忌み嫌われし子あとがき
2006年10月10日~2006年11月6日。
あれから四年近い年月が流れ、今、俺はやっとこのあとがきを書く事ができるようになった。
これまで様々な作品を書いてきて、ここで一つ、自身のリミッターを少し外してみようと思った。
それがこの『忌み嫌われし子』であった。
主人公、木島のブログにハマっていくやり取りは、当時『新宿の部屋』をハンドル名『新宿トモ』の名前で運営し始めた頃の私の感情や状況を正直に投影した。
つまり、ヒロイン役である木島の妻みゆきは、当時付き合っていた彼女とのやり取りとなる。
ブログ上で登場する人物たちも、当時はほとんど生存しているリアルな人たちで、この作品を書くに辺り、一人一人に名前を使っていいかと確認を取ってみた。
始めは執筆上の整理のつもりで始めたブログ……。
しかし、徐々に多くの人たちがコメントをくれ、中には熱烈なファンメールをくれる子が出始めた内に、当時付き合っていた彼女は、作中のみゆきのように何度もブログ批判を繰り返し、関係は悪化していく。
すべては作品の為と言いながらブログへのめり込んでいく私。
それを嫌い、余計に意固地になっていく彼女。
作品が完成した日、彼女はすぐに読みたがった。
私はプリンターで一枚ずつ丁重に印刷をし、一冊の本を作って渡した。
「いいか? おまえは明日も仕事があるんだし、そんな無理して一気に読んだりするなよな」
手渡せたのは、2006年11月6日の夜十一時過ぎ。
この作品が完成した日だった。
日にちが変わって明け方の4時頃になった頃、私の携帯電話が何度も鳴り、それで目を覚ました。着信音は彼女から。
こんな朝方に電話なんかしやがって…。そう思いつつも、嫌な予感はしていた。
作中の木島とみゆきのやり取りは、そのままリアルな私たちの会話でもあったのだから。
「私はこの作品を読んで、あなたの人間性が本当に嫌になりました。あなたが世に出るまで逢うのはやめましょう……」
電話に出た途端、私はそう彼女に言われた。
一つの作品を完成させるのには、とてつもない労力が掛かる。
いくら好きでやっているという事でも、自身の魂を削りながら一語一句を書いているのだ。
必死になって書いた作品。
読みたいというから、私は面倒なのを承知で本にして渡した。
それがこの言われよう。さすがに感情的になっていた。
電話口で怒鳴りつけると、「何であなたは私の言い分をすべて聞いてくれないの?」と言われる。
産み出したばかりの我が作品を読んだ上で、いきなりこんな朝っぱらから起こされ貶されたのだ。感情的にはどうしたってなってしまう。
そんな読んで嫌な気持ちになるぐらいなら、作品など読まなければいいだけなのだから。
まだ彼女は何かを言っていたが、その場は感情的になるので私は強引に電話を切った。
翌日、地元の知り合いの家で、私が全日本プロレス時代のちゃんこ鍋を作る約束をしていた。
その為多くの人たちが集まり、私は20名分のちゃんこ鍋を作るようである。
地元にある大きな楽器店の会長宅の中、集まった面子は大物が多い。中には全日空の機長までいた。
みな、私の作ったちゃんこをおいしそうに食べ、楽しい宴は続く。
しかしそんな中、彼女から電話が掛かってきた。
予想通り、電話を強引に切った私に対する罵倒を散々言ってきた。
「悪いけどさ、今会長の家にいるんだよ。周りに人がたくさんいる。この事は前から伝えてあったろ? 場の空気ぐらい読んでくれよ」
それでも感情的になってしまっている彼女には通じない。
こちらが聞いているだけで、げんなりするような台詞を何度も連発してくる始末である。
せっかく多くの人間が楽しい酒とちゃんこを食べながらいるのだ。私が怒鳴ってその空間を壊す訳にはいかない。なので電話を切り、電源を落とした。
あとでまたひと悶着なるのを承知でも、そうするしか方法は考えられなかった。
何故作品を読んだだけで、彼女はああまで怒り、酷い罵倒をしてくるのだろう……。
家に帰ってから様々な憶測を立ててみる。最近の彼女の行動は、常軌を逸していた。
私にブログやメール上で、しつこいぐらい迫ってくる女性もいたが、彼女は自分の感じた事を伝えてくる。
「あの○○って子ね…、私…、一番嫌いなタイプの女かも……」
「そう言うなよ…、俺の作品を素晴らしいって応援してくれる読者の一人なんだし。まあちょっと私が私がってところあるけど、俺の女はおまえなんだし、あの子の事なんかでいちいち目くじらなんて立てるなよ」
