男に付いて行くと、黒塗りの高級そうな自動車の所に来た。恵一郎は思わずごくりと喉を鳴らす。こんな車は「バカヤロー」「コノヤロー」が頻繁に飛び交う映画で見た事があるぞ…… 恵一郎の足がすくむ。そんな恵一郎の背を男が押す。男は軽く押したようだったが、恵一郎はかなりの勢いで押し出され、車の後部座席のドアにぶつかった。恵一郎は短い悲鳴を上げて、車から飛び退いた。はあはあと男荒い息をしながら、ぶつかった所に傷が無いかを確認していた。
不意に、ぶつかった後部座席のスモークの貼ってある窓が、音も無く少し下がった。
「お乗りなさい」
下がった窓から、落ち着いた女性の声が聞こえた。特に強い口調なわけではなかったが、逆らえない雰囲気がある。それだけ言うと、窓は再び閉まった。
「聞こえただろう……」男が恵一郎に言う。相変わらずの迫力だ。「乗るんだ」
「え? でも、もう帰らないと……」
「乗れ!」
男はいらついた感じでそう言うと、恵一郎の襟首を左手でつかんで持ち上げた。恵一郎は宙に浮いた両足をばたつかせる。男は、恵一郎を吊り下げたまま、右手で助手席のドアを開け、恵一郎を放り込んだ。
「大人しく座って、シートベルトをしておけ」
男は言うと、乱暴にドアを閉めた。
「君、言われた通りにしなさい」
後部座席から、先ほどの女性の声がした。恵一郎は振り返ったが、後部座席との間にスモークを張った仕切りガラスがはめ込まれていて、姿は見えない。
「君、あの男は怒ると何をしでかすか分かりませんよ」
恵一郎は大慌てでシートベルトをしっかりと装着し、フロントガラスに向かって行儀よく座り直した。運転席のドアが開き、男が乗り込んできた。男は、両手を軽く握り、膝の上に置いて、きっちりと正面を向いて座っている恵一郎をちらっと見ると、無言のままシートに座った。
「……で、どうなさいますか?」
男は丁寧な言葉遣いで言った。
「そうねぇ……」後部座席の女性が思案気に応える。「……君、君の家はここから遠いにかしら?」
「え?」恵一郎は突然の問いに戸惑う。「ええと……」
「さっさとお答えしろ!」
男が怒鳴る。恵一郎は半泣き状態だった。一体僕が何をしたって言うんだ? 受験に失敗して慰めてほしいと言うのが本当の気持ちなのに、これは何なんだ? 僕は何かしたのか? 思い当たる事と言えば、受験に失敗した事くらいだ。僕の知らないうちに、二受験不合格者は、ひっ捕えても構わないって法律が出来たのだろうか? そうかも知れない……
恵一郎はちらと運転席の男を見る。「バカヤロー」「コノヤロー」が頻繁に飛び交う映画に出て来る、いかにもその筋っぽい人物に見える。と言う事は、後ろの席の女の人は「極妻」って人なのか? 恵一郎は父親が昨晩テレビで見ていた映画を思い出す。父さんが良からぬ所から借金をしてしまい、借金のかたに僕がこの連中に引き渡されたのかもしれない。遠い国でマグロ漁船に乗せられるんじゃないだろうか? ま、受験に失敗したんだから、時間はたっぷりあるものなぁ。何もしないよりは良いのかもしれない。恵一郎は、荒波にもまれるマグロ漁船の甲板で、大波をかぶりながら網を引いている自分の姿を思い描いていた。もうどうでも良いや…… 恵一郎は覚悟を決めた。
「僕の家はそんなに遠くは無いです……」恵一郎は言うと、住所を言う。「歩いても大して掛からないです……」
「そう……」
後部座席から声がした。それきり、言葉が途切れた。重い沈黙。
「ところで君」しばらくして女性が言う。「あそこで何をしていたの?」
「あそこ……?」
「ほら、門の所で、叩いていたでしょ?」
「門? 叩く?」恵一郎は考え込む。「……すみません、覚えていません……」
「何だとぉ!」運転席の男が恵一郎に顔を近付けて怒鳴った。恵一郎は短い悲鳴を上げる。「さっきやっていただろうが!」
「え? え?」恵一郎は必死だった。何だ? 何の事だ? 何の事…… 「あ! 思い出した! 門のレリーフ!」
「あ! じゃないだろうが!」
