2024/12/29 sun
前回の章
二千十年十月九日。
混沌の絵。
何となくこんな絵を描いてみる。
先日描いた『混沌の絵』
絵自体のテーマは特に考えず、ただ何となくデザインしてみた。
これを小学時代の恩師福田文彦先生へ送ったところ、こんなメールが来る。
昔“混沌”という名の目も鼻も口も無い、のっぺらぼうの人が住んでいたんだそうです。
ある人が目も鼻も口も無いと不便だろうと、親切心を起こして、彼の顔に描いてあげたところ、“混沌”は次の朝には死んでいたそうです。
親切心…難しいものですね。
福田文彦
尊敬し、信頼する恩師から届いたこのメール。
つい数日前に『鬼畜道 〜天使の羽を持つ子〜』の中学編では『ムジナ』の話を書いたばかり。
ムジナ=のっぺらぼう=混沌?
いや、この話の『混沌』とは名前だけか。
自己判断で親切心をしたつもりが…、すべてがいいという訳ではないというお話。
この時期に、この内容……。
自身に当てはめてみる。
今一度自己を振り返り、地に足をつけて考えてみよう。
自流の流れに沿って……。
今できる自分の誠意、それは相手から見ればすべてがありがたい訳ではない。
ならば背伸びをせず、頼まれた事や困ってそうな場合のみ動く。
虚勢を張る事も必要なければ、無駄な気配りも意味がない。
実を見て、自然体のまま生きればいいだろう。
自流の流れに沿う……。
おそらく今まで俺は、この言葉を間違った意味で認識していたんじゃないのだろうか?
本当の自流の流れに乗れば、苛立つ事が無くなり、心が穏やかになるような事が色々と起こる。
そんな風に最近感じられるようになった。
まず自身を捨てる事へ最新の注意を払うようにして、日々を生きる事にしてみる。
中々難しい作業であるが、今の俺はさらなる心境の追求をしたい。
少しして来月初旬に過去俺の試合へ応援しに来てくれた竹花さんのめでたい知らせを受けた。
先輩の岡部さんの店『とよき』の常連客だった竹花さん。
一回り以上下の女性との結婚が決まったようだ。
あの人も落ち着いちゃうのか……。
うん、非常にいい事だ。
もちろん時間を作ってお祝いに駆けつけよう。
『パパンとママン』…、一度完結させちゃったけど、まだまだこんなリアルなネタを提供してくれるなんて。
落ち着いたら、加筆でもするか。
パパンとママンが離婚して、竹花さんとくっつく話……。
いやいや、脱線し過ぎだろ。
まあ何かの機会にふと書きたくなったらか……。
すべては流れに沿えばいいだけ。
この穏やかな心境をできる限り持続していきたい。
もうじき川越祭りか。
そういえば祭りの着物、毎年暴れているのでビリビリだった。
新調するにしても、三万円は掛かるんだよな……。
今年の祭りは大人しくしているか。
仕事の帰り道そんな事を考えていると、同じ町内の栗原真紀美とバッタリ出くわす。
「あら、智君お久しぶり」
彼女は俺より一つ年下で、旦那は連雀のお囃子連雀會の副会長の栗原快治さん。
「ああ、マキさんお久しぶりです」
栗原真紀美は顔立ちは奇麗だが、背が異様に小さいので俺はたまに『コロボックル』と心の中で呼んでいた。
「今年も祭り出るんでしょ?」
出たいけど着物がなあ……。
「うーん、今年はどうしようかなって感じですね」
「え、何で? 智君は祭り出なきゃ駄目でしょ」
俺は着物がビリビリに破けている事を伝え、新しく買うのも間に合わないし祭りを不参加すると言い訳をした。
「じゃあ着物貸してよ。私、和裁もできるから、できるだけ智君の着物直してあげる」
想定外の返答に驚く俺。
「これから持ってきてよ。祭り近いし、夜通しで何とか頑張ってみるわ」
