上海で働く肉まんの徒然草 2

2002年から続く上海での毎日を徒然と書いてます。
中国人に負けず、自分に負けず、
片意地張らず今年も頑張ります♪

ばあちゃんとお別れ

2011年02月11日 | 家族

2011年2月8日早朝、鳥取のおばあちゃんが亡くなった。
来月で92歳だった。

おばあちゃんの調子が悪くなった1月末。

名古屋から7日晩鳥取に駆けつけたけど、
夕方調子も良いと聞き、面会時間は過ぎていたので、
安心して従兄弟たちが住むばあちゃん家へ。

翌朝病院へお見舞いへ行く予定だった。

おじさん、おばさん、うちの母、従兄弟らで相方を囲み楽しい晩御飯。

翌朝バタバタしてると思って目覚めたら、婆ちゃんは帰宅して床の間に眠っていた。

(早朝病院見回りの人が発見した時、既に亡くなっていたらしい)

帰ってきたばあちゃんは化粧したみたいに血色もよく、
今にも動き出しそうで、とってもきれいな顔だった。

昨日の晩、何で逢いに行かなかった?

そう思ってももう遅いのですが、御免ね、おばあちゃん。

おばあちゃんが亡くなった事で寂しくなる婆ちゃん家。

葬式には色んな場所から戻ってきたひ孫、孫がネズミ講状態で広がった一族があつまった。
其の中でちびっ子達のパワーは素晴らしくて、しんみりする中にも笑いあり、笑顔あり、
葬式なのに笑い耐えない雰囲気でおばあちゃんを皆で見送れた事、
本当に良かったと思います。

告別式も終了した後、
その足で妹と二人でバスで神戸へ、1人西宮の実家へ戻った。

上海に戻る日は結局2日伸ばした。

高速道路からの田舎の景色、大山がきれいだった

義母さんが何時も言う。

人は亡くなっても、魂は帰る場所に帰って、
自分が亡くなれば其処で又会える。

だから死ぬ事は怖くないと言う義母。

その言葉をフト思い出し、最後のおばあちゃんのお別れの際にかけた言葉

【本当にありがとう。会えて嬉しかった。又次に会えるの楽しみにしてるね。】

寂しい気持ちはあっても、又会えると思うと、
辛い気持ちは感じなかった。

離れていても初孫の我を本当に可愛がってくれたというおばあちゃん。
自分の家族、沢山の従兄弟達と会わせてくれたおばあちゃん。

このおばあちゃんの孫で良かった!

そう思う家族に出会えた我は本当に幸せだと思います。

ありがとう、おばあちゃん。

おばあちゃん、又いつか逢える日まで。
それまで、皆を見守ってね