「……すみません…… でも、それが何かあるんですか……?」
「君……」後部座席の声が、やや厳しいものになる。「わたくし、聖ジョルジュアンナ高等学園の理事長なのですよ」
つづく
不意に、ぶつかった後部座席のスモークの貼ってある窓が、音も無く少し下がった。
「お乗りなさい」
下がった窓から、落ち着いた女性の声が聞こえた。特に強い口調なわけではなかったが、逆らえない雰囲気がある。それだけ言うと、窓は再び閉まった。
「聞こえただろう……」男が恵一郎に言う。相変わらずの迫力だ。「乗るんだ」
「え? でも、もう帰らないと……」
「乗れ!」
男はいらついた感じでそう言うと、恵一郎の襟首を左手でつかんで持ち上げた。恵一郎は宙に浮いた両足をばたつかせる。男は、恵一郎を吊り下げたまま、右手で助手席のドアを開け、恵一郎を放り込んだ。
「大人しく座って、シートベルトをしておけ」
男は言うと、乱暴にドアを閉めた。
「君、言われた通りにしなさい」
後部座席から、先ほどの女性の声がした。恵一郎は振り返ったが、後部座席との間にスモークを張った仕切りガラスがはめ込まれていて、姿は見えない。
「君、あの男は怒ると何をしでかすか分かりませんよ」
恵一郎は大慌てでシートベルトをしっかりと装着し、フロントガラスに向かって行儀よく座り直した。運転席のドアが開き、男が乗り込んできた。男は、両手を軽く握り、膝の上に置いて、きっちりと正面を向いて座っている恵一郎をちらっと見ると、無言のままシートに座った。
「……で、どうなさいますか?」
男は丁寧な言葉遣いで言った。
「そうねぇ……」後部座席の女性が思案気に応える。「……君、君の家はここから遠いにかしら?」
「え?」恵一郎は突然の問いに戸惑う。「ええと……」
「さっさとお答えしろ!」
男が怒鳴る。恵一郎は半泣き状態だった。一体僕が何をしたって言うんだ? 受験に失敗して慰めてほしいと言うのが本当の気持ちなのに、これは何なんだ? 僕は何かしたのか? 思い当たる事と言えば、受験に失敗した事くらいだ。僕の知らないうちに、二受験不合格者は、ひっ捕えても構わないって法律が出来たのだろうか? そうかも知れない……
恵一郎はちらと運転席の男を見る。「バカヤロー」「コノヤロー」が頻繁に飛び交う映画に出て来る、いかにもその筋っぽい人物に見える。と言う事は、後ろの席の女の人は「極妻」って人なのか? 恵一郎は父親が昨晩テレビで見ていた映画を思い出す。父さんが良からぬ所から借金をしてしまい、借金のかたに僕がこの連中に引き渡されたのかもしれない。遠い国でマグロ漁船に乗せられるんじゃないだろうか? ま、受験に失敗したんだから、時間はたっぷりあるものなぁ。何もしないよりは良いのかもしれない。恵一郎は、荒波にもまれるマグロ漁船の甲板で、大波をかぶりながら網を引いている自分の姿を思い描いていた。もうどうでも良いや…… 恵一郎は覚悟を決めた。
「僕の家はそんなに遠くは無いです……」恵一郎は言うと、住所を言う。「歩いても大して掛からないです……」
「そう……」
後部座席から声がした。それきり、言葉が途切れた。重い沈黙。
「ところで君」しばらくして女性が言う。「あそこで何をしていたの?」
「あそこ……?」
「ほら、門の所で、叩いていたでしょ?」
「門? 叩く?」恵一郎は考え込む。「……すみません、覚えていません……」
「何だとぉ!」運転席の男が恵一郎に顔を近付けて怒鳴った。恵一郎は短い悲鳴を上げる。「さっきやっていただろうが!」
「え? え?」恵一郎は必死だった。何だ? 何の事だ? 何の事…… 「あ! 思い出した! 門のレリーフ!」
「あ! じゃないだろうが!」
「……すみません…… でも、それが何かあるんですか……?」
「君……」後部座席の声が、やや厳しいものになる。「わたくし、聖ジョルジュアンナ高等学園の理事長なのですよ」
つづく
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