「悪いからいいっすよー」
「いいのいいの。どうせ、うちの子たちの着物もある程度手直し必要だったね」
コロボックル真紀美は背が小さい分、反比例し草原のように大きな心の持ち主である。
現在は男三兄弟の母親でもあるのだ。
家に祭りの着物を取りに帰る。
真紀美は松永さんと婚約したスナック女の知子と仲がいい。
それはその辺の事情を聞いてみると、彼女もよく状況を掴めていないようだった。
「うーん、まっちゃんも可哀想だよねー。まあ結婚してから発覚したっていうよりは良かったのかも。じゃあ智君着物預かるわ。頑張って直してみるから」
小さなコロボックル真紀美は、有言実行通り俺の着物をかなり立派に直してくれた。
夜通し掛けてやってくれたようだ。
今の俺は金もある訳でもなく、何とかお礼をしたかったので著書の『新宿クレッシェンド』と以前望から教わったミートローフを作ってプレゼントした。
俺はこうした繋がりに感謝する。
コロボックル真紀美の子供食い盛りな男三兄弟は、あっという間に平らげたと聞いた。
今朝出勤する途中、家の近くのコンビニで買い物をしようと寄ると、入口付近でパンチ頭のヤクザ者がコンビニ店員を怒鳴りつけ、人通りの多い道端で土下座をさせていた。
状況が分からないので、それを横目に店へ入る。
レジで会計をする際、他の店員に「ねえ、外で店の店員が土下座しているけど何かあったの?」と訊ねてみた。
「え、そうなんすか?」と、店員は知らないふりをしていたが、入口の方向を見ようともしない。
コイツ、知ってて知らん振りを決め込むのかよ……。
同僚ご酷い目に遭っているのに。
買い物を済ませて外に出ても、まだヤクザ者は脅していた。
通り過ぎる人々はそれを遠目に見て、そのまま去っていくだけ。
さすがに止めに入るか。
でも電車…、ひょっとしたら間に合わなくなるかも……。
だけどやっぱり知らん振りできなかったので、俺は近づき声を掛ける事にした。
事情は分からないが、コンビニレベルでのトラブルで、店員が道端で土下座までしなきゃいけない事なんてないと思ったのである。
「ねえ…、こんなに人通り大勢いるんだからさ、いい加減許してやんなよ」
「あ?」
ヤクザ者は俺のほうを向くと目を剥き出して威嚇してきたが、悪いけど暴力ってものに関してだけなら、こっちが本職である。
「これでも充分静かに言ってんだ。別に君に喧嘩を売っている訳じゃない。分かってくれ」
感情を表に出さず、出来る限り平静に、そして冷静に口を開く。
「……」
しばらくヤクザ者は俺を睨んでいたが、やがて視線を逸らし、コンビニ店員ほうへ向けた。
そろそろダッシュで行かないと、電車が冗談抜きで間に合わなくなってしまう。
気掛かりではあったが、あれ以上ヤクザ者も怒る事はないだろうと判断し、俺は駆け足で駅へ向かった。
走りながら、こんな状態で投げ出したような形になった事を後悔したが、会社では自分を必要とし、丁重に扱ってくれる上司、そして同僚がいる。
私用で遅刻などできるはずがなかった。
結果、電車には閉まり掛けのドアへ強引に駆け込む形でギリギリ間に合う。
もちろんその後、コンビニ店員がどうなったかなんて分からない。
外の景色をぼんやり眺めながら、俺のこの考えって昔よりも丸くなってしまったのかなと色々考える。
先日恩師から頂いた混沌のメールの意味合い……。
自分なりの解釈で勝手に動いてみたが、果たしてこれで本当に良かったのだろうか?
額から流れ落ちる汗を見て、乗客は不思議そうに俺を見ていた。
自流の流れに沿って……。
果たしてこれで本当に良かったのだろうか?
