里の常連さん情報

横田の里の常連さんが綴る里のネタ特集

歌手の森進一、何時まで続くか?!

2015年08月31日 | 夏ネタ

今、結婚をしない人が増えていると言われています。内閣府男女共同参画局が発表している最新のデータによれば、男性の生涯未婚率は20.1%、女性の生涯未婚率は10.6%。つまり、男性は5人に1人、女性は10人に1人が未婚生活を続けている、ということになります。

 ちなみに、生涯未婚率を簡単に説明すると、「50歳になった時点で一度も結婚をしたことがない人の割合」ということです。50歳をすぎてからはじめての結婚をする人も増えていることを考えると、現実のデータは少し変わってくるのかもしれませんが……。

 いずれにしても、今どきは、「なにがなんでも結婚をしなくてはいけない時代」ではありません。婚活中の男女にも、なかなか恋愛ができないと嘆く前に、まずは、「いつかは結婚しなければいけない」という思い込みを捨てることからはじめてほしいと思っています。

 先日、歌手の森進一さん(67歳)に、恋愛報道がありました。お相手は、森さんより28歳年下の39歳の一般女性とのこと。交際期間はすでに2年ともいわれ、ラブラブな関係を築いているようです。

 森さんは、1980年に女優の大原麗子さんと結婚したものの4年後の1984年に離婚。1986年に歌手の森昌子さん(56歳)と再婚し、2005年にふたたび離婚。以来、10年間、現在にいたるまで独身生活を続けてきました。久々の恋愛報道にご本人はさぞウキウキしているのかと思いきや、報道ではそれほど浮き足立っているようにも見えず、テンションも抑えた感じの印象でした。今どきの「年の差婚」をする男性陣と少し違って、落ち着いたトーンで穏やかな恋愛事情を語る森さんに、むしろ好感を抱いた人たちも少なくないようです。

森さんいわく、「まさか自分がそんな若い人と付き合うなんて思ってもいませんでした」とのこと。歌手としての森進一さんのキャリアや活躍ぶりをそれほど知らなかったというお相手の女性に対して、「そういうところもかえってよかったんでしょうね」という森さん。ひとりで生活をしている寂しさを埋めてくれる存在なのかもしれません。

 森さんは、自身の結婚観に関しても、興味深い発言をしているようです。報道によると、結婚をするのかたずねた記者に対して、それを否定した森さんは「ちゃんとした形をつくってしまうと壊れてしまいますから」「何かに執着してもよくない。彼女とも、今の状態がいちばんいいんです」と続けていたとのこと。結婚や離婚を2回ずつ経験した人ならではの結婚観なのでしょうか。「“潤い”というんですか。私の人生に彩りを与えてくれています。薄暗がりからぼくを表に出してくれた彼女には、感謝しかありません」とも言っているそうです。

 たしかに、パートナーには落ち着いた雰囲気や頼りがいを求めている女性は少なくありません。年齢が離れていることにより、思い切って甘えられることに安心感を覚えるという女性の声も聞きます。森さんのように、経済的にも余裕がありそうで、女性をエスコートすることに慣れている男性であれば、年下女性からはモテるのにもうなずけます。

 問題は、女性のほうが森さんに対しての愛情がどこまで続くか、ということにかかってくるのではないでしょうか。39歳という年齢であれば、結婚も妊娠もまだまだ諦めてはいないはず。ほかの男性に心を奪われないとも限りません。そうした時、はたして森さんはどのような選択をするのでしょうか。--新しいカップルのゆくえに、今後も注目したいと思います。

■岡野あつこ(おかの・あつこ) 1954年8月5日埼玉県出身。夫婦問題の悩みを解決するカウンセリング事業や、カウンセラーを育成する岡野あつこのライフアップスクールなどを運営する、株式会社カラットクラブ代表取締役。NPO日本家族問題相談連盟理事長。1991年よりカウンセリング事業を開始、2万5000件以上のカウンセリング実績をもつ。現在は、後進の育成にも力を入れており、ライフアップスクールの卒業生は1800人を超えている。夫婦問題解決のプロとしてメディアに出演し、一人でも多くの人に笑顔が戻るよう日々活動中である。離婚相談救急隊(http://www.rikon.biz/)。


もう一度ブレイクしてほしい一発屋芸人

2015年08月30日 | 夏ネタ

前触れもなく急にブレイクし、翌年には消える…そんな芸人は“一発屋芸人”と呼ばれています。しかし、一発屋芸人の中には新しいネタや得意分野を身に着けて、再ブレイクを果たす人も。そこで今回は、7月1日に投票が開始された「第1回 一発屋オールスターズ選抜総選挙2015」に伴い、もう一度ブレイクしてほしい一発屋芸人について探ってみました。

 ■もう一度ブレイクしてほしい一発屋芸人ランキング

 1位:ヒロシ

 2位:小島よしお

 3位:スギちゃん

 ⇒4位以降のランキング結果はこちら!

