまうので逆効果。筋トレをした当日はシャワーのみか湯船に軽く浸かる程度でいいのです。サウナに入るのはトレーニングから12〜24時間後がベスト。10分を目安に入浴し、その後冷水に2分浸かり、再度サウナに入るとより効果的です。

また、サウナには血液の循環を高め代謝をアップさせる働きがあるため、脂肪を燃やしやすく・太りづらい体を作ることができます。ダイエット目的でサウナを活用する場合は、反復浴がオススメです。約10分サウナに入ったあとは、外に出て汗が引くのを待ち、汗が引いたら再度サウナに入ります。少しずつサウナに入る時間を縮めていきながら、3〜4回入浴するのがポイントです。サウナに入った後に、体重をチェックすると、落ちていることがあります。しかし、これはダイエットに成功したのではありません。体内の水分が外に出たことにより脱水状態になっており、体重が減少することによる身体からのサインなのです。そのような場合は水分を多めに摂るよう心がけてください」

■ミストサウナにはリラックス効果が

垣内さん「サウナというと80〜100度前後の比較的温度の高い『ドライサウナ』思い浮かべる人も多いようですが、40〜60度の低めの温度に設定された『ミストサウナ』を設置しているスポーツクラブもあります。ミストサウナは体にかかる負担が少なく、リラックス効果が期待できます。こちらは15分を目安にゆっくりと汗を流す持続浴がオススメ。低めの温度のサウナに入ることで神経を鎮めたり緊張を解いたりする鎮静作用が働きます。暑さに慣れている人はドライサウナで持続浴をしてもリラックス効果が得られますが、くれぐれも無理は禁物。辛くなったら無理をせず出ることが大切です」

■最後にアドバイザーからひと言

「高血圧や心疾患など体に不安があるかたは使用を避けるか、体調と相談をしながらドライサウナを利用するといいでしょう」


死角は“衣装センス”だけ!?

2015年11月27日 | 秋ネタ

実に553日ぶり。浅田真央(25才)が勝負の銀盤に舞い戻っての初戦、GPシリーズ中国杯(11月6、7日)で見事な復活優勝を果たした。

 初日のショートプログラムでトリプルアクセルを軽やかに決めると、その後もブランクを感じさせない鮮やかな滑りでスコアは70点超え。フリーではいくつかミスがあったものの、磨きをかけた表現力でトップを死守した。

「ショートもフリーも彼女にしか滑れない難易度の高さ。表現力の素晴らしさはそのままに、休養前よりも筋力が増してバランスもよくなっており、パワーアップして戻ってきた印象です」(フィギュア関係者)

 真央の完全復活にはファンも涙。日本中が「お帰り真央ちゃん!」と歓喜に揺れた。しかし、その一方で、こんな論争が持ち上がっている。

「ちょっとあの衣装はどうにかならないのかしら…」(60代主婦)

 ショートの衣装はショッキングピンクのシフォン素材にラインストーンをあしらったもの。「イケイケ」なジャズナンバーを踊るだけに、ポップな色を選んだのだろうが、ネット上の評判はというと――。

《派手すぎて真央に似合わない》《ジュニアの選手みたいな色とデザイン》《カラーゴムで“小学生が自分でやりました”みたいな下位置の一本結びじゃなくて、お団子とか、リボンとか使えばいいのに》

 日本人女性の悲恋をテーマにした『蝶々夫人』を演じたフリーでは、薄紫のミニ着物風をチョイス。今回、これまで使っていた「肌襦袢」と呼ばれる肌色の生地を身につけず、胸元の露出が大きかったことも、「大人の色気」を醸し出してセクシーだという高評価もあったのだが―─。

《真央ちゃんのお気に入りなんだろうけど、またラベンダー?》《生地が透けすぎてなんか下品》《イマドキの若者のショート浴衣みたい。もっとシンプルな衣装で似合うのになァ》などとこちらも評判はイマイチ。

「10代の頃から真央の衣装は物議を醸してきました。2013年のショートで着たビタミンカラーのオレンジなど、過去に何度も“衣装で得点もマイナスになってるのでは”と囁かれたほど。真央はスタイルもいいのだから、シンプルでクラシックなデザインでも充分なはずなんです。ソチ五輪フリーの青×黒の衣装は“カッコイイ”と高評価で、よくなったと思っていたんですが…。

 実は、真央はファッションが大好きで、衣装のデザインにはこだわりが強い。だから自ら衣装にアイディアを出したり、自分で髪形を決めたりする。周囲も“任せてくれたらいいのに”と頭を抱えているんですが(苦笑)」(前出・フィギュア関係者)

 死角は“衣装センス”だけ!?


楽天に超大物海外セレブの子息が☆

2015年11月26日 | 秋ネタ

グローバルIT企業・楽天に、キャロライン・ケネディ駐日米大使の長男、ジョン・シュロスバーグ氏(22)が入社していたことが判明した。11月16日発売の『週刊ポスト』が報じている。

「楽天に超大物海外セレブの子息が入社したようだ」──本誌がその情報をキャッチしたのは10月下旬。「社内公用語は英語」の楽天は、昨今、ネット通販やデジタル書籍などの分野で海外進出が進み、グローバル企業に急成長している。新卒採用も4月入社に加え、海外の大学の卒業式に合わせた10月入社もあり、外国人社員も積極的に採用している。

 そんなグローバルIT企業に入社した“子息”こそ、シュロスバーグ氏だ。35代米大統領のジョン・F・ケネディ氏を祖父に持つアメリカの名門一家子弟である。

 産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏がいう。

「ジャックの愛称で呼ばれるシュロスバーグ氏は、祖父のケネディ元大統領にとっては唯一の男孫で、将来、政治家への転身は間違いないと囁かれています。実際、彼は雑誌や新聞のインタビューで“やがては政治の道に進みたい”と公言していて、気の早い人の間では、すでに彼を将来の大統領候補として推す声もあるほどです」

