2024/10/01 tue
前回の章
あれだけ頑張ったピアノ。
一人の女に格好つける為だけにやった。
川越市民会館で発表会までやったのに、彼女は来てくれなかった。
要はフラれた訳だ。
あの日以来俺はピアノを辞めた。
一人の女にすら届かない演奏をこれ以上続けても惨めなだけ。
北中のクソ裏ビデオ屋メロンを辞めた俺は、岡部さんと地元川越で飲み歩く。
トンカツひろむでの仕事が長いせいか、とても顔が広い。
岡部さんはこれから自分の店を出す準備期間の為、ちょうど時間が空いていた。
なので必然的に知り合いの店へ数軒付き合うようになる。
四軒ほど飲み歩き別れたあと、俺は川越駅西口の飲み屋街の一角にあったスナックアップルへ入ってみた。
初めての店だが、客は少なく女の子の数は多い。
そこそこいい女もいたので俺はアップルへ通うようになる。
暇を持て余していたので、毎日が退屈だ。
毎晩のようにアップルへ行き、適度に女を抱く。
春美にフラれた腹いせにヤケクソになってとにかく女を口説いた。
チーママから店に入るなり、「智さん、いい加減にしなさいよ!」と注意を受けたほどである。
それなりに面白い日々ではあるが、春美を求めていたあの頃に比べると物足りなさしかなく虚しい。
クソみたいな時間を過ごす俺に、當間という男から連絡が入る。
裏ビデオ屋メロンにいた頃、裏本を卸す業者の一人だった。
仕事の紹介と言われ、久しぶりに新宿歌舞伎町へ向かう。
業種は同じく裏ビデオ屋。
前と決定的に違うのが歌舞伎町内で五つの店舗があり、各店の個人オーナー、それを束ねる平野というボス。
ちょっとした組織的なところだった。
俺の役目は各店の管理、そして休みが欲しい店の名義の代わりに入る時があるという内容。
ブラブラしながら散財しているよりはいいかと、気軽に引き受ける。
マイペースに仕事をしながら、店へ入る時はノートパソコンを持参して小説を書く日々。
処女作新宿クレッシェンドに続き、その続編のでっぱりを十四日間で書き終えた。
小説を書く楽しさを覚えた俺は、執筆にのめり込んでいく。
そんな生活を送りながら、歌舞伎町は地獄絵図となる。
新宿歌舞伎町浄化作戦……。
石原都知事が発動した馬鹿げたこの作戦は、歌舞伎町という街を本当にボロボロにしてしまった。
その時代、歌舞伎町で生きた俺は思う。
歌舞伎町浄化作戦とは、正義を語ったパフォーマンスに過ぎないと……。
私事で言わせてもらえば、「よくもこんなくだらない作戦をやりやがったな? この馬鹿都知事が!」とぶん殴ってやりたい。
何故ならようやく手にしたチャンスを自分のドジもあるが、すべて台無しにしてしまったからである。
これまで十五年間、歌舞伎町では八月に入って捕まった店はない。
何の確証もないが、おそらくお盆休暇などで警察もちゃんと休みがほしいからだろうと、歌舞伎町の住民たちは勝手な想像をしていた。
裏稼業の人間は、いつもこんな感じでお気楽に考える人間が多い。
もちろん俺もその内の一人だ。
俺の仕事といえば、組織の運営する裏稼業の店を統括する事だった。
だからこんな浄化作戦みたいなものが始まるといい迷惑である。
やる事が必要以上に増えるからだ。
前までは従業員がちゃんと仕事をしているか抜き打ちでチェックしに行ったり、一日の売上を回収しに行ったりぐらいで、かなり楽なポジションにいた。
それがこの浄化作戦のせいで、環境がガラリと変わる。
覆面パトカーは年中うようよしているし、こっちは常に街中をチェックするようになった。
この浄化作戦の本気度は凄まじかった。
まず某暴力団事務所から流れてくる情報。
いついつにどの店がパクられるといった裏稼業に関わる人間には必須の情報源だが、急に情報が入らなくなったと言う。
この情報を聞くにあたって、用意する金は入会金の五十万。
それと月々に情報料として三十万の金が必要だった。
パクられない安全を買っていると思えば安いものだ。
元々警察内部の奴が小遣い欲しさに流していた情報である。
そんな小悪党が自粛するぐらい本格的に浄化作戦を始めるという事なのだろう。
しかし歌舞伎町の住民たちは、どこか呑気だった。
七月に入り、急激に検挙される店が増える。
この頃は、警察も都知事に格好をつけたいから張り切っているだけだろうと、みんな高を括っていた。
八月に入り、初日から摘発が始まる。
今まで十五年間やられないという秩序が壊された瞬間であった。
最初にやられた三店の裏ビデオ屋の内、その一軒は俺が統括をしている店だったのだ。
通行人のふりをしながら、部下がパクられていく様子を見るのはとても辛い。
何一つ打つ手がないのだ。
四坪ほどの狭い店内には十名以上の刑事がいる。
しばらくして覆面パトカーが二台、箱車と呼ばれるトラックが店のそばに停車し、部下が手錠を掛けられた状態で出てきた。
