こんにちは!公認会計士の青山です

パブリックセクターを中心に会計その他のお手伝いをしています。徒然なるままに仕事やプライベートについて紹介します。

長嶋茂雄賞なんてどうでしょう!

2016-10-26 | 日記

 プロ野球関係でもう1つ。

  先日、沢村栄治賞が発表されましたね。この賞は、その年に最も活躍した投手に与えられる特別賞です。あれ、野手は?首位打者、本塁打王やゴールデングラブ賞などはありますが、その年に最も活躍した野手、最も記憶に残る野手に与えられる賞はありません。では、作ったらどうでしょうか。そう、記録だけではなく記憶にも残る野手に与えられる賞を!

 記憶に残る野手に与えられる賞なら、、、長嶋茂雄賞でしょう!


スワローズさん、パリーグの盟主になってください!

2016-10-26 | 日記

 先日、プロ野球ドラフト会議がありました。日本シリーズも行われています。日本プロ野球は盛り上がっていますね。ただ、気になるニュースもあります。若年層の野球離れが進んでいるようです。テレビの視聴率も下がっています。10年先、20年先さらに深刻になるかもしれません。

 今後、画期的な手を打っていく必要があります。プロ野球の運営にかかわる人や機関が、プロ野球全体の利益とは何かを考えなければなりません。この点、過去にはプロ野球全体の利益の追求から逆行する動きもありました。2004年に起きた8から10チームの1リーグ制にしようとする動き(プロ野球再編問題)です。各球団にとって短期的利益は発生しますが、プロ野球全体にとっては縮小均衡でありマイナスです。ただ、このような動きは、プロ野球の執行部が各球団代表によって構成されているなら当然ですね。

 今のプロ野球の執行部がどのようになっているかは知りませんが、少なくとも執行部は各球団から完全に切り離れている必要がありますね。各球団から独立しているからこそ打てる手もあります。

 私が考える打つ手の1つが、表題のスワローズのリーグ移籍です。今のままでは、首都圏のファンを巨人と2分するしかありません。スワローズがパリーグに移籍すれば、巨人もスワローズも首都圏人口すべてを取り込むことが可能です。応援する球団は、セリーグは巨人!パリーグはスワローズ!みたいに。また、交流戦では、「首都圏決戦」、「中央線決戦」などとして盛り上がるでしょう。その代り、日本ハムファイターズ辺りがセリーグに移籍すれば、セリーグとパリーグの地域バランスも良いかと思います。

 また、MLBで導入されているいわゆる「ぜいたく税」も実は論理的です。「ぜいたく税」は、裕福な球団、たとえばMLBではヤンキースなどから徴収しています。1,000万人の潜在需要のある首都圏と100万人の地方都市では、やはり差があります。「ぜいたく税」はその差を埋めようとするものです。また、徴収した税を地方球団に回せれば、プロ野球はさらに球団を増やせるかもしれません。重要なのは、球団が増えることにより、長期的には「ぜいたく税」を徴収された首都圏の球団の利益にもなることです。

 つまり、各球団個々の利益追求だけではなく、日本のプロ野球全体を盛り上げる仕組みも必要なのです。以上、私の妄想でした。


合格祝賀会

2016-09-25 | 日記

 私は、私立大学の監事をしています。その関係で、先週、大学の法科大学院・司法研究所主催で行われた司法試験の合格祝賀会に出席しました。本大学院では、予備試験経由での合格も含めて計3名が合格しました。

 合格された皆さま本当におめでとうございます。そして、今後のご活躍を期待します。今までの苦労はこれからの社会への貢献で報われるでしょう。

 私も公認会計士に合格した時を思い出し感慨深くなりました。もう20年以上前です。考えてみれば、その時から今までいろいろなことがありました。合格された皆さまも、これからいろいろなことがあるかと思いますが、再び動きだした時計を止めることなく着実に前に進んで欲しいと思います。


少しあたたかい話 ~続き~

2016-09-24 | 日記

 以前立ち寄った弘前の小料理屋に約2年ぶりに訪ねてみました。きっとご主人は覚えていないなと思いつつカウンター座ると、

 「以前、来ましたか?」と突然の質問、覚えてくれていたようです!うれしいですね。

 「平河町で働いていたのですよね。」私が言うと、少し照れたように「そんなことまで話しましたか。」

 その日も話が弾み、平河町の店で働いていたときの同僚の店まで紹介してもらいました。中野にある寿司屋Y亭に、方南町の天婦羅Tふね。いずれも人気店になっているようなので、いつか行きましょう。


