岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

新宿の部屋 03

2023年03月14日 13時51分57秒 | 新宿の部屋

 


2006/05/04
生きるという事について


 数年前まで俺はイケイケだった。
 正々堂々をコンセプトに様々なジャンルへ挑戦してきたつもりだ。

 唯一の自分の武器が、いつ倒れてもかまわないというものだった。
 自分の好きなように、やりたい事をやってきたのだ。

 いつ倒れても悔いはない。
 ずっとそう思ってやってきた。


 全日本プロレスへの入門。
 バーテンダーとして酒とサービスについての追求。
 歌舞伎町裏稼業での仕事。
 総合格闘技への挑戦。
 柔道家に柔道ルールでの挑戦。
 三十を過ぎてからピアノへの挑戦。
 パソコンへの追求。
 小説へのチャレンジ。


 すべて自分には貴重な体験で非常に勉強になった。
 色々なものに接触して、俺は成長できたと感じる。

 現在、小説を頑張っている。
 ずっと書き続けたい。

 気がつけば応援してくれる人もじょじょに増えた。

 馬鹿にされたり、中傷しかしない人間もいる。
 でも、俺は応援してくれる人の為にも挫けずに頑張っていきたい。

 そう思うと、まだまだ倒れる訳にはいかず、生きて頑張らないとって思う。




2006/05/08
抜粋シリーズ「新宿クレッシェンド」その1

 新宿クレッシェンド 2004/01/18~2004/02/04 執筆期間18日
 
 歌舞伎町小説 第一弾として執筆を初めてした作品です。

 実際に歌舞伎町の中で、書いたこの小説は、多くの住民が応援してくれました。
 あるヤクザの親分さんも、あんたが書くならええわって言ってくれました。
 
 当時、まだ浄化作戦が始まる前で、、本当に怖くて、でも自分にとっては人情のあった街でした。
 だからこの街を舞台にした小説を書こうと思い、頑張りました。
 
 出来た時はとても嬉しくて、月にインク代11万もかけて、たくさん本を作り、見たいって人に配ったんです。
 五十人は、配った記憶があります。
 
 でも、もうあれから2年は経つのに、まだ、読んでいない奴とか、かなりいるんです。

 自腹で作って、時間もかけ…、一冊作り上げるのに、2~3時間はかかるんです。
 何度も印刷方法で試行錯誤して……。
 
 だったら欲しいって簡単に言うな、そして受け取るなと、本当に怒った記憶があります。

 一生懸命書いて、読んでくれるならって、時間をさいて作ったので、読まれないというほど虚しいものはありませんでした。
 馬鹿だな、俺って…と、自己嫌悪に陥った作品でもあります。
 
 



2006/05/10
現在の執筆状況について…


 今現在の執筆状況は、二作品を同時進行で書いています。
 
「昭和の僕と平成の俺 パパの章」と、「何故、この俺が…」の二点です。
 
 とりあえず、「何故、この俺が…」のほうは、たった今、扉絵を作り終えました。
 簡単に言うと、「ブランコで首を吊った男」の続編の話です。
 今回の主人公は、前回のオタクと違い、イケメンですw
 
 全然、前作と違った展開にしようと思っています。
 ちなみに扉絵の目は、自分の目を使いましたw

 

 


