- 2024/10/08 tue
前回の章
まずどの辺から手をつけていくべきかな。
経費の無駄遣いを繰り返す當間と有木園。
仕事もしないこの二人の癌細胞をどうやってうまく動かしていくかが鍵だ。
手術して切り取れるならそれが一番なんだけどな。
それぞれの性格をしっかり把握しとかないといけない。
當間の特徴は、いい加減、金遣いが荒く適当、ルーズ、そして馬鹿。
あとは妙に格好つけたがる傾向がある。
これじゃ欠点だけだな。
いいところを探せ。
いや、違う。
いいところなんてある訳ないんだから、使える部分を考えろ。
あの馬鹿は一応裏本を作る仕事をしていた。
つまり俺とはまるで違う職種の人間と繋がりがあるって事だ。
あの手のタイプに強く言ってもサボるだけだろう。
うまくおだててなだめすかして初めて図に乗って動くはず。
それで女の子を集めさせないと……。
有木園の特徴は、外見的に言うと顔が濃い。
あの太い眉毛とギョロッとした剥き出しの目をを見ていると生理的にイライラするのは何故だろうか?
いや、仕事とは関係ないか。
當間ほど顔を合わしている訳じゃないからいまいち把握しづらいが、現段階で分かっているのが、阿呆という事。
あとは弟がオーナーなのにその下で平気な面して働いているところから、當間ほど変なプライドはないだろう。
そのほかに知り合いに感化させやすい傾向にある。
何かあるとすぐに「俺の知り合いが言うにはね……」と言うぐらいだ。
つまり自分ってものがあまりない人間なのだ。
馬鹿は當間の代名詞だから、有木園は阿呆ってところか。
あの阿呆については、オーナーの兄貴ぐらいの情報しかない。
あ、あと沖縄出身ってぐらい。
だから濃い顔をしているのかもしれない。
平野さんのグループに弟も所属しているぐらいだから、前職は裏ビデオでもやっていたのだろう。
今度聞いてみるか。おそらくパクられて現在執行猶予中だと思う。
だからこうしてここで働くようになったのだろう。
あの阿呆をどうやって使いこなすか。
あいつの役割は情報館とレンタルルームと最初に決めていたが、よくよく考えてみると何もしていないって事だ。
情報館には毎月二十万の金を払えばうちの店のパネルや割引券を置いてくるし、レンタルルームに関しては女の子がそこへ客に行く場所なだけ。
弟がオーナーだからという感覚があるだろうから、しばらくは使い物にならないな。
とりあえず阿呆は戦力外として放置しておこう。
プロ野球ならとっくに戦力外通知で自由契約にさせたいところだ。
これからは當間を馬鹿、有木園兄は阿呆と心の中で呼ぼう。
あとはあいつら二人の無駄遣いをやめさせるって部分が重要だ。
俺はパソコンの下にある金庫を見た。
この中にいくら入っているのかさえ、今まで興味なかったが知っておかないといけないな。
現時点で分かっているのが準備段階でもう四百万の金を四人のオーナーが出している。
今いくら残っているのか今日中に把握しておこう。
経費は俺が管理するしかない。
それだけじゃない。
全部を裏で俺が統括しないと、このはなっから穴の空いていた沈没船は本当にすぐ沈没する。
風俗という仕事の経験がまったくない俺は、思いつく限りのものを想定してみる。
こんな時経験者が一人でもいたらいいんだけどなあ。
まあしょうがないか。
コマは馬鹿と阿呆。
これしかないのだから。
パソコンのエクセルを使って、売り上げの収支表、女の子の出勤状況名簿、シフト表、女の子の客つき状況表を次々と型だけ作っていく。
あとは何をしなきゃ駄目だろう……。
一日でいきなりすべてなんて無理なんだから、様子を見て気付いたら即実行すればいいか。
そんな事を考えていると、やっと當間が店に到着した。
「おはようございます」
「おはよー」
大遅刻さえ気にせず、まるで悪びれる様子のない當間。
いきなりソファへ寝転がり漫画を読んでいる。
このクソ、野郎が……。
落ち着け。
この程度でイライラするな。
こいつは馬鹿なんだ。
脳みそなんて皺が十本ぐらいしかない低脳の持ち主なんだ。
多くを期待するな。
必死に自分へ言い聞かせる。