 1位は《ヒロシ》でした。ホストのようなスーツや髪型で登場し、「ヒロシです」のフレーズと共に切ない自虐ネタを九州弁で話す姿が話題となり、大ブレイクしました。取り入れやすいフレーズだったこともあり、当時は会社の懇親会や結婚式の余興で真似をする人が多数。翌年には姿を消しましたが、あらためてもう一度見たいという声が多く、1位に輝きました。

 2位は《小島よしお》でした。鍛え上げられた肉体と水着姿で、「そんなの関係ねぇ!」と叫ぶ姿が印象的な《小島よしお》。子どもを中心に大ブレイクしましたが、一発屋芸人のレールに乗り、翌年にはその人気も急下降。露出もかなり減りました。しかし子どもからの人気は今も高く、最近は幼稚園を訪問し、一緒に体を動かすなどの活動に力を入れているようです。

 3位は《スギちゃん》でした。上下デニムの一昔前のファッションと裸足姿が印象的な《スギちゃん》。「ワイルドだろ~」の台詞は、大人から子どもまで真似する人が多数。一躍人気ものになりました。最近はテレビで姿を見る機会も減りましたが、今までもたくさんのキャラクターに挑戦してきた《スギちゃん》は、次に新たなキャラクターで登場するかも…と期待を寄せる人が多く、3位にランク・イン。

 このように、社会現象になるような人気を集めた一発屋芸人は少なくありません。“一発屋”とはいえ、数多い芸人の中で大ブレイクを果たすポテンシャルを持っていることは確か。投票は8月10日まで行われています。みなさんは、どの一発屋芸人に投票したいですか?

 調査方法:gooランキング編集部にてテーマと設問を設定し、gooランキングの投票サービスにてアンケートを行いその結果を集計したものです。

 投票数合計:1,618票


名球会の基準

2015年08月29日 | 夏ネタ

「今の連中は何もわかっとらん!」ペナントレースを見つめる球界の重鎮たちは、異口同音にこう苦言を呈す。400勝のレジェンド・金田正一氏が現在のプロ野球にもの申す。


 * * *
 ワシが長嶋(茂雄)と王(貞治)とで「名球会」を作った時、決めた入会条件は、投手で通算200勝、野手で通算2000本安打だった。当時は達成が難しい条件で、名実ともに「名選手」が名を連ねていた。
 
 しかしこれだけ試合数が増え、現役を長く続ける選手が出てくるとは想像もしなかった。200勝はまだしも、2000本安打は細く長く現役を続ければ誰でも到達できる数字になってしまった。
 
 しかもこうした数値目標を作ってしまったせいで、「記録」というものに執着する風潮を生み出してしまった。だからワシはひどく後悔している。
 
 例えば先日、谷繁(元信・中日)が野村(克也)の持っていた通算試合出場の記録(3017試合)を塗り替えた。また、同じ中日の山本昌は、メジャー記録であるJ・モイヤーの49歳6か月での史上最年長勝利の更新を狙っているという。
 
 ちょっと待て。記録の前に中日は今何位だ。セ・リーグで唯一蚊帳の外の最下位ではないか。チームがそんな状態で作る個人記録に何の価値がある。
 
 同じ通算試合出場記録なら、30本しかホームランが打てなくなったことを理由に潔く引退した王(貞治)の2831試合の方が、ずっと価値がありますよ。投手の最年長記録? どうでもいいわ。
 
 記録を作るためだけに現役を続けているようにしか見えない。最下位を突っ走るチームで、ロートルが若い選手の出番を奪って記録を目指すなど愚の骨頂ですよ。ワシか? ワシが400勝を達成して引退したのは30歳半ばだ。投げようと思えばまだ投げられた。チームもV9の真っ最中で、毎年優勝していたわい。
 
 まァ、2人は名指しにして悪かったが、両者とも十分な実績があるからこその苦言だ。とっくに現役を退いて後進を育てる仕事に集中しなくてはならないことは自分が一番わかっているはずだからね。ボロボロになってでも記録に執着する選手が多すぎるよ。

●かねだ・まさいち/1933年、愛知県生まれ。国鉄、巨人で活躍。球界唯一の400勝達成をはじめ、365完投、4490奪三振、5526.2投球回など、数々の日本記録を持ち、圧倒的な実力と存在感から「天皇」と呼ばれた。引退後はロッテ監督。


中国に残るのは貧乏人と病人だけ?!

2015年08月28日 | 夏ネタ

 富裕層情報を調査したコンサル企業キャップジェミニの最新レポートによると、中国では2000年~2014年の14年間で約9万1000人の富裕層が国外に移住していることが分かった。ネット上では「中国に残るのは貧乏人と病人だけ」との自虐的な書き込みがみられる。

 調査によると、母国から外国へ移住した人口が最も多いのは中国で、2位がインドの6万1000人、3位はフランスの4万2000人だった。

 中国人富裕層の移住先は米国が最も多く、続いて香港、シンガポール、英国など。海外移住の大きな要因は、中国政府による富裕層への高い課税率で、このほか大気汚染や食の安全、教育などが挙げられている。

 中国の民間調査機関「胡潤研究院」と中国銀行がまとめた調査によると、1000万元(約2億円)以上の資産を持つ中国の富裕層の半数近くが移民を検討していることが分かっている。それによると、3分の1は既に海外に資産を保有しており、投資先は主に不動産だという。

 この傾向は富裕層ばかりでなく、高級幹部の子弟にも顕著で、中国で1980年代から1990年代にかけて中国政治を動かした小平氏ら共産主義政権誕生に大きく貢献した8大元老の子弟をみれば一目瞭然だ。

