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【コッテコテや~!】大阪発、世界的発明10選【飴ちゃんいるかぁ~?】

2017-06-11 04:38:33 | 歴史
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(担当S)
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※本記事は2016/12/03に投稿した記事に、修正を加えて再投稿したものです。

 
 2008年の全国学力テストで、大阪府が45位と全国平均を大きく下回ったことから、当時の橋下徹知事がテストの結果に激怒したと言う出来事が過去にありました。
 担当Sは東京生まれなんですけど大阪育ちですから、このニュースを聞いて何か釈然としないものを感じました。
 少なくとも、担当Sの身の回りにいる大阪人は頭の回転が早い人ばかりですし、日常会話におけるボケやツッコミに関しても、東京生まれの担当Sでは発想すらできない返しを大阪人は当たり前の様にしますから、学力が低いという結果を持って知力まで低いとは言えないんじゃないかと思いました。
 そこで大阪の汚名を雪ぐべく、大阪発の世界的発明とかないんかなぁ~と思って探してたら、次から次へとあるわあるわ…
 そこで今回は、大阪発の世界的発明品10点を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介していきたいと思います。


 
■「えっ!?これもそうだったのか!」大阪が生み出した世界的な発明10選


(1)カップヌードル
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 カップヌードルについては、もはや詳しい説明はいらないと思います。
 日清食品の設立者である台湾生まれの実業家、安藤百福が1971年に発明した、日本を代表するインスタント食品です。
 発売当初はあんまり売れず苦労したそうですが、浅間山荘事件で機動隊員がカップヌードルを美味しそうにすすっている姿がテレビカメラを通して全国中継されると、テレビ局に視聴者から「機動隊員は一体、何を食べていたのか?」と問い合わせが殺到。
 これが契機になり、カップヌードルは爆発的にヒットしました。
 カップヌードルは食糧事情の悪い国に援助物資として提供される事が多く、それらの国では日本の事は全く知らなくてもカップヌードルは知っていると言う人が、大勢いるようです。
 日本人を対象にした「戦後日本のイノベーション(発明品)100選」と言うアンケートで、カップヌードルは堂々の1位を獲得しました。
 しかし、このアンケート結果を知った欧米人からは、驚きの声が挙がりました。
 「えっ、日本人が1位だと思っているは本当にそれなの?もっと他にあるでしょ」
 「どうしてニンテンドーが1位じゃないんだ?俺は納得できない」
 「青色LED、iPS細胞、その他色々と日本人は素晴らしい発明をしているのに、どうしてカップヌードルが1位なんだ?」
 などなど、アンケートの結果に疑問を挟む意見がでました。
 その多くは「日本は多くのハイテク製品を発明しているのに、何故カップヌードルを1位に選ぶんだ?」と言うものでした。
 こうした欧米人の意見はともかくして、世界の飢饉の解消に大きく役立っていると言われているカップヌードルですから、多くの日本人が日本を代表する発明品として1位に選ぶのも、ある意味、当然ではないでしょうか?


(2)一般消費者向けレトルト食品
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  そもそもレトルト食品自体はアメリカの陸軍が開発したものですが、これを一般消費者向けに商品開発して販売したのは、大阪の大塚食品が世界初です。
 写真は、今では知らない人はいないと言えるくらい有名なレトルト食品の代表格である「ボンカレー」の、発売当初に商店の軒先に掲げられたホーロー看板です。。
 実は「ボンカレー」は世にもトホホな理由から開発された商品なのです。
 「ボンカレー」を開発した当時の大塚食品には、大量のカレー粉が余っていたのですが、何処にも売れる見込みがなくて不良在庫化し困っていました。
 どうにか、この大量のカレー粉を処分できないものかと考えあぐねた大塚食品は、苦肉の索でレトルト食品にして売り出す事を考え付き、そうして作り出したのが「ボンカレー」なのです。
 そんな経緯がありましたから、当初は大して売れるとは思わず、阪神地区限定での販売でしたが、これが思いの外、好評だったので、全国展開して今に至っています。
 海外でも人気の高い、日本のレトルト食品ですが、こんなトホホな理由で開発されていたとは…
 世の中、何が成功するのか分かりませんね。