「私ね…、昨日の夜、トモの家から帰って、ずっとあの子のブログを隅から隅まで、朝まで掛かったけど読んだの」
「何でそんな事まで……」
「あの子…、子供や旦那さんいるのに、自分の事しか考えないタイプの女だよ。ああいうの一番大嫌い!」
目に涙を溜めながら私に強く話す彼女。
この頃から、私はヤキモチを焼く彼女に対し、少し疎ましさを覚えるようになったと思う……。
朝まで掛かって嫌な人間の書いた文章を読み続けるなんて神経が、私にはまるで分からなかった。
そして数時間掛けて作った『忌み嫌われし子』の本。
あれだって、付き合っている彼女が私の作品をすぐに読みたいと希望するからこそ、すぐにその作業に取り掛かったのだ。
自身の作品を読んで、あのような言われよう……。
さすがにそれを笑顔で対応できるほど、私は人間ができていない。
この作品を読んだネット上の人たちからは、暖かい感想をたくさんもらえた。それで自身が作家として、今後もやっていけるのか、その大きな自信と原動力にもなっていたのだ。
この頃、家ではうんざりするような家族間のトラブルの連続もあり、本当に苛立っていた時期でもあった。
家でもうまくいかず、彼女からは罵倒されるなんて、現状に対し生きる希望をまるで見出せない状況だった。
夕方になり、再び彼女から電話が掛かってきた。
少しは時間を置いたから、向こうも冷静さを取り戻しただろう。そう思った私は、電話に出た。しかし考えが甘かった。
彼女は前と変わらぬテンションで、『忌み嫌われし子』を罵倒してきた。
「あんな三流お笑い芸人がパクったような小説…、よくもあんなものを私に読ませてくれたわね」
パクる?
何を?
自身の経験を作品に活かす事は、パクりとは全然違う。
「みんなが丁重にトモさんトモさんってくれたコメントとかまで、パクっちゃってさ」
だからこそ、登場させる人物全員に私は許可を取ってあるのだ。
何がいけない?
聞いているのが辛くなり、私は静かに言った。
「俺さ…、家でもああで、おまえからもそんな風に言われたら、生きていくの、本当に嫌になってきちゃうよ……」
同情を買わせるつもりで言ったのではない。作品に対する罵倒をやめてもらいたかったのだ。
俺の分身でもあるのだ、これまで執筆してきた作品たちは……。
それでも彼女は酷い言葉を容赦なく浴びせてきた。目の前が暗くなり、心にグサグサと突き刺さる。
力なく呟くように「もう…、いいよ…。もう、やめてくれ」と何度も懇願するように伝えた。
しかし、彼女はあんな作品を読ませたわねと、何度も罵倒を続けた。
聞いている内に、根底に幼い頃から眠っている激しい憎悪が出てくる。
「分かった…、よく分かったよ……。結局、俺の人生…、こうまでメチャクチャにしてくれた本当の現況は親父だ……。好き勝手に生き、みんなに迷惑を掛けてまで、あんな女を家に入れのさばらせやがって……。毎日が本当に嫌だった。おまえにそう言われ、生きていくのも嫌になったけど…、自殺する前に、あの元凶の命を摘んでやる」
「どうせ、口先だけでしょ? お父さんを殺せる訳ないじゃない」
「おい…、こっちはプロのリングにも上がり、死ぬほど体を鍛え抜いてきたんだ。人間を素手で壊すなんて容易い事だ。俺が口先だけ? できる訳ない? 三十になってから始めたピアノ…。発表会まで出場できる腕前になった。プロのリングの上にだって、上がり戦ってきた。すべて、俺の信念だけで貫き通してきた……」
「ふん、だから何よ? 今は何なの? しょせん昔の事でしょ」
「分かった…、電話を切るなよ…。今…、隣に親父がいるはずだ。目の前で殺すところを聞かせてやる。分かったな……」
過去のトラウマでもある部分に触れられ、それを簡単に言われ、私は完全に自分を見失っていた。その時あったのは激しい憎悪による怒りの感情だけであった。
小学二年生で母親は家を出て行った。
親父は遊び呆け、子供の学費すら出してくれなかった。そして浮気を繰り返し、遊ばれた女共が、何度だってこの家に文句を言いにやってきた。
29歳の総合格闘技復帰戦の前日……。
ほとんどの時間をひたすらトレーニングのみに没頭し、最高のコンディションを作って臨もうとしたあの日。
親父にしつこくつきまとっていた女が、夜中に私の部屋まで勝手に上がり込み、大きな騒動を巻き起こされた。
私は寝ずに、試合へ臨まなきゃいけなかった……。
鶴田師匠が亡くなり、リングの上で恩返しする機会を失った。