「どう、調子は?」
何が調子はだ、この野郎。
偉そうにほざきやがって……。
「誰も客なんて来ませんよ」
「あっそう」
まるで他人事のような當間。
自分が店長だと偉そうにしているくせに。
先ほどこいつの欠点でいい加減、金遣いが荒く適当、ルーズ、馬鹿、格好つけたがりと捉えていたが肝心な部分を忘れていた。
責任感の欠如。
これも念頭に入れておかないとな。
「當間さん、女の子の状況は?」
「ん、今日は『ミミ』ちゃんだけでしょ?」
「そうじゃなくて!」
落ち着けって。
いちいちイライラするな。
「何だよ、いきなり怒りだして……」
「嫌だな、別に怒ってないですって。新しい女の子の事ですよ。當間さん、そっち系統はすごい顔広いでしょ? 結構モテたんじゃないですか?」
自分の吐く台詞にジンマシンができそうだ。
「いやー、実はそうなんだよー。今まで何人女を抱いたっけなあ」
馬鹿はすぐ図に乗る。
それにおまえが女にモテた話なんて聞いてねえよ、カス。
まあちょっとだけ喋らせとくか。
「結構な数いるんでしょ?」
「両手両足の指じゃ足りないぐらいかな~」
ふん、どうせすべてが風俗で金出して買ったってだけだろうが……。
「すごいっすね。じゃあ、當間さん。とりあえず二人ぐらい今日中に入れられないですかね?」
「そういうのって結構難しいんだよ。個人で抱くレベルと店で他人のチンポコくわえさせるって違うでしょ?」
そんなの誰でも分かるよ、この馬鹿。
それを見つけるのがテメーの仕事じゃねえか。
「でも、このまま『ミミ』だけじゃ店が成り立ちませんよ? だから一人でいいんで、當間さんの顔の広さで何とか今日入れちゃいましょうよ。何とかなりません?」
「うーん、そこまで言うなら当たってみるかぁ~」
こいつ、本当に今まで何もしなかったんだ。
殺意が沸き出てくる。
「お願いします。あと店の金庫にはいくら残ってんです?」
「ん、金?」
「ええ」
「無いよ」
「はあ?」
「もうないって」
「……」
呆れた。
何という事だ。
四百万、いや俺がパソコン代等で四十万引いたとして三百六十万をすべて使い果たしてこのザマか……。
「今度オーナー連中に言って補充してもらわないとなあ」
まったく反省の色がない當間。
「當間さん……。何に使ったんです?」
「だって情報館でしょ? サクラでしょ?」
「ちょっと待って下さいよ。まず情報館で二十万ですよね。あと昨日の海斗のサクラで『ミミ』ちゃんに四千円ですよね?」
俺は先ほど作った表に数字を打ち込む。
「ん、何してんの?」
當間はパソコンの画面を不思議そうに覗き込んだ。
「ちゃんと収支をつけているんですよ。こういうのはキッチリつけておかないと、あとあと何でってなりますから」
「面倒だからいいよ」
惚けた顔面に思い切り拳をぶち込みたい衝動を必死に抑える。
何で平野さんはこんな馬鹿のアイデアなんて採用しようと思ったんだ。
不思議でしょうがない。
この馬鹿、大ボスに尻尾を振るのだけはうまいんだろうな。
「よくないですよ。だって警察に捕まらない仕事をするんで、この風俗を選んだんですよね? だったらちゃんと収支ぐらいつけないと、警察じゃなくて国にやられますよ?」
「大袈裟だなあ」
「本当ですから」
「もうちょっとさ、岩上ちゃんはラフさ加減ちゅうの? そういったもんをつけたほうがモテるよ」
「いえ、彼女いるんで、これ以上モテなくていいですから」
「一人の女に満足なんてつまらん人生だね~」
こいつのせいで俺は子供を……。
椅子から立ち上がりゆっくり當間を見下ろした。
「な、何? どうしたんだよ?」
「當間さん、早く女の子に電話でも何でもして、一人お願いしますよ」
「あ、ああ…、分かったよ」
そう言うと當間は身の危険を感じたのか『ガールズコレクション』を出て行った。
誰もいなくなった店内。
俺は壁に向かって思い切り拳を叩きつけた。
今は我慢しろ。
怒ったところで何一つ生まれないのだ。
この日は夜七時頃になってようやく有木園の兄が来る。
店の営業時間は昼十二時から夜の十二時まで。
こいつ、たった五時間しか働かないつもりなのだろうか?