(3)回転寿司
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 昨今の世界的な寿司ブームにより、海外でも回転寿司が普及しつつあります。
 今では何処の回転寿司屋さんでも採用している、回転するチェーンコンベアの上に、寿司を乗せた皿を置き、それを半セルフで提供するサービスを最初に行ったのが、東大阪の布施を本店とする元禄産業株式会社、通称「元禄寿司」です。
 回転寿司を思いついたキッカケは、「元禄寿司」の創設者がビール工場を見学した時に、製品を乗せて動いているベルトコンベアを見て、これに料理を乗せて運んだら飲食店でも合理化できるのでは?と考えたのが事の発端だそうです。
 ちなみに、関東で多く見かける「元禄寿司」は、もともとは大坂の元禄産業株式会社のフランチャイズがキッカケとなって創立された会社なのですが、現在は元禄産業株式会社とのフランチャイズ契約は切れています。
 その為、大阪の「元禄寿司」と関東の「元禄寿司」は名前も屋号も一緒ですが、今では全くの別会社になっています。
 なんか、ややこしいですね。
 そういえば、布施のイオンの1階にあった「元禄寿司」の横を、こないだ布施に立ち寄ったときに通り過ぎたら、空き店舗の看板がかかってましたね。
 以前から、本店と近すぎるんじゃないかと思っていたんですが…


(4)養殖マグロ
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 養殖マグロを大阪の発明品に含めるのは議論の分かれるところだと思いますが、養殖マグロの研究を行っている近畿大学が大阪の有名校なので、この記事では養殖マグロを大阪の発明品だとさせて頂きます。
 どうして議論が分かれるのかというと、近畿大学の水産試験場と言うのが、揃いも揃って大阪以外の土地にあるからです。
 大阪の事を少しでも知っていたら分かりますが、大阪近海で水産試験を行うのは、水質の問題もあって殆ど不可能です。
 近畿大学がマグロの養殖法を編み出すまで、マグロは養殖に適さない魚だと言われていました。
 理由はマグロは呼吸の為に常に泳ぐ必要がある魚で、泳ぐのをやめると窒息して死んでしまうからです。
 つまり、全く止まることが出来ない魚なんですね。
 ですから、マグロの養殖は長い間、不可能だと言われていたのですが、その困難を乗り越えて近畿大学の水産研究所が、完全養殖に成功しました。
 マグロの養殖法が開発されてから、まだ日が浅いため、発展途上の技術ですが、今後の展望に期待です。


(5)先物取引制度
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 これも、大阪が先物取引制度を発明したと言うよりは、欧米などよりも早く大阪で先物取引制度が実施されていたと言った方が適切です。
 大阪の先物取引制度と欧米の先物取引制度は、地理的な理由から、お互いに全く絡み合うことなく全く独自の進歩を遂げてますから、大阪の先物取引制度が世界に広まったと言う訳ではありません。
 さて、どうして大阪で、先物取引制度が生まれたのかというと、当時の大阪は「天下の台所」と呼ばれるほどの、日本の経済の中心地であり、全国に流通するお米のおよそ40%が大阪に集中していました。
 当時の経済は、米本位制でしたから、大量の米を商う大阪で、先物取引が生まれるのは時間の問題でした。
 そう言う経緯もあって、18世紀前半には、講談でも名奉行で知られる大岡越前が、先物市場としては世界最初である堂島米市場を、大阪に整備しました。
 今でこそ「天下の台所」と言う言葉は、大阪の過去の栄光的な話で引用されますけど、当時の大阪は文字通りの「天下の台所」で、日本の経済を牛耳ると同時にサポートもしていました。
 






