白秋ながや文庫

日々の徒然。

僕の尊敬する母が与えてくれた人間の生きる心得について(ものごとの見方やとらえ方)                

2017年01月11日 | 日記

僕の母は高等女学校を無遅刻、無欠席そして成績はオール甲だったようだ。

第二次世界大戦を体験として記憶している世代の生まれです。

その世代にしては大柄な美人で聡明な女性です。僕が物心ついてからも母のイメージは懸命に

輝きを放って生きています。文字がきれいでピアノが得意で高齢になってからもキーボード担当

でボランティア活動も日常のあいまの時間を調整しながら活動している。おふくろの味はカレー、

味噌汁、漬物、牛乳寒天が絶妙にうまい。

「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」「金は天下の回り物ほしくばやろうはたら

いてとれ」「人生万事塞翁が馬」「なさけはひとのためならず」・・・いろいろ言われる。

以前書いた荘子の言葉も母の言葉である。

荘子曰く、

「利を以て合う者は、窮禍患害(きゅうかかんがい)に迫り、相棄つ。
 

天を以て属する者は、窮禍患害に迫り、相収む。」

そう言えば、かつて、

「鷦鷯(しょうりょう)深林に巣くうも、一枝に過ぎず」

いまもおぼえている。

僕は生まれたときは新聞載るほどに健康優良児で誕生し、赤ん坊大会で入賞する。

しかし幼くして持病を発病し、その後の半世紀までよりそいながら生きています。

そんな僕を一睡もせずに看病してくれながら「人として生を受けたなら意味や役割が生ずる。

がそれを目標とした人生のありかたにとらわれてはならない」

僕は小学生の頃、授業の時ノートをとった記憶がない。ノートは持っていたが必要がなかった、

IQは高かったのです。中学入りたてまでは九大ぐらいなら今でも大丈夫でしょうとの評価でし

た。ただし学校にほとんど行けなく病院が通いと入院やらで学校に行くのは試験の日ぐらい。

通知表にも「病気との闘いは人生との闘いです」と担任の言葉がありました。

案の定、高校は私立に通うようになりました。

母は「井の中の蛙大海をしらず」にはなるなと私の趣味であるハムに応援をしてくれた。

老若男女、職業、学校、思想、宗教、民族、国を越えた世界観。つまり自己の可能性のリミッタ

ー(制限)にとらわれない思考。潜在意識の可能性を活かせる趣味を応援してくれた。

ありがたかった。今も顕在意識の劣等感を潜在意識の成功体験やリミッターをもうけない意識

思考としてものの見方、感じ方、とらえかた、接しかたに影響を受けた母の教えである。

「やさしくあれ!」これも母の教えである。

母の健康と長寿ならびに兄妹たちの健康と幸運と長寿を願う酉年の一月におもふ言葉です。

 


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