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サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎四部〜(26)

2022-02-04 00:26:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃二
兎神伝

紅兎〜革命編其乃二〜

(26)軍団

渡瀬人(とせにん)の船は大きく分けて二つある。
一つは、仔兎神(ことみ)を産み、青兎となった赤兎を乗せ、聖領(ひじりのかなめ)へと送る大門船。
一つは、仔兎神(ことみ)を産めず、穢兎(けがれうさぎ)とされた赤兎を乗せる小門船である。
それぞれの船の名の由来は、港の呼称にある。
神領(かむのかなめ)では、海港(わたつみなと)を門、川港(かわつみなと)を津と呼ぶ。
津の中で、青兎や穢兎(けがれうさぎ)を出航させる津を兎津(とつ)と呼ぶのは、先に話した通りだが…
門の中で、青兎と穢兎(けがれうさぎ)を出航させる門を、兎門(ともん)と言う。
青兎と穢兎(けがれうさぎ)を出航させる門は、二つに分かれている。
理由は、行き先の違いである。青兎は聖領(ひじりのかなめ)に送られるのに対し、穢兎(けがれうさぎ)は異国船(ことつくにのふね)に売られて行く。その異国船(ことつくにのふね)とは、海賊船であったり、密貿易船であったり、闇の品を扱う船である。故に、本家領(もとついえのかなめ)である聖領(ひじりのかなめ)からの船を迎える門は分ける必要があった。
この青兎を出航させる門を大兎門(だいともん)、穢兎(けがれうさぎ)を出航させる門を小兎門と言う。長じて大兎門(だいともん)は大門、小兎門(しょうともん)は小門(しょうもん)と呼ばれるようになった。
ここから、大門へ向かう船を大門船、小門へ向かう船を小門船と言う。
ただ、当初は船も船を操る渡瀬人(とせにん)も、はっきり分かれており、船の幟も形も違っていた。
しかし、ここ二百年の間、大門船と小門船に余り違いが見られなくなった。
それと言うのも…
格式は、聖領(ひじりのかなめ)と直接折衝し、それ如何で今後の神領(かむのかなめ)における社領(やしろのかなめ)の立ち位置も変わる事から、大門船の方が格式は高く特権も多い。
対し、小門船は、穢兎(けがれうさぎ)を隠れ蓑に、数多の密輸品を搭載する事ができる。
実際のところ、赤兎が本当に仔兎神(ことみ)を産む事は殆どない。七つの時から、連日数多の男達の穂供(そなえ)を受け、御祭神はぼろぼろになり、子供を産めなくなる事の方が多いからである。それを、別の白兎が産んだ仔兎神(ことみ)、もしくは兎神家(とがみのいえ)で生まれた赤子を、赤兎が産んだと称して、青兎にして、聖領(ひじりのかなめ)に送る事が多いからである。
聖領(ひじりのかなめ)もまた、そこのところは百も承知しており、要するに、殆ど廃れてしまった君臣関係を、青兎を送らせる事で、体裁を保てれば良いと言うのが、本当のところであった。
そうした中、穢兎(けがれうさぎ)として売り捌かれるのは、仔兎神(ことみ)を産めない、産まなかったと言うより、余りにもぼろぼろになり過ぎて、使い者にならなくなった赤兎である。正直なところ、そんなモノは殆ど売物にはならない。処分する手間を省く為に小門船に乗せると言うのが本当のところである。乗せる渡瀬人(とせにん)達も、まともに売り飛ばそうとは考えず、小門に着くまでの間、徹底的に弄びつくし、死んだら川や海に投げ込んで済ます事が多い。
むしろ、穢兎(けがれうさぎ)の始末料代わりに与えられる積荷改免除の特権を行使しての密輸が本命とも言えた。
大門にも積荷改免除の特権はあり、青兎を隠れ蓑に密輸は行っていなくもなかったが、接舷許可が降りている海港(わたつみなと)は、大門のみ。そして、神領(かむのかなめ)に大門は一つである。
対し、小門は全社領(すべてのやしろのかなめ)に一港あり、小門船は、どの小門に接舷する事も許されていた。
自然、小門船が密貿易で得られる利益は、大門船の比ではない。