いくら自問自答しても答えは出ない。
本来の意味合いを分かっているかどうかは分からないが、おそらく周りの環境で色々な気付きがあるものなんだなと思うようになってきたこの頃。
分かり易く言えば、自身の方向性が間違ってなければ、変な出来事は起こりにくく、逆にいい知らせというものが舞い込んでくるもの。
そんな感覚に近い。
仕事を終え、明日の弁当と夜食を作っていると、悪友ゴリから電話があった。
どうしても今日食事を一緒にしたいと言うので、作った夜食を彼の明日の弁当用として渡す事にし、食事へ向かう。
「何だよ、どうしても話したい事って?」
「いやー、彼女ができた!」
「本当かよ?」
ゴリはこれまでにないぐらいの幸せの絶頂を迎え、それを心から祝福する自分がいた。
「いやー、前回則代とは別れちゃったけどさ、もっと美人の朋花と付き合えるなんてね」
「ノリマンか」
「テメー、ノリマンなんて言うなよ。それよりほら、これが今の女だ」
写真を見ると、清楚で黒髪ロングヘアーでメガネがよく似合う美人だった。
「どこでこんな子と知り合ったんだよ?」
「前に智いっちゃんが紹介してくれたauのグリーだよ」
ゴリはあのSNSを出会い目的で思い切り使っていた。
グリーに興味無くなった俺は一度退会する。
しかしゴリが色々な女と会って食事や飲みに行った話を聞き、グリーでそんな異性と知り合うなどあるのかと不思議だった。
ゴリの最初の彼女になったノリマンですら、グリーがきっかけなのだ。
俺は登録名を『いちご』と適当な名前をつけ、再びグリーへ再登録してみる。
グリーでゴリは『シビック』と名乗っていたので、彼のページを覗いてみた。
するとものの一分もしない内に、ゴリからメールが届く。
『足跡ありがとう。良かったらメールでお互いの事を話し合わないかい? シビック』
驚いたのがゴリは常に携帯電話を肌身離さず持ち歩き、マメにグリーをチェックしていたのだ。
自分のところを見た女性に限るが、すかさず連絡をするスタイル。
ガツガツ猪突猛進で向かうスタイルは、笑う前によくそんな事までできるなという感心もあった。
ん、待てよ…、ゴリの誕生日はバレンタインデー。
つまり奴は早生まれだから、猪年でもない。
それなのにゴリは猪年の如く邁進する。
朋花とかいう女も、同じようにゴリゴリ押して口説いたのだろう。
『よろしくお願いします。よく分からないけど、シビックさんには運命的なものを感じています。 いちご』
俺はからかおうとこんなメールを送ってみた。
しかしゴリからはいつまで経っても返事は無い。
以前食事に行く際、俺は我慢できず聞いてみる事にした。
「なあ、何でいちごって子にメール返さないの?」
「は? 何でおまえがそれを知ってんだよ?」
「いや、俺がそのいちごだからだよ」
「おまえかよ! どうも変だと思ったんだよ。会った事もねえのに突然運命的なものをとか抜かしているから、危ない奴だなと思ったんだよ」
「何だよ、つまんねえな。返事来たら面白かったのに」
「ふざけんじゃねえ! 警戒しといて良かったよ」
ゴリはゴリなりにセンサーを働かせながら必死に動いていたのである。
それが花開き、彼女を得たゴリは満足そうに笑う。
「今の心境はどんな感じだ?」
「最高に幸せだ」
うん、そうだ。
お袋さんも亡くなり、失意のどん底にいたゴリ。
絶対におまえは幸せにこのまま生きて欲しい。
人それぞれの運のバランスってまちまちだけど、個人的な運勢ってある程度のバランスって、きっとあるはず。
これまで不遇の時代を過ごしてきたのだ。
本当に幸せになってくれ。
それにしても、今朝のコンビニの一件……。
自分の行動が本当に正しかったのか、それは未だ答えが出ていない。
でも、こうして友人が嬉しい知らせを報告しようとしてくれた現実。
少しはいい方向へと自分でも思うようにしようじゃないか。
今度また同じ現場を見たら、次はキッチリ助けてやろう。
二千十年十月十五日。
昨日の仕事帰りふと夜空を見上げたら、綺麗に輝いていた月が一瞬消え、また鈍い光と共に姿をゆっくり現した。
俺はそんな夜空をしばらく眺めていた。
家に帰り横になる。
