新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。
(主・ひつじ)

零れ桜

2025-04-06 02:30:00 | 

私がそこにいなくても、きっと風は吹いたのだろう。

はらはらと降る薄紅色の花びらを風がザッとあおった。
舞い乱れた花片は風の形を不規則になぞってから、脹らむカーテンみたいに平らに並び、光が射すその先へちらちらと降りてゆく。

そこに私が居なくても、風は吹き花も降ったのだ。
きっと私が居なくても、世界はそこにあるのだろう。

けれどまぎれもなく私はその世界で同じ風の中に居た。
そこに私が居なくとも世界がちゃんと在るように、
きっと私も、どこにいても、一人きりでも、
ちゃんとそこに在るのだと、そう、聞こえた。

そのときの私は、ただただ心の内から溢れてくるものを、ああ、綺麗だな、ああ、綺麗だな、と、
世界が美しく呼吸をするその在りように委ねることしか、やりようを知らなかった。

どうしようもない喪失感。

どうしようもない、美しさ。




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花篭に舞う

2025-04-03 00:00:00 | Short Short

その瞳が一瞬陰った。
そのとき揺らいだ本心は瞳の奥へと隠された。
本当は時を待っていたけれど、花は開くことなく森の奥深くへ紛れてしまった。

___もう探さないで。

ぼくはまた花開くことを、知らず夢見てしまった。
だから肌にさわる風に託したんだ。
遠くまで、ずっと遠く、ここではない場所へ。

森は鬱蒼とぼくを隠し、だけど時々こぼれた彩光がまっすぐにぼくを照らすとき、あの花まつりの夜の賑かな灯りと、君の横顔を思い出すんだ。

花篭を頭に載せ、君はぼくに手を差し出す。
君はやさしくぼくを掬い取ろうとしたけれど、みんなが笑ったその顔は君のそれとは違っていて、ぼくはその手を退けたんだ。
みんなが君のようだったらよかったのに。
ぼんぼりに揺れるいくつもの影が、その罪も知らず踊っていた。


森の胞子がぼくを深く包みこむ。樹海の夢が降り積もる。
月が細く照らす夜、君の花篭に舞う夢を見る。




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毛玉を取る

2025-03-29 02:20:30 | Short Short

洗濯モノの毛玉を取る。
ネルシャツや靴下、スウェットなど、毛玉まみれのものを積み上げ、冬の活躍を労い一枚ずつ鋏で丁寧に毛玉を切り進める。
私はこのとき、とても穏やかな心地になる。

子供の頃、よく母がそうやって毛玉を取ってきれいになった衣類を、一旦バッと広げて窓からの光に透かし、自慢げにこちらを見た。
その瞳には、幼い私にもわかるくらいに、無邪気な光がきらりとあって、私はその顔を見るのが大好きだった。

小さな鋏でチョキチョキしながら平らに刃を這わせる。ある程度進むと、処理した毛玉が手元でふんわりと悪気なく膨らんでいて、それをギュッとつまんで、くるくると固めて捨てる。
シャツも靴下も、肩の荷を下ろしたみたいにすっきりして見える。あんなにくたびれて見えていたのに、見違えるように晴れやかだ。
そして母がしたように、バッとそれらを広げ持ち、陽に当てて休息前の補給をする。

温かな懐かしさに、ほんの少し、影が差す。

母と私の時間軸が重なる。
振り向くと、あの頃の小さな自分がそこに居た。
私は自慢気に笑い、彼女もうれしそうに笑う。
瞬時に彼女の中に引き寄せられた私は、その眼で逆光の母を見る。
あの自慢気な顔を確かめる前に、幻は光の中に消えた。

手元の生地を掴み、またチョキチョキと鋏を進める。時を戻した明るい午後の陽射しが強くて、目に沁みる。
毛玉が手元でやわらかく膨らんでいくその手触りに、私はなにかを探していた。
込み上げてくるものを、毛玉と一緒にギュッと握った。





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ぶどう色のベレー帽

2025-03-24 00:15:15 | Short Short

ぶどう色のベレー帽が、彼女にとてもよく似合っていた。
春めいた風に吹かれ、僕たちはいつもの河原の土手道に立っていた。よく晴れた一面の空は広く、雲が薄く流れていく。
今日の空は、やけに眩しくて、とても、蒼い。

  ※

ガラスポットの中で梅が小さく蕾を膨らませ始めた。
正月用に買ったアレンジメントにささっていたその梅は、すぐに黒く枯れてしまったように見えたけれど、彼女がそれを自分の苔玉に差し、景色にしていた。
花を期待したわけじゃなく、なんとなく枝の形がいい、と言ってそうしたのだったが。