 8大元老とはかつての最高実力者で軍事委主席だったトウ小平を筆頭に、陳雲・元党副主席、王震・元国家副主席、李先念・元国家主席、彭真・元全国人民代表大会(全人代)委員長、宋任窮・元党政治局員、楊尚昆・元国家主席、薄一波・元副首相──の8人を指す。

 これに、現在の実質的な最高指導者である習近平・国家副主席(党総書記)の父親である習仲勲氏を加えることもある。

 米経済・金融通信社「ブルームバーグ」によると、これら8代元老の二世や三世の少なくとも23人が米国の大学に留学。そのうち、3人がハーバード大学で、4人がスタンフォード大学だ。

 彼らは大学を卒業すると、米国で職を得て、ビジネス活動に入る者が多く、少なくとも18人が米国で事業を展開し、そのうち13人は不動産に関係した事業を展開している。このなかには、トウ小平氏の孫も含まれている。
 
 また、18人がタックスヘイブンで知られるカリブ海上のケイマン諸島やバージン諸島などの銀行で資産運用していることが分かっている。

 ネットでは「幹部は特権を利用して、子弟を海外に逃がし、富裕層はさらなる金儲けをするために、自ら中国を脱出する。中国に残るのは貧乏な農民と労働者だけで、中国は近いうちに本当の共産主義国になるに生まれ変わるに違いない」との書き込みがみられる。


“水着といえばビキニ”

2015年08月27日 | 夏ネタ

夏といえばやっぱり水着、それもビキニだ。とはいえ、私たちはどれだけビキニのことを知っているのだろうか。

 そもそもの由来は、1946年7月、フランスのデザイナーであるルイ・レアールが、セパレーツ型の大胆な水着を発表。当時、アメリカはマーシャル諸島のビキニ環礁で、第二次世界大戦後初の原爆実験を行なっていた。原爆の破壊力に喩え、その水着はビキニと命名されたのだ。

 その後、ビキニは大流行。いまや“水着といえばビキニ”が当たり前の時代になっているわけだが、日本で定着し始めたのはいつ頃のことなのだろうか。『三愛水着の歴史』の編集人である永島和祥氏に話を聞いた。

「戦後すぐビキニは輸入され、販売されていましたが、日本では全く浸透しませんでした。まず、機能的な問題がありました。1950年代までの水着は、水を含むと重くなり、下にズレてしまう。そのため、落ちないように肩紐で吊るワンピースのデザインが主流。水着はファッション性よりも、機能性が重視されていたのです。

 そうしたなか、1964年に伸び縮みするポリウレタン素材の入った水着が登場します。これによって、上下に分かれるセパレーツ型の需要が伸びました。ただ、当時は肌の露出を良しとする風潮ではなかったので、布面積の小さいビキニの流行には至りませんでした」(永島氏。以下、「」内同)

 水着がファッションのひとつとして捉えられ、ビキニが浸透していったのは、高度成長期も終盤に差し掛かった1970年代前半だ。

「1970年にマガジンハウスから『an・an』が、翌年には集英社から『non-no』という女性ファッション誌が創刊されます。この頃から、柄や色、デザインといったオシャレを楽しむ水着が増えていきます。1975年まではビキニが流行しますが、1970年代後半から1990年代前半まではワンピースが主流になります」

 1980年代前半の低成長期から一転、バブル経済に沸く1980年代後半になると、同じワンピースでもハイレグが話題を呼ぶようになる。当時の人気グラビアアイドルだった岡本夏生は“ハイレグの女王”という異名を取った。

「たとえば、1989年の三愛の水着カタログを見ると、47型中43型がワンピース。ビキニはたったの4型しか発売されませんでした。完全にワンピースの時代です」

 バブル期は肌の露出を多めにしていたのかと思いきや、実際はワンピースが主流だった。その分、ハイレグが目を引いたというわけだ。

「1994年からまたビキニの時代に戻ります。かつては機能性の問題で流行しなかったビキニですが、1996年に『バストアップ多機能ブラ』が登場したことも、その後の隆盛を後押ししました」

 かくして、1990年代半ばから現在に至るまで“水着といえばビキニ”という現象が続いているのである。


ユニットバスとは?

2015年08月26日 | 夏ネタ

トイレ博士の佐藤満春です。今回は、多くの人が誤解しているであろうトイレ雑学をお届けします。 

皆さんは「ユニットバス」と聞いてどんなものを想像しますか? 多くの人が「お風呂とトイレが一緒になっている」ものを想像すると思います。それで間違いではないのですが、「ユニットバス」の本来の意味は少し違うのです。



ユニットバスとは、「周りの壁・天井・床が一体になっているお風呂」のことを言います。お風呂と洗面台が一体になっているものは2点ユニットバス、通称2点ユニット。さらにトイレが付くと、3点ユニットバス、通称3点ユニットと言います。お風呂が1点、洗面台が1点、更にトイレで1点です。

ですので「ユニットバス」でも風呂トイレ別は当然あります。そしてこのユニットバスは世界で最初に作ったのは日本なんです。1964年の東京オリンピックがきっかけです。

東京オリンピックに向けて建設が進んでいた初の超高層ホテル「ホテルニューオータニ」。限られた時間の中でその高層ホテルをどう建設するのか? 「このままのペースでは間に合わない!」ということで考えられたのがユニットバス。

しかも当時では、17階建ての構造は「超高層ビル」であったため、「軽量化」が必須課題だったのです。

設計・施工を担当していた大成建設は、バスルームの軽量化を依頼。TOTOはプロジェクトチームを作り見事作にり上げたのです。TOTOはウォシュレットといいユニットバスといい、本当に素晴らしい実行力です。

ということは2020年はトイレ業界も風呂業界もまた多くの動きがあると思われます。
ご期待ください!


