白秋ながや文庫

日々の徒然。

猪の年に思うこと~水戸学~ラスト将軍~一橋慶喜公~水戸光圀没後~徳川将軍となる。

2007年06月28日 | インポート
水戸黄門のドラマは痛快である。月形黄門はよかった。ラスト将軍慶喜公への道程は一説では暴れん坊将軍の時代より水戸家がその後副将軍より将軍職を継承せざる流れが生まれたとかそうではないとか?・・・。
一橋大学の設者、渋沢公は慶喜公の親交をもって後の有名私大の振興へも功労した。
・・・そういえば、田園調布といえば著名高名な住人が多いことで有名です。石原裕次郎氏の太陽にほえろをかかさずテレビでみていた世代の私自身にとっては芥川賞作家そして現都知事でもある石原慎太郎氏がその兄で一ツ橋大学出身以外興味なく。(・・・慎太郎カット、太陽の季節にあこがれていたのか、伝習館から次兄が一橋大学をめざしたとき、なぜ東大に進まないのか不思議に思ったものだ。)それより私はまるっきり同じ生年月日に生まれた直木賞作家の五木寛之氏の「青春の門」が憧れとしては熱いものを感じていた。
水戸学に通じてそうである?ミカドの・・・の猪瀬直樹氏が副知事確定のニュースを今聴いて家康公の再来と呼ばれた才覚ある徳川慶喜公=一橋=渋沢公=田園調布=石原氏=猪瀬氏。
私としては、光圀公が水戸学という大いなる功労の是非については凡夫には推量も論も浮かばないのである。その時代その後の今でさえ、分析検証は相対的混沌であるゆえに。
ただ、民が生を受け、寿命につきるまでの生きた時代の記憶が日々も含めて充実できる時代の実感を感じていた。と思える大いなる流れに向かうことを願いつつ、世の流れに身をまかせ。テレサテンの歌のサビを鼻歌しながら活かされていくのであろう。


オッペケペ節

2007年06月15日 | インポート
1969年人口甘味料問題が社会問題化、おりしも少年折口氏はなにを価値観にこころにちかったのか?それから数十年。厚生労働省管轄の因果はめぐる。村山政権後急成長し。・・・ここでオッペケペ節でもひとつ。
龍がほえれば泉わき、森を守れば獣増え、鳩が鳴いても平和こず。おっぺけぺぽぺっぽっぽ。この印籠がめに入らぬか、はああ。水戸黄門は爽快だけど、水戸学重税猪どしに猪さん何思う。青ざめたサンデーをみよ。オペラでおどるかダンシングおっぺけぺ。

[恋人]?

2007年06月12日 | インポート
恋人と言う言葉を耳にしなくなったような気がします。例えば移動中の車内でもOL、学生さんが友達同士で陽気ににケラケラ雑談を喋っていても聞こえてくるのは、カレシィ?の連発だったりします。
僕自身、最近は「恋人」という言葉は、最近、芸能ニュース中吊り広告の見出しやワイドショー番組のダイジェストで見聞きするぐらいですね。
映画タイトル、歌謡曲の詩、小説の中での文字に出てくる、耳から目から受ける感動は、淡い、青いイメージのこそばゆさとともに新鮮ですね。風呂のイメージを海つまり母であり連れ合いとすれば、シャワーのイメージですね。滝のような真夏のにわか雨のような、激しさと恥じらいを含むガラスの情熱、刹那てきな響きが似合いそうな瞬間であって過去の憧憬でもある。青い鳥さがしでしょうかね。
・・・恋人よ♪と文字に移れば見たままですが、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を口ずさめば、「青春の門」や「東京タワー」の中での都会で翻弄されながら不安と矛盾の目的探しの、九州男の上京心理の青春葛藤が。~都会の絵の具にそまらないで帰って~から涙拭く木綿のハンカチーフでホームシック、挫折、模索、走り出す。そんな時のキュンとする言葉の歌いだしです。これが五輪真弓が・・・恋人よ♪とサビを聞くと洋画の一場面をみて絵になるなあと思う大人の恋人関係を連想します。
  望む、望まず、叶う、叶わず、裕福、困窮、天恵、受難とか、あらゆる生きている状態の中に関わらず、たまたま、心の距離が近くに錯覚できる異性が家族以上でもなく家族以下でない位置で縁あって存在すれば「恋人}と思うのかも知れない。愛すべき人たちと愛すべき者達との区別の中心の位置付があるとすれば、「恋人」と心で叫んで叫んでいるでしょう。
  それは「いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と災難」つまり「有限なのが寿命と資源、無限なのが天恵と受難」そうだとすればそれらのすべての要素を含めた喜怒哀楽の望み影響は「恋人の存在」かもしれません。
などと支離滅裂に文字数で埋めました。
・・・東京に再上京してきて18年今年の秋に淋住期をむかえます。最近、テレサテンの3部作を思わずくちずさみます。
私の中でのストレス解消の口癖。深夜の友はシンの友、キングプロティア~アンモナイト~いやぁ、まあいいか!(戒厳令の夜の曲を鼻歌しながら)




