二つの洋品店が通りをはさんで向かい合って建っていました。どちらもこじんまりとした作りでしたが、大きなショウウィンドウを持っていました。一方の店には男のマネキン人形(名前をピエールと言います)が、もう一方の店には女のマネキン人形(名前はマリーと言います)が立っていました。
ピエールの店は男性衣類専門店、それも普段着用の洋服を扱っていました。ですから、ピエールはそれほど高級な服は着たことがありません。でも、自分と同じような服装の人を見かけるのが楽しみでした。僕もそこそこ役に立っているんだな、そう思うとピエールは嬉しくなりました。
一方、マリーの店は女性専門、それも高級品のみを扱っていました。当然、マリーもそのような華やかで贅沢な服を着ていました。マリーは店主がそのような服が似合うように容姿や面立ちを美しく作らせた特別製でした。ですから、多くの女性はマリーの前で立ち止まり、マリーを見上げては羨望の混じった溜息をつきました。この町で一番美しいのは私だわ、マリーは溜息をつく女性たちを見下ろしては思いました。
深夜、人影がすっかりなくなり、街頭の灯りがぼんやりと闇の中に浮かぶ頃、ピエールはマリーに話しかけます。ただし、あくまでも世間話をするだけです。ピエールはマリーに対して密かに恋心を持っていました。しかし、口に出す事はできません。マリーの美しさと華やかさに自分が全く釣り合わないことを知っていたからです。それでも話だけはしたいので、いつもちょっとふざけたような口調で切り出します。
「ねえ、マリー、昼間ここを歩いていた女の人が居てさ・・・」
「歩いている人なんて、それこそ山ほど居たわ。あなたが誰のことを言っているのか、分からないわ」
マリーは迷惑そうに答えます。マリーはピエールが思っている以上に、ピエールが自分には相応しくないと思っていました。自分に気安く声をかけられる様な立場ではないと思っていたのです。
「そうか・・・ でも、君はいつも素敵な服が着られていいなぁ。僕なんかひどい時には二三ヶ月同じ服だもんね!」
ピエールは話題を変え、なおもマリーに話しかけます。
「仕方ないじゃない、あなたのお店はそう言うお店なんだから」
マリーはそう言うと黙ってしまいました。本当に毎日毎日くだらない事ばかり話しかけてきてどう言う気なのかしら。少しは自分の立場を知ってもらいたいものだわ。
マリーはピエールの抱いている恋心には全く気付いていません。もし気付いたとしても、冷たい態度で拒否するか、愚かしい話と嘲笑うでしょう。
ある日、マリーの店に運送業者がやってきて店にある服を次々と運び出し始めました。ショウウィンドウに居るマリーのところにもやってきて、着ていた服を剥ぎ取るように脱がし始めました。その際マリーは床に投げ出され、壁の方に顔を向けたまま放置されてしまいました。マリーは何が起こったのか分かりません。こんなに乱暴に扱われたのは初めてでした。
実は、最近郊外にできた大きなショッピング・モールの高級洋品店に客足を奪われてしまい、売上が減ってしまったために店をたたむ事になってしまい、その片付けが行われていたのです。
こんなに壁が汚かったんだ・・・ マリーはそんなことを思いながら壁を見つめ、騒ぎの音を聞いていました。騒ぎがすっかり治まったのは深夜でした。
「マリー・・・ マリー、大丈夫かい?」
人気がなくなったのを確かめてからピエールが声をかけました。いつもと違い真剣な声でした。
「何もしてあげられなくて、ごめんよ。でも、どんなに心配していた事か・・・」
「ふざけないでよ! 本当はざまあ見ろと思っているんでしょ? こんな惨めな姿を見て! いつもあなたをバカにしていたものね!」
マリーは壁を見たまま言いました。
「何を言ってるんだ! 僕は本当に君を愛しているんだ。ずっとずっとなんだよ!」
「同情はいらないわ。それにわたしはあなたなんかこれっぽっちも気にした事はないわ。いつもいつもうるさくて、つまらない話ばかりして、どこかへ行って欲しいといつも思っていたわ。もう話しかけないで!」
マリーは黙ってしまいました。ピエールももう声をかけませんでした。
何日壁を見ていたのか、マリーには分からなくなっていました。あの日以来、ピエールは声をかけてはくれません。
マリーはピエールが話しかけてくれていた頃を懐かしく思い出していました。嫌な人と思っていたけど、やっぱり私も気にしていたのかしら・・・ ピエールの様子を思い浮かべました。いつも同じ服とぼやいていたけど、結構似合っていたわね。それに優しいし・・・ いつもわたしの事心配してくれていたし・・・ あの日、やけになってピエールを怒らせてしまったわ。それから全然声をかけてくれないけど、まだ怒っているのかしら・・・ しかし、マリーは振り返る事ができません。ああ、ピエール、もう一度あなたの顔が見たい・・・
マリーの店が改装される事になりました。ショウウィンドウにも入り口にも覆いがされました。今度はケーキ屋になるのです。マリーはケーキ屋の衣装を着せられ、今まで通りショウウィンドウに立つ事になりました。マリーは心をときめかせていました。 ああ、ピエールにまた逢えるのね。許してもらえるまで何度でも謝るわ。だって、私が本当に愛したのはピエールだって気がついたのだもの・・・ 今までの私はどうかしてたんだわ!
