あいうえおの詩

空が好き 写真と音楽とつぶやきと

あ からはじまる語り唄

遠い人からの 誘いはあでやかで だけど訪ねさまよう 風にも乗り遅れ~流星・いつも見ていたヒロシマ‐吉田拓郎

2024-03-11 | 吉田拓郎 

流れる雲を追いかけながら

日差しが出た日は散歩を

道路の脇に咲いた野の花を眺めたり

 

畑まで歩いて行ってみたり

日陰にはまだ雪がこんなに残ってます。

 

 

 

蔵王山も今日は新雪をかぶり厳かな姿を

この山々に囲まれた私が住むところ

13年前にこの山並みの向こうでは大惨事が・・・

今日も、この山脈の向こうに想いを馳せながら手を合わせました。

スマホを見たらちょうど2時50分頃・・・

あの日のことは鮮明に憶えています。

 

 

 

 

拓郎さんのそれぞれの時代での歌声~🎶

 

【吉田拓郎】貴重な古いライブ「流星」(歌詞)

作詞・作曲 吉田拓郎

たとえば僕が まちがっていても

正直だった 悲しさがあるから……流れて行く

静けさにまさる 強さは無くて

言葉の中では何を 待てば いい

 

この曲は拓郎さんが33歳の時の作品

 

【MV】吉田拓郎 / 流星2003

 

 

 

 

流星 吉田拓郎

 

流れる星は 今がきれいで

ただそれだけに 悲しくて

流れる星は かすかに消える

思い出なんか  残さないで

君の欲しいものは何ですか

僕の欲しかったものは何ですか

 

 

あの日の夜空は星が眩いほど輝いていた

そんな言葉を何人もの方からニュースなどで聞きました。

 

広島へ行った家族のお土産

生もみじ饅頭

私は早速こし餡生もみじを

美味しかった~(^^♪

 

広島と言ったらこの曲が思い出されます

 

吉田 拓郎 いつも見ていたヒロシマ

1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎

 

八月の光が オレを照らし

コンクリート・ジャングル 焼けつく暑さが

オレの心を いらつかせる いやせない みたせない 

 

 

決して「がんばれ~」とかいうのとは違う想い

心の底からの優しさ・・・そんな曲

 

 

いつも心のどこかに、苦境にあえぐ人、悲しみの中にいる人、悲しんでいる人

そういう想いを少しでも感じれる心を持っていたい

 

 



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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ボランティア (deckyさんへ)
2024-03-13 09:23:39
おはようございます
コメントありがとうございます。

13年前のあの日、鮮明に記憶に残っていらっしゃるのですね。
ボランティアで視力障がいの方々や身体に障がいのある方達とのバス旅行
楽しいひとときが一瞬で緊張感に包まれたのですね。
相馬が原駐屯地の隊員の方も、今日本で何が起こってるかは想像すらできなかったことでしょう。
その後自分たちが不休不眠で救護活動をする事態だとも。
ボランティアとして、ちゃんと無事に皆さんを自宅へ送り届ける事!!
それだけを考え、皆さんと協力され、動かれたのですね。
無事に皆さんを送り届けられた時はほっとされたと同時に地震の被害の大きさにも驚愕されたことでしょう。
都会では帰宅困難者が多数でしたね。
「ボランティアの責任」
一言では言い表せないですね。
貴重な経験伺えて、ありがとうございます。
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こんばんは! (decky)
2024-03-12 23:45:41
あの日は、視力障がいの方々や身体に障がいのある方々と、県内ではあるもののかなり離れている自衛隊の相馬が原駐屯地見学&イチゴ狩りで、30人ほどのバス旅でした。
駐屯地内は穏やかなお天気もあってのんびりしており、話をきいたり、見学したり、隊員の皆さんと一緒に昼食をとったり、目の不自由な方々の目となって駐屯地内を歩きました。
イチゴ狩りも済んで大型バスに戻ってきた時でした、ものすごく大きな揺れに襲われたのは。
訳も分からないまま、とにかく我々の市に帰ろうとバスは出発しましたが、20分ほど走ったところで再び大きく揺れ、そこで、ようやくニュースが入りました。
介助が必要な人と同じくらいの人数の介助者はいましたが、無事に自宅まで送り届けることができるか、万が一のことなど念頭に、必死でシュミレーションしながらの帰路でした。

