サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

サテュロスの祭典(6)

2022-01-01 00:06:00 | サテュロスの祭典
サテュロスの祭典

ヌードは表現、モデルはプロ

率直に言います。
僕が今、最も望む事…
いや、必ず実現させる事を目指しているのは、児童買春と児童ポルノの規制緩和され、かつて発売された少女ヌード写真集が再び店頭に並ぶ事、新作の発表です。
特に、力武靖さんの撮影による、十二歳以下の少女の完全ノーカット無修正ヌード写真の新作発表を望んでいます。
そして、少女ヌード写真家として復活を果たした力武靖さんと共に、僕自身も十二歳以下の少女ヌード写真の撮影する日を夢見ています。
理由は、率直に言って、僕が見たいの一言につきますが…
それは、料理人が料理をつくる究極の理由は、うまいものを食いたいのと同じかと思います。
僕もまた、この世で最も美しい、十二歳以下の少女ヌードを見たいから、新たな写真集を発表して欲しい。単に写真だけでなく、実物をこの目で見て、触れて、間近にした感動を残したいから、自分でも写真撮影と作成に携わりたい。それも、少女ヌード写真家として、最も憧れ、尊敬している力武靖さんと共に、そうしたいと切望しています。
その上で、僕は一つはっきりさせておきたいのは、ヌードは強制でない限り、虐待ではなく、表現だと言う点です。
この表現を、猥褻と見るか、芸術と見るかは人それぞれであると思います。
僕は、真に表現の自由を愛する者であります。
ヌードは虐待、AVは女性の権利侵害、断固、撲滅を叫ばれてる方々のように、自論を世論としてゴリ押しする気は毛頭ありません。
まして、AV女優に誇りを持ってると言う女性に、社会正義と女性権利を振りかざして、よってたかってそんな筈はない、こんな事して嬉しい筈はない、正直に言って良い、本当は嫌なのだろうと、よってたかって責め立てるような高慢な物言いをする気もさらさらありません。
少女ヌードモデル、本当は嫌だった、親に半ば強制されて仕方なくやった、恥ずかしくて辛かった…そう、おっしゃられる方がおられたら、普通に同情し、胸を痛めます。
黒柳さんの小説の影響で、彼女の通われた学校が素晴らしい教育だったと言われても、彼女の学校で、いきなり素っ裸で泳がされ、嫌だったと言う方がいらっしゃれば、その方に同情するのと同じに…です。
その上で…
しかし、黒柳さんのように、あの学校で素っ裸で泳いで楽しかったと言われる限りに置いて、あれは立派な教育であったように、自分は仕事としてヌードモデルを務めたのだと言えば、これは立派な表現だと、僕は思います。
ここで…
窓際のトットちゃんの小説を読み、いきなり子供を裸で泳がせると言う箇所に、なんら疑問を感じない方々が、ヌードモデルと言った途端に、速攻、大人の強制、虐待になってしまうのかが、僕には理解に苦しみます。
失礼…
ここで、黒柳さんの学校は素晴らしい教育だが、少女ヌード写真は虐待・犯罪だと思われる皆さんには、その理由について、くどくど、コメントに寄せて頂かなくても結構です。
別に、僕は説明も求めてなければ理解する気もなく、まして、反対意見の方々とネットで議論を費やす労力は極力惜しみたい。なので、僕と真っ向から相反するご意見の方は、どうぞ、僕のブログをいくらでも引用され、ご自身のブログなり、SNSで盛大にお書き頂きたい。出来れば、その際には、僕の記事のURLを提示される事もお願いします。
どのような形であれ、僕の記事の宣伝につながるなら、ありがたい話でもあるからです。
前置きが長くなってしまいましたが…
僕は、少女ヌードモデルは、全て強制、虐待とみなすのは乱暴だと考える根拠。更に言えば、望んでヌードモデルをやりたがる少女がいるわけがないと考えるのは違うだろうと考える根拠。
それは、SNSで、規約を破ってまで、自画撮りのヌード写真を掲載する中学生少女が相次ぎ、問題になった事を挙げられるかと思います。
かく言う僕も、中学生には遭遇した事ありませんが、女子高生で、自分のヌード写真を美術写真として掲載された方と交流を持った時期があります。
これ、児童ポルノ被害の多発化を問題視された方々が、被害者と加害者が同一人物である事に苦しまれてるのを見て、僕は爆笑してしまったと言う話でも書いたかと思いますが…