マツコタブー

2015年08月25日 | 夏ネタ

いまや日本のバラエティ番組の“顔”となっているマツコ・デラックスについて、関係者の間で“マツコタブー”が取り沙汰されているという。先日は一部週刊誌で、秋からさらにレギュラー番組が増えると伝えられたが、それによってタブーが増長してしまうと目されているようだ。

 18日発売の「女性自身」(光文社)によると、10月の番組改変で、現在9本のレギュラーを抱えるマツコの出演番組が、さらに1本増えることが予定されているという。しかし、ろくに休みも取れない現状に、マツコ本人は精神的に追い詰められ、近頃ではあまりの疲弊ぶりに周囲も声をかけられない状態となっているようだ。

「現在の事務所に所属するようになった2009年頃からバラエティにひっぱりだこ状態のマツコですが、昨年末には、『どれだけバラエティの視聴率に貢献しているか』という“潜在視聴率”のトップがマツコだと一部週刊誌で報じられました。有吉弘行やダウンタウンなどを抑えて、かつギャラも半分程度というマツコだけに、すでに3年先までキャスティングが決まっているといわれていました」(芸能ライター)

 現在の民放キー局でのMC番組だけでも『月曜から夜ふかし』『マツコとマツコ』(ともに日本テレビ系)、『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)、『マツコの知らない世界』(TBS系)、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)、『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日系)と高視聴率番組揃いのマツコ。テレビ局内では、完全にVIP待遇だという。

「各局にとってマツコの出演は、番組の内容以上にキーポイントとなっています。テレビ局がジャニーズやバーニングプロダクションのタレントを特別視し、たとえスキャンダルが報じられてもワイドショーでは一切扱われないように、マツコもかなり丁重な扱いを受けています。本人はまったく望んでいないことでしょうが、だんだんテレビ局内で“腫れ物”のようになりつつあるんです」(制作会社関係者)

 マツコ本人は「オファーは断らない」スタンスを貫き、ストイックに仕事をこなし続けているというが、局側にとっては、マツコ起用の可否こそが番組成功のカギとなっているようだ。

「ある局では、若手の男性で主要スタッフを固めたり、楽屋での挨拶や打ち合わせにもマツコが好みそうな男性スタッフを積極的に送り込むなど、執拗にご機嫌取りの策を繰り広げています。今後、マツコのネガティブ情報は報じない、マツコと合わなさそうなタレントは事前に共演NGにするなど、テレビ界では“マツコタブー”が増えていくと思われます。へそを曲げられて、今後の出演が微妙となればそれこそ死活問題ですからね」(同)

 こうした事情も相まって生み出されてしまった“マツコタブー”。しかし当のマツコは、過重労働によって精神面の不調が出ていると伝えられ、またテレビ局も、番組内容ではなく出演者で勝負するという、負の連鎖状態に。いよいよマツコのキャパシティが限界か、となってしまわないうちに、テレビ局側の意志による“マツコ離れ”が必要なのかもしれない。


ロゴマーク

2015年08月24日 | 夏ネタ

会社ロゴマークは企業と消費者をつなぐ接点であり、事業哲学と経営戦略が込められた看板だ。どのマークにも、経営者たちの熱い思いや知られざる物語が存在する。

 ヤマハ発動機は、日本楽器製造(現ヤマハ)のオートバイ製造部門が分離して1955年に設立された。同社のロゴマークは、音叉を3本組み合わせたデザインで「技術」「製造」「販売」の3つの要素を示すとされる。よく見ると、ヤマハ発動機とヤマハでは微妙に異なる。
 
 音叉が立体的で、YAMAHAの「M」の文字の中央部分が下まで伸びているのがヤマハ発動機。音叉が平面的で「M」の中央部分が下まで伸びていないのがヤマハ。色もヤマハ発動機が赤、ヤマハはバイオレットである。


       

 力強さを漂わせるスズキの「S」マーク。同社のロゴマークのデザインは美術系の大学生から募り、300点余りの候補のなかから選ばれたのが、当時東京芸術大学に在学していた手銭正道氏(故人)の作品だった。

 手銭氏といえば、後に新幹線700系の車両デザインなども手がけた工業デザイナー。そんな名デザイナーが学生時代に手がけた「S」マークは1958年から現在まで変わることなく使用されている。四輪車と二輪車を柱に躍進する同社の思いがギュッと詰まったマークといえるだろう。


デザイン・パクリ疑惑

2015年08月23日 | 夏ネタ

2020年開催の東京五輪の公式エンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴと似ているとされた「パクリ騒動」が拡大の一途を辿っている。