 ケネディ家のアメリカにおけるブランド力は絶大だ。

 2008年の大統領選の民主党予備選で、オバマ氏とヒラリー氏が激しい指名争いを繰り広げていた時に、キャロライン氏がオバマ支持を表明した途端、形勢は一気にオバマ氏に傾いた。それほどケネディ家の名前には力がある。

 シュロスバーグ氏は名門イエール大学を卒業した秀才にして、高身長のイケメン。まるで少女漫画の主人公のようなセレブ男子が、なぜアメリカを離れ、日本のIT企業での“サラリーマン生活”を選んだのか。

 楽天関係者がいう。

「ジャックは日本好きが高じて、大学で日本史を専攻したほど。昨年、キャロライン氏が東日本大震災の被災地を訪問した際には、福島第一原発視察などに同行した。復興に邁進する東北の人々の姿に痛く感動したようです。

 その視察時に、キャロライン氏が招待された楽天イーグルスの始球式にジャックも出席し、三木谷社長と3人で始球式を務めました。そこで社長と意気投合して連絡を取り合う仲になり、入社を希望するに至ったと聞いています」

シュロスバーグ氏の日本贔屓は相当なもの。お気に入りのアイドルまでいるという。

「大学時代から3人組アイドルユニットの『Perfume』にハマっているそうです。2013年のクリスマスには、東京ドームで開かれた彼女たちのライブに親子で来場していました。子供の頃はポケモンカードを持ち歩いていたそうです」(同前)

 さらにこの夏、「佳子内親王とシュロスバーグ氏が“お見合い”をした」という記事が女性週刊誌に掲載され、話題になった。皇室関係者がいう。

「2人が私的に会ったという噂が出回っただけで、『お見合い』は言い過ぎでしょう。ただ、彼が日本の企業に就職したとなれば、2人の“距離が縮まった”とは言えます。噂が再燃するかもしれません」

 楽天は「一社員の在籍の有無についてはお答えしていません」(広報部)というのみだが、別の楽天関係者によれば「シュロスバーグ氏は10月1日付けで入社し、他の同期社員と共に働き始めている」という。

 将来のアメリカ大統領候補は、日本で社会人の第一歩を歩み始めたようだ。


プロ野球人生

2015年11月25日 | 秋ネタ

日本シリーズも終わり、契約更改・トライアウトなどプロ野球選手の「人事」が活発になってきた。選手のドラフト当時と今のコメントを比較して、「プロ野球人生」についてフリーライター・神田憲行氏が考えてみた。

 * * *
 10月22日に行われたドラフト会議では88人の選手が指名された(育成ドラフトを除く。以下同じ)。指名されたなかには、契約前にもかかわらず早くも、

「1年目から1軍で活躍して、日本でトップの選手になる。遅くてもFA取得前までにはメジャーに行きたい」

 とオコエ瑠偉選手(楽天1位指名)のように目標を高く掲げる選手もいた。

 しかし当然ながら厳しいプロの世界では、指名された全員が活躍するわけではない。そこで今から10年前の2005年ドラフト指名選手のうち何人が今もプロ野球でプレーし続けているのか、

「ドラフト指名選手の10年生存率」を調べてみた。

 2005年のドラフト会議は変則的で、高校生指名と大学・社会人指名の2回に分けて行われている。

 まとめていうと、この年に指名された選手は高校・大学・社会人あわせて全部で96人。巨人指名の福井優也投手が入団拒否した以外、95人が入団した。そして現在も指名球団・他球団にかかわらずプロ野球選手のユニフォームを着ているのは、45人である。

10年生存率」は47%だ。

半分近く残っているというのは意外に多いなという気もするが、これが1軍生存率にするとぐっと下がるのだろう。生存率の内訳を球団別に見ると、けっこうばらつきがあった。

 たとえばソフトバンクは高校生を4人指名したが、10年後にはひとりも残っていない。高校生1位指名の荒川雄太は、

「プロのキャッチャーと言われれば『荒川』と言われる選手になりたい」

「(城島は)目標にしています。いつか追い越さなければならない。(打撃)タイトルもとりたい」

 と勇ましいコメントを残していたが、1度も1軍の公式戦に出場することなく、2010年に戦力外通告を受けた。現在はトライアルを経て入団し、引退した西武でブルペン捕手を務めている。

 一方でソフトバンクはこの年の大学・社会人ドラフトでは5人指名し、1位の松田宣浩をはじめ4人が選手として残っている。

 惨憺たる生存率だったのが巨人だ。高校生は3人指名したが先述の通り福井に振られて入団は2人、しかし生存率は0%、誰も残っていない。大学・社会人は大量7人が入団したが、残っているのは脇谷亮太ひとりだけだ。つまり巨人の2005年ドラフトは高校・大学・社会人合わせて9人入団して、1人しか残らなかったのである。

 巨人から解雇された選手なかでせつない名前を見つけた。

「光栄です。今の気持ちを忘れずに強気のピッチングをしていきたい」

 指名されて胸を躍らせながらこうコメントしたのは、2005年大学・社会人ドラフトの希望枠で入団した福田聡志投手である。そう、今秋、野球賭博で解雇されたうちのひとりである。まさか10年後に、

「軽はずみに興味本位で始めてしまった。今後はわからない。野球しかしてこなかったので……」
という羽目になるとは、本人も想像していなかったに違いない。どこで「今の気持ち」を忘れてしまったのだろうか。

 他にも今回解雇された選手の指名当日のコメントを紹介しよう。

2008年ドラフト5位指名の笠原将生投手は、
「歴史ある球団で目標としいた球団だったので、指名されて嬉しいです」
と語っていたが、7年後に解雇処分を受けて、

「いろんな人の人生をメチャクチャにしてしまった。償いきれない思いは、死ぬまで引きずるだろう」

 とコメントしている。2011年ドラフトで1位指名の松本竜也投手は、
「1位だったのでとても嬉しいです。僕をとって良かったと思ってもらえるよう頑張りたい」
 と初々しくコメントしていたが、わずか4年後に、
「自分なりに反省している。いろんな人に申し訳ない。興味本位で手を出してしまった」とうなだれた。

