世の中にはいろんな人がいますね。
テレビに取り上げられたり、ネットでのカウント欲しさに人に迷惑をかけ、人の想いを踏みにじって、人の怒りを煽り嘲笑ってる人もいれば。
1日1日を一生懸命に生きて、ギリギリいっぱいまで自分にできる最善を模索して、完璧を求めて、自ら命を経つ人もいる。
やはり真面目に考えれば考えるほど、世の中の矛盾や不条理から目を逸せなくなったりするんではないかな、、
最近のニュースを見ながらそんなことを考えていました。
結構昔の話ですが。
若い頃の座右の銘が「運が悪けりゃ死ぬだけさ」だったことを最近思い出していました。
これはわたしが好きだった俳優さん、沖雅也氏のドラマ「俺たちは天使だ!」のキャッチーな台詞の1つでした。
わたくし、ある時期劇団を旗揚げして運営していた時期があり。
昼間は派遣の仕事でOLをしながら、それ以外は芝居に明け暮れる日々を送っていました。
若い頃は自分が情熱を注げるものに全力を注いでいて、今思えば生き急ぐ感じすらありました。
1年に3回公演をしていた時期などは、脚本を年間3本描くことも。
好きな事ではあったけど、気に入ったものが描けずに煮詰ったり、焦ったり、才能ないのにいつまでこんな事やってるんだ、いやまだ出来るはずだ、期待を裏切れない、わたしの書いた話が好きだと言ってくださる方がいる限り続けたい、、、などと色々葛藤する時もありました。
脚本に関していえば、人の生と死にスポットを当てた作品が多く、足を運んでくださった人達に、ほんのひと欠片でも心の片隅に残してもらえる作品を、、そんなことに力を注ぎギリギリを生きていて、それで死ぬなら本望。そう思っていた時期。
太く短く、それもまたよし、と。
何なら沖雅也氏が亡くなられた31歳で死ぬのもまたよしなんて考えていたことも。
それは好きだから後追いというわけではなく。
若いうちに、歳を取る前に、命を燃やして全力を尽くして、輝いている良い時に、この世から消えてしまうのが、人間にとって、人の心に残る(生きる)生き方なのではないかと思っていた時期も。
そんなことを考えるうちに、31歳はあっという間に過ぎ。
死ぬことに関しての興味は益々増していきました。
今から考えればこの考え方は、若く「死」から一番遠いところにいたからこそ、死ぬという行為に執着し、ある種「憧れ」を感じていたのではないかと思います。
年齢を重ね、30代後半から40歳になり、明らかにいつもと違う体調の変化が訪れだすと、「死」というものをリアルに考えるようになり、
死んだ後、跡形もなくなった自分は、一体どこに行ってしまうのか、、、無になった自分を想像した時、「死」に対する本当の意味や恐怖を感じるように。
誰の心にも残らず、今あるこの感覚、今いるわたくしと繋がる人達、みんなと2度と会えなくなり、その人たちの心からも、徐々に消えていき、わたしを知る人がいなくなって完全に消えてしまう。死によって生きていた証が現世から消えていく。
考えただけでなんだか怖いと。
本当は、生まれ落ちたその日から、私達は死への階段を着実に登っていってるわけなんですが。
人間は必ず死にます。
生きとし生けるものは、形あるものは、必ず無に帰る日が訪れます。
人間の命なんてたかが100年です。
だからこの授かった命、奇跡の生を、悔いのないように精一杯、今度は本当の意味で死んでも悔いの無いように全うしたいと改めて感じる今日この頃でした。