2006/05/12
カミングアウト


 突然ですけど、カミングアウトしたいと思います。
 
 まず最初に、「昭和の僕と平成の俺」の件です。
 
 あれは、自分の過去を書いた、ほぼノンフィクションな作品です。
 小説に書いた猫の件も残念ながら現実にあった実話の一部です。
 
 小さい頃、虐待を受けました。
 理不尽な暴力でした。
 いまだに目のところには傷が残っています。
 
 やられた原因は、自分以外の家族と仲良くしていたからでした。
 
 俺、学校でも成績は優秀でした。
 でも、誰も虐待からは守ってくれませんでした。
 
 頭がいいとか、そんなんじゃなくて、まず強くならないと……。
 ずっとその想いがありました。
 
 そんな母親は、自分が小二の冬に家を出て行きました。
 家を出ただけで、自分が高校を卒業する年になっても帰ってきませんでした。
 
 それまで家では、父親の妹であるおばさんに、お世話になっていました。
 でも、よくこう言われてました。
 
「おまえのお母さんがちゃんと籍を抜かずに離婚しないのは、おじいちゃんの財産目当てだからだよ」

 小二から、その台詞はよく聞かされてました。
 何でそんな事を言うのだろう。

 ずっと不思議でした。
 
 だから高校を卒業すると、母親の居場所は知っていたので会いに行きました。 ある事をする為に……
 
 その頃、母親は別な男性と暮しており、自分が尋ねた事を喜んでいました。
 
 自分の中ではとっくに他人です。
 だから、すべて敬語で話しました。
 
 そんな俺に対し、母親はこんなに丁寧な言葉使いで、立派に育ってと勘違いしていました。
 
 俺は親父と離婚してくれ、そのほうがお互いの為だとお願いしました。
 
 母親は、了承してくれ、そこで初めて籍を抜きました。
 戸籍上、初めて他人になれた瞬間です。
 
 俺はあっさりと抜いてくれた母親に対し、向こうの出て行った言い分もあるだろうと、半年に渡って話し合いをしに行きました。
 
 親父のケツを拭いたのは、俺です。
 そう思っていたのに、家に帰ると、親父に言われました。
 
「おまえはそんなにお袋が恋しいのか? だったら岩上の姓など捨てて、加藤って名乗れ」と……。
 
 俺は親父のアバラを折ってしまいました。
 悪い事をしたという感覚は何もありませんでした。
 
 暴力をふるったほうがいけない。
 俺は全然、そう思いませんでした。
 

 母親とは、とことん話しました。
 でも、慣れていく内に昔のようなエゴイズムな部分が見えてきました。
 
 幼い頃、無理やり八つの塾へ通わされ、おじいちゃんたちと食事をすると、殴られた記憶が蘇ってきました。
 
「何でこんな馬鹿に育ったんだろ? 私が家にいれば、もっとまともにしたものを……」
 
 自分で勝手に出て行ったくせに、俺を汚いものでも見るような目つきで、そう吐き捨てました。
 

 俺には母親などいないし、必要ない。
 この人はただ俺を生んでくれただけの人なんだと感じました。
 
 とりあえず、今日はこの辺まで……
 



2006/05/13
今日は師匠の命日


 師匠が亡くなって、何年経ったんだろう。
 
 もう、六年の月日が過ぎていったのだ。
 
 今でも、信じられません。
 あの日、新宿へ向かう途中、電車の中で泣き崩れてしまいました。
 
 あの当時、俺がまた現役復帰しようとして、トレーニングもバリバリ積んでいる時でした。
 
 70kg台まで落ちていた体重。
 死ぬほど、食べて89kgまでは強引に増やしたあの頃……。

 どうしても90kgの壁を越えられないで、悩んでいました。
 
 二週間は体重が増えず、悩んでいたのが、師匠が亡くなった日、急に90kgの壁を突破できました。

 あの時、俺のケツを叩いてくれたんですかね。
 
 人生はチャレンジだって、いつも言ってた言葉。
 俺なりにアレンジして、頑張っています。
 
 あれから、ピアノも弾けるようにして、パソコンもやり始めました。
 
 小説も書き出すようになりました。


 でも、師匠の背中がいつまで経っても見えません。
 

 会った時から、ずっと横一線に並びたかった。
 怪物と、言われたあなたに、俺は人間としての生き方を学びました。
 
 当時、俺にマンツーマンで指導してくれた時、すごいきつくて、でも、すごい嬉しくて……。

 おかげで強くなりましたよ。
 
 肘を壊して、断念した俺ですが、形は違えども頑張っています。
 でも、できたらリングの上でまだ戦いたかったです。

 今でも思ってしまうんですよ。
 
 早いとこ、追いつきたいです。
 師匠の優しい笑顔が、すぐに浮かんできます。
 
 不肖の弟子ですが、いつか胸を張れるように、花を咲かせたいです。
 
 正々堂々と……。




2006/05/14
何故、俺だけが…執筆完了


 2006/05/08~2006/05/14 原稿用紙で124枚 7日間ホラー第二弾「ブランコで首を吊った男」続編として執筆した、「何故、俺だけが…」本日完成。

 疲れました……。

 