どうも寝つきが悪い。
疲れているはずなのに何故か眠れないのだ。
何かが引っ掛かっていた。
ああなるほど…、あの光景の絵を描かなかったから眠れなかったのだと気付く。
仕方ない。
また絵を描いてみるか。
フォトショップを起動して、俺はマウスを丁重に動かしながら絵を描いていく。
月を中心に渦を巻くような淡い雲。
じっくり時間を掛けて、マウスを動かした。
月明かりの絵というタイトルをつける。
ヤバいな……。
明日も仕事なのに、こりゃ下手したら徹夜だぞ。
川上キカイでの業務終了後、上司の小田柳から飲みに行かないかと誘われる。
人間関係がとても良好なこの会社。
俺も本間も断る理由など無かった。
小田柳は川越線の笠幡、本間は南古谷に住んでいる。
必然的に飲む場所は、川越に決まった。
車で通勤する小田柳は、俺たち二人を乗せて川越へ向かう。
「小田柳さん、駐車場所、俺の家停めちゃっていいですよ」
「え、でも……」
「大丈夫ですよ。うちの家業も仕事終わりの時間ですし、そこから歩いて飲みに行きましょうよ」
家の駐車場へ小田柳の車を停める。
徒歩で川越駅周辺にある適当な居酒屋へ入る。
俺は二人に楽しく仕事ができている事の感謝を伝えた。
「先生ね…。今日こうやって飲む際、色々迷ったんですよ。一応仕事上立場的にだけは上になっている俺が奢るべきなんですけど、先生は年上じゃないですか。それって失礼に当たるんじゃないかって……」
酒が入り、少し酔った小田柳は、申し訳なさそうにそう言った。
「小田柳さん、そうやって常に俺を気遣ってもらえてね、俺も感謝が絶えないんですよ。だから肩ひじ張らず、ここは割り勘で楽しく飲みましょうよ」
酒の弱い本間は、一軒目で帰る。
俺と小田柳は陽気にクレアモール商店街を闊歩した。
明日から川越祭りが始まる。
「小田柳さん、明日川越祭りじゃないですか」
「自分、笠幡だから祭りってほとんど参加した事ないんですよ。山車も無いですしね」
「うち、連雀なんですけど、毎年山車も出るんですよ! 今日はとことん飲んで、うち泊まっていいんで祭り一緒に出ましょうよ」
「えー、それだと先生に何だか悪いですよ」
「いやいや、俺が小田柳さんと一緒に祭り楽しみたいんですよ」
知り合って数ヶ月だが、彼との関係は俺にとって、とても濃いものとなっていた。
岩上整体時代からゆかりのある天下鶏、そしてぼだい樹へ飲みに行き、親交を深める。
「次はどこへ行きますか」
いい感じに酔い、クレアモールを歩いていると、顔面に入れ墨を入れた太った男が声を掛けてきた。
「お客さん、おっぱいどーすか」
いい気分だったので、無視して歩く。
入れ墨男は俺たちの前にまた来て「おっぱいどーすか、おっぱい」としつこい。
「邪魔だ、失せろ」
手で払い、先を行こうとすると「はい、お二人様、おっぱい二名、おっぱい二名」と馬鹿にしたように話し掛けてきた。
小田柳の目つきが変わる。
「おまえ喧嘩売ってんのかよ!」
二人は取っ組み合いになりだしたので、俺は入れ墨男の胸倉を掴み、そのまま片手で持ち上げたまま壁に叩きつけた。
「おい、いつから川越におまえみてえのが湧いたのか知らねえけどよ? ヤクザ者すら避ける俺に、喧嘩売ってんのか?」
入れ墨男は押さえつけた態勢を何とかしようとするが、力と技術両方使って動けないようにする。
「この辺の誰に聞いてもいい。岩上の一番上に喧嘩売ったんですけどって聞いてみろよ、おい」
「す、すいません……」
「すいませんじゃなく、正しくはすみませんだ。その辺の勉強からやり直してこい」
謝ったので、俺はそこで解放してやる。
小田柳はその一連のやり取りを見て「やっぱ格闘家は全然違いますね」と感心していた。
このあとバーに寄り、いい感じで酔った状態で家に帰り、彼も泊める事にした。
朝になり俺はミクシィで『新宿プレリュード』を全編アップしてみた。
何故いきなり『新宿プレリュード』をアップしたかと言うと、野原さんが亡くなってから十年が経つからである。
今現在髭を剃ってしまった俺。
当時勝手に彼から髭を受け継いだつもりでいて、それだけが唯一の繋がりを持つ事だと思い込んでいた。
しかしどうだろうか。
