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コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 52

2020年05月15日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
「お兄様、取りあえず、ここを出ましょう」
 逸子は言う。浴室はタイル張りのせいか、意外と声にエコーがかかってしまう。そんな中で熱心に話すケーイチの声は一際わんわんと大きく響く。ナナも、ケーイチの熱意よりも声の響に圧倒されているようだ。
「そうです、ケーイチさん」ナナも逸子に同意する。「ここで話していても、曽祖父の研究室には行けませんし……」
「あ、そうか!」ケーイチは今気が付いたようだ。「じゃあ、早く出よう!」
 普段はもたもたしているケーイチだが、今はきびきびとしており、一番に浴室を出て行った。
「お兄様……」逸子は呆れたようにつぶやく。「現金と言うか、思い込んだらと言うか……」
「そうですね……」ナナは言うと、くすっと笑った。「ケーイチさんって、話で聞いていた曽祖父と同じ感じがしています」
「あら、お兄様とトキタニ博士って似ているって言うの?」
「そうです。共にタイムマシンに関わっているという点も含めて」ナナは言う。「……でも、ケーイチさんの方が先を行っている感じがしますね」
「でも、タイムマシンを作ったのは、トキタニ博士でしょ?」
「結果としてはそうですけど、逸子さんの時代にしかるべき道具や技術が確立されていれば、絶対、ケーイチさんが作っていたでしょう。そうすれば、今の混乱を招いているような不完全な出来のものは作られなかったはずです」
「ふ~ん……」逸子は口を尖らせる。「ひょっとして、お兄様は凄い人なのかしら?」
「ひょっとしなくても、凄い人なんです!」ナナが力強く言う。その声にエコーがかかる。「だって、曽祖父にアドバイスをしたんですよ! 凄い人に決まっているじゃないですか! わたしは尊敬しています!」
「分かった、分かったわ……」逸子がナナに圧倒される。「じゃあ、お兄様を研究室へ連れて行きましょう」
 二人は浴室を出た。ケーイチは壁に向かって立っていた。右の人差し指で壁に何か書いているような仕草をしている。
「……あの、ケーイチさん……」ナナが、ためらいがちに声をかける。しかし、ケーイチは気づいていない。ナナは、もう少し声を大きくして言う。「ケーイチさん!」
「え? あ、ああ……」ケーイチは指先を壁に付けたまま振り返る。「どうしたの?」
「お兄様……」逸子が言う。まるで子供を諭す時のような口調だ。「トキタニ博士の研究室に行くんじゃありませんでしたっけ?」
「ああ、そうだ、そうだよ、そうなんだ!」ケーイチはそう言うと、突然ナナの手をぎゅっと握った。「ナナさん、案内して!」
「え? あ、……はい……」ナナは突然のことに驚いたものの、直ぐに頬を赤らめた。「……こちらです……」
 ナナはケーイチと手をつないだまま、ナナが引っ張る形で移動する。ケーイチはよたよたとした足取りで付いて行く。逸子はその様子にくすくすと笑う。
「何だか、お似合いな二人よね……」
 逸子はつぶやくと、二人の後に続いた。
 とにかく大きな家だ。逸子はやたらと直角に曲がっている廊下を、周りをきょろきょろ見回しながら歩いていた。廊下には、絵画や花瓶のような装飾品の類は一切置いていなかった。それでも、淡いクリーム色の壁が何となくほっとさせてくれる。所々にある曇りガラスをはめ込んだ飾り窓から差し込む陽も優しい。逸子の口元が、知らずにほころぶ。
 ふと階段に気がついた。逸子は階段を昇る。同じように廊下が続いていた。階上に二人の気配を感じない。逸子は階段を降りる。目を転じて廊下の先を見るが、そこからも気配を感じない。
「え? どう言う事?」逸子は不安になって周囲を見回す。長い廊下を挟んでいる左右の壁には扉が無い。「……どこに行ったのかしら……」
 とりあえず、逸子は廊下を進んだ。廊下は飾り窓の付いた壁に辿り着いて行き止まりになっていた。二人の姿が消えてしまったのだ。先ほどまで優しく思われた飾り窓からの陽が、無言のもののけにでも様変わりしてようで不気味なものに見える。
「……まさか、タイムマシンでどこかへ行っちゃったのかしら……」逸子がつぶやく。「タイムマシンの権威だから、研究室も別の時代にあるとか……」
 不意に行き止まりの廊下が音を立てた。逸子は反射的に後方へ飛び、攻撃の構えを取る。
 廊下が、行き止まりの壁から約1メートルほどの長さで真ん中から割れ、左右にスライドして行く。音はそれが駆動する機械音だった。
 完全に廊下が開き切ったところから、ケーイチの頭がひょこんと現われた。
「お兄様!」逸子が驚く。「何をしているんですか?」
「トキタニ博士の研究室ってのは、何と地下にあるんだよ!」ケーイチは興奮している。「ここから入るんだよ! 来てごらん! こりゃあ、凄いぜえ!」
 ケーイチは言うと頭を引っ込めた。逸子はそちらへ近づいてみた。ぽっかり空いた空間には階段が見えた。どたどたとケーイチの歩く音が聞こえる。……なるほど、秘密の出入口ってわけね。逸子は笑む。そして、階段を降りて行く。


つづく

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