(6)カッターナイフ
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 DIYや図画工作に欠かせない必需品であるもカッターナイフも、実は大阪で産声をあげた発明品です。
 カッターナイフが生まれたのは、終戦から11年後の1956年まで遡ります。
 当時は刃物と言えばドイツ製だと言う時代で、ゾーリンゲン製のナイフ等は高級品として崇められていました。
 どうも、この「ドイツ製刃物信仰」は、大阪かあるいは近畿地区限定みたいで、仕事で関東に住んでいた頃にゾーリンゲンの話題をしても「何処だよ、そこ?」って言われた記憶があります。
 大阪だと、そこそこ話が通じるんですが…
 話が脱線しましたが、ドイツ製の刃物は切れ味も良く、また、切れ味がなかなか落ちないと言う優れた特徴があったのですが、一つだけ大きな欠点がありました。
 それは非常に高価だったことです。
 その当時、そんな高価なドイツ製のナイフが何に使われていたかと言うと、軽印刷業の職人が刷り上がった印刷物を切ったり、あるいは新聞の印刷工場で新聞紙の束を裁断したりと、とにかく紙に関する場面でよく使われていました。
 しかし、そんな高価なナイフを皆が使っていたわけではありません。お金のない人は、安く手にはいる日本製のナイフを使っていたのですが、当時の日本の刃物は切れ味はいいものの、すぐに切れ味が落ちると言う大きな欠点を持っていました。
 それを、カッターナイフの発明者である岡田良夫が、板チョコからヒント得て、切れ味が落ちたら、その切れ味の悪い所だけを板チョコの様に折って捨てることが出来る刃物を思いつきます。
 これなら安い日本製の刃物でも、高いドイツ製の刃物の様に常に同じ切れ味をキープできます。岡田良夫は自分が考え付いたアイデアを具現化し、カッターナイフと言う名前で販売しますが、これが思いもよらない大ヒット商品になります。
 今では世界的な刃物の産地であるゾーリンゲンですらカッターナイフを生産しており、岡田良夫が発明したカッターナイフは世界中で愛用されています。


(7)カラオケ
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 カラオケの発明者が誰であるかについては、以前から色々と取り沙汰されていますが、大阪発祥である事は、どうやら間違いない様です。
 写真は初期の頃のカラオケですが、昔は今のような技術はありませんでしたから、通信したり映像なんかを流す機能はありませんでした。。
 じゃぁ、当時の人は、この機械をどう使ったと言うと、8トラックカセットと呼ばれる異なる曲が4曲入っているメディアを、カラオケの装置本体にセットして、その4曲の中から好きな曲を選曲し、曲が流れたら紙に書かれた歌詞を見ながら歌うと言う使い方をしていました。
 だから昔の人は、歌詞が書かれいるカードや本を見ながら、ひたすらマイクに向かって熱唱していました。
 カラオケが登場して暫くは、日本国内だけで利用されていましたが、アジアの国々の飲食店や酒場で、日本人観光客を呼び寄せる為にカラオケの機械が導入されたのが、海外でカラオケが使われた最初の使用例でした。
 その後、徐々に経済的に豊かになっていったアジアの国々では、日本人観光客だけではなくて現地の人もカラオケを使うようになり、そのアジアでの普及が皮切りとなって、徐々に世界に浸透していきます。
 今ではアメリカやヨーロッパでも、カラオケバーなどが存在します。
 ちなみに、皆さんは知っているとは思いますが、カラオケは「空(カラ)のオーケストラ」の略です。


(8)LSI電卓
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 電卓は電子卓上計算機の略ですが、卓上(机の上)で電子的に計算できる機械を、世界で最初に開発したのはイギリスの企業でした。
 しかし操作が複雑で重量も重く、真空管を使っていた上に大変高価だったため普及しませんでした。
 ここで「真空管って何?」って思った人がいるかもしれませんが、真空管とはその昔、電子的な動作をする装置には必ず使われていた重要な部品のことです。
 見た感じ、真空管は裸電球みたいな外見をしているのですが、有り難くないことに球切れを起こすところまで、裸電球とよく似ていました。
 真空管には欠点が多かったため、トランジスタと呼ばれる半導体素子を使った電卓が登場しますが、これも実用性はイマイチで、重量も非常に重たく値段も高価でした。
 そんな中、軽く、小さく、一般庶民もギリギリ手が手が届く値段の電卓(QT-8D)を世に出したのが、大阪の早川電機(現在のシャープ)でした。
 それまでの電卓と比べて画期的に小型化できて、しかも価格を大幅に下げれたのは、早川電機が世界で初めて電卓にLSI(大規模集積回路)を採用したからです。
 このLSI電卓の登場が契機になって、日本製の電卓は世界を席巻する事になります。


