岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 183(訃報続きと憎悪の再燃編)

2024年12月29日 21時52分22秒 | 闇シリーズ

2024/12/30 mon

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作品を早く書き進めろ。

時間は制限されている。

俺は仕事が終わると真っ先に部屋へ戻り執筆作業へ没頭した。

小田柳や本間が食事の誘いをしても、丁重に断る。

今の俺には時間が無い。

それに少しでも金を貯めたい。

ガッカリさせてしまった京子叔母さん。

本当に反省しているから、神様…、いるなら癌を治して……。

いつだって俺はこうだ。

まるで成長が無い。

鶴田師匠の時も、三沢光晴さんの時も…、俺は亡くなってから泣き喚き、それから行動をしている。

今だってそうだ。

でもまだ遅くはない。

もうあんな嫌な思いは絶対に嫌だった。

『スリー』なんて、とってつけたようなタイトルだけど、今まで違う小説を読ませるからね。

京子叔母さん、頑張って!

 


 

スリー - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

スリー2010年11月5日~原稿用紙枚2010年11月06日04:21■執筆途中気付けば俺はその場へ倒れ込むようにして眠っていた。時計を確認すると夜中の三時過ぎ。丑三つ時とい...

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体を揺さぶられる感覚。

瞼を開けようにも重く開かない。

「ねえ、起きてってばぁ~」

眞澄の声が聞こえる。

重い瞼を懸命に開けた。

「あ、やっと起きた。何かすっごくうなされていたよ?」

「え、俺が?」

「うん、いつも静かに寝るのに変だなあって思ってさ」

「そっか…、よく覚えていないけど、怖い夢でも見たんだろうな。ところで今、何時?」

「九時十分前」

「ゲッ! 完全に遅刻じゃんか」

ガバッと布団を剥ぎ起き上がった。

横でクスクスと眞澄が笑っている。

「今日はお休みでしょ、もう」

「そ、そっか…、ははは……」

昨夜の帰り道だけで色々あり過ぎたせいかよく眠ったはずなのに、いまいち疲れが取れていない。

できればもう一度寝たい気分だった。

「朝食できてるよん。今、スープ温め直しておくね」

「ああ……」

陽気に鼻歌を唄いながら眞澄はキッチンへ向かう。

こいつとこれからの人生をずっと生きていく俺。

当たり前のような日常が怖く感じた。

あの笑顔を見られなくなってしまう時が来るかもしれないのだ。

ゆっくり右手の平を開き、見つめる。

あと二回…、かざしただけで俺は……。

そんなの嫌だ。

俺はまだまだ眞澄と共に生き、ずっと時間を共有したい。

もっともっとこの生活を楽しみたいんだ。

やっとつかんだ幸せだぞ。

そう簡単に手放せるかよ。

「彦明~、どうしたの~」

「あ、今行くよ」

もっと前向きに考えろ。

あと二回で、俺がどうなるかなんて分からない。

なら使わなきゃいいだけ。

右手をかざしたりしなければ、現状を維持できるはず。

不安になる要素なんてないじゃないか。

よりポジティブな方向に頭を使え。

例えばだ…、俺は最低でもあと一回は、人間を生き返らせる能力を持っているんだぞ?

それってすごい事だろう。

世界中のどんな医者よりも、いや、歴代のどんなに優れた名医よりも俺はすごいのだ。

この右手をかざすだけで。

でも…、本当にそれで人間を生き返らせる事などできるのだろうか?

あの時の子供は確かに息を吹き返した。

だけどあの男もそばにいたから、右手をかざすのがたまたま合図になっただけの話かもしれない。

もちろん俺一人でそんな事できるはずないのだから。

もう一度あの男に会って、ちゃんと説明をしてもらいたいものだな。

現状だとヒントが少な過ぎる。

「ねえ、スープ冷めちゃうよ~」

「ごめんごめん、すぐ行きます」

重い腰を上げ、俺はキッチンへ向かった。

眞澄の作った朝食。

野菜たっぷりのミネストローネスープ。

俺が一番好きなスープである。

具がたくさん挟んであるサンドイッチ。

三枚のパンを一つに揃えて形良く切ってあるので見た目も非常に豪華だ。

オリジナルの塩ドレッシングが掛かった大根とレタスのサラダ。

酢の苦手な彼女は、何度も挑戦してこのドレッシングを開発したらしい。

塩が効いていて抜群にうまい。

そういえば眞澄の前に付き合っていた女って、本当に酢の好きな女だったっけ。

餃子は醤油もラー油も入れず酢だけで食べるし、ラーメンなんて酢の入ったビンのふたを外してドバドバ中へ入れていたしなあ……。

あれを見て、俺は別れを決意したほどだった。

ステーキハウスへ行った時、レアに焼いた肉の上に「酸味、もうちょっと効いているほうがおいしいよね」なんて言いながら、俺の目の前で持参した酢を掛けやがって。

おかげで食欲がみるみる内になくなっていった。

別に酢が嫌いって訳じゃない。

ただ、あの女の酢の使い方が常軌を逸していたのだ。

「ねえ、どうしたの? ジッと料理を見つめてさ」

「ん…、いや。眞澄の作った料理って、本当に見た目も綺麗だし、味も最高だなあって見とれていただけ」

「もう嫌だな~。おだてたって何も出ないぞ」

料理を褒めると眞澄はそれだけで機嫌が良くなる女だった。

彼女の夢は、自分でハンバーガーのバンズを作り、究極のハンバーガーを完成させたいようだ。

眞澄の作るハンバーグはとても絶品である。

掛けるソースだけで二日間も時間を掛けるぐらい。

凝り性の彼女はパンですら自分で作りたいらしい。

物臭な俺には理解できないが、うまいものがこうして食えるのだから恵まれた環境にいる。

味覚の一致って本当に大事だ。

好みの味付けがお互いある程度似ていないと、食事の際大きなトラブルになる恐れがある。

俺は眞澄の作った料理が好き。

これからもずっと彼女の手料理を食べ続けながら人生を歩むのだ。

酢女と別れておいて正解だった。

湯気を立てているミネストローネの入ったカップを手に取り、口へ持っていく。

「……」

あれ?