指名された直後に高らかに目標を掲げて、その通りになった選手もいる。ヤクルトの「トリプルスリー」男・山田哲人選手は2010年ドラフトで指名されて、

「まさか1位指名とは思わなかったので嬉しい。期待を裏切らないようにヤクルトに欠かせない選手になりたい」

 と、その通りの選手になった。ちなみに山田選手はヤクルトが指名競合した斎藤佑樹投手、塩見貴洋投手のくじに負けて、「外れ外れ1位」だった。

 10年以上プレーし続けた選手はドラフト時のコメントにも味がある、と思わせてくれたのが、今季のプロ野球界の天下人、ソフトバンクホークスの工藤公康監督のドラフトである。それはまさに「工藤劇場」ともいいたくなるような入団劇だった。

 プロ志望届もない1981年のドラフト会議の4日前、突然工藤家が指名挨拶のない日本ハム、大洋(当時)、ロッテを除く9球団に「指名お断り」の文書を発送する。理由は甲子園出場後に慢心の気配がする工藤の人間形成のために、社会人野球の熊谷組に進ませたい、という父親の意向だった。工藤はドラフトの目玉とも言われていただけに、残念がるスカウトもいた。

 しかしドラフトでは西武が6位で工藤を強行指名する。「交渉に来られても玄関には入っていただくが、家には上げません」と頑なな態度を崩さない工藤父。しかし交渉に入るや、次第に態度を軟化させ、入団に前向きとなっていく。もともと他球団に指名させないための「芝居」だったのではないかという疑惑が浮上し、「バカバカしい」というヤクルトスカウトのコメントが紹介されている。

 これで一転して入団かと思いきや、そこは工藤劇場たるゆえん、「当て馬」にされた熊谷組が「うちに入社する約束をしている。二重契約ではないか」とゴネだした。しかも西武が工藤家に渡した契約金6000万円の小切手を保管しているという。

「なぜうちが工藤さんに渡した小切手を熊谷組が持っているのか、意味がわからない」

 という西武フロントの戸惑いに爆笑した。そりゃたしかに意味がわからない。結局、工藤父があちこちに頭を下げて周り、熊谷組も大人の配慮をして丸く収まった……とはならず、工藤劇場の第三幕があがる。

 今度はなんと、工藤が通っている名古屋電気工業(現・愛工大名電)高校の校長先生が「今回の事態は学校側として遺憾に思う」という文書をメディアに公表したのである。高校生が在籍している学校の校長先生に公然と批判されるというのは、前代未聞だろう。予期せぬ伏兵の登場に、またもや頭を下げて回る工藤父。その間には工藤が学校の許可無く自動車教習所に通っていたことが発覚し、校則違反の処罰として丸坊主にされるというオマケもついた。

 ようやく入団記者会見にこぎつけたのは、なんとドラフト翌年の1月12日だ。ドラフト会議が11月25日と遅いこともあるが、すったもんだあった影響は大きい。その入団記者会見に際して、あちこちに迷惑をかけたのだから殊勝な態度で臨むかと思いきや、さすが工藤は違う。

「(目標となる選手は)いません。目標とする人を作ると、その人のまねをするだけで超えることはできないから、それより自分だけの独特の型をもちたい」

「ライバルはいません。自分のことだけを考えて、結果的に勝てればいい」

 と言いたい放題。これには西武フロントの坂井保之球団社長(当時)も、

「今日は完全に完封されちゃったね。今年の契約更改が思いやられるね」

 と呆然としたコメントを残し、工藤劇場のオチとなった。

 もし工藤が10年かそこらで消えて無くなる選手だったら、この騒動も関係者の苦い想い出にしかならなかっただろう。しかしその後の工藤の輝かしい球歴と合わせて考えると、記者会見の言葉にも含蓄を感じ、工藤のユニークエピソードの一章となる。厳しい世界だが、勝てば黒いものも白となるというのもプロ野球の魅力のひとつである。


散歩番組について

2015年11月14日 | 秋ネタ

散歩ブームの火付け役、地井武男さん(享年70)亡き後も増え続ける散歩番組。タモリ(70)、有吉弘行(41)、マツコ・デラックス(42)など、各局とも人気タレントを起用する力の入れようで、この秋からは高田純次(68)もそれに加わった。

なぜどの局も散歩番組を作りたがるのか。

 上智大学教授(メディア論)の碓井広義さんはその理由をこう話す。

「テレビ業界には『5匹目まではドジョウがいる』といわれるくらい、一つの企画が当たると他局もそれに追随しようとします。散歩番組が増えているのは、他が当たっているからうちもやろう、という何匹目かのドジョウ狙いなんです。こういう時代ですから、低予算で番組を作れるというのも大きな理由の一つです。

 散歩番組が世の中に支持されているのは、日常の中の小さな冒険を一緒に体感できるからだと思います。ゆるく、気ままに、ぶらぶらと歩くだけなので、日ごろ雑務に追われてなかなか旅行に行けないという人でも、『散歩なら自分でもできるんじゃないか』という気にさせられます」

 散歩というのは、するのは簡単だ。ただし面白く見せるためには、タレントに相応の実力が必要なのだという。

「散歩中に出会う一般の人たちは、タレントの振りにどう返してくるのかが読めません。そこが面白いところなのですが、予定調和にならないので、タレントの知性、教養、人柄が問われます。

 そういう意味では、高田純次さんのキャスティングは絶妙だと思います。散歩タレントとしての資質を備えているうえに、“いい加減”キャラ。散歩そのものがいい加減なものだから、キャラとコンセプトが合致します。高田さんは、関心がないものははぐらかして次のものを見る。そういうテキトーさがある高田さんは、“ミスター散歩”だと思います」(碓井さん)

 高田純次の『じゅん散歩』は、地井武男さんの『ちい散歩』、加山雄三(78)の『若大将のゆうゆう散歩』と続いてきたテレビ朝日の朝の散歩番組の3代目にあたる。新たな散歩マスターとなるか。

「散歩番組の元祖は、1992年にスタートした『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系)だと思います。『ちい散歩』は散歩番組をより注目されるものとした、いわば中興の祖。『ちい散歩』がウケたのは、地井さんの人柄が活かされていたからでしょう。主体はあくまで街やそこに住む人たちなんですが、それを地井さんの目線で見られるところに楽しさがありました。

