サテュロスの祭典
力武靖(1)
力武靖
今の世上…
失われつつある少女ヌード写真作品の中で、たった一つ、これだけは何がなんでも全て入手し、後世に残さねばならない写真家を一人あげろと言われるなら…
力武靖さんの少女ヌード写真と動画作品をあげたいと思います。
いや、叶うものなら、力武さんとお会いして、共に、あの時の作品を、全てカットも修正も施す事なく、全て再発表できるよう、共に活動したいと思っています。
撮影技術で言えば、清岡純子さんや石川洋司さんと言った、昭和を代表する写真家達に比べ、イマイチ及ばないものがあるかも知れせん。
辛口の清岡純子さんにお会いしたら、相当なダメ出しを食らったのではないかとも思われます。
しかし、作品の質以上に、彼のモデルとなった少女達へ深い愛情を僕は高く評価したいと思います。
彼は、モデルとなった少女達一人一人を、まるで本当の娘ででもあるかのように愛し、宝物のように思っているところに、内心、モデルとなった少女達を嫌っている節のあった清岡純子さんより、強い共感を感じてやみません。
彼が、アジア貧困家庭の少女達に、日本名を名乗らせて撮影していた事に、強い批判が集まった事がありました。
しかし、一方で、当時、一歩間違えれば、売春宿に売られるところであった少女が、彼のモデルになる事で救われたケースもあります。
また、彼の作品を全て見ると、本当の美少女はあまりなく、凡そ美人とは言い難い子も多数いた事に気づかされます。
その背景として、貧困家庭にある子を、彼のモデルにすると言う形で、支援していた一面もあると聞いています。
正直、その子をモデルにした作品は殆ど売れず、赤字であったとも聞いています。
それでも、彼なりに、その子の家庭を救いたい思いもあって、モデル起用し、作品も発表したと言います。
それが、良いかどうかの評価は分かれるでしょう。
それでも、貧しい少女の家族に金を渡してヌードモデルにするのは、間違っている。一種の買春だと批判される方もおられるでしょう。
僕は、その批判は正しいと思います。
しかし…
ならば、そう言う批判をされる方々の中のどれだけの方が、彼とは別の方法で、その時その瞬間、目の前の貧困家庭にある少女の苦境を救えたのでしょうか?
一日、彼のモデルになるのが遅れたなら、売春宿に売られてしまったであろう、十一歳の少女を救えたのでしょうか?
そう考える時、少なくとも、僕は力武靖さんを尊敬しないではいられません。
何処か、少年のように無邪気に寄せる少女達への思いから、ヌード写真と言う形でそれを成し遂げた彼を、僕は、敬愛せずにはいられないのです。
いつか、世に出た全ての少女ヌード写真集を収集し、再び世に出すのが、僕の最初の目標ですが…
中でも、力武靖さんの作品だけは、一つ残らず収集し、あの時と寸分違わぬ形に復元して世に出したい…
全ての望みが叶わなかったとしても、これだけは、何が何で実現させようと思わずにはいられないのです。
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