共に昼食を摂った隊員の方々は、数時間後には被災地に入り、それから数ヵ月は寝る場所もない不眠不休の救援活動に従事されたと聞きました。
被害の甚大さに加え、「ボランティアの責任」を考えさせられた日にもなりました。
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13年前 (小春さんへ)
2024-03-12 13:39:08
小春さんの丁寧なコメント
いつもありがとうございます。

あまり語ってこられない13年前のこと
色々おありなんですね。
また綴ってくださいね。

さっきから、雨が降ってきました。
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和顔愛語 (小春さんへ)
2024-03-12 13:34:39
こんにちは
コメントありがとうございます。

13年前の東日本大震災で人生が大きく変わった方はほんとにたくさんおられたと
小春さんの三陸に住まわれる知人の方も・・・
船舶が小舟のように流された映像・・・

それから、小春さんの価値観も大きく変わられた
嫌な顔と激しい言葉
を決してしない
それは大切なことだったかと
和顔愛語~いい言葉ですね。
それを実践されるのは心が強くないと
今もそれが小春さんなのですね。(^^♪
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Unknown (小春)
2024-03-12 11:36:11
こんにちは
りりんさま  小春です
一つ前のcomment
名前を名乗らず失礼しました

改めまして一つ前のcommentも小春です(笑)

あ、名乗って無かったと気付いた時には遅かった
指が紙飛行機マーク
プッシュしていました

13年前の事
まだ色々あるンです
いつかタイピングする機会が有れば
ご披露させてくださいねぇ〜
bye-bye
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Unknown (小春)
2024-03-12 10:42:26
13年前のあの日
東北←三陸に住む知人の船が流され
後日連絡を受け
見つかったけれど
何処かの桟橋に衝突したらしく大破、廃船
車なんかの比で無い高価なもの
掛ける言葉なぞ有る訳無く
その後連絡がつかなくなりました
人生設計が狂うぐらいなら
まだ取り返せる可能性
あるかもしれませんが
生活の根本から覆えされたら
立ち直るの容易で無い事思い知りました
どなたさまにおかれましても
意識、考え方、価値観などが変わった大きな地震だったと思います
私は人さまに対して
嫌な顔と激しい言葉
発しなくなりました
一期一会
嫌な言葉を吐いたり
怖い顔を見たのが
万一、私の最後の姿だったはヤダ
それぐらいなら和顔愛語でイイ!
消極的発想かも(笑) bye-bye
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東北で (かこさんへ)
2024-03-12 09:06:55
おはようございます。
コメントありがとうございます。

そうだったのですね、韓国へ旅行中でしたか。
急遽帰国されたのでしょうか。
連絡とれない時間、どれほどご心配だったか・・・。
米沢で被災された娘さん方
揺れも大きくて、ウンスちゃんもランちゃんも、きっと怯えてしまってたかと。
ほんとに、無事だと分かった時は緊張の糸が切れてしまいますね。

同じ東北、隣り合ってる県ゝの悲惨な状況
胸が痛みましたね。
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地震国 (花華さんへ)
2024-03-12 09:01:14
おはようございます。
コメントありがとうございます。

13年前のあの日、やっぱり覚えていますよね。
1週間前ですらうる覚えなのに・・・
会社を辞めて自宅にいらした時だったのですね。
息子さんが心配されて・・・
テレビで放送されたのが、現実に起こってるのか何とも信じがたい光景でした。
ここは福島県にまたがる吾妻山という山にどれだけ救われた事か
島国で火山国の日本、いつどこで起きるか誰にもわかりませんね。