 散歩番組はタレント本人が目立ちすぎてしまうと、散歩番組ではなくそのタレントのバラエティー番組になってしまいます。とはいえ後発の番組は、差別化を図るためにあえてタレントの素顔を見せようとするものもあります。『有吉くんの正直さんぽ』や『国分太一のおさんぽジャパン』(ともにフジテレビ系)はその例。『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京系)は、さまぁ~ずと女子アナとのやり取りも見どころの一つになっています。

 他と大きくコンセプトが異なるのは、マツコ・デラックスさんの『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日系)。街の人たちの人生を掘り下げることも多く、ドキュメンタリーの要素もあります」(碓井さん)

 バラエティー豊かになってきた散歩番組だが、これからまだまだ増えるかというと、「今がピークでここからは淘汰が始まる」というのが碓井さんの見方。番組はゆるくても、生存競争は激しくなりそうだ。


嫁入り道具の総額☆

2015年11月12日 | 秋ネタ

 初週から5週連続となる視聴率20%の大台超えで、10月28日には、番組最高となる23.7%を記録と快進撃が続くNHK連続テレビ小説『あさが来た』。幕末の京都の豪商に生まれたあさ(波瑠・24才)が、大阪の両替屋に嫁いだことから、物語が大きく動き出す。

 嫁入りでは一騒動も、二騒動もあったが、なかでも花嫁道具を用意するシーンにはこんな声が上がった。

「色鮮やかな着物を、あんなにたくさん持ってくなんてさすが、京都の豪商!」(46才・保育士)

「あんな桐たんす、素敵ねぇ」(61才・主婦)

「おつきの女中も、嫁入り道具のひとつなんて、スケールが大きすぎる…」(52才・会社員)

 あさ同様、祖父母が、京都で、江戸時代から続く豪商という本誌記者Aが振り返る。

「嫁入り道具の総額がいくらかだったかについて祖母が話したことはなかったんですが、とにかく豪華でした。家紋入りの桐たんす、それにかける家紋入りの布、着物、家紋入りの長持、そのなかには新品の布団類、ひな人形一式、お琴の大小一式、おつきの女中、鏡台…。基本的に住む家は花婿側が用意して、そこで使う家具一式は花嫁側が用意するものだったそうです」

 儀式作法研究会代表・結納コーディネーターの岩上力さんが言う。

「幕末の、さらに、京都の豪商の嫁入り道具は、正直言って、金銭的なものに換算できないんです。商人の家に代々受け継がれている目録はあるんですが、どういったものが何点あるかまでは書かれていないんです。ちょっとした漆器でも、何十万円もして、それが何百点もあったようですし…。当時のお金で千両、今でいう5000万円は下らなかったと思われます」

 ちなみに最近は結納にお金をかける人も少なくなってきたという。結納品専門店『結納屋さん.com』の板崎浩一店長は、「最近は嫁入り道具の目録を書くこともなくなった」と言う。

「結納金でいちばん多いのは100万円。新婦側の“結納返し”は、地域によって千差万別なのですが、関東では通常“半返し”といい、結納金の半分が多いといわれています。しかし“時計”や“カフスボタン”など、男性が身につけられる現物を渡す人も増えていますので、人によりけりですね」


マイナンバーが導入

2015年11月10日 | 秋ネタ

来年度からマイナンバーが導入されることで、生活への影響を心配する声もちらほらと聞こえてくる。なかでも目立つのが、マイナンバーによって“不都合な真実”があぶり出されるのではないかという論調。たとえば、妻が夫や勤め先に隠している秘密のバイトや不正行為がバレるのではないかといわれている。

●会社に内緒の副業がバレる?

マイナンバーがらみの「懸念点」としてよく挙げられるのが、「内緒の副業」ができなくなるという説。詳細については割愛するが、勤め先ごとの収入を税務署が把握しやすくなり、副業分を含めた住民税が本業の会社に通知されることでバレてしまうというものだ。実際、副業の支払い形態や確定申告の仕方によっては、秘密が暴かれることもある模様。

●「マイナポータル」は秘密の宝庫?

ただ、会社へ副業がバレる程度ならまだいい方かもしれない。それ以上に恐ろしいのは、夫にバレたら即離婚につながりそうな秘密が白日のもとに晒される可能性。そのカギとなるのが、平成29年1月からの導入が予定されている情報提供等記録開示システム、通称「マイナポータル」だ。

マイナポータルは、インターネット上で個人情報のやりとりの記録を確認できるシステム。マイナンバーの「個人番号カードの電子情報」+「パスワード」によって、情報を閲覧できるようになるという。なりすまし防止のためマイナンバーの番号だけではログインできない仕組みにするというが、カードを無造作に放置したり、何らかの形でパスワードを知られたりするなどして、本人以外に情報を覗かれてしまう可能性は考えられそうだ。

これにより、たとえば夫が何気なく妻の情報を覗いたとき、「専業主婦であるはずなのに収入がある」、「聞いているパートの内容に対して明らかに収入が多い」といった不自然な点があれば、夫は水商売などの秘密のバイトをしている可能性を疑うはずだ。

最近では、こうしたトラブルが引き金となっての「マイナンバー離婚」が増えるのでは? などという声もあるが、人によってはあながち冗談では済まされないかもしれない。

ただ、幸いマイナポータルの導入は1年後。後ろめたい「何か」がある人は、それまでに身辺をキレイにしておくことが望ましい。


11月11日は介護の日

2015年11月09日 | 秋ネタ

11月11日は介護の日。その介護の日にちなんだイベントで、全国の男女1万人以上に調査が行なわれ、腸内の劣化が進んでいる都道府県別ランキングが発表された。ベストセラー『がんばらない』著者で諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏が、ランキングの内容について解説する。

 * * *
 11月11日、東京の朝日ホールで介護の日にちなんだイベントを開催したが、みなさん真剣に聞き入っていた。森永乳業が出している、おもしろい研究データがある。全国47都道府県の20~50代の男女1万人以上に調査を行ない、都道府県別に腸内の劣化が進んでいるランキングを発表したのである。