十年経った今でも野原さんと共に酒を飲み、馬鹿を言い合ったあの頃は鮮明に脳裏に刻み込まれている。
気付けば俺のほうが年上になっていた。
でも、こんな時期になったから、野原さんの事を思い出そうと思って作品をアップしてみた訳だ。
あの頃に戻ってまた一緒に酒を飲みたいなあ……。
この『新宿プレリュード』…、処女作の『新宿クレッシェンド』を読み終えた方なら、かなり楽しめるように書いたつもりだ。
クレッシェンドでのリアルな部分は、主人公赤崎隼人の虐待の部分のみ。
プレリュードでは、ほとんどがそのまま自身の体験を描いたもの。
唯一作り物のキャラクター岩崎が絡むシーンのみ、フィクションとなる。
この作品は野原さんに捧げるものとして執筆したもの。
気付けば俺のほうが年上になってしまった。
さて、上司の小田柳を起こすとするか。
「小田柳さん、起きて下さい。祭りが始まりますよ! ご馳走食べに行きましょう」
「ん…? ご馳走? あ、先生おはようございます……」
もうそろそろ川越祭りが始まる。
「そろそろ行きますよ」
「あ、先生……」
「ん、どうしました?」
「実は腰が痛くて…、昨日飲んでいる時に明日診てくれると……」
「あー、ごめんなさい。いいですよ。うつ伏せになって下さい」
俺は小田柳の身体を診て、施術を始める。
左足裏まで激痛が走っていた坐骨神経痛。
家なら高周波テクトロンもある。
久しぶりの岩上流三点療法。
いつも職場では世話になっているのだ。
心を込めて施術した。
祭囃子の太鼓の音が聞こえてくる。
「いやー、すみません、先生。おかげで楽になりました。自分そろそろ帰りますよ」
祭りが始まると交通規制で車など出せない状態になる。
「いや、小田柳さん。この辺辺り一帯は、交通規制で車を祭りが終わるまで出せないんですよ」
「え、そんな」
「だから一緒に祭り行きますよ。ご馳走も酒もありますから」
施術を終え、小田柳と共に川越祭りへ向かった。
着物を着るのも面倒だったので、俺はスーツに着物を羽織っただけの状態で街中を闊歩した。
蓮馨寺斜め前にある栗原名誉会長宅へ小田柳を連れ、お邪魔した。
隣にある和菓子の伊勢屋の始さんが、俺の姿に気付き店から出てくる。
「あ、始さん。こちら俺が今お世話になっている会社の上司で、小田柳さんと言います。祭り初めてだと言うので、今日は一緒に連れてきました」
「はじめまして、一柳です。智一郎がいつもお世話になっているようで。よろしくお願いしますね」
「いえいえ、そんな上司だなんて……」
やたらと恐縮する小田柳。
栗原名誉会長にも彼を紹介する。
「智一郎、今日はおまえ、ずっとここにいろよ。会長のボディーガードだ。俺は仕事で忙しいからよ、頼むな」
始さんは言うだけ言うと、和菓子屋へ戻る。
長テーブルが二つ縦に並べ、それが三列。
おでんや様々なツマミ、そして隣の始さんが作った赤飯のおにぎりや海苔巻きが並ぶ。
「智一郎の上司の方は、何を飲むんだい?」
栗原会長が気を使って動こうとするので、俺が慌てて立ち上がる。
「会長、大丈夫ですって! 俺が全部動きますから。小田柳さん、酒は何がいいです? 生ビール、缶ビール、ワインにウイスキー、各種チューハイ系、日本酒に樽酒、何でもありますよ」
「あ…、で、ではビールを頂きます……」
小田柳は、目まぐるしい特集な空間に迷い込んだかのように驚き目を丸くしていた。
毎年連雀の山車に来て、俺へ挨拶に来る知人たちには申し訳ないが、今日はここで会長のお供をしながら酒を飲んで過ごす事になりそうだ。
名誉会長宅にはたくさんの人々が顔を出す。
「あ、智一郎! 何で携帯電話解約してんだよ。何回電話しても繋がんねえぞ」
そういえば九月にauを解約して現在プリペイド携帯にしたが、ほとんどの人に番号を教えてなかったっけ……。
何度も携帯電話の件で会う人に文句を言われ、その度非礼を詫びる。
小田柳は町内の人たちと俺のやり取りを見て大笑いしていた。
もちろん例年恒例であるペイントもせず、普通に歩いていたが、ほとんどの人たちは「何でペイントをしないの?」と無責任発言をしてくる始末。
あれって本当に肌が荒れるんだぞ?