退院その後

2016-06-12 | 日記

 先々週末に退院し一週間が経ちましたが、おかげさまで大分回復してきました。病名は顔面神経麻痺というもので、原因は不明です。もしかして冬の東北出張がいけなかったのでしょうか。 

 先週火曜日にはり治療も開始したのですがその効果には驚きました。動かなかった顔のパーツが治療後から動き始めたのです。金曜には某省の行政事業レビューに参加したのですが、たぶん病気だったことを気付かれなかったかと思います。某省の担当者の方も「レビュー本番に間に合うかどうか心配していました。」とおっしゃっていましたが、本当に良かったです。

 それにしても、綱渡りの1週間でした。。。


1日の始まりと4時13分の音楽

2016-06-11 | 日記

 私と関係のある方の多くは知っていることですが、私の起床は早い(年を取って寝きれないというのも事実ですが)。だいたい4時には目覚め、7時ごろまでに一日に必要なメールや業務の多くは済ませるよう努めています。

 そして4時に起きた場合、いつもなんとなく聴く音楽があります。NHK総合で4時13分に必ず流れる音楽です。これを聞くと、なぜか今日も一日が始まったなと感じるのです。調べると、「Suddenly Yours - 2002」という音楽らしいのですが、一度聴いてみてください。癒されるかもしれませんよ。でも、ほとんどの人は、そんな時間に起きないですね。

https://www.youtube.com/watch?v=jQn4U-IxDL8&sns=em

補足:朝早く私からメールを受け取られる方々、ご容赦ください。


国立天文台

2016-05-08 | 日記

 東八道路のオートバックスに車を預け、その回収まで3時間程度あったので、国立天文台を訪れた。三鷹に住んで15年、初めての訪問です。思っていたより深い森です。スズメバチや毒蛇のヤマカガシも出るそうです。

 それにしても、天文台は大正時代に麻布飯倉から三鷹に移転したそうです。私と同じなのかと思うと、より感慨深いものがあります。

 

  


少しあたたかい話

2015-02-08 | 日記

ここ数年、自治体の仕事で青森県や秋田県によく行きます。

以下は、12月初旬に1人で弘前の小料理屋に入った時の話。 

のれんをくぐって店に入ると、

「すいません。10時までなので。」と店のご主人。時計を見ると、すでに9時30分を過ぎていました。、

翌日の仕事のために夕方に東京を出て、現地のホテルに到着後すぐに荷物を置いて出てもこんな時間になってしまうのですね。

「生ビール一杯とつまみ程度で良いのですけど。」と返すと、

「なら、どうぞ。」とご主人

まだ雪は積もっていませんが、かなり寒い日だったので店に入れたことにまずはほっとし、改めて店の中を確認。私が座ったカウンターと2、3席あるセーブルには他の客はいません。ただし、奥のふすまの先からは話し声が聞こえているので、座敷には何人かいるようです。

私は、カウンターに座り注文を済ませ、「これで、約30分はゆっくりできる。」と思いながら、自分のタブレットを見始めました。

その内、10時近くになり、奥の客も帰ったので、

「そろそろ、お会計お願いします。」と頼むと、

「もう少しゆっくりしていてもいいですよ。」とご主人、続けて、

「お客さんはどちらから、」という質問に、

「東京からです。三鷹というところです。」と答えると、

「私も、以前東京に住んでいたのですよ。中央線沿線なので三鷹も知っています。」とご主人。

聞くところによると、若いころは東京の料理屋で修業をしていたそうです。その内、店も任されるようになり、最後は平河町の料理屋で店長をしていたそうです。土地柄、土日の客は少ないけれど平日は結構賑わっていたらしい。しかし、徐々に店長の職がプレッシャーとなっていったようです。

「店長の仕事が重荷になってね、ついに通勤できなくなってしまったのですよ。」とご主人。

「大変だったのですね。」と私。

「当時はね。結局、店を辞めて弘前に戻ってきました。」

その話を聞いて、改めて店の様子を確認。奥様と(たぶん)娘さんで店を切り盛りしている様子。私がこの店を知ったのも宿泊するビジネスホテルに勧められたからなので、それなりに評判なのだろうと思いつつ、

「でも、弘前にこんな素敵な店を開けて良かったではないですか。」

「戻った後もいろいろあったけど、今は良かったですかね。」

その後もいろいろと話は弾み、あっという間に11時近くになってしまった。結局、

「いろいろな話ありがとうございました。また、来ます。」と告げて店を出てきたのは11時過ぎ。

弘前の冬は寒いけれど、少しあったかい気持ちになった夜でした。そして、いつかまたこの店に来たいと思ったひと時でした。きっとご主人は覚えていないと思うけれど、それはそれで良いですね。