 もっとも劣化していたのは、山形県。次いで福島県、石川県という結果だ。反対に腸内環境が良かった1位は、僕の住んでいる長野県だった。太くてバナナのような便が出るか。色はどうか。軟便や石のように固い便などを調査して点数を減らしていく減点法で調査したのだという。

 そして腸内環境が悪いため、排便時間が長くなったり、便が劣化して臭いがひどくなり、家族でけんかが起きていることも分かった。ちなみにトイレ時間がいちばん長かったのは大阪府。臭いでけんかになるのは、埼玉県だった。

 さらに年を取ると、肛門括約筋が弱くなるため、いつも軟便だとパンツに“ちょい漏れ”することもあるし、逆に排便時間がかかりすぎることもある。

 腸内環境を良くするためには、3つのことを守ること。繊維の多い食べ物を摂る。発酵した味噌やヨーグルト、チーズを食べる。3つ目は適度な運動をすること。


視聴率も好調の『あさが来た』

2015年11月08日 | 秋ネタ

NHK新朝ドラ『あさが来た』の主人公のモデルとなった広岡浅子は、女性実業家の走りともいえる。彼女の人生は「九転十起」――「七転び八起き」よりも2回多く転んで、2回多く立ち上がったのだ。そんな彼女の「九転十起」年表をどうぞ。 

1849年:京都の豪商・出水三井家の4女として生まれる。

1850年:1才で大阪の豪商・広岡家の許嫁になる。令嬢としてしつけようとする家族の思いに反して、丁稚と相撲を取るのが好きな活発な少女だった。

1861年:「女に学問は不要」という当時の価値観から一切の読書禁止を言いわたされる。「なぜ、女は男のすることをしてはいけないのか」と考えていたという。

1865年:広岡家の次男・信五郎と結婚。家業にまったく関心のない夫を見て、簿記や商業に関する勉強を独学で始める。

1871年:明治維新に続く廃藩置県で、広岡家が全国の大名に貸していた900万両(約4500億円相当)の多くが貸倒となり大ピンチ。嫁ぎ先の立て直しのため奔走する。

1884年:炭坑事業に乗り出すが、石炭不況もあって失敗の連続。

1895年:周囲の反対を押し切って、福岡県の潤野炭坑再開発に着手。護身用にピストルを持って炭坑労働者たちと生活を共にしたという。2年後には採掘量が4倍以上になり大成功を収める。

1901年:日本女子大学校(現・日本女子大学)開校。実家の三井家から土地5500坪の寄贈をとりつける。

1902年:大同生命の創業に参画。「加入者本位」「堅実経営」の精神で業績を伸ばす。

1919年:自宅で死去。常日頃より「私は遺言を残しません。いつも言っていることが、すべて私の遺言だからです」と話していたという。


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 ドラマの視聴率が落ちている昨今だが、それでもやっぱり人気が高いNHKの連続テレビ小説。その撮影の裏側はどうなっているのだろうか。現在放送中で視聴率も好調の『あさが来た』。そのエグゼクティブ・プロデューサーである佐野元彦さんに話を訊いた。

──朝ドラというとやはり新人女優を起用するということが多いのが、大きな特徴ですよね。

佐野:たとえば、大河ドラマであったら、百戦錬磨の俳優さん同士が、真っ向からぶつかり合う面白さがあると思うんですよ。でも、朝ドラはヒロインを演じる女優さんをチーム全体で高いところに押し上げていくもの。まさにそういう感覚で番組を作っています。この感覚はスタッフだけではなくて、共演する俳優さんたちも共有しているもので、出演者とスタッフが一丸になって女優を育てていくという現場は朝ドラだけだと思いますね。

 それに、育っていくのは女優だけではない。NHKのドラマ部門に入ると、最初に朝ドラに担当することが多いんです。特に新人のディレクターは朝ドラで経験を積んでいくことが多くて、そういったスタッフたちもヒロインの女優さんと一緒に育っていくわけです。

 そして、この感覚は視聴者も共有していると思います。毎朝、視聴者が物語の中のヒロインと、ひとりの女優の成長を見ていく。特に女性視聴者の場合は、自分の人生にも重ね合わることもあると思います。

──今回は、朝ドラとしては珍しく、貧困を乗り越えていくという女性ではなく、豊かな家の育ちで、嫁ぎ先もまた豊かな家ですよね。さらに、幕末から物語が始まるということで、局内からの異論は出なかったのでしょうか?

佐野:個人的にはもっといろんな反対意見が出るんじゃないかと思っていたんですけど、意外なくらい出ませんでした。本当にすんなりと企画が通っていったんですよ。ひとりの女性のシンデレラ・ストーリーとして時代そのものはそれほど関係ないということなんですよ。そのヒロインが魅力的であり、そして地に足をつけて頑張っているかどうか、そこが重要だということを理解してもらえたのだと思います。

──波瑠さんをヒロインに選んだ理由は?

佐野:波瑠さんは、今までどちらかというと静かな役が多いイメージでしたが、オーディションのなかで、グイグイ前に進んでいくキャラクターが似合う人なんじゃないかと感じるようになってきたんです。「みんなが知っている波瑠さんじゃない波瑠さん見っけ!」という感じで(笑い)。波瑠さんにしてみれば、「私はいつも前へ前への精神です」っていう気持ちかもしれませんが。

──今回キャスティングでこだわったところは?

佐野:今回、3つの家が登場します。京都のヒロインの実家の今井家、そしてあさが嫁ぐ白岡家、それからあさの姉・はつ(宮崎あおい)が嫁ぐ眉山家という3つの家庭が出てくるんです。普通のドラマでいうと、家庭は2つまでなら描けるのですが、3つの家を描くとなれば、視聴者を混乱させないように、3つの家のカラーをはっきりさせなくてはならない。そのためにはキャスティングが重要です。

 とにかくカラーの違う3つの家をしっかり描き分けられるような存在感のある俳優さんをキャスティングするということに、とことんこだわりました。その辺りも視聴者のみなさんには楽しんでいただけると嬉しいです。

──そのほか、ここは是非とも見てほしいというポイントは?