 当初、きっぱりとパクリを否定したアートディレクターの佐野研二郎氏(43才)。しかし、インターネット掲示板などで指摘を受け、現在サントリーがキャンペーン商品として展開している『佐野研二郎デザイン』のトートバッグは全30種類のうち、8種類のバッグの発送が中止となる事態に発展した。

 さらに16日には、前出のサントリーのバッグで『BEACH』のロゴを無断で使われたとしてアメリカのデザイナーが佐野氏に挑戦状をたたきつけるなど事態は一向に収束しない。

 そして“パクリ疑惑”は大きく飛び火してしまった。

「佐野氏を知るデザイナー仲間は彼を擁護したんですが、それがよくなかった。インターネット上では新たな標的にされ、次々にパクリが指摘されているんです。なかでもアートディレクターの森本千絵さんが大炎上しています」(全国紙社会部記者)

 森本氏は佐野氏と同じ博報堂出身の日本を代表する若手クリエーターの1人。2007年に個人事務所「goen°」を立ち上げ、Mr.Childrenのほか数々のミュージシャンのアートワークや映画やCMなどを手がけてきた。

 今やり玉に挙げられているのが、森本さんが担当した松任谷由実(61才)のアルバム『POP CLASSICO』(2013年)のジャケットデザインだ。「POP CLASSICO」のローマ字はそれぞれデザインされているが、「I」の字の中に写る女性の絵がイギリスの写真家ティム・ウォーカー氏の作品に酷似しているというのだ。さらに、他の文字についても過去の作品に似たものが散見されるという。

「森本さんとユーミンは旧知の仲。しかもユーミンは過去にも別な作品のジャケットで盗作疑惑をかけられた。今回の件でユーミンは二重の意味でショックを受けていますよ」(音楽関係者)


参加費は4500円

2015年08月22日 | 夏ネタ

タレント、スザンヌ(28)がヨガの講習会を行うことを発表したことで、思わぬ波紋を呼んでいる。いまやアイドルと同じぐらい飽和状態のママタレ枠で生き残るには、これぐらいの才覚は必要だが、どうしても話題作りや小金稼ぎのイメージが拭えないようだ。

 スザンヌはブログで、25日に地元・熊本でグラヴィティヨガの講習会を行うことを発表した。グラヴィティヨガとは、重力の働きを体の矯正などに応用する日本生まれの新しいヨガ。スザンヌはインストラクターの資格を取得するための勉強を今年から始め、約3カ月程度で取ったという。定員45人で参加費は4500円。

 しかし、ネット上では「3カ月で講師の資格を取れるヨガなんて…」などと厳しい声が上がっているのだ。「もともと自己プロデュース力はある人なので、バツイチになり、ママタレとして生きるためにいろいろと考えている。ただ『おバカキャラ』で売っていただけに、資格を短期間で取得した話題には違和感を感じる人が多いようだ。それだけ注目を集めているということ」と民放関係者は話す。

 混戦状態のママタレ枠。他にも資格取得に励むタレントは少なくない。第1子を妊娠している元バドミントン選手の潮田玲子(31)は、「ジュニア野菜ソムリエ」、「ソイフードマイスター」の資格を持つ。

 「いずれもアスリートとして活躍する夫の食生活をサポートするためで、それが今度は生まれてくる子供にも役立つ。自分の立ち位置をよく踏まえて、ママタレに参入してから先のことを見据えている」とベテラン芸能ライター。

 同じく、育児中の親子に役立つ資格チャイルドケアコーディネーターを持つ上戸彩(29)は、保育士になる夢を持っていたことを以前から明かし、出産前から子供好きを公言している。

 いまやママタレ枠も、料理上手、片付け上手ぐらいでは目立たない世界。いかに反感を買わずに立ち回るかというプロデュース力が問われているのだ。


スーパー1年生・清宮幸太郎

2015年08月21日 | 夏ネタ

 「(報道陣に対し)騒ぎすぎないでね。育ててやってほしい」

 今夏の甲子園大会で始球式を務めた、ソフトバンク・王球団会長の心配は杞憂だったようだ。助言を送った早実の後輩でスーパー1年生・清宮幸太郎は「大丈夫です」と宣言した通りの活躍をみせている。

 いくら騒がれても自然体で、力をいかんなく発揮する。対マスコミに関しては世界の王の系譜ではなく、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(79)の後継者といえる。

 長嶋氏は18日の阪神戦(東京ドーム)を観戦。現役時代について「プレッシャーなんて感じたことがないよ。チャンスに打席が回ってくれば“ごっつぁん”だもの。打てばヒーローになれるんだから、こんなおいしい話はない。プレッシャーを感じる方がおかしいよ」と振り返る。

 見事に試合を決める一打を放った際は「守っていても、試合後のヒーローインタビューで何を言おうかなと、いろいろ考えていたもんだよ。ファンが喜んでくれて、スポーツ紙が1面を飾ってくれる名文句をね」。

 ミスタープロ野球は、球界の“元祖プラス思考”と自他共に認めている。大騒ぎされればされるほど、重圧とは無縁に力を発揮する清宮を見ていると、長嶋氏とオーバーラップしてくる。