まず男サイドのシフトをちゃんと決めたほうがいいようだ。
朝から晩までなんてとてもじゃないが俺は付き合えない。
當間の馬鹿に女を探させて、店のほうは昼が俺、夜が有木園の阿呆をいさせる方法しかないか。
この阿呆でちゃんと客の相手をできるのか?
それが悩みの種だ。
そうだ、この阿呆がここに来る前に何をしていたか確認しとくか。
「有木園さん」
「ん、何?」
「有木園さんってここの前、何をしてたんですか?」
「俺?」
本当に阿呆だな。
名前でちゃんと呼んで聞いているんだから、おまえしかいねえだろ。
「ええ」
「ほら、俺の弟が池袋でビデオ屋やってんじゃん」
やってんじゃんってそんなの知らねえよ、ボケ。
誰もが知っている前提で話をするな、この阿呆。
「そうなんですか」
「そこで名義人やってたんだけどさ。捕まっちゃって今執行猶予中なんだよね」
前に予想した通り弁当持ちか。
「大変なんですね」
「だって岩上君だって同時期ぐらいに捕まってたでしょ?」
「俺は不起訴ですから、別に執行猶予なんてついてないですよ」
「え、何で?」
ギョロッとした目をさらに剥き出して有木園は聞いてくる。
本当にこいつの顔は生理的に嫌だ。
「名義張ってないし」
「え、どうして?」
しつこいなあこの馬鹿。
「まあ、おいおい今度時間ある時に話しますよ」
「ふーん」
「まあ、今日はどうせ暇でしょうから」
「女の子は?」
「『ミミ』だけですよ」
「何で女の子もっと入れないの?」
「だってそれは俺のせいじゃないじゃないですか。當間さんにもっと強く言っといて下さいよ」
「知り合いとかさ、岩上君いないの?」
「風俗に紹介するような女の子はいませんね」
「彼女は? 彼女確かいたでしょ?」
「それ…、俺の女にここで働けって意味でしょうか……」
自分の声が低くなっていくのが話していて分かる。
こいつ、ぶっ殺してやろうか。
「べ、別にそういう意味で言ったんじゃないじゃん。やだなあ~」
「俺はとりあえず今日はもう帰りますよ」
「え、もう帰っちゃうの?」
「ええ、もう帰ります。店の財布から今日の日払い一万円抜きますよ?」
「あ、ああ、持ってって」
持っていくに決まっているだろ、阿呆。
偉そうに抜かしやがって。
「あと今日『ミミ』にはサクラを二人つけましたから」
「そう」
「じゃ、また明日という事で」
俺は荷物をまとめ、『ガールズコレクション』をあとにした。
本当にあんなゴミみたいな連中と一緒に店を流行らす事なんてできるのだろうか?
女の子がちゃんと入れば、色々戦略が立てられるのにな。
今日は百合子もゆっくり休んでいるだろうし、俺も帰ったら早めに寝よう。
今までたくさんの問題が山積みになり、パニックを起こしそうになるぐらいだった俺。
百合子との件は問題なくなった。
雀會改造計画は親父との喧嘩で頓挫。
あとは西武鉄道の問題。
そして『ガールズコレクション』の問題。
この二つ。
西武鉄道のほうはもうちょっとで片付くような気がした。
本当の問題はあの店だ。
當間と有木園。
馬鹿と阿呆には、それなりの使い道を考えなきゃな。
ヤバいぐらいの低脳さにはビックリする。
當真が確か俺より三つ上だから三十六歳。
有木園は四十歳は越えているらしい。
よく二人ともあの知能で今日まで生きてこれたものだ。
日本という国に生まれた事を彼らは感謝したほうがいい。
村川の本音。
どこまでが本当で、どこまでが虚像なのかは分からない。
どちらにしても俺があの組織から抜けるにはそれなりの覚悟が必要って事か。
百合子や家族を犠牲にしてもいいなら簡単だ。
だけどそんな事は無理だ。
できない事を今さら考えたってしょうがない。
「何であんな馬鹿ばっか集まっちゃったんだろうなあ……」
あえて声にしてみる。
巣鴨の留置所を出てすぐに普通に就職活動していたら、こんな風にならず、今頃子供も順調に育って……。
やめよう。
もうすべて過ぎてしまった事だ。
俺がそう決断してこうなっているのだから。
一番の罪は俺がこうして生きているという事なんだろう。
じゃあ、死ぬのか?