佐野:「『朝ドラ』始まって以来のちょんまげ」の時代劇ですが、登場する家族に起こっている出来事というのは、現代の家族に起こっている出来事と同じだと思います。普遍的な家族の物語なので、視聴者のみなさんに自分たちの家族と照らし合わせて感じ取って欲しいです。

 そういう意味では、和服というカラフルな日本独特の美しい色彩の衣装を身につけた女性たちが活躍するホームドラマ、という風に思っていただければいいと思います。現代物のドラマって、意外と色彩豊かなわけではないんですよね。でも、時代劇の女性は、皆さん色目のいい着物を着ていて、それを見ているだけで、目が喜ぶと思うんです。

 毎朝、パッという華やかな色目のいい着物を見て、それからさっと仕事に出かける。目が喜んでから、日常のスタートを切ることができれば、なかなかいい1日を過ごせるんじゃないかと思います。衣装にはかなりこだわっているので、是非とも楽しんでいただきたいです。


『あさが来た』

2015年11月07日 | 秋ネタ

NHK連続テレビ小説『まれ』が終わり、9月28日から『あさが来た』が始まる。50年以上の朝ドラの歴史のなかで初めて幕末の「ちょんまげドラマ」を描く。

 ヒロイン・あさ(波瑠)は京都の豪商の次女で、良妻賢母を目指す姉とは対照的な、お転婆な娘として育つ。成長し、大阪の両替商の次男と結婚をするも、時代は明治に突入。両替商は時代遅れの商売となり倒産寸前の危機に。心機一転、炭坑の経営に乗り出すが、男社会ではあさの奮闘はなかなか認められない。

 しかし、大阪の発展に尽くす師との出会いを機に、銀行経営そして日本初の女子大の設立にも挑むドラマティックなストーリーだ。

『あさが来た』のエグゼクティブ・プロデューサーの佐野元彦さんは、宮崎あおい(29才)主演の『篤姫』(2008年)など大河ドラマも手掛けている。朝ドラも大河も長期間にわたって、1人の人物にスポットを当てる物語だが、そこには大きな違いがあるという。

「大河の面白さは、百戦錬磨の俳優同士が真っ向からぶつかり合う。そのやり取りが面白い。一方の朝ドラは、ヒロインを出演者やスタッフが半年間、見守って育てていく。1人のヒロインのためにみんなが力を結集するんです。

 ヒロインは文字通り年を重ねていきますし、それを演じる女優さん自身も1回り、2回りと女優として人間として大きくなっていく。そんな“2人”の成長が見られる。特に女性視聴者の場合、自分の人生に重ね合わせられる。だから、朝ドラはこれだけ長く続いているのだろうと思います」(佐野さん)

 同作で主人公の良き理解者・お付きの「うめ」役を演じる友近(42才)はこう語る。

「朝ドラは『芋たこなんきん』(2006年)に続いて、2回目の出演になります。今回は、とてもたくさん出番もいただいています。でも難しく考えるのはやめました。その時その時の感情を大事にうめをやります!

 朝ドラに出るとみなさんに言うと、『おお! すごいじゃん』ってなるんです。そうしたときに、やっぱり国民的ドラマだと思いますね。撮影のためにNHKに行くと、ロビーで『おしん』など過去の朝ドラが流れているんです。このシリーズに出演するんですから、われながらすごいと思いますよね(笑い)」

 また、主人公・あさを演じる波瑠(24才)はこう意気込みを語る。

「あさの成長と同じように、私も一緒に成長しながら頑張っていきたいと思っています。あさちゃんはあさちゃん、私は私で頑張っていきます。あさに支えられて、いろんなことを勉強させてもらって、近くに寄り添って一緒に走っています」

 その表情は明るく、順調に撮影が進んでいる充実感と大役を任された責任感が全身から伝わってきた。


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9月28日にスタートしたNHKの連続テレビ小説『あさが来た』は、幕末から大正にかけて起業家として活躍した広岡浅子をモデルとした作品だ。ヒロイン・今井あさ(波瑠)とその姉・はつ(宮崎あおい)の物語を中心に描かれている『あさが来た』で、大阪一の両替屋・山王寺屋の当主・眉山栄達を演じる辰巳琢郎(57才)に、見どころを聞いた。

──辰巳さんが演じる眉山栄達は、はつの義理の父親という役どころです。

辰巳:実は、歴史上に記録がまったく残っていない役なんですよ。だからこそ、自由に動けるよう部分もあって、とてもおもしろい役ですね。(栄達は)婿養子で奥さんの菊(萬田久子)に頭が上がらない。息子の惣兵衛(柄本佑)はどうしようもないし、嫁いできたはつは豪商の娘なんだけど、なかなか馴染めないところもあって…っていう家族の難しさなんかも描かれてます。

 ある意味、今回は時代劇であって、庶民ではなくハイクラスな人々の物語なんですよ。この点に面白さがあるような気がしますね。でも、時代劇でありながら、家族の問題のような現在に通じる部分も多くて、演じていてすごく面白いですね。

──辰巳さんが思う『あさが来た』の注目ポイントはどこですか?