 若い頃は「努力」、ベテランになってからは「気力」を座右の銘とした世界の王。対して「快打洗心」と色紙に書いたミスタープロ野球。清宮はホームラン打者として「王さんの868本塁打を目標にしたい」と明言するが、マスコミへの対応、プラス思考は長嶋氏の後継者だ。スーパースターだったONの要素を持っているといえる。

 可愛い後輩を見守る王氏。そして「甲子園のスーパースターこそがプロでもスーパースターになれる」という哲学を持ち、巨人&ヤンキースの4番・松井秀喜の育成で実践した長嶋氏も、清宮を注視しているはずだ。 (江尻良文)


歌手・森進一(67才)

2015年08月20日 | 夏ネタ

歌手・森進一(67才)に新たな恋人が発覚した。お相手は、39才のOLで実に28才年下、2年近くの交際だという。


 2005年に森昌子(56才)との19年にわたる結婚生活に終止符を打って以降、森の私生活は寂寥としていた。知人によれば、公演時期を除いた彼の一日のスケジュールは、判で押したように以下の繰り返しだという。

 朝4時起床。仏壇に炊きたての白米を供える。30分のウオーキングののち、シャワーを浴びて朝食。掃除洗濯、花の水やり。10時から読書。12時に昼食を済ませ、外で仕事の打ち合わせなど。17時に帰宅。自炊の夕食。21時就寝──。

 6月末、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した森は、ある日の夕食の献立を紹介した。白米と焼き魚、きんぴらごぼう、肉じゃが、味噌汁。残った分はパックして冷蔵庫に入れ、翌日食べるという。大豪邸で、たったひとりで。

「森さんは人の集まる飲み会などにはまず顔を出しません。外食も基本はひとり。昔から“生と死とは”とか、“人の業とは”といった話が多い。歌手もいいけど坊さんになればよかったねといわれる人です」(音楽関係者)

 前妻の元で暮らした3人の息子たちは、既に独立している。長男でロックバンド『ONE OK ROCK』のボーカル・TAKA(27才)を含め、子供らとの関係は悪くない。森の家に遊びにくることもある。しかし、泊まることはない。

 森の生活は、高齢化の進む日本社会を象徴している。現在この国の65才以上の高齢者は3300万人。過去最高の数字である。その高齢者のうち、独身者は550万人。

 8年前、上野千鶴子著『おひとりさまの老後』(文藝春秋)がベストセラーになり、今年4月の下重暁子著『家族という病』(幻冬舎)は50万部を超えた。

「ひとりで自由きままな老後生活を満喫すべし」
「家族というしがらみから脱せよ」

 両書が説く主張に、家事、料理、人との交際まで、ひとりで生きる術を有する女性たちは喝采を送った。しかし、男はどうか。妻が去ると、料理もできず、主食はコンビニ弁当に。酒量は増え、洗濯やアイロンもままならないまま不摂生が続く。

 熟年離婚した男性は、有配偶者に比べて9年も寿命が縮まるというデータもある。“おひとりさま”を好み、アイロン掛けをする森だが、高齢者の不安から逃れられない。20年以上C型肝炎の闘病を続け、体調は長く安定しなかった。3年前には肺がんの手術をした。いつ再発するか、不安は尽きない。

「数年前、夜中に階段から転げ落ちて、肋骨を折りました。翌日マネジャーが仕事の迎えに来るまで身動きがとれなかった。携帯で連絡もできなかったそうです」(森の知人)

 ひとり暮らしの心掛りを森は知人に漏らしたという。おれは、このままひとりで朽ちていくのか──。

 その森に、一条の光を射しこんだのが、芸能人ではない39才のOLだった。

「彼女と出会って、森さんはずいぶん変わりました。明るくなった。“誰かと一緒にご飯を食べるっていいもんだよね”って、しみじみと。海外へ一緒に行く計画も立てているみたいですよ。“どこがいいかなぁ”と、話してました」(森の知人)


腕時計・Gショックが☆

2015年08月19日 | 夏ネタ

今年誕生から32年を迎えるカシオ計算機株式会社の腕時計・Gショックが順調な売れ行きを維持している。出荷台数は730万個(2014年度)と過去最高を更新中で、2015年度は800万個(目標値)、カシオ全体の連結純利益も330億円が見込まれている。この好調の秘密はどこにあるのか? 作家の山下柚実氏がリポートする。

 * * *
「17歳に火を点けろ」

 ストリート系の若者を中心にアメリカでGショックブームが燃え上がったのは今を遡ること18年前、1997年のこと。その勢いが日本へ逆輸入され国内でも人気が爆発した。3万個売れればヒットという時計業界において、1997年の出荷個数は国内外あわせて600万個に達した。

「たしかにかつてのブームは凄まじいものでした。しかし、その後の沈み方もまた、すごいものがありました」と同社コーポレートコミュニケーション統轄部・宣伝企画担当部長の田中秀和氏(52)は振り返る。お祭り騒ぎは長くは続かなかった、と。

「4年後、一気に出荷個数が三分の一まで落ち込んだのです。ファッション性に依拠しすぎたために、飽きられるのも早かったのでしょう」

 ブームが沈静化した社内には重苦しい空気が漂った。

「営業から研究開発現場までこの先どうしたらいいのか悩みました。もう一度原点に立ち戻り、Gショックのコア・アイデンティティとは何なのか、議論を尽くしました」

 浮かび上がったのは、やはり「タフネス」という一語。Gショックの内部は中空構造をしていて、衝撃に強い。gravity(重力)の「G」とshock(衝撃)からその名は付けられている。