自殺でもできるのか?
そんな事できやしない。
いくら辛くたって、どんなにしんどい状態だって、結局俺はいつだって生に執着しているのだ。
生きているって本当に罪深い。
業を重ね、たくさんの後悔をする。
だから榊先生のところの娘の由香ちゃんとか子供たちに優しくして、せめていい人でいたいって自分自身望んでいるのかもしれないな。
親父に恥を掻かせようと思って始まった自衛隊。
そこから俺の社会人生活は始まった。
もう三十三歳。
普通に会社勤めしていたら、今頃平凡な家庭を築いて、温かいご飯を作ってくれる奥さんがいて、可愛い子供がいて、幸せな日々を送っていられたんだろうな。
普通……。
普通のってよくみんな言うけど、普通って何だろう?
俺は普通か?
普通じゃないからこんな環境になっている。
今度俺のこれまでの人生をテーマにした小説でも書いてみるか。
ふん、馬鹿馬鹿しい。
そんなものはただの自己満足であり、日記に過ぎない。
小説を書いてみたものの、世に出すにはどうしたらいいか分からないし、今書いている『とれいん』だって、何の為に書いているんだ?
西武鉄道の人間に読ませる為と始めたけど、百合子も楽しみに読むようになった。
でも、それじゃ世に出まい。
春美へ格好つける為に書き始めた小説。
ピアノもそうだけど、あれは時間が掛かり過ぎる。
毎日弾いてないと腕はサビつくし、どうせ音符なんて読めないからスラスラと色々な曲なんて弾ける訳じゃない。
最近そういえばまったく弾いてないなあ……。
部屋の隅で誇りを被ったキーボードを引っ張りだして電源を入れる。
ザナルカンドを弾き始めるが、途中でどう弾いていいか分からなくなった。
ほら、やってないからもうこれだ……。
発表会で演奏した月の光なんて、逆立ちしてももう弾けないだろう。
まあ、いいや。
ピアニストになりたい訳じゃないしな。
プロレス、探偵に、自衛隊。そしてホテルマンとバーテンダー。
あ、平子の変な広告代理業に、協同商事。
裏稼業のゲーム屋からピアノ。
そしてパソコンを覚えて裏ビデオ屋。
今じゃ風俗か……。
一体何なんだよ、俺のこれまでの人生は?
坊主さんのパソコンのスキルにちょっとで追いつきたくて始めた小説。
違う事をやってと考えた訳だが、プロレス時代の時と同じだ。
ジャンボ鶴田師匠に追いつきたいと思い、向こうがベビーフェイスならこっちはヒールだと亜流で誤魔化しているに過ぎない。
正当な道を歩む人間に、どうしてズルをして追いつこうとする者が超えられる?
一つの事に対して純粋に打ち込んでこれたら、こうはならなかったのかな。
器用だとたまに言われるが、器用貧乏に過ぎない。
そんなのは中途半端なだけだ。
今じゃパソコンが必須なものになっている俺。
北中の裏ビデオ屋メロン時代、歌舞伎町の漫画喫茶に行き、先輩の坊主さんと男二人でカップルシートに座って朝まで行った英才教育が、今こうして少しは身を結んでいる訳だ。
英才教育と言えば、お袋が出ていく小学校二年生まで俺はいわゆる英才教育を受けていたんだよな。
こんな中途半端な俺を何故平野さんは買う?
俺なんかが『ガールズコレクション』を立て直すなんてできるのかよ?
