#猫 #その2#84 僕は棄てられました #そして#癒し猫
🔷ボクは、猫のムック🔷
ボクは、棄てられました。
そして、のら猫として生まれ
のら猫として育ちました。
だから、人間なんか信じられない。
そう思うときがありました。
『あっ!猫だ!』
と言われても、関わりになりたくないので、
直ぐに逃げたのです。
公園のツツジの藪に入れば、それ以上、人には追っ掛けて来れないから、諦めて行ってしまいます。
ボクたち猫にも『人認識機能』があるから、
酷い扱いをボクたちに示した人の顔を、ボクたちはしっかり覚えているのです。
だけど、心に刻まれたその仕打ちは、
なかなか癒えない傷です。
美味しいモノも食べられない日々が続くと、
体調が悪くなる、
体調が悪くなれば免疫も低下する。
ボクたちの猫仲間は、
やがて病気が元で、みんな、亡くなっていったのです。
ボクもそのようになるのだろうか?
それは、人には分からないボクたち棄て猫の悩み。
『将来不安』。
ある日のこと。
🔷2つの運命の日がやって来た。
1つは、捕獲されて市の職員に連れて行かれました。
鉄の檻に入れられたボクたちの仲間は何処かへ行ってしまいました。
彼らのその先は、ボクには分かりません。
何処へ行ったのか分からないから、訪ねて行くわけにも、
連絡を付ける分けにも、
誘拐されたとお巡りさんに届け出る分けにもいかないからだよ。
そして。
もう1つの試練がやって来た。
その人は、どうやら一人らしい。
荒っぽい手段でボクらを捕まえようとはしなかった。
ボクは、駐車場の車の下に置かれた『ご飯』を久しぶりに食べてみた。
変なものは入ってはいないらしい。
そして、ボクは暫く、そこで様子を観ることにした。
🔷その明くる日。
その人が、また、やって来て、
ボクがいる車の下にまた、ご飯を置いて行った。
どうやら、あの人は悪い人では無いらしい。
🔷そして、更に別の日。
その人はこのボクを探しているみたいだった。
ボクのことを呼んでいる。
それがボクの名前なのか?
取り敢えず、
ボクは哭いてみせた。
『にゃー』。
すると、またその人の声がした。
ボクをまた呼んでいる。
『にゃー』。
その人が車の下にしゃがみこんで、ボクを呼んだ。
こうしてボクとその人とは目と目が合ってしまった。
その人は、ボクを捕まえると、病院に連れて行ってくれて、
ボクのことを気遣ってくれた。
避妊(去勢)手術もしてくれて、
病気も治してくれた。
ある日。
ボクはその人の飼い猫となった。
🔷名前はモック。
他の『のら猫』が果たせなかった『人を信じる』ことを怖がらずに
再び信じようとボクはしたのだ。
その勇気は、ボクの特技だとその主人は言ってくれた。
『この子は人が好き』だと述べていた。
🔷昇格。
ボクたちを
棄てる人もいる。
そして、そのボクたちを
拾ってくれる人もいる。
ボクたちは、思いっきり感謝を示すのです。
『にゃー』
と甘い声で哭くこと。
体を、その人に擦り付けて甘えること。
それは、ボクたちの方法。
ボクたちは、犬でも、鳥でも無い。
人のように人間言葉で話す分けにもいかず、
人のように優しい顔で笑って見せることも出来ない。
こうして、神様は人を信じる能力をボクたちに与えてくれた。
心が傷ついて病んでいたのに。
心的外傷後ストレス障害と人間たちが言うそれさえも、
人の愛で癒された。
愛情は病さえも乗り越えさせるのです。
🔷国道で亡くなった仲間🔷
ボクたちの仲間が車に跳ねられて道脇に飛ばされた時、
あちこち骨折したらしい。
声も出ない僕らの仲間の為に、
その場に座り込んで、
涙を目にいっぱい溜めて
頬にも涙がいっぱい流して、
僕らの仲間の為に、
泣いてくれた人がいるとボクは聴いた。
たまたまそこを通りかかった人。
見ず知らない人がボクたちを撥ね飛ばし、
見ず知らない優しい人がボクたちの為に、涙をいっぱい流してくれた。
そして、その猫は紙の段ボール箱に入れられた。
そこが最後の場所として。
🔷猫の決意🔷
だから、ボクはこの人の為に、
ボクの猫人生を費やすことに決めた。
この親切な人をボクの短い生涯中、
感謝して甘えて哭いて
甘えてスリスリしようと
心に思うのです。
ボクはかつて『のら猫』でした。
そして、ボクは今、『飼い猫』をしています。
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23 September 2019.Belong to Shanxi's Story/My loved good goo's blog.#No.84.