左右にはガッチリとガードを固める刑事二人。
残りの刑事たちは大きなダンボールに裏DVDを入れ、せっせと運んでいる。
俺ができる事といえば、用件が済んだ警察の車のあとをつけ、どこの警察署なのかを把握するぐらいだ。
場所が歌舞伎町なんだから検挙するのは新宿警察署だろうと、何も知らない人間はそう安易に思うだろう。
しかし違うのだ。
都内中の警察署が各店をパクりにやってくる。
今回やられた三軒の店は、それぞれ池袋、八王子、駒込の警察署だった。
日本一の繁華街歌舞伎町の住民たちは、これで事の重大さが分かったようだ。
俺が統括する店の一つである裏ビデオ屋『フィッシュ』。
四・五坪ほどの小さな店内に、十名以上の警官の姿が見える。
「まいったなぁ~」
遠くから『フィッシュ』を見ながらぼやくオーナーの村川。
俺もその横でただ黙って見つめているだけだった。
「今まで八月だけは、やられる事なかったんだけどな……」
「村川さん、俺、客のふりして中へ行って、浜松を強引に連れ出してきましょうか?」
「馬鹿言え、岩上。そんな事したら、おまえまでとっ捕まっちまうぞ」
「でも、このままジッと見てるだけなんて……」
何もできない自分が歯痒かった。
「そういえば、おまえがうちの系列に来てからは、警察にやられるの初めてか」
「ええ……」
俺がこの系列グループに入って数ヶ月が過ぎていた。
命まで狙われた事もあった。
それを思えば平和な日々を過ごしている。
俺が北中のところを辞めた件は、一気に歌舞伎町内で広まった。
池袋や上野の裏稼業から誘いが掛かる。
みんな、俺の持つコネクションや、パソコンのスキルがほしいのだろう。
条件も北中のところより数倍いい。
しかし違うのだ。
俺の目的は金じゃない。
生き方なのである。
もちろん金は多くもらうに越した事はない。
だけどそんな事よりも、俺はまた新宿歌舞伎町へ戻らないと駄目なのだ。
何のプラスにもならない事を分かっていながらも、この部分にこだわりたかった。
これは北中に対する意地でもあり、自分のプライドでもある。
条件や待遇よりも、主戦場が歌舞伎町でなければ何の意味もない。
誘ってくれた組織には丁重に断り、新宿で商売をする人間からの連絡を待った。
その時、裏本を作っていた業者の當間から電話があり、新宿の裏ビデオを経営するグループを紹介したいという話が来る。
早速俺は歌舞伎町へ戻った。
當間が紹介した組織は、複数の裏ビデオ屋オーナーがまとまったもので、各店を統括する人間がほしかったようだ。
名義人をするという訳じゃないので、俺はありがたくその誘いを受ける事にした。
裏稼業に身を落として十年近く。
未だ前科も何もないのは俺が名義人を一切引き受けなかったという部分が強いと思う。
裏稼業は元々警察に捕まる商売である。
捕まるという事は、誰かしらが責任を負わねばならない。
名義人は一番罪が重いので、まず前科者になってしまうのだ。
その代わり、毎月名義料といった形で毎月十万から二十万円の金をもらえるメリットはある。
オーナーの身代わりに捕まり、自分が社長だと裁判でも通せば、謝礼として二百万円をあとで受け取る。
裏ビデオの場合、ほとんど店の売り子がそのまま名義人となっており、店も又貸しとして本人がちゃんと契約をする。
警察に捕まった際、自分で商売をしたという証明にもなるからだ。
名義料込みで一ヶ月の給料が五十万になるので、売り子を引き受ける人間は多い。
車の免許もなければ、特別何かをできる訳じゃない人間にしてみれば、破格の条件に見えるのだろう。
捕まるまで毎月五十万の給料と、捕まった時自分が社長でしたと身代わりの二百万円。
俺は金額うんぬんでなく前科者になる訳にはいかない。
各店の統括。
これなら警察に踏み込まれる可能性も低いし、小説のネタとして申し分ないだろう。
俺の給料は一ヶ月四十万だった。
各店の名義人を紹介してもらい、店のシステムを覚える。
今の世の中、ビデオよりDVDが主流になりつつあるので、ビデオを置いていない店もあった。
DVD一枚だと三千円。
二枚で五千円。
五枚で一万円という料金システム。
俺が見るのは全部で五店舗。
オーナーは全部で三人。
各オーナーが数万円ずつ出し合って、俺の給料を払っているという訳だ。
仕事内容といえば、各店の売上計算と歌舞伎町内の見回り。
警察がいつ来るか分からない。色々な店と仲良くなり、情報交換のやり取りをしていた。
他のビデオ屋がやられている時に、すぐそばで素知らぬ顔で営業をしていたりすると、たまに捕まるケースもある。
俺らの業界では、それを『とばっちり』と呼んでいた。
「岩上さん、駅前のあの店が今やられてます」
そんな情報が入ると、俺は自分の系列の店すべてをすぐ閉めさせる。
そのあとで知り合いにも「今やられてるよ」と情報を流すのだ。