被害者と加害者が同一人物で苦しむなんて、馬鹿でないだろうかの一言に尽きます。
児童ポルノを虐待などと言う思考停止な見方で捉えるから苦しむのであって、猥褻な有害写真とみなすなら、猥褻な有害写真を、公共の場で公表したと言う理由で、自画撮りだろうと他者撮りだろうと、取り締まれば良いだけの話だからです。
ヌードを虐待と見るか見ないか…
これは、あくまでも強制されたかされなかったかの一言につきると僕は思います。
強制されて辛かった、嫌だったと言って仕舞えば、ヌード撮影も、黒柳さんの学校で素っ裸で泳がせる事も、立派な虐待だと思います。
対して、自分も納得をしてモデルを務めたと言うなら、ヌードモデルは被害者でも何でもなく、立派な表現であり、楽しかったと言うなら、黒柳さんの学校で素っ裸で泳がせるのは教育です。
この点だけは、はっきり抑えておきたいと、僕は思うのです。
その上で、SNSで自画撮りのヌード写真をアップし、事件に巻き込まれる中学生少女達に対して、
それこそ僕は率直に思います。
そんなに脱ぎたいなら、もっと言えば、自分の裸に自信があるのなら、少女ヌード写真のモデルになれば良いと…
僕は、ヌードは表現と言いましたが、一度その表現を公に発表するからには、遊びではない事を、少女達には是非、学んで頂きたい。
ヌードに限らず、僕の記事からして、一度世に公表してしまえば、本人の意図とは関係なしに、様々な受け取られ方をします。
僕の記事について言えば、僕の想像を遥かに超えて、多くの読者に強い影響を与え、うまくゆけば社会変革を促し、悪くすれば社会問題となる可能性もあります。
どちらの結果を招いたにせよ、そのような影響を与えてしまった以上、僕の責任は決して小さなものではないでしょう。
ヌード表現もまた、然りです。しかも、美術として表現してすら、よくも悪くも猥褻に受け止める方々がおられるのが、ヌード表現です。
SNSで遊び半分に発表すれば、事件に巻き込まれるのは、当然覚悟しなければならない事でしょう。
極端に言えば、実は、中学生であろうと、小学生であろうと、したいなら、男女の行為オッケーだと言う考えでもあります。
相手が親子程離れた大人でも、同じ年頃の子供でも、やりたいならやれば良い。動機も、恋愛感情からであろうと、遊びからであろうと、金欲しさからであろうと、僕は別に構わない。むしろ、フリーダムにしてやった方が、そのフリーダムの仕方にもよるが、かえって、犯罪事件を自然体で少なくできると、僕は思っています。
この話をしてしまうと、長くなるので別の機会にしますが…
ここでは、中学生であろうと、小学生であろうと、裸を公表するのも、男女の行為をするのも、基本、自由だと僕は考えていると言う点だけ、押さえておきたい。
ただ、それが良いことか悪いことか…
ではなく、良くも悪くも、した結果に対しては、大人であろうと子供であろうと、必ず責任が伴うのだと言う事は、しっかり理解してやって欲しい。
また、大人達も、自分達の価値観ゴリ押しで、あれをするのは良い事で、これをするのは悪い事と言う決めつけを教えるのではなく、やった事には必ず責任が伴い、その責任から免れる事は誰もできないのだと言う事をこそ教えるべきであろうと思います。
今の社会、やたらと子供と老人を真綿で包むように過保護な扱いをして、した事の責任と言うものを教え認識させる事をかなり怠ってる気がします。
そもそも、僕は、した事の結果に責任を負えるのなら、この世にやってはいけない事など何もない。殺せば、殺した相手の近しい者から、盗めば盗んだ者から、遺恨を抱かれて、必ずその報いを受けさせられる。その報いを逃れる事なく甘んじて受ける覚悟があってするなら、極端に言えば、殺しても盗んでも、その行為に嫌悪感を感じるが、善悪の評価を下せるものではないと思っています。
話は飛んでしまいましたが…
芸術か猥褻の評価は永遠の議論、テーマとなりますが、どちらにしても、ヌードは立派な表現…
まして、僕は十二歳以下の少女のヌードを愛好する者であります。
SNSで裸を公表したいならすれば良いし、ただで見せてくれると言う奇特な方な少女がおられるなら、是非、僕に見せて頂きたい。更に言えば、僕に言って頂ければ、カメラだけはそれなりに良いカメラを持ってるので、もう少し綺麗に撮れるかと思うので撮らせて欲しいし、男の生理現象を満足させてくれるなら、更にありがたい話であります。
ただ…