あの馬鹿と阿呆の二人と……。
頭が痛くなってきた。
もう、今日は寝よう。
布団に入るとメールが届く。
百合子からだった。
《今日はもう帰ってきてるの? 連絡ないからどうしたのかなと思って。 百合子》
いっけね。
朝、百合子のメールを見ただけで何も返事をしてなかった。
それだけ今日一日中ずっと考え事ばかりしていたのだろう。
俺はすぐに電話を掛けた。
「ごめんごめん、今日あれからさ、二度寝しちゃって大遅刻して、慌てて走って駅に行ったらサラリーマンにぶつかりそうになって避けたら転んじゃってスーツは破けるわ、怪我はするは、仕事先じゃ怒られるわで最悪だったんだ。さすがに疲れて家に帰ってきたら眠くなっちゃってね」
「そうだったんだ。大変だったんだね。怪我は? 大丈夫なの?」
「もちろん。ただ派手にすっ転んだからさ、膝と左手がまだちょっと痛いぐらいかな」
「気をつけてよ~」
「はーい。まあお互い今日は睡眠不足だろ? ゆっくり寝ようぜ」
「ねえ、明日はイブだよ?」
「あ、そっか…。クリスマスも近いとか思っていたけど、もう明日がイブか……」
「どうする?」
「仕事には行くけど、そのあと食事でもしようか?」
「何かありきたりね」
「だって今までクリスマスなんて、特に意識して生きてこなかったからなあ」
百合子と一緒にクリスマスイブを過ごす。
ちょっとは人並みに近づくかもな。
「仕事終わったら連絡ちょうだい」
「ああ、何か欲しいものとかってあるか?」
「全然給料なんて出てなかったくせに無理しなくていいって」
「この間さ、あのケチなオーナーが一応オープンしたから十万くれたんだよ」
「……」
「ん、どうした? 黙っちゃって」
「あまり智ちんの仕事の人の事は聞きたくないなあと思って……」
当たり前だ。
百合子は心にも体にも大きな傷を負っている。
こんな短期間で癒える訳がないのだ。
「ごめんな、嫌な思いさせちゃって……」
俺にはあんなところ、さっさと辞めてもらいたくてしょうがないんだろうな。
「ううん…。大丈夫よ」
「派手に明日は行っちゃうか?」
「そんな無理しているとまたいざって時に困るよ?」
「そうだね…。まあとりあえず仕事終わったら連絡入れるよ。それでいい?」
「うん」
電話を切ると、また百合子の事を色々考えてしまう。
他愛のない会話。
しかしそれは俺たちの間にできた子供の犠牲があったからこそ、こうして気軽に百合子ともやり取りできるようになったのだ。
もし、おろさなかったら、今頃どうだっていたのだろう……。
現実的に考えたら、あの時の状況では生まなかったほうが良かったかもしれない。
俺が一円も稼げない状況だったから。
では真面目に働いて普通の暮らしを望んでいたら?
心の奥深く、静かに沈殿していた悲しみが全身を包む。
一気に視界が歪み、大量の涙が出てくる。どうも最近の俺は涙脆い。
あの一件は俺たちをズタズタに傷つけた。
特に百合子を……。
今のこの精神状態だったなら、うまくやっていけたかもしれない。
本当に都合いい言い方だが、産んでもらえば良かった。
そんな事は今さら百合子に言えやしない。
たらればの事をいくら考えても仕方がない事だが、この思いはずっと俺の中で生涯つきまとうのだろう。
子供を犠牲にしたくせに、明日のイブを楽しもうとしている自分がいる。
俺は生きている事自体が罪だ。
せめて明日は、仕事が終わったら、百合子が喜ぶような料理を作ろうかな。
もっと俺は彼女と子供に償わなければいけない。
静かに両手を合わせ、黙祷を捧げた。
ごめんな、俺が生きてて……。
クリスマスイブ。
そのせいか歌舞伎町だけでなくどこもかしくも外は人で溢れている。
ほとんどの人たちが笑顔でいっぱいだ。
そういった人たちの幸せを壊さないように、俺は静かに歩く。
本当に寒い季節だなあ。
今日も俺は『ガールズコレクション』で変わらずに働く。
仕事が終わったら百合子を楽しませてあげたい。
おろした時のあのような顔なんて二度と見たくないし、させたくなかった。
西武鉄道の一件など、本当はもうどうでもよくなっていた。
でも、あの時に俺はみんなが笑顔でいられるようにと誓ったのだ。
まず近い内、この件から片付けよう。
店に着き、シャッターを開ける
時間は昼の十一時。
一時間も早く着いて、俺は何をしようっていうんだ?
