社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

1年ぶりの会社への復帰その2(2日目)

2008-04-17 23:30:46 | SADの症状と現況

昨日の状況から、今日は時間を弱冠遅らせて家をでたら、JR学研都市線の電車がまたなんかのトラブルで遅れるとの事。日常の事くJR学研都市線では発生しているので、別に慌てもせず、ちょうど良い時間に北新地に付き、駅前ビルで先に昼食をすませた。昨日の病状を考慮し、昼食後すぐ、いつもの抗不安薬を飲む(昨日は朝は飲んだが、昼は飲んでいない)。

会社に到着し、開始時間になると、打ち合わせを予定してが、リーダーが、通院の為、IT担当者と直接ネットワークに関して打ち合わせる事になった。

ある程度、IT担当者の仕事の内容を、事前に予測していた為、病気(SADのうち書痙)の改善状況を試す意味で、おおよその彼の説明を聞いてから、ホワイトボードに自ら箇条書きで彼の仕事を予測しながら、書いた。

予測どおり、彼は、「全くその通りです」と驚いていた。IT関連の企業内サポートという観点からすれば、既に私の方が長年の経験がある為、当然の結果ではあるが、別の意味で、彼とIT関連の話を専門用語で話し、理解しあえたのが、久しぶりでうれしかった。要は、企業内ITのサポートはかなりの部分がボランティアであり、高度な経験と技術・対応力を求められるが、評価されるのがむずかしい等十分理解している。
※彼との、打ち合わせを一般の人が聞くと、話が理解できないと言う事が殆どなのだが、今まで私も、これに関しては、過去説明する事も避けてきた(本業が忙しい為)。

さて、復職した部門の全ネットワークを全て理解する事は、最初から私はあきらめていた。特に既に知っている東京と大阪はある程度把握していたが、工場の方までは、即断で、管理するのはかなり難しいと思った。もちろんある程度の指針を出す必要はあるが、その管理や実現方法等は工場側でやってもらうしかない。

2日間で、予定の仕事の大筋は、概略理解できたので、理解不能な所を今後、どこまでやっていくかを、もう少し現状と現場を把握しながら考えて行きたいと思っている。
※企業内の情報システム担当者は、専任であっても結局雑用的な仕事が多く、高度な知識と経験を求められながら、即対処しないとクレームがつくと言うようなボランテアの仕事である。予想通り彼の一番比重を占める仕事はクレーム対応(トラブル対応)だった。十分予測できた事だが・・・。

さて久しぶりに、昔の私の部下でもあり、逆に今は彼が上司でもある後輩を無理やりさそったような、即OKのような事で、飲みに行った。最初は軽くとお互いに言いながら、いつの間にかあっという間に10時をオーバーしてしまった。私はたいした量は飲んでいなかったのだが、彼のペースが速いのか、私のブランクと体調不良もあり、完全に途中でギブアップ状態になり、途中から私は飲まなかった。しかし本当に久しぶりで、彼の色々な話を聞きながら、デジカメ等の趣味の話や、別の視点からの部門の状況等も聞けて楽しかった。本当に彼には毎回感謝している。

※1 今日確認しようとしていた1つが、会社の傷病見舞金であるが、東京のお世話になっている人事課長が本社に来られたとの事で昨年10月以降の分をまとめて、持って来てくださった。ありがたい事です。更に感謝感謝。
ちなみに今回の件で最近の大阪方の向かい入れ体制(システム)はよくわからない???(昔はそうではなかったが、現在は自分で必要な事をだれが担当が聞いて要求しないと何もわからないし、できない)。

※2 今日の復帰2日目にすぐ、産業医の先生の面接の予定が入った。4月30日(水)の連休の間であるが、チョット悩んだが、了解した。
   16日復帰の2週間後の水曜日との事で、復帰後の状況(病状)に付いて特に来週の状況が重要であり、どうなるか解らないが、面談をしておかなければならない。


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