そこで、まず幾艘かの大門船が穢兎(けがれうさぎ)を積む鑑札を求めた。元々は、密貿易の利潤を求めると言うより、渡瀬人(とせにん)達の慰みとするのが目的であった。青兎も、聖領(ひじりのかなめ)に着くまでの合間、田打の名目で弄ぶ事を許されていたが、それでも期日までに聖領(ひじりのかなめ)に引き渡さねばならず、もし、万一の事があれば処罰の対象となる。そこで、何をしても良い穢兎(けがれうさぎ)の搭載と鑑札を求めた。しかし、いざ穢兎(けがれうさぎ)を搭載させれば、諸小門(もろつしょうもん)で得られる利益が計り知れぬところから、自然、どの大門船も穢兎(けがれうさぎ)の鑑札を求めた。
一方…
小門船は、大門船の渡瀬人(とせにん)達がもつ特権を求めた。
大門船も小門船も、諸社領(もろつやしろのかなめ)通行勝手と積荷改免除の特権を持つ。
ただ、聖領(ひじりのかなめ)との交渉権を持つ大門船の渡瀬人達は、権神職家(かりつみしきのいえ)と見做されると同時に役者…と、呼ばれる官職に就く道が開かれていた。
就ける官職は三つ…
一つは、兎津川近宿(とつかわのちかきやど)の統括と兎津川(とつかわ)の治安を預かる刑部職(ぎょうぶしき)…
一つは、兎門町(ともんのまち)の行政と兎門近海(ともんのちかきうみ)の治安を預かる弾正職(だんじょうしき)…
一つは、兎門町(ともんのまち)の防衛を担う軍部職(いくさべしき)…
大門船が、穢兎(けがれうさぎ)を隠れ蓑に密貿易を活発化させるにつれ、小門船との間に利権争いが起こるようになった。
すると、大門船は役者に就ける特権を濫用し始めた。小門船の不正を一方的に取締り、あるいは捏造して、潰しにかかったのである。
対し、今度は小門船が、青兎の搭載と鑑札を求めるようになった。
当初、神職家(みしきのいえ)は、これを渋った。大門船との繋がりの強さもあるが、これ以上、神職家(みしきのいえ)に次ぐ力を持つ者を増やしたくなかったのである。
しかし、小門船は、穢兎(けがれうさぎ)の始末に託けて、神職家(みしきのいえ)の裏の仕事を引き受けていた。忌子(いむこ)を初めとする、世に出てはまずい、彼らの子達の始末である。
その弱みを握られていたのに合わせ、大門船の膨張を苦々しく思っていた神職家(みしきのいえ)の思惑も絡み、遂に小門船にも青兎の鑑札が与えられた。
結果として、これがまた、利権争いに重ねて、権力抗争を生み出し、深刻な問題となった。
そこで、大門の軍部職(いくさべしき)と弾正職(だんじょうしき)を統括する新たな官職…軍弾職(ぐんだんしき)が設けられ、これに抗争の取り締まりを一任した。
軍弾職の長として、神職家(みしきのいえ)から大丞(だいじょう)が一人、大門船の渡瀬人から小丞(しょうじょう)が一人選ばれた。
この大丞と小丞は、どちらも通常、軍弾丞(ぐんだんじょう)と呼ばれている。
また、大丞は、慣例的に鱶腹和邇雨家(ふかはらわにさめいえ)から輩出される事から、鱶腹軍弾殿とも呼ばれ、強大な勢力を誇っていた。
一方、小丞は、鱶腹軍弾丞と分けて、大門軍弾殿と呼ばれ、この勢力もまた、鱶腹軍弾に匹敵する勢力を誇っていた。
この鱶腹軍弾(ふかはらぐんだん)と大門軍弾(だいもんぐんだん)も長らく反目しあっていたのだが…
十年程前より、一人の男が大門軍弾(だいもんぐんだん)に就く事により、両者は手を結ぶ事になった。
その男とは…
日活衆渡一家(にっかつしゅうわたりいっか)の渡瀬人(とせにん)
渡の哲也と言う。
彼は、刑部職(ぎょうぶしき)に就いていた頃、大小門船どちらの不正にも目を瞑り、手を出さなかった事から、案山子の半兵衛とも呼ばれていたが…
何故か、新たに鱶腹軍弾職(ふかはらぐんだんしき)に就いた裕次郎の強い推挙で大門弾正職(だいもんだんじょうしき)に就くと実力を発揮。
見る間に昇進して、大門軍弾職に就いた。
哲也は、大門軍弾職(だいもんぐんだんしき)に就くや、何故か大門船ではなく、小門船出自の渡瀬人(とせにん)達を多く配下に抜擢する一方…
自ら鱶腹軍弾の傘下に加わる事を申し出た。
ここに、大門軍弾(だいもんぐんだん)を吸収した鱶腹軍弾(ふかはらぐんだん)は、鱶腹総宮社(ふかはらふさつやしろ)に次ぐ大勢力を誇る事になり、この勢力は、いつしか鱶腹軍団と呼ばれるようになった。


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