先週赤坂でN氏と会う。N氏のエネルギッシュで若々しい秘訣を垣間見た。
三木聖子の「まちぶせ」<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/l_gz-sj2L_M?list=RDl_gz-sj2L_M" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
中学、高校と天体にも興味があり星の写真をとっていた。
いつものように明かりの無い田んぼまで出かけて女山(ぞやま)方向上空に変な光体を発見。
ラインティングライツを撮り、静止した三角の光体を撮った。
早速写真屋に持っていったらあがってきたプリントにUFOがうつっていた。
俗に言うアダムスキー型である。
アマチュア無線で話した相手でで興味がある人にはおくった。
JH7HUBさんにもたしか贈ったと記憶している。
東日本震災は大丈夫でしたか?
女山(ぞやま)は邪馬台国九州説の山である。
ジョージ・ベンソン「ブリージン」を聴きながら柳川のジャズ喫茶「ファンクール」の髭のマスターの
作ってくれたカレー&コーヒーをおもいだしている。
森田童子のコンサートを聴きに大牟田まで行き、帰りの特急で森田童子と遭遇。生徒手帖に
サインをかいてもらった。「淋しく笑った君の顔おぼえている。森田童子」と。
高校生の頃の話です。
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敬愛するK原氏の貴重な時間をもうけていただいた。
抱えている人生を正面から受け止めていただける貴重な人生の先人でもある。
利をもって合する者は窮禍患害に迫られて相棄つ 天をもって属する者は窮禍患害に迫られて相収む |
太原崇孚雪斎 | 荘子 | 利害で結ばれた者は、苦難に立てばやすやすと相手を見捨てる。 天命により信頼しあう者は、苦難にあっても助け合う |
東京でも震度5強のゆれがあった。
東北の方々の心情をおもうとつらい。
首都直下70パーセント30年以内。
けっして他人事ではない。
生かされている時間の取り組み方が大事。
合掌。
…東京に再上京してよかったのは我が「バイブル」青春の門の作者五木寛之様と遭遇する機会があったことです。サイン会、そして「ふたり塾」に参加できたことです。
夢と希望をいつもありがとうございます。
尊敬する五木寛之ご夫妻の健康と活躍を祈念しております。
今日はフジテレビで昨年話を聴く機会のあった味谷氏のプロデュースされた「花嫁のれん物語」がオンエアーされた。おもしろい。実におもしろい。
あとは日本テレビの笑点が楽しみでNHKの大河も楽しみである。
テレビもおもしろいなあ。まだまだ。
小さい頃はエジソンにあこがれ理科系おたくで物理~化学にあこがれ部屋はアルコールランプ、ビーカー、試験管、シャアレー、顕微鏡、天体望遠鏡、半田ごてからテスターその他でガラクタ部屋で足の踏み場も無く真空管、抵抗、コンデンサー、トランス、コイル、半導体、トランジスターその他、が散らばっており勉強部屋というよりガラクタ研究所だった。
ラジオから始まりテレビを壊しては治し、ついに無線の趣味にはまりこんでしまった。
自分で作ったアンテナや送受信機で知らない国の人と交信できることは未知の世界へふみこむようだった。
片方で中学の時の「10年後の私」の1行には芸能界に入っているだろうとミーハーなことをかいたおぼえがある。
家にはピアノはあったが妹と母がやっていた。僕はギターを我流でおぼえていた。
学校卒業後アマチュア無線の専門店でサラリーマンをやっていた。そのあと
たしかに10年後は劇団でお給料(活動費)をもらっていた時期がある。でもマスメディアのミーハーでもあった。
CMの世界から映像へラジオからテレビへそれと平行にちょこっと雑誌のライターに。
在来キー局の仕事は学生時代にアルバイトはしたもののエンドロールには名前はでなかった。
歌手のオーディションでは2度ほど顔出しもしたけどレコード会社のオーデションもうかったけど
興味がなかった。新劇の養成所は卒業したけど。
Oターンかな?同級生の呼び寄せで再上京した。エンドロールに名前が出るのはうれしかった。
…また話がとんだ。
夢の話しでしたね。健康であること。愛すべき人々に幸運をフィードバックできること。かな。
I川君よ、君との縁も長いなあ。「我事において後悔せず」が口癖だったねえ。学生時代から。
城を構えて25年たったよね。相変わらず義に篤い君は変わってないよね。うれしいよ。
拙者も25年江戸へ登って今を生きておる。「自己に忠実に」は変わっていない。
様々な先人たちとの出会いは波乱万丈である。
名ある先人には実のあるもの、からっぽなもの様々であった。
しかして「強い胃袋をもて」とさとしてくれた情深い先人からの言葉には程遠い。
山本勘助は浪人より軍師となった。
年月を重ねると洞察に惑う挙動が多くなる。見えているのに正直さが愚考を生ずる。
慢心も驕りもない。でも臆病にはなっている。
唯一の光明とかに安堵を得ている自分が恥ずかしくもある。向こう岸のことは宗教にまかせて
そう思う今日この頃である。今日が大事。
先週日曜日に放送作家の大先輩K原氏と電話がつながる。うれしかった。
昨日、赤坂にてN氏と会う。これまたありがたやである。
人は石垣~人は城~情けは味方~仇は敵、前回のブログの荘子の格言をふと思ふ。
鼻歌で武田節。