新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。季節感は無視。

薄いベールの向こうから end

2024-08-30 09:50:50 | Short Short

朝、シャワーから出ると《ピンクの象》が来ていた。
油断していたので「おっ!」と一瞬のけぞったが、そう言えば現れてもおかしくはない頃合いか。

今日はいつもと違う出で立ちだ。年明けの挨拶のつもりだろうか、正装しているみたいに厳かに見える。
背中に薄いピンクの上品な凝った織の布を掛け、頭にはビーズで飾られた浅い円柱帽をのせて、いつもよりもいくぶん機嫌が良さそうにのしのしと、いつもよりもいくぶん軽やかにそこいらを踏みつけてまわっている。

新年にピンクの象が来るのは初めてではなかろうか。
背中の布には細部に花や幾何学の丁寧な刺繍もほどこしてあり、金や朱や鮮やかな色どりが、いかにもおめでたい雰囲気を無愛想なピンクの象にふりかけ、少々の違和感を感じるものの、それでもそんな恰好で挨拶に来てくれたのかと思うと、穏やかな陽の暖かさとともに心が和んだ。
それにしてもこの衣装のせいなのか、いつもよりなんだか可愛げまであるように感じる。やはり新年を迎えるというのはこのピンクの象の不機嫌まで軽やかにしてしまうのだろうか。
そう言えばチビピンクは今日は一緒だろうか、と部屋を見渡し「うっ」と息を呑んだ。

窓際でさんさんと光を浴びながら渋めの装飾と織の布を背中にかけたピンクの象が、どっしりと座っていかにも不機嫌そうな面持ちでこちらをじっと見ていた。
「あ、」なるほど。
チビはいつまでもチビではないのだ。ピンクと思った初めの方がチビだったのね。道理で軽やかに可愛げがあると思ったのにも合点がいく。
新年だろうが衣装で着飾ろうが不機嫌なピンクの象はあくまで不機嫌なピンクの象なのだ。御見それいたしました。

チビが軽やかにのしのしとピンクの方へ歩み寄る。相変わらずしっぽを魅力的に振りながら時々ふんふんと鼻を鳴らしている。甘えるようにピンクにまとわりつき、促されてピンクはゆっくりと立ち上がった。
ゆっくりと立ち上がったのだが、なんだかいつもと様子が違う。部屋を歩き回ることもせずチビを守る為に威嚇することもなく、ただじっとこちらを見据えている。不機嫌な眼の奥に、いつもとは違う光が。

そもそも考えてみれば、ピンクが座っているのも初めてのことだ。
目をそらすことも出来ずじっとピンクを見つめているうち、なんだか胸の奥がざわめき始めた。ピンクの瞳の奥から放たれる不確かで微妙な光は、不確かにこちらの胸をかき乱し、そうしてはっきりと確かなことを示唆していた。

「お別れ、なんだね」
ピンクはコクリと首を振ることもなく、シンとした表情でただじっとこちらを見つめている。いつもはシンパシーを感じないなどと思っていたはずなのに、何も言わずともピンクの言いたいことが分かってしまっている自分に少なからず驚き、しかし付き合いはずいぶん長いのだから、当然と言えばそりゃあ当然じゃないか、などとよく分からない言い訳じみた『感情』と呼ぶにはまだ完成されていない ほつれたままの言の葉がゆらゆらと頭の中にただ揺れている。

ピンクはチビと交代するのだ。
そうか、新年を祝う衣装ではなかったか。知らず涙がこぼれ、また驚く。
特に感情移入していたつもりもなく、いつも不機嫌でしかないこのピンクの象が来なくなるからといって、なんら悲しいことなど何ひとつないはずなのに、やがて静かに背を向け遠ざかっていく後ろ姿から目をはなすことが出来ない。

薄れゆくピンクの後ろからチビがまだやはり幼い足取りでついて行く。チビを先に行かせ、いよいよピンクの姿も白く薄くなった頃、ピンクが不意に立ち止まって振り向いた。じっとこちらを見つめ鼻を少しだけ上げ、ありたけの不機嫌をかき集めているかのようだ。

いつものように、見ようによっては寂しそうでもあり、ほっとしているようでもある。ひとしきりの沈黙を交わしたあと、いつもの調子でぷいっと背中を向け、不機嫌にしっぽを2、3度振り、それからピンクの象はあちら側へとすっかり消えた。
交わした沈黙の影から「さようなら」と聞こえたような気がした。




※ご訪問ありがとうございます。
  では良き頃合いにいつかまた。




星の形

2024-08-28 05:55:55 | Short Short

その日、五芒星を額に刻んだ小山羊が木漏れ日を避けるように、藪の中へ隠れてしまったんだ。カナリアが歌い続けて小山羊はやっと戻ってきたけど、額の星は六芒星になっていた。

とうとうキミに旅立つ時がきたんだね。
ならボクのカナリアを連れて行くといい。きっとキミの力になってくれるよ。
ボクは彼女を小山羊の背中にそっと乗せた。ボクたちは少し見つめ合って、キミははじめて笑ったね。