でも、少しでも俺はその意思を受け継いで、戦って、あの人の偉大さを多くの人間に伝えたいと、ずっとそれだけを思いながら、日々の鍛錬に堪えてきたのに……。
親父とその女のせいで、すべてぶち壊しにされてしまった……。
時が経った今、その忌々しい女は図々しくも、戸籍上私の母親になっている。
おじいちゃんだって、私ら三兄弟を育ててくれたおばさんだって…、親戚だって、近所のみんなだって、すべてが反対し、嫌ったあの女が家に入り込んできた。
巻き起こった家のトラブル……。
すべてあいつらのせいじゃないか……。
何度も殺意を覚えた。でも、おじいちゃんがそんな事を望んでいない。
だから、いつだって感情を押し殺し、ずっと我慢してきたんだ……。
彼女は私と籍を入れたがっていた。もちろん私だって、まだ先の話だけどそれに応えるつもりだった。
でも、いつだって親父はそんな想いを平気でぶち壊してきた。玄関で挨拶する彼女を睨みつけ、無視して行ってしまう親父。そんな事を何度も繰り返しされたら、彼女だって私に言いたくなるだろう。
一度じゃ伝えきれない数々の怨念。それが彼女からの罵倒により、一気に爆発した瞬間だった。
「ちゃんと聞いておけよ、人が死ぬ断末魔ってやつを聞かせてやるから」
そこまで腹を括ると、彼女は焦ったのか、急に私を止め出した。
「今さら遅いんだよ…。おまえの言葉が、俺をこうさせた。あとで死ぬほど後悔しろ」
今振り返れば、完全に自棄になっていたのだろう。
もう、私は自分を止める事ができなかった。
親父の部屋のドアノブに手を掛けた時、持っていた携帯電話が鳴る。キャッチホンにしていたので、別の誰かから電話が掛かってきたのだ。
電話になど出るつもりなど毛頭もない。
これから私は親父をこの手で殺そうとしているのだから……。
電話口の向こうで泣き叫びながら私を止める彼女。何も気にならなかった。ここまでそう追い詰めたのは、コイツなのだから。
こんなタイミングで掛けたきた着信主を確認する。
「……」
画面を見て、私は動きを止めた。以前彼女と何度か行った群馬に住む不思議な先生だったからだ。まさか、この展開があの人には見えて、連絡をしてきたというのだろうか……。
先生からの電話なんて、これまでにない。初めてだった。
不思議な先生で、私の過去をズバリ何度も言い当てた事がある。気が付けば私は部屋に戻り、電話に出ていた。
「一体何があったのですか?」
開口一番先生はそう聞いてきた。
やはり何かを感じて電話をしてきたのだろう……。
先生には一体何が見えているのだ?
私はこれまでの展開を詳しく伝えた。
「怒る気持ちは分かります。でも、それをしてあなたは何になりますか」
そう…、何もならない。残った人間がいい迷惑をこうむるだけに過ぎない。
私は先生に話した時点で、怒りを吐き出させ、冷静になるよう誘導していたのだろう。
膝を抱えたまま、嗚咽を漏らしながら私はしばらく泣いた。
呪われていると思っていた人生。
小説を書く事で、徐々にではあるが自身の憎悪を浄化できていく事には気付いていた。
処女作の『新宿クレッシェンド』の主人公、赤崎隼人には幼少時代虐待に遭った頃の想いを与えた。
作品を一つ、完成させる度、心が軽くなっていく事にも自覚はしていた。
夜になって彼女が部屋までやってきた。
私の顔を見るなり抱きついてきて、「良かった…、生きていて本当に良かった」と泣いていた。
では、何故あんな風に私の作品をけなしたのだ……。
もう争うのは嫌だったから、私は普通に話をするように努めた。しかし、彼女に対する見方がこれで変わってしまったのは事実である。
この年の冬、あの件から約一ヶ月後、私は『岩上整体』を地元で開業した。
開業してすぐ、彼女とはまた口論になり、二年半ほど続いた付き合いは終わった。
『忌み嫌われし子』……。
この件が引き金となったのは否めない
2010年8月28日……。
これだけの年月が過ぎて、初めてここまで文字として書けるようになった自分がいる。
岩上 智一郎
タイトル『忌み嫌われし子』
作者 岩上智一郎
2006年10月10日~2006年11月6日
執筆期間27日 原稿用紙273枚分
推敲
2009年9月3日~2009年9月5日
原稿用紙351枚分
再推敲
2010年9月22日 原稿用紙366枚
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