お墓と供養の新時代

北海道札幌において、お墓納骨堂を中心とした終活全般について綴っております。

そもそもお墓って何?

2009年10月26日 | 
「そもそもお墓って何のためにあるの?」と、ふと思ってしまいました。

まず、思いつくことは、
①遺骨を納める場所。
②故人を供養する場所
③先祖を供養する場所

でも、石でできているお墓である必要はあるのか?
お墓は墓地に建てなければならないのか?

御影石できているのをお墓と呼ぶんだろうけど、石である必要はないはず。
だけど、木で出来ていると、いつかは朽ち果ててしまう。
耐久性の問題から石の方が長持ちするかな。

墓埋法で、お墓は墓地にしか建ててはならないことになっている。
つまり、自宅の庭にはお墓を建てることはできない。

庭には建てることができないが、自宅の中に遺骨を置いておくことは問題ない。
それが、どんな形であれ、手元供養である。

先祖供養といっても、逢ったこともない何代も前の先祖を供養?
やっぱり、顔を覚えている祖父母くらいだよね。

先祖の墓は、実家にあるけど、自分はどこの墓に入る?
先祖供養というより、死後の住居的な意味合い?

死後は、子孫に供養してほしい?
年忌法要やってほしい?
そんなの死んでしまったら分からない。
永代供養だって散骨という方法だってあるし。

お経を聞いていて意味が分かりますか?
南無阿弥陀仏って?
南無釈迦牟尼仏?
南無大師遍照金剛?
南無妙法蓮華経?
なんのことか分かりますか?

自分んちの宗派は分かりますか?
「うちは禅宗!曹洞宗?臨済宗?違う!うちは禅宗という宗派です!」
「うちは門徒!浄土真宗ではありません!」
なんて言っていませんか?

そんな読めない戒名でいいの?
院号がどうしたっていうの?
亡くなってからだって本名の方が分かりやすいでしょ。

意味合いとしては、
故人に対して、お寺はそれぞれの宗派の「教師」が、仏教の講義をしているわけ。
それじゃ、お寺の住職が亡くなったら、供養は必要ないのか?

なんだか、ますます分からなくなってくる。
全てが形式であるような・・・


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