ひとりごと

日々様々なことをのんびりと書き綴ります。
時々、スケオタになることも・・・
コーヒーと読書と空を見るのが大好きです。

3月11日 ②

2016年03月11日 | 日記

5年もたつと記憶が薄れてしまうものなのですが、忘れられないこともあります。

”助け合い”

 

あの日 信号が止まっても 事故はおきませんでした。

道路は大変な混雑だったのに、事故は起きなかったのです。

ライフラインは地域でかなりの差がありましたが、

隣近所の人たちと助けあい、会社の人たちと声をかけあって過ごしたことだけは忘れられません。

スーパーやコンビニも開けて下さっているところには多くの人が並び、

2時間ならんでりんご数個しか買えなくっても、それを分け合ったり、買えたものを交換したり

今まで話もしなかったような近隣さんとも助け合ったり

この現代にお腹を空かせ、食べるものに困る経験

寒いのに暖がとれない経験

ガソリンを求めて並んだことや、お風呂に入れなくて、長かった髪をバッサリ切ってしまった銀行員さんやら、

小さなお子さんを抱えていた人たちは紙おむつやミルクがなくて大変な思いをしました。

沿岸部の人達はもっともっと過酷な体験をしたことでしょう。

もう絶対にこないとは言えない地震や津波

経験を生かして、未来へとつなげられたらと願います。

 

 

エムケーホームズ

 

 

 

 

 


3月11日 

2016年03月11日 | 日記

 

この家の中にいて、水の中を泳いで、よく父は助かってくれたものだと思います。

母もギリギリのところで2階へ駆け上がることができ、二人揃っていてくれることをとてもありがたく思います。

翌日まだ水も引かない中、助けて下さった消防隊の方々、

検索に関わってくださった、三重県の自衛隊の方々、

地元消防団の方々には感謝の気持ちしかありません。

余震も多く、また津波がくるかもしれないというのに、腰まで水につかりながら救助にあたって下さった方々には頭が下がります。

そしていまもまだ関わってくださってる方々にも。

ありがとうございます

 

 

 

 

こんな状況でも桜は咲くのだなぁとこの時の山桜を覚えています

 

瓦礫だらけだったのに(カメラの年数が間違ってます^^;)

 

 

数か月後には 美しく戻っていました

日本人のすごさをすごく感じました

道路から何度も自衛隊の方々の姿をみました。

手作業で黙々と片づけをしてくださっていた姿、

沿岸部での作業は恐怖もあったでしょう、それでも黙々と片づけてくださったのですよね

 

 

 

 

あっという間の5年

まだまだの方々を手助けできれば・・・と願っています。

 

 

2時40分に 急に事務所の電気が消えました(蛍光灯の寿命ですが・・・・)

時間が時間だけに驚きました。

店長がすぐに直してくれて、46分には黙とうをささげることができました。

感謝☆

 

当時の写真がネットに出ていました。

 ↓

http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_quake&p=lat216-jlp10579283

 

 

 

 

 

エムケーホームズ