「これまでのように『壊れない』だけでなく、さらに『狂わない』『止まらない』という、いわば時計としての『究極の強さ』を追い求める方向性が固まりました」

 そこで、電波で自動的に時刻を合わせ、太陽光で充電するという「電波ソーラー」機能をGショックに載せた。腕時計としての「アブソリュート(絶対的)・タフネス」を追求し始めた。第一次ブームから5年ほどが過ぎていた。

絶対的なタフネスを目標に定めた新商品を、ではどうやって市場へアピールしていけばいいのか。

「時はちょうど携帯電話ブームの頃で、若者の関心はまったく腕時計にありませんでした。広告を打っても振り向いてもらえない。これまでとは全く違うプロモーション方法を探っていくしか、道はありませんでした」

 2005年頃から同社はユニークな方法に着手し始めた。憧れのキーマンやリーダーにGショックの魅力を語ってもらうという方法だ。音楽ライブ、アートイベント、セレクトショップなどとコラボして、Gショックファンのミュージシャン、スポーツ選手、アーティストといった媒介者を通じて若者と対話を重ねていった。新規取引が飛躍的に増えた。店頭に並んだ商品を、対話の相手である若者が買っていった。新鮮な手応えがあった。

「この手法を2008年頃から欧米、アジア、中東と世界十数都市で展開していきました。『SHOCK THE WORLD TOUR』というプロモーションイベントには基本の型があります。前半は開発ストーリーや機能を伝えるカンファレンス。後半はライブやパーティーを通してエモーショナルにGショックの魅力を表現していくのです」

「タフネス」という機能の上に、各国の土地柄と響きあう若者カルチャーを重ねていく。そんなプロモーションが大成功し、世界各地で出荷数が伸びていった。だが、周到に形作られたこのプロモーションは、いったい誰によって、どのように生まれてきたのだろう?

「イベントの中身は自分たちで企画して練り上げていきました。また、Gショックのファンではない有名人にお金を払って出演していただくことは、決してありません」

 Gショックを本当に愛しているコアなファンが、次のファンを作っていくという「ファン作りマーケティング」が世界を舞台に展開されていたのだ。ヒップホップのエミネム。レディー・ガガ。ネイマール。俳優、アーティストらが語る「間接的話法」が世界の若者たちの心を揺さぶった。


徳島商業の板東英二☆

2015年08月18日 | 夏ネタ

江川卓や松坂大輔、斎藤佑樹など、高校野球史上に輝く名投手たちが挑んで達することができなかったのが、徳島商業の板東英二が持つ大会通算83奪三振の金字塔だ。

1958年の夏の甲子園準々決勝、徳島商(徳島)vs魚津(富山)戦は、板東と村椿輝雄の両エースが一歩も譲らず、延長18回を終えても0-0で大会史上初の引き分けに。翌日の再試合で完投勝利を収め、決勝まで進んだ板東氏が“伝説の夏”を振り返る。

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 魚津との試合は実はそんなにしんどくなかったんです。浜風が吹いて涼しかったし、何より練習では絶対に飲めない水が飲めるから嬉しかった。ただ記者は「疲れた」という言葉が欲しかったんでしょうね。試合後の取材で聞かれたが、僕は正直に「いや」と答え、「記者の皆さんこそお疲れ様でした」と気遣った。そうしたら「板東は生意気だ」と一気にヒール(悪役)にされてしまったんです。

 それから僕が三振を取っても球場は「シーン」ですわ。反対に相手の村椿(輝雄)がゴロでアウトを取ると「ウワァー」と沸く。またこの2人の関係が、対照的でよくできているんです。速球派の僕と、打たせて取る村椿。ムラツバキって名前も綺麗でしょう。こっちはバンドウって盗賊の親分みたいな名前ですからね。

 それに村椿はチェンジになると、ボールをプレートの上にそっと置いて、ダーッとベンチまで走って帰る。爽やか、マナーがいいといわれた。対する僕は三振を取ったら歩いて帰るし、2死で外野フライが上がったらもうベンチに歩き始めていた。これも生意気や、といわれた。

 でもいわせてもらうと、これは僕のせいじゃないんです。監督から「お前しかピッチャーがいないから走って帰ってくるな」といわれていたんですよ。体力温存。だって僕が倒れたらピッチャーがいなくなっちゃうんですから。結局、甲子園で拍手を受けたのは2回だけでした。入場行進の時と、準優勝で表彰される時ですね。

 再試合に勝って進んだ決勝ではクタクタでした。それまで連投に次ぐ連投で全試合完投でしたからね(54回80奪三振)。実は試合前に、監督からいつも「力みを取る」という理由で300球投げてから球場に行き、直前のブルペンでも100球投げるよう命じられていた。あんなことしてなかったらラクに優勝していたと思うんですが(笑い)。

■板東英二(ばんどう・えいじ)/1940年、満州国生まれ。徳島商3年時にエースとして甲子園に出場、決勝に進出するが柳井(山口)に敗れ準優勝。中日に入団、引退後はタレントとして活躍。