開け掛けたシャッターを閉め、少し歌舞伎町をブラブラ歩いてみた。
この街がずっと好きだった。
ここで様々な成長もできた。
金だってたくさん稼げた。
でも、失ったものが大き過ぎた。
その分この街を嫌いになった。
こうやってゆっくり歩くなんて、留置所を出たあとぐらいだ。
あの中で知り合った同室のヤクザの原さんは元気でやっているかな?
ん、待てよ。
俺、出たら事務所に顔出しに行くって約束してたよな……。
俺が出たのが十月の頭だったから、もう二ヶ月以上経っているんだ。
約束は約束だ。
原さんの事務所にでも顔を出しに行くか。
確か原さんて、○○興行とか言ってたっけ。
中華料理叙楽苑の上の……。
○○興行の事務所の場所を留置所の時に聞いていたので向かう。
狭い街なので、三分も歩けば到着してしまう。
ヤクザの事務所を俺から訪ねるなんて、裏ビデオ屋メロンの第二平沢ビルの三階にあった○○連合の親分に言いに行った時以来だ。
やっぱ妙な緊張はあるなあ……。
ゆっくり深呼吸をしてからインターホンを押す。
すぐに入口が開き、柄の悪そうな若いヤクザが出てきた。
俺を見ると、一礼してくるのでこっちもお辞儀をする。
「あの…、どこの組の人でしょうか?」
柄が悪そうだけど、結構礼儀正しいんだな。妙に感心する。
「あ、いえいえ…。自分はただの一般人です」
そう言った途端、ヤクザ者の目つきが変わる。
「おい、コラッ! 素人衆が何の用事でうちに来たんだ、オラ?」
「そんな怒んないで落ち着いて下さいよ」
「何をコラッ! 筋者おちょくってんのか!」
どんどんエスカレートするヤクザ。
こいつ、相当カルシウムが足りないぞ。
「自分は岩上って者です」
「素人が名前名乗って何を粋がってんだよ、おい?」
まいったな。
こっちはただ挨拶に来ただけなのに……。
「おいおい、マサル! その人と喧嘩したら殺されるぞ」
俺の横で懐かしい声が聞こえる。
「あ、原さん、どうもっす」
急に柄の悪いヤクザは大人しくなる。
振り向くと原さんが笑顔で立っていた。
「お久しぶりです、原さん」
「おう、よく来てくれたね、岩上ちゃん」
久しぶりといっても三ヶ月ぐらいだったが、とても懐かしい気分になっていた。
多分、それだけこの三ヶ月間で色々あったせいだろう。
「元気でやってんの、岩上ちゃん」
「ええ、元気だけが取り柄ですからね」
「あ、あの原さん、この方はどちらさんで?」
柄の悪いヤクザが恐る恐る聞いてくる。
原さんって結構この組じゃ偉いほうなんだなあ。
あの時も仲間が色々裏で動いてくれていたみたいだし、当たり前といえば当たり前か。
「岩上ちゃん。コイツに今度喧嘩の仕方教えてやってよ。どうもこの馬鹿、喧嘩っぱやくてねえ」
「え、原さん。俺、そんなに短気じゃないっす」
「馬鹿野郎、テメーは充分短気だろうが!」
そう言いながら頭を引っ叩く。
「いてっ! 原さん、痛いっすよ」
「岩上ちゃんはな、俺の友達であり、格闘家なんだよ」
「え、すごいっすね!」
原さんも大袈裟な……。
まあ、柄の悪いヤクザも大人しくなったし、変につっ込むのはやめておこう。
それにしてもこの若いヤクザ、俺以上に単純な奴だな。
「今日は俺、これから色々忙しくなっちゃうんだけどさ。今度近い内、一緒に飯でも食べに行こうよ。今度連絡するからさ」
「ええ、喜んで。あ、俺のプライベート用の名刺渡しておきますね」
「ありがとう。あの時はさー、すげー面白かったよね」
「俺の家族を壊す気かーって馬鹿とかですか?」
三度の食事が終わるといつも吠えていた一室の問題児の真似をする。
原さんはゲラゲラ笑った。
「もう人生真っ暗です……」
今度は原さんが若い自衛官の真似をする。
俺はつい吹き出した。
「あいつも今頃は自衛隊に復帰して匍匐前進しているんですかね?」
「どうだろうね。公務員だからクビじゃないの? 自衛官が駅でスカートの中を写真撮っちゃマズいだろ。それより岩上ちゃん、あれは? カレーは?」
「ああ、あの乞食いたじゃないですか」