人の今後など気にせず酷いなあと思いつつも、仕方なく「明日はやってやら~!」と宣言してしまった。
結局祭りが終わる夜まで飲んだので、小田柳を連続で泊める事にする。
さすがに飲酒運転で帰す訳にもいかない。
「すみません、先生。何から何まで……」
「全然問題ないですよ。それより朝は祭りが始める前に起きないと、また車出せなくなるから気をつけるのはそこだけてすよ。あ、軽く一杯行きますか?」
「いえ…、さすがに勘弁して下さい。もう寝ます」
こんな感じで土曜の祭りを終えた。
古くからの悪友ゴリから電話が掛かってきて起こされる。
「何だよ、こんな朝っぱらから……」
「岩上、今日祭り出るでしょ?」
「出るけど、何だよ?」
「ん、ああ…、いやあ、ほら俺が付き合い始めた朋花いるでしょ?」
「ああ、この間写真見せてくれた子ね」
ゴリの用件は、その彼女の朋花を祭りへ連れて行きたいらしい。
これまでゴリのいる町内は山車が無いので、彼は川越祭りもロクに出ていない。
それで祭りに精通する俺に連絡をしてきた。
まあゴリが格好つけられるならいいかと了承する。
そろそろ交通規制で車が動かなくなるので、まだ眠っていた小田柳を起こす事にした。
「先生、本当に何から何までお世話になりっ放しで……」
「何を水臭い事言ってんですか。俺が日頃お世話になっているんですよ。また飲みましょうね」
小田柳を見送る。
よし、ゴリもその朋花という彼女も一緒に、川越祭りを案内するとするか。
俺はコロボックル真紀美に直してもらった着物を着た。
それから家を出て大正浪漫通りにある加賀屋へ向かう。
毎年恒例の同級生滝川兼一の母親の店である化粧品の加賀屋。
俺はいつもここでペイントをする。
いつものように行くと、おばさんが俺の顔を見るなり「どうしたの、元気していたの? 隣のおばさんなんか智ちゃんが姿見せないから、色々話しながら心配そうに涙ぐんでいたよ」と言われる。
何故数ヶ月姿を見せないだけで、泣かれなきゃいけないんだ……。
隣のおばさんとはスガ人形店の栄治さんのお袋さんの事を言っているのだろう。
まあ、こんな俺でも心配してくれる人がいるという現実。
ありがたい事である。
土曜日は職場の上司小田柳を連れ、名誉会長のところで贅沢な酒やたくさんのご馳走を食べて過ごし、日曜日もほとんどそんな感じ。
それでも同級生の飯野君や、同じ町内で俺の試合にも応援に来てくれた三枝さん、そして岩上整体時代一度抱いた熊倉瑞樹といった面々と会えたので、良かったと思う。
ゴリが彼女の朋花を連れて連雀町へやってきた。
俺は栗原名誉会長宅へ連れていき、ゴリを会長へ紹介した。
「会長! コイツはゴリと言って中学時代の悪友なんですが、とうとう彼女ができまして、目出度い祭りに目出度い事繋がりでここへ連れてきました。祝福してやって下さい!」
「おー、おめでとう!」
会長も俺の同級生というだけの初対面の人間に対し、悪ノリで彼らを歓迎してくれる。
この辺の度量の深さは昔から凄い。
「ほれ、ゴリ。何を飲むんだ? あと朋花ちゃんはじめまして。何か飲むかい?」
二日間に渡る宴。
ゴリの馬鹿話を会長も大笑いで聞く。
途中雀會会員のコロボックル真紀美と歯医者の山田直子が顔を出す。
「あ、マキさん、直子さん! コイツ、ゴリって言って中学時代からの悪友なんですが、この度彼女ができたんですよ! 一緒に祝って下さい」