開店当日、覆いがはずされ始めました。マリーは飛び切りの笑顔をピエールがいつも立っている方へと向けました。ピエール、ピエール・・・ 愛しているわ!
覆いがはずされました。マリーの笑顔はそのまま引きつってしまいました。
ピエールの横には男の子が立ちさらにその横に女性が立っていました。それはピエールの妻と子供でした。
マリーの店がつぶれた後、ピエールの店は女性の服と子供の服とを売るようになり、それに合わせてマネキンを増やしたのです。ピエールの優しい瞳は妻と子供に注がれ、もうマリーの方を見てはいませんでした。
「パパ、向かいのお店の女の人はだあれ?」
坊やがピエールに聞きました。ピエールは視線を一瞬マリーに向け、すぐに坊やに戻しました。
「さあねぇ、誰だろうねぇ」
「物知りのあなたでも知らないの?」
妻も聞き返しました。ピエールはもう一度チラッとマリーを見、すぐに視線を妻に戻しました。
「全然知らないな! そんな事より、昔、昼間ここを歩いていた女の人が居てさ・・・」
マリーはそれからずっと、仲の良いピエールたちを見続けていなければなりませんでした。
ピエールの店は男性衣類専門店、それも普段着用の洋服を扱っていました。ですから、ピエールはそれほど高級な服は着たことがありません。でも、自分と同じような服装の人を見かけるのが楽しみでした。僕もそこそこ役に立っているんだな、そう思うとピエールは嬉しくなりました。
一方、マリーの店は女性専門、それも高級品のみを扱っていました。当然、マリーもそのような華やかで贅沢な服を着ていました。マリーは店主がそのような服が似合うように容姿や面立ちを美しく作らせた特別製でした。ですから、多くの女性はマリーの前で立ち止まり、マリーを見上げては羨望の混じった溜息をつきました。この町で一番美しいのは私だわ、マリーは溜息をつく女性たちを見下ろしては思いました。
深夜、人影がすっかりなくなり、街頭の灯りがぼんやりと闇の中に浮かぶ頃、ピエールはマリーに話しかけます。ただし、あくまでも世間話をするだけです。ピエールはマリーに対して密かに恋心を持っていました。しかし、口に出す事はできません。マリーの美しさと華やかさに自分が全く釣り合わないことを知っていたからです。それでも話だけはしたいので、いつもちょっとふざけたような口調で切り出します。
「ねえ、マリー、昼間ここを歩いていた女の人が居てさ・・・」
「歩いている人なんて、それこそ山ほど居たわ。あなたが誰のことを言っているのか、分からないわ」
マリーは迷惑そうに答えます。マリーはピエールが思っている以上に、ピエールが自分には相応しくないと思っていました。自分に気安く声をかけられる様な立場ではないと思っていたのです。
「そうか・・・ でも、君はいつも素敵な服が着られていいなぁ。僕なんかひどい時には二三ヶ月同じ服だもんね!」
ピエールは話題を変え、なおもマリーに話しかけます。
「仕方ないじゃない、あなたのお店はそう言うお店なんだから」
マリーはそう言うと黙ってしまいました。本当に毎日毎日くだらない事ばかり話しかけてきてどう言う気なのかしら。少しは自分の立場を知ってもらいたいものだわ。
マリーはピエールの抱いている恋心には全く気付いていません。もし気付いたとしても、冷たい態度で拒否するか、愚かしい話と嘲笑うでしょう。
ある日、マリーの店に運送業者がやってきて店にある服を次々と運び出し始めました。ショウウィンドウに居るマリーのところにもやってきて、着ていた服を剥ぎ取るように脱がし始めました。その際マリーは床に投げ出され、壁の方に顔を向けたまま放置されてしまいました。マリーは何が起こったのか分かりません。こんなに乱暴に扱われたのは初めてでした。