 

 


2006/05/17
酷評…
 元、小説の選考委員をしていたというおばさんと、一年ぐらい前に知り合った。

 

  最初に見せた作品は「とれいん」。ボロクソに言われた…。確かにこの作品は私情を入れ過ぎた為、自分でも納得できるものがあった。

 今まで俺は色々な人を師匠として、リスペクトし、吸収してきた。

・プロレスで、体を頑丈に鍛えてくれた師匠、人間としての生き方まで教わった。正々堂々とは、この辺りから始まったような気がする。本当の強さを教えてもらった。

・ピアノを習った師匠。ドビュッシーの月の光を弾けるようになる。市民会館で、発表会までできた。

・バーテンダー時代の師匠。お酒の基本的な事から、接客まで、様々な知識を吸収し、いいサービスマンとしての心得を養えた。

・パソコンを教わった師匠。今現在、パソコンを使った仕事に、携われるぐらいのレベルに達せた。感謝で、頭が上がらない。

・整体術を教えてくれた師匠。人体を壊す事は、自分で一流だと思っている。素手で、人間を壊すのは非常に簡単な事である。しかし、逆に位置する人を治す整体。俺は、その知識や仕組み、やり方などを全面的に教わった。

 

 俺が本当にお世話になった師匠たち…。だから、この時、思った。この人を俺の小説の師匠にしようと…。今まで書いた俺の作品をこの人に見せてもらおう。新しいジャンルの師匠。俺の胸は高鳴った。

 

  次に見せたのが「新宿クレッシェンド」「でっぱり」「打突」のシリーズ作品。批評は…

・書き方がなっていない。

・読み手に失礼だ。

・何故、もっと人物の顔形などの描写を書かないのか?

・あなた、本を全然読んでないでしょ?

・背景描写がなさ過ぎる。

・内容が駄目。

・これは悪いけど、小説とはいえない。 …など、本当に酷い言われ方をされた。

 

  それでも自分の文章が上達するのならと、我慢していた。俺の小説が少しでも向上するならと、意見をできる限り取り入れた。

 

  「群馬の家」「はなっから穴の開いた沈没船」

 この二つは作品として途中だが、その状態で見てもらった。感想は、嫌そうな顔をして、なってないと言われた…。 情景描写が少な過ぎる。もっと、本を読んだらとも言われた。

 

 もう小説書くのやめようかな…。自信がなくなり、一年間…。結局、小説を一冊も完成できなかった。やっぱり、俺って思いつきで始めたから、駄目なのか…。落胆した。 でも、諦めたくなかった。

 

 そんな時、まわりの人間に言われた。

「せっかく、あれだけ面白い作品書いているのに、もったいないよ。」

「もっと他の作品も読みたい。」

「どっぷりと、はまっちゃった。」

「何で、賞に応募しないの?」

  俺の事をちゃんと評価してくれる人って、たくさんいたんだと、いう事に、今さらながら、気付かされた。とても、ありがたかった。

 最初に小説を書こうと思ったのが、活字離れが多くなったと聞き、だったら俺が漫画より面白い作品を書いてやろうじゃないか。浄化作戦で酷い有り様の歌舞伎町を俺が救いたい。そう思って、ずっとひたすら書き続けた。

 素人の人ばかりだったけど、読んでくれた人は、みんな、もっと読みたい。次はいつできるの?そう、言ってくれた。

  なのに何故、このおばさんは酷評しかしないのだろう。俺は文学の専門的な勉強などした事はない。でも、自分の経験を活かして、読み易くリアルなものは書けるんじゃないか。そう、気合い入れて、執筆してきたのに…。 

 

・小説じゃないと言われた。でも、俺が本として作ったものは、誰が見ても小説だと言ってくれる。

・背景描写がない?でも、全然ない訳じゃない。俺はそんな事よりも、読者が一気にスラッと読めるように心掛けている。

・人物の描写?ちゃんと目鼻だちから、髪型、年齢、ホクロの位置まで書かないと、あなたは小説を読めないの?

