#いいね待ってます。#月齢28.5日。#34
今日は06月02日(2019.R1)
月齢時計(G-SHOCK)によると29日。
天体観測手帳(2019)によると少し細かくて28.5日。
今年も何だかんだで今月月末に成れば、一年の折り返し点と言うことになります。
帰り道に観た景色。
これは、一級河川の豊川(とよがわ)。
ここで面白い新旧昔話。
昔、日本は丸太橋が多かったのです。
今ほどの橋の技術も資材も無かったからです。
江戸幕府の頃から、街道整備事業は有った事が地方の郷土史の資料や図書から知ることが出来ます。
処が、大水が出ると当時の丸木橋は簡単に濁流に流されて、その都度、幾度か掛け替えることになるのです。
皆さんも橋を観ると不思議に思われた事がおありだと思いますが、橋の両端には、橋の名前と川の名前が橋の標識として刻まれていると思います。
私も、不思議に思ったのは名前の読み方の不統一性です。
例えば、私の先ほどの名前の橋と地名と川の名前の読み方についてです。
私の写真の『豊川』は川の名前としては『とよがわ』(一級河川。管理は国土交通省。)。
地名は『豊橋』(とよはし)、橋の名前は『豊橋』(とよばし)と言い、濁点があったり、無かったりです。
隣の自治体に『豊川』(とよかわ)市があり、B級グルメの大会があり全国から食べ物があちこちから集まったので皆さんもご存知のことでしょう。
ゆるキャラもいます。
キツネで有名な豊川稲荷寿司です。キツネの頭が何とか無く稲荷寿司に似ている『イナリン』です。
それで、昔は、川の氾濫を嫌い、読み方も濁点の無い読み方が日本全国に多いと思います。
それで、私の調べた理解では、川の氾濫を避けていたので、読み方の濁点も縁起が悪いと言うことで読み方に頭を使いました。
それで、多くの場合、橋の名前は濁点を無くした呼び名になっています。
処が、ここ豊橋では既に『とよはし』との呼び名が定着していたので、橋の名前が『とよばし』となり、川の名前、豊川も隣の市が『とよかわ』でしたので、『とよがわ』となってしまいました。
それが実情みたいなのです。
それ以外の、都市や市区町村の橋や川の名前を皆さんもご覧になってみてくださいませ。
濁点は濁流、川の増水による氾濫で橋が流されると言うことを嫌った当時の人々の願いがそこには込められていたのです。
戦後、永久橋と呼んでいる今の橋がアーチ技術により高い位置に掛けられるようになってからは、こうした昔の悩みは無くなったと思われます。
橋の表と裏には、橋の名前の呼称の仕方が(ひらがな読みと漢字で)表記されており、橋が掛けられた年月日も記されています。
1つの橋にも歴史あり、と言うことです。
麦。
今の時代、プラスティックの小さいマイクロプラスティックと言う流出物による海洋汚染が叫ばれています。
一時期、コンビニなどで戴けるストローなどのプラスティック商品の扱いの問題が社会問題となっていたのです。
・海洋汚染により、魚のお腹にプラスティックの小さい粉砕マイクロプラスティックが取り込まれていて、それを人間が魚を捕り人がその魚を食べることになると言う問題です。
・日本はリサイクル率が他の国より高い率だとはお聞きしました。
処が、コンビニやスーパーから出たプラスティック商品の内、小さなストローなどのプラスティックが私たちが歩く道の上にあちこち落ちているのをよく見掛けます。
まさか、要らないと言って、買い物袋からポイポイ捨てる人は殆どいないとは思いますが、中には、購入したものを食べ終わると自宅まで持ち帰るのではなく、食べた後は、途中の路上の道々にポイポイと棄てている方もおられるようです。
いわゆるそのゴミの目印は、進行方向に続いて伸びているからです。
🔍️🕵️
・ストローに替わるもの。
・紙素材のもの。
蝋引きの紙で折り畳み可能な物。
潰れてもまだ使えるもの。
・植物由来のもの。
#リバイバルとしての麦のストロー。
これについてのニュースが報道為されていました。
私がお聞きしたのは、麦の茎の刈り取り、洗浄、殺菌、商品化の整えと言う行程です。
・プラスティックストローの対策では公害だけでなく、それを作って販売や提供している方々の経済生活と収益の問題でした。
ある人たちは、単純に一切止めれば良いとの意見がありました。
処が、そうした物の製造で収益を上げて生活している人たちにはそれは出来ません。
死活問題と成るのです。
生きていけなくなるのです。
色々な対策にあたり、色々な意見もお伺いしました。
それを経て、やっと植物由来の麦ストローと言うことになったのです。
#昔の麦のストロー。
私が子供の頃、日本はまだ麦のストローでした。
私が子供の頃と言えば、今から60年と少し前の頃のことです。
麦のストローを観ると、途中の所でくの字型に軽く曲がっていました。
節と言うものがあるからです。
それで節の無いところを使用しないとストローとしては使えません。
後、ストローに適した長さと言うものがあります。
子供の手と指なら小さくても上手に使えますが、さすが大人の人の手や指で麦のストローでは、当時は小さすぎて使いにくいものでした。
それを思うとき、今度のストローはどのような素材や形になるのでしょう。
60年後の今日、私はそれに再びお目に掛かれることを楽しみにしています。
昔は、冬場、霜が降りると土が霜柱で上に押し上げられ、撒いて少し大きく新芽を出した麦を踏んで下に定着させたのです。
5歳の私はその頃、親の手伝いで麦の足踏みをしました。
靴を履いてなど出来ません。
靴も靴下も脱いで、素足になって丁寧に優しく新芽の麦を踏んだものです。
冬で霜柱があるときには、子供の足には、寒い、冷たい、痛いの3拍子でしたから嫌になり泣いたりしたものです。
泣きながらも、足だけは麦を踏んでいました。
根性とはそう言うことを体験して、徐々に成長してきたのだと、今では思います。
同じところを何度も足踏み状態と言う諺も後に出来ましたが、それは麦の新芽を素足で踏んでいたことから例えたのだと思います。
#強い風の通り道。(上の写真は、強い風の通り道の後の麦穂です。
籾種は水分と温度により再び発芽してしまいます。)
風吹くと、麦も倒れる、風の道、刈り取り急ぐ、芽が出る前に。
『麦』。
©️Words by YamanoshitaHyakuzen.
風の道、台風後の、水田の、俄に作業、涙流せり。
『台風後』
©️Words by YamanoshitaHyakuzen.
My work Data.↓↓↓
#いいね待ってます。#月齢28.5日。#34
©️Photo/Story/Words/Belong to Thanxi 394, 02 June 2019.🐻🍯📚️touch your heart.
麦が寒い頃、霜が降りると霜柱で持ち上げられて麦の新芽が上に持ち上がります。
靴も靴下も脱いで、素足で麦踏みを私が5歳の頃に行いました。
涙を流しても足は動いていたのです。(作者)あとがき。