実は、最近郊外にできた大きなショッピング・モールの高級洋品店に客足を奪われてしまい、売上が減ってしまったために店をたたむ事になってしまい、その片付けが行われていたのです。
こんなに壁が汚かったんだ・・・ マリーはそんなことを思いながら壁を見つめ、騒ぎの音を聞いていました。騒ぎがすっかり治まったのは深夜でした。
「マリー・・・ マリー、大丈夫かい?」
人気がなくなったのを確かめてからピエールが声をかけました。いつもと違い真剣な声でした。
「何もしてあげられなくて、ごめんよ。でも、どんなに心配していた事か・・・」
「ふざけないでよ! 本当はざまあ見ろと思っているんでしょ? こんな惨めな姿を見て! いつもあなたをバカにしていたものね!」
マリーは壁を見たまま言いました。
「何を言ってるんだ! 僕は本当に君を愛しているんだ。ずっとずっとなんだよ!」
「同情はいらないわ。それにわたしはあなたなんかこれっぽっちも気にした事はないわ。いつもいつもうるさくて、つまらない話ばかりして、どこかへ行って欲しいといつも思っていたわ。もう話しかけないで!」
マリーは黙ってしまいました。ピエールももう声をかけませんでした。
何日壁を見ていたのか、マリーには分からなくなっていました。あの日以来、ピエールは声をかけてはくれません。
マリーはピエールが話しかけてくれていた頃を懐かしく思い出していました。嫌な人と思っていたけど、やっぱり私も気にしていたのかしら・・・ ピエールの様子を思い浮かべました。いつも同じ服とぼやいていたけど、結構似合っていたわね。それに優しいし・・・ いつもわたしの事心配してくれていたし・・・ あの日、やけになってピエールを怒らせてしまったわ。それから全然声をかけてくれないけど、まだ怒っているのかしら・・・ しかし、マリーは振り返る事ができません。ああ、ピエール、もう一度あなたの顔が見たい・・・
マリーの店が改装される事になりました。ショウウィンドウにも入り口にも覆いがされました。今度はケーキ屋になるのです。マリーはケーキ屋の衣装を着せられ、今まで通りショウウィンドウに立つ事になりました。マリーは心をときめかせていました。 ああ、ピエールにまた逢えるのね。許してもらえるまで何度でも謝るわ。だって、私が本当に愛したのはピエールだって気がついたのだもの・・・ 今までの私はどうかしてたんだわ!
開店当日、覆いがはずされ始めました。マリーは飛び切りの笑顔をピエールがいつも立っている方へと向けました。ピエール、ピエール・・・ 愛しているわ!
覆いがはずされました。マリーの笑顔はそのまま引きつってしまいました。
ピエールの横には男の子が立ちさらにその横に女性が立っていました。それはピエールの妻と子供でした。
マリーの店がつぶれた後、ピエールの店は女性の服と子供の服とを売るようになり、それに合わせてマネキンを増やしたのです。ピエールの優しい瞳は妻と子供に注がれ、もうマリーの方を見てはいませんでした。
「パパ、向かいのお店の女の人はだあれ?」
坊やがピエールに聞きました。ピエールは視線を一瞬マリーに向け、すぐに坊やに戻しました。
「さあねぇ、誰だろうねぇ」
「物知りのあなたでも知らないの?」
妻も聞き返しました。ピエールはもう一度チラッとマリーを見、すぐに視線を妻に戻しました。
「全然知らないな! そんな事より、昔、昼間ここを歩いていた女の人が居てさ・・・」
マリーはそれからずっと、仲の良いピエールたちを見続けていなければなりませんでした。
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