艶(つや)のある街“東京”その2~銭湯について~

2014-05-22 | 日記
では、「“艶”(つや)のある街“東京”」にするためには具体的にどうすればよいでしょうか。一人一人が考え実践することが重要です。私はその方策の1つとして銭湯の魅力を世界にアピールしたらどうかと考えています。銭湯のある街“東京。。。銭湯は「世代を超えて日本精神が受け継がれている庶民のコミュニケーションの場」です。何となく世界無形文化遺産にも登録されそうな気がしませんか(言い過ぎですかね)。

外国人も日本の銭湯に魅力を感じています。たとえば、「日本人が発明したものの中で、ぼくはいちばんのお気に入りは銭湯だ。ほとんど完璧とさえ言ってよいほどの発明品だと思う。」(生活人新書 ジョン・コリンズ 「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート 74頁)など。その他にも「銭湯の雰囲気は格別で、日本が好きになった」という外国人は多いのです。外国人にとっても銭湯は魅力的な空間なのですね。

しかしながら、この銭湯が現在危機となっています。東京都内の銭湯数が激減しているのです。1980年代約1万6千あった銭湯が、2013年度末には約5千にまで減っています。しかも、現存する銭湯の半数近くが廃業を検討し、しかもその3分の1が5年以内に廃業する意向だというのです。私が仕事で関わった港区においても、1980年に60あった銭湯が現在6まで減っています。

なぜ、このようなことになったのでしょう。一言で言うと銭湯は採算が取れないのです。自家風呂保有率の増加による利用者の減少、燃料の高騰化による費用の増大が主な原因です。実は、銭湯には自治体からの補助金が交付されています。それでも赤字が解消されない事実があります。しかし、今後魅力的な街づくりを行っていくためにも銭湯の存在は欠かせません。どのような改革が必要でしょうか。難しい問題ですが、私は「複合化」が1つの解決策になると思っています。「複合化」というと、施設そのものの「複合化」を思い描くかもしれません。しかし、それではコストがかさむ一方です。施設を改築して複合化しなくても機能は複合化できます。たとえば、午前中福祉活動(デイ・サービス)を行って午後に銭湯を行うことや、日中に画廊として開放するなどもあるかもしれません。

いずれにしても、自治体や経営者が一体となって考え、解決しなければならない問題ではないでしょうか。

というようなことを銭湯の湯船に浸かりながら考えています。

艶(つや)のある街“東京”~東京が目指す姿~

2014-05-22 | 日記
先日(5月20日)、米国に本社のある世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」が、世界の旅行者が訪問した都市を評価する「旅行者による世界の都市調査」を発表しました。その結果、外国人旅行者の入国数トップ37カ国の主要都市の中で、東京が総合的な満足度1位を獲得しました。

安倍政権は、力強い経済を取り戻すための重要な成長分野の1つとして観光を上げています。具体的には2020年までの訪日外国人2000万人が目標のようです。2020年には、東京オリンピックも開催されます。このような中での満足度1位は大変喜ばしいことです。但し、今回の調査では、ほとんどの項目で上位を占めている中にあって、「文化に対する評価」が11位、観光やアクティビティに対する評価が13位と、若干低くなっています。「文化」「観光」に関しては、まだまだ改善の余地があるのかもしれません。

私は、東京が特に「文化」都市に変貌するために「“艶”(つや)のある街“東京”」をキャッチフレーズとしてはどうかと考えています。“艶”は英語では、shiny(表面上の輝き)とでも訳すのでしょうか。しかし、日本人なら知っているように、“艶”という言葉の意味はそれだけではありません。「あでやかで美しいこと」「風情のあるさま」「色っぽさ」「ほのぼのとした情趣」「美しく華やかなさま」・・・。「“艶”のある街“東京”」こそ「文化」都市を目指す東京にふさわしいキャッチフレーズではないでしょうか。

ところで、19世紀以降、ヨーロッパを中心に日本の美術その他に触発された現象は一般に「ジャポニズム」と呼ばれています。私は、この時代、西洋の美術家たちは日本の“艶”にあこがれたのではないかと思っています。しかし、残念ながら西洋の言語では“艶”という言葉を明確に表現することができなかった。よって、そのような現象を「ジャポニズム」と呼ぶしかなかったのだと思います。「ジャポニズム」では西洋の美術家が何にあこがれたのかピンとこないですね。日本独特の“艶”への憧れの現象となれば「なるほど」と思うかもしれませんね。。。