社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

SADの完全完治を自覚した。昔の様に会議内容をホワイトボードに高速筆記ができた。

2010-02-24 08:21:03 | SADの症状と現況

OSのHDDリカバリーエリアは、念の為バックアップを取っておこう新サーバーCドライブの容量について(またNECの初期パーテイション設定に泣かされそう)などの情報システム系の話を掲載していると、私の会社での仕事は何だろうと思われる方もいるかも知れない。

ハッキリしておきたいが、一昨年の4月に会社に復帰した後の一年間は実際そうだったが、昨年の今の会社への出向後は、全く異なる仕事をしている。が全く情報システム系と無関係かと言うと、やはりどうしても関係してくる為、必然的に私がやる羽目になる事が多いし、今の会社の大半の方が私をそう見ているし、実際相談を受ける事も多い。相談だけなら良いが、上述した様な実務の対応まで、合間に処理してしまう事も多い。時間が掛かるといっても、その間本業をしながら同時に処理する為、パラレル処理となるのが多いが、上述した様なかなり手ごわい処理ではやはり時間をとられてしまう。

しかし本音は、私の仕事に関係する処理は幾らでも処理するが、直接に関係しない支援作業は極力避けたいのだが・・・。

さて、今回はIT関係の話を掲載したかったのではない。私の今の仕事と言ってもこれも本業ではないし、私の本来の仕事の範囲からは外れているが、やる人もやれる人もいない為、本来の業務(本社の生産コントロールと出荷・売り上げ等の業務)の枠を超えて、昨年の夏頃から関わる様になった(営業)企画の仕事とその中でのSAD(社会不安障害)との関わりである。

以前から私自身は企画担当の方が長い為、当然予算関係の仕事も担当する事が多かったが、今の部署と本社側の予算の作成に関して毎回関わる事に成っている。予算と言っても今の時期はH22年度予算編成の時期で、既に当初案は提出済みであるが、毎回の事ながら利益アップの要請となる。この辺はあいかわらず本社の企画が何を考えているのか最近は、あまり考えない事にしている。もちろん本社の企画だけでなく、できるだけ本社の開発とも距離を置いている様に個人的にはしている。まじめに考えると怒りが先におきて、健康上あまりよろしくないからだ。

と言う事で、実は昨日も突然本社の企画の担当者が来社して、この予算の利益アップ要請の打ち合わせとなったが、この手の打ち合わせになると、かならずホワイトボードに書きながら話を進めるのが常だ。ここで今まではSADの最大の障害と成っていた文字を書くと強烈な不安感と手が震える症状に悩まされた経緯があった。これは会社復帰後でもまだ不安を抱えており、昨年今の会社に出向後もまだ完全に治ったとは言えなかった。もちろん仕事に復帰した事から、手が震える事は薬でかなり抑えられるようになり仕事上特に、問題はないと思う所まで来てはいたのだが・・・。

復帰後SAD最大の課題、クレジットカードを使用時立ち状態でのサイン薬無しで人前で文字を書いても手の震えが全く発生しなかったでも掲載しているが、先月末からビール以外を全く飲まなくなった事から、最近文字を書く時の震えが全く発生しなくなっていたが、昨日文字に関して完全に完治した事を確認できた。今月の頭に産業医の先生からは、制限なしの通常勤務のお墨付き(完治)を貰ってはいたが、まだ何となく、文字を書く時の震えは無くなっていたが、昔のスラスラ、綺麗に文字を書く感覚は戻っておらず、これは下手をすればもう一生治らないか、いやPC等で文字を書く事が極端に少なくなった事や年齢がその原因で元には戻らないと思っていた。

今週に入ってから会議でのメモ取りや、電話を受けた時の伝言メモを書いて渡す等での文字を書く感覚が明らかに異なって来ていると感じていた。それが昨日の会議で、ホワイトボードに私が、本社から来た企画の担当者向けに、スラスラと箇条書きにポイントをドンドン記載していく時に、ハッキリと自覚した。

つまり、上記で述べた様に、休職直前は最もひどかったが、おそらくそれ以前の数年間ホワイトボードに記載する事や、ノートなどへのメモ等も明らかにおかしかった記憶があった。これは上記で述べた様に、休職を経て治った(仕事には支障はない)とは思っていたが、その違和感が消える事はなかった。

しかし、昨日ハッキリ、昔の高速筆記していた頃の手の感触が戻ってきた事が実感できたと同時に、文字を書く楽しさと言うか、不思議な感動を覚えた。これで、おそらく手の震え(電話でのドモリなども含む)は完全にもうおきないだろうと確信している。

勝手に上記の様に、PCの性にしたり、文字を書く機会が減った事の性にしたりして自分をごまかしてきたのかも知れないが、結論からするとそれはSADという病気(本当にSADだけが原因だったかは別だが)が完治していなかった事を意味するのだろう?自分なりに昔の様にそれなりに綺麗にすらすらと文字を書けるようになると思っていなかっただけに、これができ不安感が最近全くなく、もちろん昼食時の手の震えも無くなっている事を考えると、完全完治と自分で判断できる。もともとこのSADという病気は自分との戦いであり、他人からは完治したかどうかは判断できないからだが・・・・

これで更に今の状態を継続できれば、産業医の先生に最後の報告ができるだろうし、先生の新たな完治カルテが一つ増える事になると同時にアルコールの影響がSADの病気にも影響している事が私の場合は立証された事になる。産業医の先生が言ってはいたが、確かに世界が変わった様な不思議な感覚を昨日味わう事ができたが、だれも気づいてはいないと思う。自分ひとりで、ヤッターと喜ぶ事にしよう。

ある意味、怪我の功名なのかも知れないが、トコトンアルコールを飲んで、仕事上まずいと自分で思う所(二日酔いが夕方まで残り、アルコール臭さが抜けず、社員と話す時に思わずハンカチで口を押さえて話した)まで言ってしまい、自分でやめる決心をした事が大きいが、これに内科主治医のアルコールストップ(内科主治医の先生から緊急連絡が入った)が加わり、今まで継続できたのもこの相乗効果?と言うのか分からないが、結果はオーライということだろう。最も内科の方の肝機能の検査は近い内に再度受けようと思っているが、数値が正常値になっても、以前の様に焼酎を家で飲む事はやめる予定だ。


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