・登場人物を自分で、想像できないのと言いたい。

・内容が駄目?あなたの主旨に合わないだけでしょ?面白いって言ってくれる人、多いし…

・本を読んでない?かなり自分では読んでいると思うけどな…。生まれて初めて言われた。

・読み手に失礼?俺、自分の金で読みたいって人だけ、作ってあげているだけなんだけどな。出版されて買った人に言われるなら、まだしも… 

 

 ふざけんなって、言い返したかった…。しかし、俺はそれでも文句を言わず、自分の心の中だけにしまっておいた。

 

「ブランコで首を吊った男」を11ページほど書き、見せにいった。

 初めてホラーというジャンルに挑戦してみた。 知り合いには先に読ませると、気持ち悪い…と、いった感想をもらえた。狙い通りである。気持ち悪く、怖く感じるように書いたので、成功である。

 だから、そのおばさんに、気持ち悪いですよと、あらかじめ言っておいた。

 

  しばらく日にちが経ち、評価を聞きに行く。

 おばさんは印刷した紙を面倒臭そうに、引き出しから取り出し、俺が受け取ろうとすると、渡してくれない。机の上に置いて、急に目の前で読み出した。

 一枚ずつ読み終わるたびに、俺へ渡してきた。俺は我慢しながら、笑顔で聞いた。

「どうですか?気持ち悪くなかったですか?まあ、最後の方で一気に怖くしようかなって…。」

 おばさんは、呆れた表情で言う。

「悪いけど、全然気持ち悪くない…。どこが気持ち悪いのか、分からない。」

 もうこの人の評価はいいやって、感じた。でも、今まで師匠と一度決めた人を自分で裏切るのは、どうかという思いも同居していた。

 この人に師事していて、俺はプラスになるのだろうか。実際にこの人と会ってから、あれだけいいペースで書けていた小説が、一冊も完成していない。一年間も…。

 

「この主人公。男の人が、飯、食事とか言うなら分かるけど、何故、ご飯なんて使うの?あと、金って言うのに、何故、お金って言うの?これじゃ、おかまっぽく見えるだけでしょ。おかしいよ。それに、このタイトルが、長過ぎる。首吊りってだけにしたら?」 

「うーん、タイトルは、自分で決めるものなので…。それは絶対に変えるつもりはありません。」

「長いわよ。それに、何て言ったらいいのかな…。」

 おばさんはしかめっ面で、まだ、何かを言おうとしていた。俺は自分で印刷した原稿をその場で破った。それで、笑顔でできる限り冷静に言った。言いたいのは、そんなものかと感じる。

「うーん、そうですか…。じゃあ、俺の書く作品は、駄目って事ですね…。」

「そうね、もっと文章のトレーニングから、やったほうがいいんじゃないの。」

「そうですね。俺、小説なんて、やめたほうがいいみたいですね…。」

  言葉とは裏腹に、喜んで読んでくれる人たちの為に書こう…、そう思った。別にあえて、飯ではなく、ご飯。金ではなく、お金とわざと書いただけの話だ。おかまっぽいと思うなら、好都合である。だって、40歳の引きこもりオタクが主人公の話なんだから…。  

 

 ちょうど、この頃、歌舞伎町で裏稼業のコンサルタントをやっていたが、嫌気がさして、その業界から足を洗った。まっとうな社会で、俺はやっていこうと決意した時期でもあった。

 

 会社の面接を十社以上受けて、すべて落ちた。知り合いがどういう風に履歴書を書いているのと、訪ねてきた。

「俺は正々堂々と、裏にいた事も、全日本にいた事もホテルでバーテンダーやっていた事もすべてちゃんと書いてますよ。」

「そんなんじゃ、受かるところも、受からないって…。」

「でも、嘘はつきたくないんで…。俺はすべて一生懸命やってきたものですから。」

「気持ちは分かるけど、裏は匂わせないほうがいい。俺が会社で面接する時だって、絶対にそんな事を言う奴いたら、スキルあっても絶対に落としてるよ。履歴書はなるべく癖がないほうがいいんだから…。おまえ、デザイン会社に行きたいって言っているんだから、マイナスにしかならないぞ。」

 俺は履歴書を書き直した。ちょっとだけ…。罪悪感と自分の生き方に少し傷がついた。でも、何よりも、働くのが最優先である。

 

 また、今、更新しているブログもやりだした。みんな、俺を励ましてくれた。

 

