麟祥寺で地蔵盆 お地蔵さまに感謝の供養
末崎町で
大船渡市
大船渡市末崎町の麟祥寺(金哲道住職)でこのほど、お地蔵さまに感謝の供養をする地蔵盆の法要が行われた。地域の子どもたちや檀信徒らが参加し、日ごろの生活を見守ってくれるお地蔵さまに手を合わせた。
法要は檀信徒らでつくる花園会(佐々木聖雄会長)の女性部が中心に開催。子どもたちが施主となり、お菓子を供えるなどして毎日の安全へのお礼をするもの。
保育園児から中学生までの子ども約四十人を含む、百三十人以上が参加。式では和泉拓哉くん(末崎小五年)と木村真唯子さん(同一年)が献花。順番にお菓子を供え、合掌してお地蔵さまに感謝の祈りを込めた。
地蔵盆は本来七月二十四日に行われる。金住職は「最近は地蔵盆の趣旨が誤って伝わっていることも多い。お地蔵さまへの感謝の供養ということを忘れないでほしい」と話していた。
2007年07月25日付 1面

地蔵菩薩 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
仏教の信仰対象である菩薩の1人。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供がよろこぶお菓子が供えられている。
菩薩は如来に次ぐ高い見地に住する仏であるが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意でその地位を退し、六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、幼くして散った子供や水子の魂を救って旅を続ける。
特に生前の功徳が足りない事から賽の河原から先へ進めず、石の塔婆作りを永遠に続けなければならない水子の魂を救うため、賽の河原に率先して足を運んでは、仏法や経文を聞かせて水子らに徳を与え、成仏への道を開いていく水子救済の逸話は有名である。
このように、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩である事から、古来より絶大な信仰の対象となった。

水子地蔵とは、幼くして死んだ乳児や流産した胎児を弔うための仏である。地蔵菩薩がそのような役割を担うのは、賽の河原地蔵和讃に伝えられる地蔵菩薩の姿によるところが大きいと思われる。賽の河原の思想は鎌倉時代あたりに起源を持つと言われている。
この和讃の中で地蔵菩薩は、地獄の三途の川のほとりにある賽の河原で責め苦を受ける、幼くして死んだ子供を助ける仏として登場する。つまり、水子たちを地獄で守る仏なのである。そこで、子供を亡くした親たちは水子地蔵に、せめてあの世で子供を守ってくださるように祈るのである。
末崎町で
大船渡市
大船渡市末崎町の麟祥寺(金哲道住職)でこのほど、お地蔵さまに感謝の供養をする地蔵盆の法要が行われた。地域の子どもたちや檀信徒らが参加し、日ごろの生活を見守ってくれるお地蔵さまに手を合わせた。
法要は檀信徒らでつくる花園会(佐々木聖雄会長)の女性部が中心に開催。子どもたちが施主となり、お菓子を供えるなどして毎日の安全へのお礼をするもの。
保育園児から中学生までの子ども約四十人を含む、百三十人以上が参加。式では和泉拓哉くん(末崎小五年)と木村真唯子さん(同一年)が献花。順番にお菓子を供え、合掌してお地蔵さまに感謝の祈りを込めた。
地蔵盆は本来七月二十四日に行われる。金住職は「最近は地蔵盆の趣旨が誤って伝わっていることも多い。お地蔵さまへの感謝の供養ということを忘れないでほしい」と話していた。
2007年07月25日付 1面

地蔵菩薩 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
仏教の信仰対象である菩薩の1人。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供がよろこぶお菓子が供えられている。
菩薩は如来に次ぐ高い見地に住する仏であるが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意でその地位を退し、六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、幼くして散った子供や水子の魂を救って旅を続ける。
特に生前の功徳が足りない事から賽の河原から先へ進めず、石の塔婆作りを永遠に続けなければならない水子の魂を救うため、賽の河原に率先して足を運んでは、仏法や経文を聞かせて水子らに徳を与え、成仏への道を開いていく水子救済の逸話は有名である。
このように、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩である事から、古来より絶大な信仰の対象となった。

水子地蔵とは、幼くして死んだ乳児や流産した胎児を弔うための仏である。地蔵菩薩がそのような役割を担うのは、賽の河原地蔵和讃に伝えられる地蔵菩薩の姿によるところが大きいと思われる。賽の河原の思想は鎌倉時代あたりに起源を持つと言われている。
この和讃の中で地蔵菩薩は、地獄の三途の川のほとりにある賽の河原で責め苦を受ける、幼くして死んだ子供を助ける仏として登場する。つまり、水子たちを地獄で守る仏なのである。そこで、子供を亡くした親たちは水子地蔵に、せめてあの世で子供を守ってくださるように祈るのである。
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