辰巳:江戸末期から明治の物語は、普通大河ドラマで描かれるんですが、そこを朝ドラでやっているという点は面白いと思います。しかも、幕末というとどうしても志士の話が多くて、江戸と京都が中心になってくるんですが、『あさが来た』は大阪を舞台にした話なので、これまでにないものになっていると思います。ぼくも大阪の人間なので、大阪に注目が集まるというのも嬉しいですし、大阪人の機微みたいなものを知ってもらいたいですね。

 大阪って、幕末のころは日本一の商業都市で、大阪に皇居を移して都にしようという話もあったくらいなんですよね。でも、そこに政治まで持ってくると大きくなりすぎてしまう。幕府を抑えるという意味もあったのかもしれないけど、一極集中はやめようということで、東京が都となった。ただ、結局東京の一極集中になってしまった。なんとも不思議な歴史の流れがありますよね。

 江戸時代の商人は、本当に強かったんでしょうね。大阪の商人たちが大名にお金を貸して、それで大名たちは藩の運営をしていたわけだから。その大名たちにお金を貸していた両替商は、『あさが来た』の登場人物たちなんですけど、明治時代に入ってバタパタと潰れていってしまう…。今回のドラマに出演するにあたって、色々歴史も調べてるんですよ。

──時代背景も面白いですね。

辰巳:商人から見た歴史ですね。とても興味深いのが五代友厚さん(作中ではディーン・フジオカが演じる五代才助)。ドラマの中でもとてもいい役になっているんだけど、大阪の造幣局を作った人なんですよ。なぜ今大阪に造幣局があるかというと、それは五代友厚さんの力もあったっていうことで。大阪商工会議所には五代さんの銅像もあって、近々見に行ってこようと思います。

──主人公・あさのモデルとなった広岡浅子についてはどんな印象ですか?

辰巳:当時は、女性が学問をしちゃいけない時代だったわけですよね。そんななか、子供のころから数字が好きで、そろばんに興味を持って、経営に積極的に関わっていこうとした初めての女性ですよね。

 今だったら、男女雇用機会均等法から始まって、大きな企業でも管理職の一定割合を女性にするとか、そういったことが当たり前になってますが、あさはその走りだった。時代の最先端を行っていたってことで、ものすごい感覚を持っていた人だと思います。

『花子とアン』のモデルとなった村岡花子さんや婦人運動家の市川房枝さんも広岡浅子さんの弟子にあたるんですよね。あとは、日本初の女子大学「日本女子大学」を創設した成瀬仁蔵さんも、広岡さんと交流があったみたいですね。広岡さんの働きかけがあって三井財閥から目白の土地を譲り受けて、それで日本女子大学が創設されたそうです。

──広岡さんの精神が現在も受け継がれていると感じることはありますか?

辰巳:自分の力で道を切り開いて行こうとする女性はたくさんいると思いますし、周りでもどんどん増えていますね。でも、日本はいまだに男社会で、能力があってもなかなか頭角を現せない女性が多いのも事実だと思います。特に大きな企業のなかでは難しそうなイメージですね。でも、やっぱり女性のほうが優秀だと思うんですよ。もしかしたらほとんどの男性がそう思っているかもしれない。女性が優秀だからこそ、男性は負けたくないという気持ちがあって、なかなか男社会が崩れないというか。

──NHKの朝ドラでいうと、6作品目の出演となりますよね。

辰巳:朝ドラはなんだか故郷みたいなものですね。NHK東京収録の朝ドラでデビューしたというのもありますし。ただ、本数もたくさんあるし、スケジュール的にはかなりハードですよ(笑い)。

 でも、若手ディレクターの登竜門というイメージでもあるんですよ。ディレクターは週ごとに、チーフディレクターとかセカンドとか、何人かで回すんだけど、時々若いディレクターさんがいて、ここで監督デビューということもあるんですね。単純に数をたくさんこなそうとすると流れ作業になりがちなんだけど、若手ディレクターを入れたりして、実験的なことをやっているのは面白いですよ。役者さんがどんどん成長していくのも楽しいですしね。本当にヒロインの女優さんは、どんどん変わっていきますから。

──ちなみに、辰巳さんは空き時間に何をされていますか?

辰巳:併行していろいろな仕事をしているので、原稿書いたり、次の仕事のチェックしたり、電話連絡したりっていう感じですね。だから、掘っ建て小屋に集まって寝るというシーンがあって、みんな雑魚寝してたんですけど、ちょっと疲れてたのか、それは本当に寝てしまいましたね(笑い)。寝るシーンは好きですよ。気づいたら終わってるので。

──NGにはなりませんでしたか?

辰巳:寝てるシーンだもん。リアルな最高の演技をしたと言ってほしい(笑い)。


静岡へGO!

2015年11月06日 | 秋ネタ

南アフリカ戦の歴史的勝利に続いて10月3日にサモアをくだし、史上初のW杯同一大会2勝目を挙げたラグビー日本代表。そのなかで、女性ファンから不動の人気を誇るのは、キックをする前の“祈りのポーズ”が話題の五郎丸歩選手(29才)だ。しかし、12日に行われるアメリカ戦に勝利しても、ボーナスポイントの関係で決勝トーナメントに進出するのは難しい状況。

「ゴロちゃんの闘争心あふれるプレーが見られなくなっちゃう…」と落胆する女性たちも多いかもしれないが、心配はいりません。W杯が終わっても、日本で五郎丸の勇姿はばっちり見られるのだ。スポーツライターの藤島大氏が話す。

「ラグビーのシーズンは、秋に始まって1月がクライマックス。五郎丸選手が所属するヤマハ発動機ジュビロはラグビーのトップリーグのチームで、今年のリーグ戦は11月にスタート。その結果に応じて年明けから順位決定トーナメントが行われ、1月下旬にファイナルを迎えます」

 チームの本拠地は静岡・磐田にあるヤマハスタジアム。

「試合中のゴロちゃんだけじゃ満足できない」──そんな人は、静岡へGO! スタジアムから北に5kmほど行った場所にあるヤマハ大久保グラウンドで、チームは普段練習を行っている。ここに足を運べば、近距離で五郎丸を拝める上に、もしかしたらサインがもらえたり、握手できたり、あるいは、あの厚い胸板と太い腕にガシッと…なんてこともあるかも?