(9)プレハブ住宅
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 プレハブ住宅が現れる以前にも、実は似たようなアイデアの住宅は幾つかありました。
 代表的なのが著名なアメリカ人建築家のバックミンスター・フラーが作ったダイマクションハウスで、工場で安価な住宅の完成品を作ると言うコンセプトの元に開発されましたが、これは現在のプレハブ住宅とは異なり円形をしていたので、それが仇となって、増築などは簡単には行えませんでした。
 現在のような、まるでオモチャのブロックを積み上げるかのような感覚で増築できるプレハブ住宅を、世界で初めて開発したのが積水化学です。
 「なんか安っぽいなぁ~」と言うイメージを持たれる事が多いプレハブ住宅ですが、工場で殆どの部分を組み立てるため工期が短く済み、安価な上に、地震にも強いと言う優れた特徴があります。
 まぁ、工事現場の臨時事務所の殆どがプレハブ住宅を使っていて、何となく臨時的なものだと言うイメージが拭い切れませんから、優れた特徴があると言ってもイメージアップには時間がかかるとは思いますが。


(10)二階建て高速列車
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 高速列車と言うと、まず殆どの人は新幹線を連想すると思います。
 もちろん担当Sもそうですし、高速列車と言う言葉は、ほぼ新幹線と同意義です。
 しかし、どうやら昔の近畿日本鉄道(※名古屋-大阪間を結ぶ鉄道会社)は自社の特急列車を、"自称"高速列車だと遠回しに宣伝していた時期があったようです。
 これには理由があります。
 新幹線が開通するまでは、電車で大阪から名古屋に行く場合には、近畿日本鉄道の特急に乗って名古屋に向かうのが、最速の方法でした。
 近畿日本鉄道もそれを知っていて、当時はかなり強気の料金設定をしていたようです。
 そんな中で近畿日本鉄道が満を持して導入したのが、写真に写っているビスタカーと呼ばれる二階建ての特急電車で、当時としては速い部類に入る最高速度110km/hを誇っていました。※2017/06/11追記:最高速度は130km/hはあったそうです。
 現代の感覚に照らし合わせると、この程度の速度で高速列車と言われてもなぁ~、と言うのが正直な所ですが、新幹線が開通する前のJR(国鉄)の電車はもっと足が遅かったみたいですから、昔の人にとっては高速列車だったのかもしれません。
 ちなみにこのビスタカー、二階建てなのは真ん中の車両だけで、それ以外の車両は一階建てでした。
 それでも近畿日本鉄道としては、高い乗車賃に見合ったゴージャス(死語)な旅を乗客に満喫して欲しくて二階建ての車両を敢えて導入したのだと思います。
 ですが、このビスタカーが導入された僅か6年後に新幹線が開通し、立場が逆転。新幹線に客を奪われ、廃止の危機を迎えます。
 「人生、一寸先は闇」という言葉がありますが、正にそんな感じですね。
 ちなみに、この時の危機は何とか脱したみたいで、今でも名古屋-大阪間に近畿日本鉄道は特急電車を走らせています。



 いかがだったでしょうか?
 中にはいささか強引な感じのものもありますが、大阪発の世界的発明品と言うのが、そこそこ存在するのはご理解して頂けたのではないかと思います。
 本当はもっとあるのですが、それらが例外なくシャープさんが作った発明品ばかりなので、今回は割愛させて頂きました。
 次回はまたオカルトネタでもやってみようかと思っています。
 担当Sでした!
 
 
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