じゃあ、と去って行く後ろ姿に、ボクは声をかけなかった。
キミが振り返らないのを知っていたから、ボクも黙って見送ったんだ。
少し風の力を借りはしたけれど。

カナリアがずっと額の星を讃えて歌い続けてくれるさ。
彼女は六芒星のメロディを歌ってる。星々がキミの行く道を明るく示すように。

どうかキミの探し物が見つかりますように。
ボクはキミの星の形を忘れない。旅を終えたカナリアがボクの枝に戻って来るとき、きっとまたキミと会わせてくれるだろう。

ボクらはみんな同じ風の音を聞いていたね。
キミは今夜、ボクの木陰に抱かれる夢を見てくれるかい。





迷路

2024-08-26 20:30:50 | Short Short

こんなに遠くまで来てしまった。そう思っていたけれど、僕は迷路の中を彷徨っていただけなんだ。遠くもないし進んでもいない。
あのとき橋の上でした約束も、あの場所にまだじっと蹲っている。

夢は哀しい。懐かしくて恋しい時間を見せておいて、それを手の中に感じることは決してさせない。
夢は夢。
その名を呼んでもどこにも届かず、目を開けるとそこにはもう名残さえない世界が待ち受けている。
時間が全方向に遠ざかる。ひとりはひとり。

風が吹く。耳元で誰かの声が聞こえた気がした。
「迷うときもあるよ、誰だって」
浅い呼吸と他人事にかわす社交辞令の薄い声。気づいているけど、気づかないふりをするのが礼儀なのかな。

「空を見てごらん」
また誰かが言った。僕は素直に空を見た。今度の声は密度が違ったから。
迷路の中から見る空に区切りはなかった。白鷺がゆったりと渡っていく。
ああそうか、この壁を登ればいいんだ。壁の上に立てばいいんだ。
なんだ、そんなことか。
僕は壁の小さなとっかかりに手を掛け、今一度空を見た。
ここから出よう。

夢は哀しい。でも僕は哀しくてもその夢を忘れたくない。哀しみと決別する苦悩より、哀しみと共に行く道を選ぶ。
ひとりはひとり。でもこの哀しみが僕を支えてくれる。

他人事の言葉はいらない。




空蝉

2024-08-25 23:07:30 | weblog

気づいたら蝉の声がもうしない。
「そろそろ蝉があちこちでひっくり返る季節が近づいて来ましたね」なんて書こうとしていたのに、季節は容赦なく過ぎて行ってしまう。いつもいつも。

蝉についてはいろいろ思うところのある不思議な生き物のひとつ。
そして空蝉というのは本来の実在が飛び去ってしまった抜け殻な訳だけれど、その抜け殻が何故か多様な表現の場で題材にされる。季節になると画像も出回る。

空蝉を見て人は何を思うのでしょう。この抜け殻の何に心を囚われるのか。
それは、今は無き《そこにあった存在》を肌に感じるからでは、と思うのです。
土に暮らしたこれまでも、飛び去った本体の残り香も、そこにはあるから。
やっぱり不思議。過去と未来が、『今』この空蝉というものに同時に在る。
蝉の抜け殻がただそこにある、それだけなのに。

そのかつてと、新たに飛び立った生命の力の名残を漂わせた、物言わぬ静かな縁取り。
そこで何故だか浮かんでくるのが、
黒田三郎さんの「紙風船」。

「紙風船」
  落ちて来たら
  今度は
  もっと高く
  もっともっと高く

  何度でも
  打ち上げよう

  美しい
  願いごとのように


とても静かに心に響いてくるものが、空蝉の美と重なるのです。
静かの中に全てが集約されているような。
自分の中の騒めきも、大切なものも、
ぽーんと静かに昇っていくような。




駆ける

2024-08-24 07:41:41 | Short Short

芝生の上に突っ伏して、僕は地球にへばりついた。
寝返りを打って仰向けになる。地球は僕を離さない。当たり前の信頼に心が躍る。ほどよい夕風が土草の匂いをかき混ぜる。

僕の真上で細くシャープに延びていく飛行機雲のお尻の方が、早くもぼんやり太くその道を消し去りながら夕焼け色に染まっていく。
行ってしまった先には追いつけないけど、そこにある軌跡がそこにあったものを見せてくれる。束の間ではあるけれど。

駆けて行くものを見たのはその時だった。
ぼんやり消えゆく飛行機雲と夕焼け空を携えて、馬が宙を駆けて行く。ペガサスでもユニコーンでもないその馬は、千代紙をたくさん張り付けたみたいにカラフルな模様で嘶いた。空の湖に映るその姿を見た青い化身がどこからか現れて、黄金色の光がふたつの影を空に写す。

即座に僕は決めた。微塵の迷いなく、ゆるぎない世界の申し出に誓いを交わす。
風に逆立つたてがみを掴み僕は馬に飛び乗った。なんて綺麗な馬だろう。覗き込んだその大きな眼には、地平線の先がはるかにあった。青い化身が先導する。僕らはいつか見るはずの場所を目指して空をゆく。さっきまで居た芝生が揺れて、そこには僕はもういない。

薄く飛行機雲が道を開け、駆けゆく僕らに白を散らした。