「わー、おめでとう!」
ゴリは照れ臭そうにしながらも、まんざらでもない様子で酒を飲む。
祭りでは本番の夜のひっかわせの出発時のみ出たが、すぐに会長宅へ引っ込み酒を飲んでいた。
知子と婚約解消した松永さんは、悲壮感を漂わせながら山車の上で鐘を叩く。
長子とくっつけばいいのになと思う。
夜になって町内でちょっとしたトラブル発生。
俺に間へ入るよう言われ、月曜日にその件で数名の人間と話をする事になる。
原因は、町内の人間同士の言い合い。
お互いのエゴとエゴが衝突した形だ。
祭りが好きで、みんなこうして関わって…、それが毎年なんだから、みんな仲良く行きましょうをスローガンに説くと、全員笑顔で分かってくれたので良かった。
祭りを終えて感じた事……。
こんな俺でも必要としてくれている人たちがいるんだなと改めて再認識できた。
今年になって色々あり過ぎたせいか、嫌な方向へ自分でも考え過ぎていたのかなと思う。
うん、案外俺って中々幸せじゃん。
あと今年も二ヵ月半。
なら、取り戻すぐらい人生を楽しまなきゃね。
もう背中を見せてくれた鶴田師匠も三沢さんもいない……。
それでも挫けずに頑張ってチャレンジしていこう。
それでいつか褒めてもらいたいなあ……。
うん、人生はチャレンジである。
川越祭りが終わると寒さを感じる。
もう冬になるんだなあと毎年このタイミングで思う。
八年前を懐かしむ絵を描いてみる。
ゴリの幸せそうな笑顔を見て、羨ましかったのかもしれない。
女々しいなあと思う自分……。
まだ結婚してしまった品川春美を忘れられないのか。
先日描いた絵をずっと想っていた春美へ贈ってみた。
もうその子は結婚して、どう足掻いたって無理なのに、それでも描いた絵を見せたかったのだ。
嬉しい事に彼女は返事をくれる。
図に乗ってもう一枚贈った。
また返事が来た。
春美は新しい絵を絶賛してくれ、過去プレゼントした絵も未だ大事に持っていると言う。
俺の手には生涯届かない女性。
こんな事をしたところで、何もならないのを分かっているのになあ……。
ある程度の時期が来たら、またピアノを弾こう。
今度は自分自身の為に弾いてみようじゃないか。
当時ジャズバーで演奏した自分の映像を見ていたら、絵を描きたくなった自分がいた。
『鬼畜道~天使の羽を持つ子~』で言えば、クレッシェンド第五弾『新宿セレナーデ』編で登場する彼女。
思えばこの頃が一番図に乗っていた時期だけど、一番楽しかったっけ。
彼女の誕生日だったあの時、酒にさえ酔わなかったらなあ……。
いや…、人生にたらればなんて無いんだ。
この子がいたから絵をまた描き始めた。
この子がいたからピアノを始めた。
この子がいたから小説を書き始めた。
我が人生を振り返ると、悲劇の連続。
格好つけたつもりでいつも最後はずっこけて、それでも諦めないで足掻いて別の事して……。
今年の三月六日。
この日でもう春美へ連絡を取るのはやめようって心に誓ったはずなのにな。
相変わらず意思が弱い俺。
ならばもう決めよう……。
岩上智一郎…、俺は生涯独身宣言をし、孤高に生きようじゃないか。
残る余生…、チャレンジし続けよう。
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