「うんうん、彼どうした?」
「俺が出た時もまだいたんで、ひょっとしたら今頃まだ巣鴨にいるのかもしれませんね」
「立ってちゃ駄目? カレーカレーって?」
原さんが物真似をする。
あまりにも似ていたので、俺たちは腹を抱えて大笑いした。
そばで柄の悪いヤクザだけが、不思議そうに俺たちを見ていた。
もしあの乞食が歌舞伎町を歩いていたら、絶対にカレーライスをご馳走してやろう。
『ガールズコレクション』に戻った俺はオープン準備を済ませ、コーヒーを淹れる。
さて、今日はどうやって改革していこうかな。
「寒いねえ」
そう言いながら、いつも東通りに立っている○○組のヤクザ者のオヤジが店内に入ってくる。
よく顔を合わせるので自然とお互い会話をするようになったが、未だ俺はこの人の名前すら分からない。
「おはようございます。本当に寒いですよねえ」
「お、おいしそうなもの飲んでんじゃん」
「良かったら飲みます?」
「え、いいの?」
「大袈裟ですね。コーヒー淹れるのに、一杯も二杯もそんな変わらないじゃないですか」
「ありがとう」
「ただ、お客さん来たら、パッと出ていって下さいよ」
「当たり前じゃん。商売の邪魔なんかしないよ」
そう言ってヤクザのオヤジは人の良さそうな笑顔で笑った。
しばらく世間話をして元の定位置へ帰って行く。
さて、何から取り掛かるかな?
まずはシフトか、男陣営の。
昼の十二時から夜の十二時まで営業だから十二時間。
六時間ずつでもいいけど、さすがにそれじゃマズな。
八時間ずつで、間の二時間一緒にいる時を作ったら引継ぎなんかもスムーズにいけるな。
俺は昼だから昼の十二時から夜の八時まで。
阿呆の若松は夕方の四時から来させよう。
當間の馬鹿は面倒だから、来てから八時間やれってところでいいか。
…で、俺か若松が休む時、空いたほうのシフトをこなさせる。
うん、これならいいかもな。
休みがまったく無いと、百合子もいつか切れそうだし……。
シフト表を作成していると、『ミミ』が「おはようございます」と笑顔で入ってきた。
「あ、おはようございます」
「今日は遅刻しなかったんですね」
「ええ、さすがに申し訳ないじゃないですか」
「昨日は結局二人だけでしたけど、ちょっとずつ増えていくといいですね」
実はその二人もすべてサクラなんだよなあ。
本当ならちゃんと言えば、この店は大事にしてくれるって思うと思うんだけどな。
何で當間の馬鹿、あえて秘密にしているんだろう。
「そうですね。じゃあ、今日もいっぱいつけられるよう自分も頑張りますから」
「はい、私も頑張りますね」
性格はいいんだけど、何であの子、風俗なんかやるんだろう?
確か俺と同じ年だって言っていたから彼女も三十三歳。
容姿的にも年齢的にも厳しいのは自覚しているだろうに……。
不思議だ。
クリスマスイブだというのに、数千円の金の為に他人のチンチンをくわえに来るなんて、どういう人生を歩んできたのだろうか?
大きなお世話か。
とりあえず女の子がそろう前に、会社として成り立つようなシステムを完成させないとな。
自分一人で三人分の仕事をこなすようだから、本当に大変だ。
それにしても何故當間は、サクラをあえてやるのか?
普通、風俗タダにするからおいでよとなんて話があったら、いくらだって人など呼べるはず。
あれだけの馬鹿だ。
あれとこれまで関わってきたみんなは、いくらタダでも當間と絡みたくないのかもしれない。
サクラをつけるという行為自体、外部の人間に店が流行っていないと宣伝し、また店の赤字にも直結する。
そんな事をするぐらいなら、週にちゃんと四日以上、何時間以上出るといった決まりを作る代わりに、一日誰もつかなかったらいくら分保障しますというような制度を作ったほうが、よほどいいだろう。
まあ頭の悪い奴の考えをいくら何故と思ったところで意味ないか。
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