広島~やっぱりもみじ饅頭ですよね。
生もみじ饅頭、初めて食べました。
しっとりした食感が美味しかったです。
今日は抹茶味、食べようかな(^^♪
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おはようございます (かこ)
2024-03-12 05:14:18
13年前の東日本大震災の日、
韓国に行ってたので
直接は経験していないのですが、やはり
その夜に新潟空港に帰国、娘と連絡付かず
大変でした、当時娘達が住んでいた米沢に
ランとウンスを預けて行ったので心配で!
娘もパパも孫もランとウンスも無事でいて
くれた事がわかり大泣きしてました
あの日から13年、まだまだ大きい出来事として
心の中に刻まれています
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こんばんは (花華)
2024-03-12 00:20:58
あれから13年経つんですね。
あの日は、前の仕事を辞めた直後で家にいて大きな揺れを感じました。
すぐに息子から電話が入って大丈夫だったかと。
揺れてびっくりしましたが、その後のテレビで津波の被害が次々と流れて・・・・
自信は怖いですね。


広島のお土産というと「もみじ饅頭」ですね。
わたしももみじ饅頭はこし餡が好きです。
今は生もみじ饅頭っていうのがあるのですねぇ。
こし餡、抹茶、粒あん、ふむふむ (^_^)
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「星の力」—3.11の星空に (keiさんへ)
2024-03-11 22:44:55
こんばんは
コメントありがとうございます。

佐伯一麦氏、先日お話下さった方
仙台在住の作家さんですね。
「震災からの数日間、街の明かりが消えた空には、半月から満月に至る月と、満天の星が眺められた」
いろんな方がそう言ってたり、書かれたりしたのを私も目にしました。
私自身、当時はこのブログではなく、日記形式なSNSをしてて、そこには311からの日々を綴っていました。
夕方には冷たい非情の雪も降ってきました。


このサイトの言葉に感涙です。
不安な避難所生活中、11歳のお子さんが満面の笑みで「星がね、すごいんだよ」という言葉に頭を上げると、こぼれ落ちてきそうな星空。涙が一気にあふれだした。「悲惨な状況でも、美しいものや楽しいものを見つけられる素敵な子どもたちを何としても守っていかねばと、弱気になっていた心に活を入れられた忘れられない夜だった」(「避難所の星空」より 阿部美奈子さん/2011年3月27日 毎日新聞)
https://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1805_1.html
返信する
今日この日… (kei)
2024-03-11 22:14:43
こんばんは。
佐伯一麦氏の小説やエッセイを読み続けた時期がありました。
『月を見あげて』の第一集に、「震災からの数日間、街の明かりが消えた空には、
半月から満月に至る月と、満天の星が眺められた」
と記されています。80歳の母親を新潟経由で横浜の兄のところへ預けに向かい、
その途中の国見峠のサービスエリアから満月を望めたことが忘れられない、と。
地上は地獄の様相を呈しているのに、天には星がまたたいて…と。
今さっき、しみじみ読み返しました。
「満月」の言葉から、氏が当時のことをいくつか書かれていたのを思い出させていただきました。
静かにこみ上げるものがあります。
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こし餡好きです。 (🐇さんへ)
2024-03-11 22:05:16
こんばんは
コメントありがとうございます。

蔵王山、そうです。
夏はお釜もきれいなんですよ。
この冬は2月に気温が高かったので雄大で素晴らしい樹氷も消えかけたりしました。
私も若い頃は蔵王にスキーに出かけたり
温泉宿に泊まったり
いいところですよ。
🐇さんの神戸からは、そうですよね、ちょっと遠いけど
いつか是非いらしてくださいね。

こし餡派でしたか。粒も美味しいけど、こし餡のお饅頭好きなんです。
もし東北にいらしたら、福島の日本三大まんじゅうと言われてる
柏屋の薄皮饅頭がおすすめです。
https://www.usukawa.co.jp/usukawa/
こしも粒もあります。
やっぱり、これも私はこし餡です(^^♪
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蔵王山 (🐇)
2024-03-11 20:20:02
りりん様
こんばんは
りりん様は蔵王山の辺りにお住まいなんですか、山形県と宮城県にそびえるお山
樹氷で有名ですね、昔から憧れです
神戸からは少し距離がありますねぇ
もみじ饅頭、私もこし餡派で~す
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