少女のヌードを愛好する者であるからこそ、ヌードと言う表現を、いい加減な気持ちでやって欲しくはなく、その表現を大切に扱ってほしい。また、その表現を公表した結果に対する責任の重さを自覚して欲しい。
そこでまた、僕は思います。
やはり、少女ヌード写真と言う表現は、解禁するべきではないか。
勿論、僕は愛好者だからこそ、規制は必要だと思います。
ただし、僕の言う規制とは、表現そのものに対する規制ではなく、モデルとなる少女の権利を守る為の規制です。
絶対強制はしない事、親をはじめ、周囲の者にも強制させない事。必ず撮影内容を事細かく説明し、親ではなく、本人の同意を必ず得る事。途中、本人が嫌がる事はさせない事。報酬は、親や保護者にではなく、必ず本人に支払う事。こうした、モデルとなる少女の権利を徹底して守る為の規制が、僕の考える規制です。
そうした規制を守らせた上で、僕は少女ヌード写真を解禁し、SNSで裸を公表したがる少女達に、金にも何もならず、悪質事件に巻き込まれるリスクだけのSNSではなく、堂々と少女ヌード写真モデルを務め、きちんとした契約の元に報酬を手にして欲しいと思います。
僕がそうして欲しい理由は、何度も言うように、僕が見たい…その一言につきます。
しかし、同時に、少女ヌードを愛好する者だからこそ、まず、美しく少女ヌードを表現して欲しい。そして、少女ヌード表現を通して、多くのものを手にして欲しい。
正当な報酬を受け取って欲しい。正当な評価を受け、望むならモデルの道、芸能の道へ進む為のステータスにして欲しい。モデルや芸能でなくても、モデルと言う一つの仕事を達成して、報酬を得る事で、将来、どんな道を歩むにしても、この経験を大いに活かして欲しい。
しかし、何より、ヌードは遊びでも悪戯でもない事をきっちり学んで欲しい。
僕は、猥褻と評価するも、芸術と評価するも自由ですが、ヌードは表現であって、それ自体は虐待ではない事を口説いほど言い、これからも言い続けるつもりです。
同時に、SNSで自分のヌードを公表される少女達には、ヌードは決して遊びや悪戯ではなく、表現である事を学んで欲しい。公表したからには、猥褻・芸術の評価を含め、その結果に大きな責任が伴う表現である事を理解して欲しい。
そして、金を貰うからには、プロなのだと言う事も忘れないで欲しい。
SNSでヌードを公表される少女達の動機は、とどのつまりは、猥褻な下心を抱く大人を釣って金にする事。僕は、良いと思います。身体を売って金をせしめるもよし。鼻の下長くした大人に写真を売りつけて金にするも良し。結果に責任負う覚悟があるなら、何でもすれば良いでしょう。しかし、裸であれ、身体であれ、売って金をせしめたからには、プロである事だけは忘れないで欲しい。
プロとしてそうするなら、半端な気持ちでやって欲しくない。
もし、少女ヌード写真のモデルとして表現したいなら、報酬を得たいなら、自分ではイケてると思ってるヌード姿も、まず書類選考で、オーディションで、更にモデルとして突き付けられる様々なポーズで、厳しい評価が下されるでしょう。
ヌードモデル世界の道も、決して半端な厳しさでない事を、身をもって学んで欲しい。
その為にも、僕が見たいから…と、言う理由だけでなく、どんな意図であれ、裸の表現をしたがる少女達に、堂々と表現して良い場を与えて欲しいと切に望みます。
そうする事で、SNSと言う一つ間違えれば、犯罪の温床となる危険な世界で、規約を破ってまで自分のヌードを公表し、厄介な事件に巻き込まれる少女を減らす結果になる…
僕は、そう考えています。
最後に、安易にSNSで自画撮りヌードを公表される少女達に言いたいと思います。
もっと、自分に誇りを持ち、自分を大切にした上で、公表して欲しい。
決して、そう言う真似をするな…などと言う気はありませんが、公表するからには、公表する自分と自分の作品に誇りを持ち、大切に扱って公表して欲しいと願います。
公表したからには、必ず責任が伴うと共に、それは立派な作品だと言う事を忘れないで欲しい。
安易な気持ちでやって欲しくはない。
いい加減な気持ちで、小遣い稼ぎや検索数稼ぎ、炎上目的にやれば、必ず手痛いしっぺ返しをくらう。
それは、YouTubeの動画やSNSの発言記事と全く同じだと言う事を忘れないで欲しいと思います。


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