例え一週間店を閉め、売上がなかろうと、警察に捕まりすべてを失う事に比べたら全然マシである。
店内のDVDをすべて押収されるより、捕まった名義人に対する保障の二百万と弁護料が痛い。
その間、店自体も営業できず、高額の家賃だけが消えていくのだ。
ビデオ屋のタイプは大きく分けて二つ。
店置きと運びに分かれる。
要はDVDをそのまま店に置いたまま販売するスタイルか、ファイルのみを店に置き、客が買った時点で倉庫から運び屋がDVDを店まで持ってくるスタイルかの違いである。
店置きの場合、ものが店内にある訳だから警察に踏み込まれたら一発で逮捕。
運びの場合は倉庫まで内定が入らないと逮捕とはいかない。
ただ運びの場合、運び屋の給料、品物を管理する場所の家賃など経費が倍は掛かってしまうデメリットも。
捕まった時痛いのは運びの店でもある。
何故ならば、倉庫と店同時に捜査が入るので捕まる人数も倍なのだ。
弁護料も保証料も当然倍掛かる計算となる。
そもそも裏ビデオ屋の場合、捕まると猥褻図画という罪状がつく。
これはショウベン刑と呼ばれる軽いもので実刑一年三ヶ月となるが、初犯だと執行猶予三年で済む。
分かり易く言えば、初犯で捕まっても三年間大人しくしていれば、それで罪が消えるのだ。
前科はつくが刑務所へ行かずに済む。
だから月五十万の給料と、保証金二百万ほしさに名義人をする人間はあとを絶たない。
真面目にサラリーマンをしている人種から見れば、狂気の沙汰にしか見えないだろう。
しかし彼らと違って歌舞伎町に流れる住人のほとんどは、コツコツと真面目に積み重ねてこなかったのだ。
俺も含め、そんな人種にまともでいい条件の職などそうそうない。
だからみんな、手っ取り早く金になる裏稼業へと流れていく。
俺の今の立ち位置は各店舗を掌握して管理する統括。
昼間は情報を集め、名義人たちがサボらず仕事をしているか見回る。
夜は売り上げの計算などをし、たまに裏ビデオのDVDジャケットをもっと売れるようにセンス良くデザインした。
西武新宿駅前にあるゲームセンターにいようが、やる事さえやっておけば自由な立場。
ゲーム屋のワールドワンで言えば、番頭の佐々木さんのようなものだ。
この立場のいいところは、まず俺がパクられる事がほぼないという部分。
各オーナーたちと会う際は必ず外で会い、喫茶店などを利用する徹底ぶり。
事務所という概念がないのである。
それに浄化作戦が始まる前までは、暗くなると漫画喫茶に向かい、ひたすら小説を書いているだけでよかった。
ビデオ屋なんてほとんど問題など起きない仕事なので、気楽に自分の好きな事をしていられた。
浄化作戦が始まる前に、俺は過去必死で取り組んだプロレス時代の想いをかぶせた『打突』というタイトルの作品に取り組んだ。
執筆期間三ヶ月弱。
原稿用紙八百六十一枚で、俺のやるせない想いと強さを淡々と語った作品は完成する。
ずいぶんと長くなったものだ。『新宿クレッシェンド』の約二倍の分量。
まあいいや。
この作品は俺にとって究極のマスターベーション的な作品だ。
誰の理解なんていらない。
ただまだ心のどこかにくすぶっている想いを文字に投影したかったのである。
『新宿クレッシェンド』第三弾として執筆したのもあり、事実だけではなく途中で『でっぱり』の岩崎らと関わりがあるよう内容を少しだけいじってみた。
続けて俺は第四弾として『フェイク』を書き始めていた。
シリーズで見ると偶数なので、主人公は『でっぱり』同様二人の主人公を考える。
処女作に使った主人公の赤崎隼人を一人目に決め、二人目は光太郎という新キャラクターを考えた。
携帯電話が鳴る。
画面を見ると知らない番号から。
末尾が110番。
何で警察から?
とりあえず出てみる。
「岩上智一郎さんの携帯電話でよろしいですか?」
「は、はあ……」
「泉という男を知っていますか?」
泉…、泉……。
あ、裏ビデオのメロン時代、俺を慕ってよく来ていた客だ。
芸能人の中山美穂の偽裏ビデオに出演したという男優。
「まあ、名前くらいは。何かありましたか?」
「いえ…、三日前に彼は自分のアパートで亡くなっていたんですよ」
「えっ?」
泉が亡くなった……。
「死因は元々持病持っていまして、病死なんですが」
「はあ……」
「彼の携帯電話の最後に掛けた発信履歴が岩上さんだったんですよね」
そういえば俺もあのメロンを辞め、ピアノ発表会やらヤクザの事務所へ行ったりで慌ただしくて、すっかり泉の存在を忘れていた。
警察はその発信履歴の件で連絡をくれたようだ。
特にこちらが何かをというわけではなく、報告のような形で通話は終わる。
ちょっと抜けたところがあるけど、不器用なだけで悪い人間ではなかった。
変に俺へ懐いていたけど、あの人の人生は、これでおしまいなのか。
俺は心の中で泉の冥福をお祈りした。