「コーイチ、出て参れ!」
殿様の声に応じるように、コーイチがのっそりと姿を現わした。その顔には悲愴感が漂っている。コーイチは生気の無い眼差しを、呼ばわっている殿様に向けた。
殿様はコーイチをぎろりとにらんでいる。右手が太刀の柄を握っている。殿様の横に美しい顔立ちの女性が二人立っている。綺羅姫の姉姫である長女の紗弥(さや)姫と次女の優羅(ゆら)姫だ。二人ともコーイチの姿を見た途端に厳しい顔つきになった。美しい顔立ちの女性の怒った顔には迫力がある。コーイチの足が思わず止まった。二人の姉姫は帯に挟んであった懐剣の柄に右手を添えた。一歩下がった位置には白髪ながら、いかにも歴戦の強者を思わせる古武士然とした厳つい老人が、殺気を漲らせた眼をコーイチに向けて立っている。家老で、綺羅姫が言うところの塚本のクソ爺いだ。この家老も柄に手を掛けている。
……ああ、ボクは終わりだ。逸子さんに会う事無く、ボクはここで絶えるのか。コーイチは思った。……「霊感少女 さとみ」の新作の話があったのに、とうとう読むことも出来ないんだな…… コーイチは天を仰いだ。
「お~い、コーイチ君!」声がした。コーイチは顔を声のする方へ向けた。「ははは、しっかりしろよ」
「あっ! あなたは……」
厳つい家老の塚本の後ろから、ひょっこりと姿を現わしたのは、テルキだった。家老の陰になっていて、コーイチは気が付かなかったのだ。
「……テルキさん……」
「おう、覚えていてくれたか。……それにしても、着物なんか着て、すっかりこの時代になじんでいるようだね」
テルキはここへ着いた時のままの格好だ。にやにやしながらコーイチを見ているテルキの視線に、コーイチは恥かしくなった。
「いえ、これは姫が着るようにってボクにくれたんですよ!」
「姫じゃとぉぉぉぉ!」突然、家老が語気鋭く怒鳴る。「コーイチ! お前は、綺羅姫様をそのように呼ぶのか! この不埒者めが!」
「これ、コーイチ!」今度は殿様が語気を強くする。「お前が着ているのは、わしの着物ぞ!」
「え? ……いえ、ですから、ある日、姫がこれを持って来て(「まだ姫と申すか!」と、家老の塚本が怒鳴る。コーイチは青くなる)、着ろと言って持ってきて…… ボクは似合わないからイヤだって言ったんですけど、頑として譲らなかったんで、仕方なく着たんですよぉ……」
「綺羅のヤツめ、勝手に持ち出しおって!」殿様はぶつぶつと文句を言う。「これは一番のお気に入りなのだぞ。それは分かっておったはずじゃ。それを……」
「コーイチとやら……」上の姉姫の紗弥が、じっとコーイチを見つめながら静かな声で言う。懐剣の柄に添えた右手に力が入り、強く握る。「そなた、綺羅を死地に追いやっているそうな?」
「いえいえいえいえ!」紗弥姫の静かな迫力に圧倒されたコーイチは全力で首を左右に振る。「ボクは、そんなつもりは全くなかったんですよ! ボクは姫自身が(「また姫と申すか!」家老が怒鳴る。コーイチはまた青くなる)元の姿に戻れば、正しい考え方をするようになると思ったんです!」
「正しい考え方……」優羅姫も懐剣の柄を強く握る。「それはどういう意味じゃ?」
「姫(塚本がじろりとコーイチをにらむ)……様は、家の道具になるのはイヤだと言っていました。それで、わざと大食いで甘い物好きとなったと……」
「家の道具……」
姉姫二人は顔を見合わせる。何か思う事でもあるのだろうか、二人はしばし黙っていた。やがて、紗弥姫が口を開いた。
「コーイチ、そなた、綺羅に何を言われたのじゃ?」
「はあ、姫……様から聞いた話では、お二人とも嫁ぐ前日は『行きとうない、行きとうない』と泣き明かしたと。だから自分は言われたままの結婚はイヤだと……」
「な、何を馬鹿な!」紗弥姫が言う。「わたくしは喜んで嫁ぎましたえ!」
「わたくしもじゃ!」優羅姫も言う。「綺羅は偽りを申しておるのじゃ! おのれの大食と甘い物好きの言い訳にわたくしたち姉を利用したのじゃ!」
姉姫たちはものすごい怒りようだった。コーイチはたじろぐ。
「そうなんですか?」コーイチは言うが、綺羅姫がこの話をした時の様子を思い出してみた。「……嘘偽りを言っているとは思えなかったんですが……」
コーイチの言葉に、姉姫二人はじろりとコーイチをにらみ返した。今にも懐剣を抜きそうだ。
「良いか、コーイチ!」家老が怒鳴る。「お前は、綺羅姫様を亡き者とし、この内田の家を取り潰す気であろう!」
