先日のオールナイトニッポン55
時間が合ってゆっくりリアルタイムで聴けたのが「松山千春のオールナイトニッポン」
2023年02月18日 松山千春のオールナイトニッポン「ゲスト:谷繁元信」
若い頃とは違った、しみじみとしたゆっくりとした口調
語られたのは自分の音楽界へ飛び込んだ時の話
松山千春さんは、1977年1月25日に「旅立ち」でデビューし同年10月から「松山千春のオールナイトニッポン」(水曜2部)を担当し半年後の1978年4月に「松山千春のオールナイトニッポン」(月曜1部)にスピード昇格しスターダムを駆け上がる訳ですが、松山千春さんをデビューへと導いた恩師・STVラジオの竹田健二ディレクターが亡くなる前最後に決めた仕事が「松山千春のオールナイトニッポン」なんです。
この竹田健二ディレクターとの関係
以前、自伝映画『旅立ち〜足寄より〜』で観ました。
映画・旅立ち〜足寄より〜(2009年/大東俊介主演)松山千春自伝小説よりの映画化
赤い薔薇の話が印象的
ステージに立つのは千春1人のみ。
竹田は、バンドもない弾き語りはさぞ心細いだろうと案じ、千春にステージに薔薇の花を1本活けるように指示した。
その時からずっと、松山千春のコンサートの時はそばに1本の赤い薔薇が
実は中島みゆきさんもまた、デビュー前に竹田健二さんに世話になっていたそうです。
そんな竹田健二さんへの追悼曲を中島みゆきさんは作っていました。
1979年、竹田さんが亡くなられた翌年
ほうせんか
悲しいですね 人は誰にも
明日 流す涙が見えません
別れる人とわかっていれば
はじめから 寄りつきもしないのに
悲しいですね 人はこんなに
ひとりで残されても生きてます
後姿のあの人に
幸せになれなんて 祈れない
いつか さすらいに耐えかねて
私をたずねて来てよ
この曲は、まさしく慟哭の中にいる松山千春に捧げたものですね。
実はこの曲を作る5か月前ぐらいに、中島みゆきさんは、松山千春さんのオールナイトニッポンゴールドに突然のゲスト主演しています。
こんな貴重な音源を先日見つけました。
松山千春 オールナイトニッポン 中島みゆき
同郷の二人のこんな楽しいやりとり
松山千春 22歳
中島みゆき 25歳
こんな中島みゆきさんが作った、「ほうせんか」
どれだけ洞察力があってナイーブなんでしょう。
今回のラジオでも、みゆきさんの体調のことを千春さん話していましたね。
今も現役で活躍されてる二人、素晴らしいです。
ラジオは弾き語りあり、デビュー曲ありで楽しい時間でした。
ラストの曲はこの曲でした。
凡庸 松山千春
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
いつも歩いた私なりの日々よ
突然 コメントをさせてもらいます。
ブログにアップしてもらった
松山千春のオールナイトニッポンの
ラジオを聞いています。
竹田さんとの思い出は 私は知りませんでした。
ゆっくり 聞かせていただきます。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
今はYoutubeというのがあって、聴き逃したラジオ番組も聴けるようになりましたね。まだ十代の頃はカセットテープに録音してたものです。
ゆっくり楽しんでくださいね。
千春さんと竹田さんの出会いは、1975年4月に北海道の帯広で行われた「全国フォーク音楽祭」だそうです。
そしてデビュー曲が「旅立ち」・・・
こういう話を聞いてしまうと悲しいタイトルになりましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=fiKFZCQ3yaY