「咲くといいね」
彼女は毎日ポットを持ち上げ陽光にかざした。
「苔玉って、日陰の方がいいんじゃないの?」
僕は不思議な気持ちで彼女を見つめた。
「梅が咲いたら、別のに差し替えて、どっちもちゃんと育てるよ」
「それまで苔玉は大丈夫なの?」
「もつよ。だって愛の玉だもの」

ときどき僕は彼女の言い分に首を傾げずにはいられなかったけど、そんなときはいつも嬉しそうなので、余計なことは言わなかった。

春を待たず、梅も苔玉も駄目になってしまった。彼女の言う通り、本当に愛の玉だったのかもしれない。僕たちも、駄目になってしまったからだ。
どちらが先だったのか、それはわからないことだけれど。

冴え冴えともがる風も季節の向こうへ去った河原を、いつものようにふたりで歩いた。道端の菜の花に白や黄色の小さな蝶が、花から生まれたみたいにふわふわと舞っていて、彼女はその様子を眺めながら、「さよなら」と呟くように言った。
それから顔を上げて、ぶどう色のベレー帽を被る彼女が僕を見て少し笑ったのが、彼女らしくてとても素敵だなと思った僕は、それまでただ傾げるだけだった彼女の言葉の意味を、今更に考えずにはいられなかった。

「さよなら」僕も応えた。
さよなら。互いに交わす同じ言葉が僕たちを別々のところへ運ぶ。

くるりとむこうを向いた彼女の背中に、菜の花から舞い出た蝶がふっと立ち寄り、そしてふらふらと僕らを分けるように横切って行った。
ふたりで歩いた土手道を、彼女だけが進んで行く。僕はつい、また首を傾げてしまうところだった。

君は今、どんな顔をしているの。

離れていく背中を見送っていると、少し歩いたところでピタリと立ち止まった彼女が、振り向きざまにベレー帽をぶんっとこちらに投げた。弧を描く紫と彼女の先に広がる空が眩しくて、僕はその蒼に、手を伸ばす。




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気だるさの中に憂う春

2025-03-21 12:45:15 | weblog

=2013年03月10日=

季節の変わり目の「匂い」というものは、いつでもたやすく時間の垣根を超える。
過ぎてしまった、心に強くもしくは柔らかく漂う思い出の中へ瞬時に引き戻す。

気だるい春の兆しがするこの時期、春になろうかどうしようかと大気の粒子が迷いながら少しずつ諦めるように春になっていく。またすぐに気が変わって寒くなるのだろうが、大きな流れを止めることはできない。「気配」はもう消せないところまで近づいて来ている。この感じを「春の足音」なんていうのだろう。厳しい冬のあとに春を待つ人々の思いが、春の足音を心地良く感じさせる。

私はこの一瞬の祝福されたかのような穏やかな光の感じや、包み込むような大気の柔らかさが、愛おしくもあり不安でもある。それは「今だけ」だと強く思うからだ。

日本は4月が年度初めにあたるので、子供の頃からのその周期が体に染みついている。この気だるさを感じ始めたら、何かが変わるという前触れなのだと染みついた記憶が脳を刺激する。

春の気配にのまれつつある時期に感じる「今だけ」は、実はいつの季節も関係なく一分一秒が今だけなのだけれど、それを、はっとする様な感覚で受け止めているかというとそんなことは一切ない。頭では理屈として事実として理解はしているが、その価値に突き動かされているかと自問するまでもなく、ただ日常の「繰り返し」として処理しているにすぎない。

日常の所作の繰り返しの中で、この瞬間は今だけなのだと本当に意識出来れば、良いことは今だけだからときっともっと大切にできる。嫌なことは今だけだからと気にせずに進んで行ける。そうなればとても生きやすくなるのだろう。

ところで冬の方はどんな心持ちかと思いやってみれば、まだ少しここに留まりたいという名残の中で、それでも否応なく押し寄せる春の暖かさに負けじと吹きかける息吹が、「寒の戻り」と言われジタバタとしてみる。
春の雨は、人々に惜しまれることもない侘しさに名残りを馳せ流す冬の涙なのではないか。まだここにいるよと泣いているのだ。

そうしてすっかり冬の息吹から抜け出す頃には、もう夏の気配がすぐそこまで来ているだろう。
愛してやまない日本の春の短さに憂い、気だるい春の兆しに抱かれる日曜日の午後。
香ばしいコーヒーの香りとともに「今だけ」を味わう。

(過去別サイトにて投稿分を修正)



=2025年03月21日=

最近の春は「暖かい」と感じるのは本当に一瞬で、初夏のような日差し。
また寒くなるのは定番だけど、やっと「春」を感じる間もなくすぐに暑くなる。憂う期間がどんどん短くなっているようです。
この憂う時間が日本人的な情緒を育ててくれるような気がしている私なのですが、「三寒四温」なんていう言葉もいつか忘れ去られる日が来てしまうのでしょうか。




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