「そんな事、考えるわけないですよ!」コーイチは全力で否定した。「ただ、殿様から『綺羅よ、婿は杉田家の弥三郎にせよ。あの家もこれから手を結んでおいて損はない』と、話を切り出されたのに腹を立てていました。その背後に御家老さんがいるとも言って怒っていました」
「たわけた事を申すな!」家老が怒鳴る。「それがしは御家を第一に考えておるだけ。綺羅姫様がそのような事を言われるはずが無かろう! コーイチ、お前の作り話であろう!」
「そんな訳ないですよ! ボクの本心は、姫に(「また姫と申すか!」と家老が怒鳴る。コーイチは表情を変えない)、つまらぬ意地を張らず、素直になって良い夫を迎えて欲しいと思ったんですよ!」
「そう思うのであれば、何故、お前が素直に綺羅の婿にならんのだ?」殿様が言う。「綺羅はお前を気に入っておるのだぞ」
「……でも、ボクは逸子さんが……」
「ははは、コーイチ君、思い出してくれ」テルキが笑いながら割って入って来た。「タイムマシンは壊れたのだよ。もう戻れはしないのだよ。ならば、この時代で上手く生きる方が良かろうさ」
「じゃあ、テルキさんは上手く生きているんですか?」
「まあな。オレは家老の補佐をしている。殿様からも頼りにされているよ」テルキの言葉に殿様と家老は深くうなずく。「だからさ、コーイチ君も、そうすれば良いのさ。……良いんじゃないかな、一国の殿様だぜ」
「……そうは言いますが……」
「コーイチ! テルキがここまで言って聞かせても、まだイヤだと申すのか!」殿様が言うと、すらりと太刀を抜いた。「ならば、お前はここまでじゃ! そこに直れい!」
殿様の抜刀が合図となり、姉姫たちと家老も白刃を光らせた。
「コーイチ君……」テルキの顔から笑みが消えた。「……洒落にならないぜ……」
テルキは、コーイチが殿様たちを見ていない事に気がついた。コーイチの視線を追って後ろに振り返った。
「あっ!」
テルキは思わず声を上げた。その声に皆も振り返る。
紗弥姫も優羅姫も霞むほどに、ほっそりとして、とてつもなく美しい女性が立っていた。しかし、その表情は険しい。
「父上、それに姉様たち、コーイチに何をするつもりなのじゃ!」聞き覚えのある声だ。「それに塚本! お前は家老の分際で、わたくしのコーイチに何をしておるのじゃ!」
綺羅姫だった。
つづく
殿様の声に応じるように、コーイチがのっそりと姿を現わした。その顔には悲愴感が漂っている。コーイチは生気の無い眼差しを、呼ばわっている殿様に向けた。
殿様はコーイチをぎろりとにらんでいる。右手が太刀の柄を握っている。殿様の横に美しい顔立ちの女性が二人立っている。綺羅姫の姉姫である長女の紗弥(さや)姫と次女の優羅(ゆら)姫だ。二人ともコーイチの姿を見た途端に厳しい顔つきになった。美しい顔立ちの女性の怒った顔には迫力がある。コーイチの足が思わず止まった。二人の姉姫は帯に挟んであった懐剣の柄に右手を添えた。一歩下がった位置には白髪ながら、いかにも歴戦の強者を思わせる古武士然とした厳つい老人が、殺気を漲らせた眼をコーイチに向けて立っている。家老で、綺羅姫が言うところの塚本のクソ爺いだ。この家老も柄に手を掛けている。
……ああ、ボクは終わりだ。逸子さんに会う事無く、ボクはここで絶えるのか。コーイチは思った。……「霊感少女 さとみ」の新作の話があったのに、とうとう読むことも出来ないんだな…… コーイチは天を仰いだ。
「お~い、コーイチ君!」声がした。コーイチは顔を声のする方へ向けた。「ははは、しっかりしろよ」
「あっ! あなたは……」
厳つい家老の塚本の後ろから、ひょっこりと姿を現わしたのは、テルキだった。家老の陰になっていて、コーイチは気が付かなかったのだ。
「……テルキさん……」
「おう、覚えていてくれたか。……それにしても、着物なんか着て、すっかりこの時代になじんでいるようだね」
テルキはここへ着いた時のままの格好だ。にやにやしながらコーイチを見ているテルキの視線に、コーイチは恥かしくなった。
「いえ、これは姫が着るようにってボクにくれたんですよ!」
「姫じゃとぉぉぉぉ!」突然、家老が語気鋭く怒鳴る。「コーイチ! お前は、綺羅姫様をそのように呼ぶのか! この不埒者めが!」
「これ、コーイチ!」今度は殿様が語気を強くする。「お前が着ているのは、わしの着物ぞ!」
「え? ……いえ、ですから、ある日、姫がこれを持って来て(「まだ姫と申すか!」と、家老の塚本が怒鳴る。コーイチは青くなる)、着ろと言って持ってきて…… ボクは似合わないからイヤだって言ったんですけど、頑として譲らなかったんで、仕方なく着たんですよぉ……」
