風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

770) 私的岩手通史の旅 第42回

2010年08月15日 | 私的岩手通史の旅
 本日は8月15日、日本が敗戦を迎えた事とお盆のUターンラッシュがニュースを占める日ですが、私にとっては当店の暖簾を上げた日でもあります。偶然に8月15日となったのですが、おかげさまで4年目を迎えることができました。年ごとに内容が薄くなっている気もしますが、引き続きのご来店をお待ちしています。


第42回 東北38年戦争 29(京都府京都市 清水寺)

 「伝阿弖流為・母禮の首塚」を訪れ今回の遠征の主目的は果たしましたが、畿内にはもう1ヶ所阿弖流為・母禮にまつわる地があります。それはみなさまご存知の清水寺です。


(清水寺のお約束のアングル この足元に阿弖流為・母禮碑が -京都府京都市-)

 清水寺は老若男女、日本人だけではなく多くの外国人が訪れるお寺であることは言うまでもありませんが、今回の私の目的地はほとんどの参拝客の主目的である本堂ではなく、そのの真下に建つ「阿弖流為・母禮碑」です。

 清水寺と阿弖流為・母禮、南部藩士になるまで両者に関係があるとは全然知りませんでした(そもそも阿弖流為・母禮を知らなかったのですが)が、清水寺は坂上田村麻呂にゆかりのある寺であることから、この碑が建ちました。碑文から一部抜粋します。

 「(前略)蝦夷の首領阿弖流為は、中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に下り、同胞の母禮と共に京都に連行された。田村麻呂は敵将ながら阿弖流為・母禮の武勇、人物を惜しみ助命嘆願したが容れられず、阿弖流為・母禮両雄は802年河内国で処刑された。この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内に阿弖流為・モレ顕彰碑を建立す」


(北天の雄と刻まれた阿弖流為・母禮碑 -京都府京都市-)

 碑の前は参拝のメインストリートとなっていますが、この碑の前に足を止める人は皆無でした。しみじみ眺めている私を見てひとりのオッサンが碑に近づき、「へぇ、北天の雄だって」と顕彰碑の右上に書かれた冠言葉を読んで去っていきました。



 2009年8月15日の一品・・・547)栃木散歩 日光市(小学校前バス停)
 2008年8月15日の一品・・・334)盛岡散歩 雫石川8橋(盛南大橋)
 2007年8月15日の一品・・・001)開店しました


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