君が袖振る

はじめまして、紗佑里です。
日常の出来事や感動したことを共有出来たらと思います。

正倉院展に行ってまいりました。

2009-11-06 13:36:16 | Weblog
本日2度目の更新です(笑)。
昨日は学校の授業で正倉院展見学がありました。

午前中、奈良国立博物館学芸部長の西山厚先生の講義を受けました。
私は正倉院展は初めてで宝物庫の中が3分割されていて
それゆえに扉が3つあり南倉、中倉、北倉と名前が付いてることや
それぞれに入っている宝物の性質が違うということを知りました。


とりわけ北倉に入っている聖武天皇の生前の所持品に関して

『通常、遺品は遺族が手元に残すもの。ところが光明皇后は49日が過ぎた時
 それらを手放した。この二人は仲が悪かったのか?
 光明皇后は遺品のリストと共に
 《目にふれると、くずれ、くだけてしまう。》と宝物があると
 聖武天皇のことを思い出し悲しくなる自分の気持ちを綴っている。
 これらを聖武天皇が渾身こめて造った大仏に奉納することを決めた。
 奈良時代のものはほとんど残っていないが光明皇后の聖武天皇への
 深い愛と悲しみがあったからこそ宝物が残った。』

との注解を聞いたときにウルウルとしてきました。


南倉にはもともと東大寺の持ち物だったものが入っているとのこと。

『東大寺には倉庫があったが壊れたときに南倉が空いていたので入れた。
 《東大寺》の名が入っているが明治8年皇室に献上。後正倉院の持ち物に。』


中倉には東大寺運営の為の役所の書類、備品、制服が入っているそうです。

『仏教の力で国を守ろうとした時代で東大寺のお坊さんは国家公務員だった。
 都が京都に移った時に後で整理しようと、とりあえず保管されたものが
 今まで残っていた。南倉から回されたものもある。
 宝物は残りやすいがこれらのものはどうでもよいものだし、 残りにくいし、
 残らない。たまたま残ったといってよい。
 でも今となっては資料としてとても貴重なもの。』

宝物の台帳には9,000項目あって毎年70点くらいづつ展示するそうですが
全部出すには130年掛かり、一度出たものは10年は出ない(=宝物だから)
そうです。

それから、西山先生は今年の出陳宝物についてNHK教育の『日曜美術館』に
出演されその再放送が11月8日(日)午後8:00~があるそうです。
ひぇ~っ『天地人』とかぶるやないか~!

『安達祐美ちゃんの短いコメントがとても素直で
 感じが良かった。特に最後の感想に私も感動した。』
と言っておられました。

仕方ない。清史郎くんはBSで午後10:00から見よう!


※写真は新館の入り口
 『《奈良国立博物館》の文字は聖武天皇に書いてもらいました。』
 との西山先生の言葉に???
 聖武天皇が書いた『雑集』から一文字ずつ探し、抜き出して造られたそうです。
 これにもまた感動!! 







晋山式(しんざんしき)2

2009-11-06 12:36:37 | Weblog
久しぶりの更新です(笑)。

10月5日付け投稿にもありますように
11月1日(日)に晋山式があり
5時起き身支度出発、6時には到着し着付けを始めさせて頂きました。

親家さん宅7人。仲間2人助っ人に来てもらい3人同時スタート。
後の4人は仲間に任せ7時30分には完了。
(最後の二人の到着が10分遅れるというハプニングがあったそうですが
8時には住職さんが来られお部屋を使われるということで打ち合わせ通り完了。
さすがっ!お疲れさまでした!!)

私はお一人終わってからお稚児さんの宿に当たっておられるお宅に移動し
お二人の着付けをさせて頂きました。
ご主人様は紋付袴の着付けの間、優しく話しかけて下さり

『あんたもな、着付けという形で30年に1回のこの大きな行事に
 関われたことを誇りに思うてや。わしらも誇りに思てるね。』

との言葉に胸がキューンとして涙がじわーっと出てきました。

奥様は紐や帯を結ぶ時に振りを手に持って下さるので
普段着物を着られる機会があることがわかりました。
宿を引き受けられるにあたり前日までの準備も大変だったと思います。
この小柄な身体でよく頑張られたと思いました。
着付けの最中に娘さんが次々と小物を渡してくださったので8時前に
充分余裕をもって完了しました。

お二人のお孫さんもお稚児さんで参加されるのでこのお家は今日は大忙しです!
お稚児さん達が集まって来られる前に一緒に写真を取らせて頂きました。

お客様のアルバムに残るお仕事をさせて頂き本当に光栄でした。


※写真はご主人様、奥様、お孫さん、娘さん。
 お孫さんは冠は重いので後で着けるそうです。
 私が写っている写真はお化粧をしていないのでパスッ(笑)!