「綺羅のヤツめ、勝手に持ち出しおって!」殿様はぶつぶつと文句を言う。「これは一番のお気に入りなのだぞ。それは分かっておったはずじゃ。それを……」
「コーイチとやら……」上の姉姫の紗弥が、じっとコーイチを見つめながら静かな声で言う。懐剣の柄に添えた右手に力が入り、強く握る。「そなた、綺羅を死地に追いやっているそうな?」
「いえいえいえいえ!」紗弥姫の静かな迫力に圧倒されたコーイチは全力で首を左右に振る。「ボクは、そんなつもりは全くなかったんですよ! ボクは姫自身が(「また姫と申すか!」家老が怒鳴る。コーイチはまた青くなる)元の姿に戻れば、正しい考え方をするようになると思ったんです!」
「正しい考え方……」優羅姫も懐剣の柄を強く握る。「それはどういう意味じゃ?」
「姫(塚本がじろりとコーイチをにらむ)……様は、家の道具になるのはイヤだと言っていました。それで、わざと大食いで甘い物好きとなったと……」
「家の道具……」
姉姫二人は顔を見合わせる。何か思う事でもあるのだろうか、二人はしばし黙っていた。やがて、紗弥姫が口を開いた。
「コーイチ、そなた、綺羅に何を言われたのじゃ?」
「はあ、姫……様から聞いた話では、お二人とも嫁ぐ前日は『行きとうない、行きとうない』と泣き明かしたと。だから自分は言われたままの結婚はイヤだと……」
「な、何を馬鹿な!」紗弥姫が言う。「わたくしは喜んで嫁ぎましたえ!」
「わたくしもじゃ!」優羅姫も言う。「綺羅は偽りを申しておるのじゃ! おのれの大食と甘い物好きの言い訳にわたくしたち姉を利用したのじゃ!」
姉姫たちはものすごい怒りようだった。コーイチはたじろぐ。
「そうなんですか?」コーイチは言うが、綺羅姫がこの話をした時の様子を思い出してみた。「……嘘偽りを言っているとは思えなかったんですが……」
コーイチの言葉に、姉姫二人はじろりとコーイチをにらみ返した。今にも懐剣を抜きそうだ。
「良いか、コーイチ!」家老が怒鳴る。「お前は、綺羅姫様を亡き者とし、この内田の家を取り潰す気であろう!」
「そんな事、考えるわけないですよ!」コーイチは全力で否定した。「ただ、殿様から『綺羅よ、婿は杉田家の弥三郎にせよ。あの家もこれから手を結んでおいて損はない』と、話を切り出されたのに腹を立てていました。その背後に御家老さんがいるとも言って怒っていました」
「たわけた事を申すな!」家老が怒鳴る。「それがしは御家を第一に考えておるだけ。綺羅姫様がそのような事を言われるはずが無かろう! コーイチ、お前の作り話であろう!」
「そんな訳ないですよ! ボクの本心は、姫に(「また姫と申すか!」と家老が怒鳴る。コーイチは表情を変えない)、つまらぬ意地を張らず、素直になって良い夫を迎えて欲しいと思ったんですよ!」
「そう思うのであれば、何故、お前が素直に綺羅の婿にならんのだ?」殿様が言う。「綺羅はお前を気に入っておるのだぞ」
「……でも、ボクは逸子さんが……」
「ははは、コーイチ君、思い出してくれ」テルキが笑いながら割って入って来た。「タイムマシンは壊れたのだよ。もう戻れはしないのだよ。ならば、この時代で上手く生きる方が良かろうさ」
「じゃあ、テルキさんは上手く生きているんですか?」
「まあな。オレは家老の補佐をしている。殿様からも頼りにされているよ」テルキの言葉に殿様と家老は深くうなずく。「だからさ、コーイチ君も、そうすれば良いのさ。……良いんじゃないかな、一国の殿様だぜ」
「……そうは言いますが……」
「コーイチ! テルキがここまで言って聞かせても、まだイヤだと申すのか!」殿様が言うと、すらりと太刀を抜いた。「ならば、お前はここまでじゃ! そこに直れい!」
殿様の抜刀が合図となり、姉姫たちと家老も白刃を光らせた。
「コーイチ君……」テルキの顔から笑みが消えた。「……洒落にならないぜ……」
テルキは、コーイチが殿様たちを見ていない事に気がついた。コーイチの視線を追って後ろに振り返った。
「あっ!」
テルキは思わず声を上げた。その声に皆も振り返る。
紗弥姫も優羅姫も霞むほどに、ほっそりとして、とてつもなく美しい女性が立っていた。しかし、その表情は険しい。
「父上、それに姉様たち、コーイチに何をするつもりなのじゃ!」聞き覚えのある声だ。「それに塚本! お前は家老の分際で、わたくしのコーイチに何をしておるのじゃ!」
綺羅姫だった。
つづく
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