4年後の日本大会にむけて

2015年11月05日 | 秋ネタ

ラグビーW杯で日本代表チームが4戦3勝を挙げるなど大健闘し、4年後の日本大会にむけて期待が高まっている。

 今回のチームが日本代表史上最強チームなのは間違いない。しかし、4年あれば選手も入れ替わる。今大会の日本代表には、SH(スクラムハーフ)田中史朗(30)、SO(スタンドオフ)小野晃征(28)、CTB(センター)立川理道(25)にFB(フルバック)五郎丸歩(29)と、バックスの要になるセンターラインに優れた日本人選手が揃っていたが、年齢の面から4年後に残っていられるのは立川のみといわれている。

 フォワードでもLO(ロック)トンプソン・ルーク(34)が代表を引退すると宣言しており、同じくLOのアイブス・ジャスティン(31)も抜ける可能性がある。戦力ダウンは避けられない。ラグビー批評家の中尾亘孝氏の話。

「今大会に出場した代表メンバーには五郎丸、畠山をはじめHO(フッカー)堀江翔太、PR(プロップ)山下裕史、WTB(ウイング)山田章仁と1985年生まれが5人いて、黄金世代といわれている。彼らは2004年のU19世界選手権でスコットランドを破ったメンバーが中心。今年30歳になる彼らも、あと2年なら大丈夫かもしれないが、4年後となると厳しいのではないか。

 彼らが抜ける穴をうめるべく、南アフリカ戦で五郎丸)のトライをアシストしアメリカ戦では自らトライを決めたWTB松島幸太朗(22)は今後中心選手として活躍するでしょう。アメリカ戦で起用されたWTB藤田慶和(22)も五郎丸にとってかわるかもしれない」

 日本は来年から「スーパーラグビー」に参加する。世界最高峰レベルでプレーし経験を積めば、4年後の日本W杯に繋がるだろう。


46年前の「黒い霧事件」

2015年11月04日 | 秋ネタ

 巨人・福田聡志投手の野球賭博関与問題は社会に大きな衝撃を与えた。そこで思い返されるのが46年前の「黒い霧事件」だ。

そもそものきっかけは1969年10月、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の永易将之(ながやす・まさゆき)投手が、球団の調査で「暴力団の野球賭博で八百長試合に関与した」と判断され、解雇されたことだった。

 これを新聞が大きく報道。さらに渦中の永易が普段着のまま自宅を出て、そのまま失踪したことで、疑惑が疑惑を呼び、騒動は社会問題に発展する。最終的には、複数の逮捕者を出す事態となり、19名のプロ野球選手が永久追放・出場停止などの重い処分を受けた。

 ここで本誌は球史に残るスクープ記事を掲載することになる。行方をくらませていた最大のキーマン・永易の独占インタビューを報じたのだ(1970年4月10日号。以下、カッコ内は記事より。誌面の都合により、一部編集してある)。

 インタビューは本誌の協力ライター・大滝譲司氏によるもの。2週にわたって掲載され、その赤裸々な内容が大きな話題を呼んだ。まず、八百長をやったのかと迫る大滝氏に、永易は観念したように認めた。

「そのために永久追放になったんですから、いまさら否定できないですね」

 永易は「自分は八百長の首謀者ではない」としたうえで、こう語る。

「(関係した八百長試合は)ほんの数えるほど。三試合ぐらいかな。成功したのは一回だけで、あとの二試合は失敗。(失敗したらカネは)もらいませんでした。成功したら二十万円です」

「暴力団の人と、野球に関してはまったく関係ありません。(実際にカネを払っていたのは)関西の商人です。昨年、チームメイトの紹介で、神戸で飲んだのがきっかけで知り合った」

 永易は大滝氏の質問に丁寧に答える。成功した八百長の試合(故意の敗戦)についても、詳細を以下のように語っている。

「M投手の友人でHさんという人がいるんですが、この人が張本人なんです。Hさんは胴元ではなく、張る方なんですが、一昨年のシーズン中にM投手と知り合ってやりはじめたそうです。僕がはじめて持ちかけられたのは(八百長が成功しなかった)ロッテ戦で、Y投手から頼まれました。

(成功した南海戦は)Y投手が僕にいってきたんです。確実にやるためにバッターもおさえてくれといわれて、僕が内野手のF選手をとめ(仲間に誘うこと)、YがM捕手とこれも内野手のM選手をとめました」

「僕がF選手に話したのは試合の一日か二日前、二人で買い物へ行った帰りに御堂筋の喫茶店で話しました。Fははじめてだったらしくびっくりしていましたが、とにかく『一回だけ』ということでOKしたんです。それで、僕は預かっていた三十万円をわたしたら、Fは『そんなにいらない』といって十万円返してきて、結局二十万円受け取りました。Fは『不成功に終わったら返す』といっていましたが、成功したのでそのまま。彼は満塁のチャンスで三振しました」

後に行なわれる記者会見で実名を暴露することになる永易は、この時点では匿名で語っている。永易は選手の名を口にすることを、最後までためらっていたからだ。

「僕はほかの人に迷惑はかけたくありません。同じカマのメシを食って苦労してきた仲間に対する友情が僕にもあります。罪は僕ひとりでたくさん。そのためにがまんしてきたんですから……」

 ただそのかわり、このインタビューは永易の口から衝撃の言葉を引き出した。

 逃亡期間の生活費をどうしていたのか、貯金でもあったのかという大滝氏の質問を永易は否定。代わりに、ある組織から“口止め料”が払われていたことを明かしたのである。それはなんと、永易を解雇した西鉄球団だった。

「オーナーをはじめ幹部の人から“一生面倒をみるから、つらいだろうけどがまんしてくれ”といわれました。稲尾(和久)監督も“がまんしてくれ。ワシもできるだけの努力はする”となぐさめてくれました」

 口止め料の真相や永易がやった八百長試合の手口が詳細に明かされる。八百長発覚直後の10月中旬、永易は当時の西鉄オーナーとその自宅で面会し、こういわれたという。

「『君には気の毒だが、チームのためを思って、君ひとりでかぶってくれ。そのかわり一生の面倒はみる。つらいだろうけどがまんしてくれ。とにかく二、三か月はかくれていてくれ』というようなことです」

 そして11月上旬に100万円、同下旬にも球団本部長から50万円が渡された。

「球団本部長と会ったんですが、そのときには当時の球団社長が電話口に出て『君には悪いことをした』と、泣いてあやまってくれました」

 そうして西鉄側が永易に渡した金額は合計で550万円。西鉄は当初こそ、この証言を否定していたが、その後、東京地検特捜部の取り調べを受けたオーナーが渡したことを認め、辞任に追い込まれている。