フジテレビ系列に二世アナがなぜか多い理由

2015年08月17日 | 夏ネタ

放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、フジテレビ系列に二世アナがなぜか多い理由とその意図を考察。

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 藤井フミヤの息子がフジテレビのアナウンサーに内定したという女性誌の記事を読み、引っくり返りそうになった。

 それでなくてもフジテレビは二世アナが大好き。最近では、元サッカー日本代表でスポーツキャスターの永島昭浩氏を父にもつ入社2年目の永島優美アナが真っ先に浮かぶ。

 入社前から同局の編成マンたちが「すごくいいらしい」と楽しみにしていて、早々に『めざましテレビ』のレギュラー陣に加えたり、先日の『27時間テレビ』ではMCに抜擢されたりと、ポスト・カトパンともいうべき存在。サッカー選手の娘だからか、日本代表の試合をフジテレビが中継するときにも出て来るのだが、これといって、いいところはない。まぁ当たり前か、彼女自身がサッカー選手だったワケではないのである。選手にインタビューをしたような経験もないのだから、当たり障りのないことしか言えなくても仕方があるまい。

 さらには『ユミパン』の視聴率が1%台にまで落ち込み、「お嬢さま育ちのせいで自分を出せていない」とネットニュースで叩かれたのも記憶に新しい。

 また、アスリートの二世ということでは、フジテレビには田淵裕章アナもいる。父は阪神タイガースや西武ライオンズで活躍し、監督やコーチとしても活躍した田淵幸一さん。母は元祖ハーフモデルともいうべきジャネット八田さんだ。

 田淵アナは最近でこそ、バラエティー番組でイイ味を出し、タレントたちにツッコまれているが、安藤優子と『スーパーニュース』に出ていた頃、体調不良で無期限休養を取ったことがある。病名は明かされなかったが、メンタル面ではないかと取りざたされたものである。

 二世ではないが、「こんなイケメンがいるのか」と入社前から有名だった生田竜聖アナはジャニーズの生田斗真くんの弟。イケメン若手アナとして育てようと思った矢先、先輩の肉食系女子アナ・秋元優里アナとデキ婚。周囲を落胆させたものである。

 さらには高橋真麻の失敗もあったではないか(苦笑)。なのにフジテレビがなぜ二世アナにこだわるのかといったら、それは高島彩アナの大成功があったからに他ならない。彼女は『食いしん坊バンザイ』の2代目・食いしん坊で、俳優の竜崎勝さん(故人)の長女。

 ルックス、仕切りのうまさ、アナウンス技術の高さなど、フジテレビの歴代アナウンサーの中でもトップクラスだったのは認めるが、だからといって、このジャンルにおいて、二匹目のドジョウは居ないはず。

バラエティー番組と異なり、情報番組やニュースショーで、アナウンサーが父娘共演とか、兄弟共演をしたところで、そこに数字があるとも思えない。

 唯一、生田斗真くんと竜聖アナにはちょっと数字があったようにも思うが、斗真くんのキャラクターや仕事を考えると、そう頻繁に共演の機会はなさそうだ。

 系列局でも、東海テレビには女優の本仮屋ユイカの妹、本仮屋リイナがアナウンサーとして採用されている。以前、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に揃って出てくれたときには、「お姉さんよりカワイイ」との声が視聴者からあがったものだが、先日、『志村魂』の囲み取材が名古屋で行われた際の彼女のインタビューの面白くなさは、他局のスタッフの間でも評判となっていた。「本仮屋ユイカの妹」と言われても、タレントたちも困るしかない…。

 そうそう、静岡第一テレビには大木こだまの娘・西山加朱紗アナがいた。日本テレビ系列なので、『情報ライブ ミヤネ屋』を川田裕美アナ(当時)が休んだときにピンチヒッターで一日だけ登場したのが全国ネットデビュー。父は芸人なので、こだま師匠のほうはネタにできるだろうが、娘の西山アナがそれをネタに出世できるとは、やはり考えにくい。

 実は件の『踊る!さんま御殿!!』では、「二世大会」がキラーコンテンツで、親子出演しなくても、「〇〇の娘」「〇〇の息子」というだけで、それが無名の俳優であってもミュージシャンであっても数字があるのだ。

 それは彼らの幼少期のとんでもなく派手なライフスタイルだったり、大物である親の素顔が垣間見えるから面白いのであって、やはり、局アナの娘や息子がそのようなエピソードを語るワケにもいかないだろうし、たとえ語ったとしても、視聴者からやっかみを言われるのがオチだろう。

 まさかフジテレビは藤井フミヤとアナウンサーの息子を『水曜歌謡祭』や『ミュージックフェア』で共演させて…なんてことを考えているのではあるまいな。

 そういえば、フジテレビの黄金期をドラマヒロインとして支えた浅野温子の息子、魚住優アナは、フジテレビではなくNHKのアナウンサーになり、各地の放送局で活躍しているが、もちろん、「浅野温子の息子」で売ったりなどはしていない。

 もう一度、言う。タレントやアスリート、歌舞伎役者などの親子共演や二世の出演に数字はあるが、アナウンサーに、それはない。

 もしも話題性だけで「〇〇の息子」「〇〇の娘」を採用しているというのなら、必死にアナウンス技術を磨いている他の学生たちが気の毒すぎる。