日常生活のスピリチュアル

アクティヴヒーラーの活動日誌です by p-suke

私の使命

2015年01月27日 | Weblog

  

昨年、色々なことが起きたことをきっかけに、あることを確信出来ました。

私の使命です。

 

1月のある日、夢枕に現れた人が教えてくれました。

その方は30年前にお世話になっていた高校の先生でした。

先生は生徒から酷い虐めに遭っていました。

というか、最初は楽しい授業で解かりやすいし人気があったのです。

何がきっかけで?誰が始めたか私は解からないのですが、

みるみるうちに虐めの対象になったことは覚えています。

みるみるうちに先生は光が失われました。

でも、何故か私は明るい先生の時のまま接していました。

素敵な先生だと思っているから。

私と話すと、以前の先生の顔に戻っていた気がします。

職員室に行くと先生の方から私を見つけて、ニコニコ話しかけてくれました。

私もその時間が何となく心地よかったのを覚えています。

しかし、虐めも数ヶ月続いた頃、先生の死を知らされました。

3日前は楽しい話題で盛り上がったのに・・・

 

友人5人とお通夜に行きました。

学校関係は先生数人と生徒は私達だけでした。

お通夜なのに既に先生はお骨になっていました。

自殺だったそうです・・・

そこに至るまでには他にも原因はあったでしょうが、虐めが大きく影響しているのは確信しました。

恐らく・・・ですが最後は鬱状態だったのでしょう。

 

何故かその出来事は高校時代の思い出でずっと残っていました。

お通夜に行った友人達は今でも毎年会っていて、自然に先生の話が出ます。

夢枕に現れた時にふっと解かって、

「今まで、導いてくれてましたね・・・ありがとうございます。」

と言うと、メチャクチャ足がモワモワしました

なんか先生が喜んでいる気がしました。

明け方の出来事でしたが、その後数時間、涙が止まりませんでした。

 

もう一つ思い出しました

私、高校の時に嫌いな授業は保健室で寝ていることが数回ありました(笑)

その時の保健の先生はうちの弟の親友のお母さんでもありました。

仮病で寝ていながら、隣で編み物している先生の姿が印象的でした

時々、訪れる生徒達を治療したり、じっくり話を聞いてあげ、ちょっとだけアドバイスしてる姿に

とても母性を感じ、憧れていました。

家のこと、勉強の愚痴、友達の悩み・・・

話した後は皆、すっきりした様子で保健室を出て行きます。

数年後、進路を決める時に唯一なりたいものとして、保健室の先生が浮かびました。

でも、私理系の勉強が苦手で、それを克服する自信はなかったので、

別の道に進むことに・・・

それからいくつかの仕事をして、一度は家庭を持ったりして色々な世界の人と接してきました。

その経験は私の宝物になっています。

だから、開業も恐れず出来たんだと思います。

そっか・・・道は間違っていなかったんだ・・・

せらぴすべいは心の保健室のようなものだもんね

夢は叶っていたんだな~

先生、導き、気付かせてくれてありがとうございます

心が元気なくなった人を、ありのままの姿に戻るようにお手伝いすること

 

身近な人の死、愛する人との別れ、虐め・・・

鬱状態は誰でもなること。

鬱状態になるのが人間として当たり前だと思うんです。

鬱状態で病院に行くと、診断で鬱病になる。

お薬飲み始めると更に鬱病の世界にどっぷり浸かることになる・・・

いつか鬱病と闘った友人が話してくれました。

鬱の薬は鬱を麻痺させることは出来るけれど、病気自体は治せない。

それにいつか気付くんだけれど、離脱症状は鬱状態よりももっと苦しいと。

薬生活に戻るか、離脱症状を乗り越えるか・・・

 

せらぴすべいには、過去に離脱症状を乗り越えた経験のあるお客様が沢山います。

皆さん、話しを聞いて、状態を理解し、支えてくれる人が何人かいたと笑顔で話します。

無条件の愛なんですね。

鬱の一番のお薬は

 

 

オーラソーマのボトルは11月に勉強会で選んでいた、私の魂の本質のボトルと今のボトルです。

表れていましたね・・・

 私も、これから迷わず学びを深めていきます