がばい~スラング~商業主義。困ったもんだ。

2007年06月06日 | インポート

お早うございます。私は鳥越さんや五木さんの訛りに親近感をおぼえる筑後地方(柳川)の出身です。・・・なかなか筑後地方の方言は国語辞典の方言矯正難易度は福島県のある地域とならんで直りにくく私もそうです。・・・というか大家族の中で育ち、再上京して時がたち、故郷の憧憬が言葉の中に生きている。アイディンテティパフォーマンスというより、外様独立の宿命の唯一の心の憧憬ですね。最近そう思います。鳥越氏の雑煮の話しは、すいとったですよ。これでよかばい。あんたなんばしょっと?ほんなこて、筑後んもんは、こすうなかばってん誤解の多かし、逆にどうろこうろのごたるところが一本気で無意識の情が好感の売りかもしれません。土地柄でしょうけど。江戸のルネッサンスの士族から学者、芸術で僧侶、町人の身になり戯曲、国学、和歌、俳諧で活躍した人が多い。南北朝のしがらみでごちゃごちゃしとった政の時代ですから。そりゃあもお絡まった糸状態。徳川統一で主崩壊で戦国のひっぱりこっぱりで近畿、東海に流れたものが多いようです。・・・ところで、方言は幼児語からスラングまで劣化したりしますが、例えば・・・かばり、と言う言葉が幼児語スラングでかばいとなる。Rの発音が消える。長崎佐賀の方言は佐賀にわかの筑紫みす子さんか岡部耕大氏、誠直也氏ぐらいしかまともな方言は使えないのではないのではと思います。・・つまりは、がばい、とかいうのは、環境スラングで、がばりが語源、ぐわばり、訳はおおいにとか、たくさん、量とかに引用します。つまり修飾強調言語で、がばり十述語+主語で、がばりじいちゃんとは考えられずあるとすれば幼児語かスラングな用い方だと思います。柳川の方言でも、がばり(濁点)、がっぱり(半濁点)の用途は前記はポジティブな強調言語。後記はネガティブな落胆的用法です。同じような言葉で、ばさる、とか、ばさるか、は、やはり量や強調言語で、ばさるすいとる。は大変好き。となる。これが、ばさらかとなると粗暴、大雑把、雑と意味が変ってきます。白秋の方言には宮中言葉やオランダ語のミックスがありますよ。大陸の影響。ハングルも多少はナラ、カマクラという言葉のように宮中言語に影響しているから言葉は編纂される宿命でしょうけど。がばいには?どうも・・・海外C級侍映画での日本人の作法と同じように亜流の矛盾に滑稽さと憤りをおぼえます。まあ、例えば、映画業界という市場がなくなるより小銭持ってる人が名誉欲でも例えば監督業?(ないと思いたいけど)ゴーストスタッフ使って市場生き残りに貢献してくれてもいいじゃない。と寛容な映画関係者のごとく。出版業界のサバイバルの現状かもしれませんね。ながくなりました。変な内容になりました。