  例のおばさんとばったり会った。俺がまだ就職決まっていない状態なのを知り、何故、まだ働かないのと言われた。

 好きで働いていない訳ではない。働く気がないのとは違う。面接に行っても落ちただけなんだから…。

「たぶん、採用されないのって、すぐキレそうに思われているんじゃないの?会社って、言い易いほうをとるからね。あなたの顔が怖いんじゃないの?」

 人にあれだけ本を読んでないと言えるのは、自分は読んでいるという自負があると思う。言い方を変えれば、読解力があると…。

 俺は普通に思った。何故、そんな事しか、言えないのだろう。

・顔が怖い?俺より怖い奴って、いっぱいいるでしょ?

・その言い方は、俺には働く場所なんて、ないって事を言いたいのかな。

・怖く見える奴って、採用してくれないんだ?

 さすがに頭にきた。

 怖いと思う人間に、面と向かって怖いって言うかな?そっか、俺って舐められてんだ。

「そうですね。人には適材適所ってありますからね。じゃあ、俺はヤクザ者ぐらいしか、行くとこないですね。俺が実際に行けば、喜ぶ組だっていっぱいあるだろうし…。」

 俺が凄んで言うと、俺は優しいから向いていないよと、急になだめてきた。

「何、言ってんですか?普通のところが、とってくれないんじゃ、しょうがないでしょ?行く道、行きますわ。」

 本当にそう思った。健全で真っ当なヤクザになってやろうと…。それでも小説は書ける。でも、まわりの人間に必死に止めてきた。俺がヤクザになると、悲しむ人間ってこんなにいるんだって思うと、できなかった。

 みんなを裏切っちゃいけない。真っ当に、表社会を歩こう…。

 

 めげずに、面接に行くと、すぐに採用してくれた会社があった。こんなタイミングで決まるものなのかと、びっくりした。とても嬉しかった。感謝した。

 

 この件で俺は一つ教訓を得た。本当の信頼関係は、俺がどんな状況にいても、変わらずに接してくれるものなんだと…。

 

  弾けるしかないんだ…。

 そう決めたら、四月だけで三冊小説が完成した。仕事を始めた今現在で、四冊完成。

 いつもの俺のペースだ。やっぱり自分が小説を書けなくなるのが、一番いけない事だ。そう、思った。

 

 「昭和の僕と平成の俺 ママの章」

 俺が感動ものとして、自分の過去をほぼ、ノンフィクションで書いた作品である。

・読んだ人は、みんないいと言ってくれた。

・中には泣いちゃったって人もいた。

・中学生の子まで、この作品を読んでくれた。

・本当に嬉しかった。

・懐かしい、昔を思い出した。

 虐待がなくなるような世の中にしたい。そのテーマも込めて書いた作品。だから、辛かったけど、自分の嫌な過去を一部分さらけ出した。子供の視点から見た虐待…。これを読めば、少しは分かってくれる親もいるかもしれない。そう願いを込めて…。

 愛情を持って接すれば、子供はいい笑顔で笑うのである。

 

  人づてに、例のおばさんが勝手に俺の「昭和の僕と…」を読んだらしい…。

 今朝、いきなり批評を言ってきた。

「自分の事を書き過ぎる。もっと…。」

「はいはい、別に無理に読まなくて結構ですよ。すみません。俺、これから仕事なので…。」

  何も気にならなかった。小説を書けなくなるような中傷は受け入れない。俺は、絶対に世に本を出してやる。心に固く誓った。出たら、みんなにありがとうございますと、心から言いたい為に…

 一つだけ、受け入れたいという部分だけ、残してくれましたので、その部分だけは感謝しています。

「人は石ころ一つにしても、学ぶものがある。」

 例のおばさんは、俺の小説に必要ない…。師と崇めた人を初めて自分で切り捨てた。それは、俺にとって、とても辛い選択だった…。

 この意味を自分なりに解釈して、頑張っていきます。でも今後、あなたの批評はもういりません…。ここで、初めて自分から弟子をやめさせていただきます。今までありがとうございました。色々と勉強になりました。

 

 身のまわりの人たちや、このブログで知り合った方々…。

 

 応援してくれる人はいっぱいいるんだから…(^o^)

 

 

 

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