どうしたんだ、今日のスープ……。

まるで味を感じないが……。

もう一口飲んでみる。

「……」

赤オレンジ色のスープがただ喉を通って胃袋へ流れ込む。

そんな風にしか感じない。

何か彼女の身に起こっているのか?

そっと眞澄を見ると、フォークでレタスを刺しているところだった。

特に変わった様子はない。

サンドイッチを手に取り、食べてみる。

「……っ!」

おいおい…、何でこれも味がしないんだ?

続けて塩ドレッシングの掛かったサラダを口へ運ぶ。

まただ…、味がしない……。

待てよ、これって眞澄の作った料理が変なんじゃなく、俺の舌がおかしくなったんじゃないのか……。

確か舌ってどの部分で甘味や苦味などを感じるって、ちゃんと分けられているんだよな。

歯に近い先端の部分は甘さを感じ取り、その左右の部分が塩味、奥で苦味をって前に何かで見た記憶あるんだけど。

でもそれって結局間違いだって今じゃ言われているんだっけ?

本当は五つの味を感知するとか……。

いや、そんな事どうだっていい。

問題なのは俺が何を食べても、何の味も感じていないという事だ。

料理を舌の先端や奥で食べるよう意識してみるが、変わりはない。

これって味覚がおかしいなんてもんじゃねえぞ……。

「あー、もう…、どうしたの~」

慌てて眞澄が布きんを取ってテーブルを拭く。

いつの間にか俺はスープカップをテーブルの上に落としていたようだ。

もう永久的に味を楽しめる事がないのだろうか?

ただ食べ物を胃袋へ収めるだけの作業。

今後の食事の度にそうなっていくのかよ?

「ねえ、眞澄…、コーヒーをもらえないか?」

「はーい」

甘味、塩味、酸味、苦味…、何でもいい。

お願いだから何かしらの味を感じたかった。

クリームも砂糖も入れず、煎れてもらったコーヒーをブラックで飲む。

「……」

同じだ……。

食べ物を食べた時とまったく同じ……。

苦味も感じなければ、熱さすら分からない……。

液体が喉を通って胃袋へ。

そんな感覚しかない。

「ねえ、彦明~、どうしたの? 何か悩み事でもあるの?」

心配そうに覗き込んでくる眞澄。

その綺麗な瞳を見つめながら、もう彼女の料理を堪能し、舌鼓を打つ事すらないのかと、絶望に近い感情が全身を渦巻く。

「いや、何でもないよ」

無理に笑顔を作って取り繕う。

味わう事ができない。

それを何て説明していいか分からなかった。

そして彼女へ変な心配をさせたくなかったから。

何故いきなりこんな風になった?

もしかして味覚生涯ってやつか?

それにしては突然過ぎる。

でもそういうのって、突然なったりするもんじゃないのか?

落ち着け……。

動揺を顔に出すな。

「さっきさ、彦明がうなされていたって言ったでしょ?」

「え?」

「さっき寝ている時」

「あ、ああ……」

会話が急に飛んだので、うまく対応できない自分がいる。

「気味悪く思わないでね…。私の目の錯覚だと思うんだけど…。夜中トイレで目を覚まして戻ってきた時ね、フードを被った男の人が彦明を覗き込んでいたの」

「何だって?」

思わず大きな声を上げていた。

フードを被った男……。

あの男が寝ている間、俺を覗き込んでいただと?

「だから私、目を何度も擦ってまた見たら、彦明がうなされながら寝ていただけだったの。多分見間違いと言うか錯覚? 昨日一人でホラー映画見たせいかもしれないけど」

「……」

いや、それは錯覚でも何でもない。

間違いなくあの男だろう。

一体どういうつもりだ?

何か用が…、言いたい事があるのなら、ちゃんと俺が起きている時に来ればいいものを。

「ごめんね、変な事を言っちゃって……」

「全然…。夜中にそんな錯覚みたいなものを見たら、ビックリするよな。でも、ホラー映画を見るのは程々にしときなよ。眞澄に何かあったら俺が困る」

そう言って笑顔を作る俺。

「ありがとう…。昔の話なんだけどね…、聞いてくれる?」

「ああ」

「う~ん…、私が何歳の頃だったっけなあ。中学生の時だったんだけど、私っておばあちゃん子でさ。本当に優しいおばあちゃんだったんだ」

「へえ、いい事だ」

「季節は秋だったんだ。学校から帰って勉強している内に、自然と眠くなって寝てしまったの。そしたら寝ているはずなんだけど、夢とは違うような感覚って言ったらいいのかな…。おばあちゃんがいつものように掃除をしている映像が脳裏に鮮明に浮かんできたの」

「ふーん、それで?」

「掃除が本当に好きな人でね。私が学校行くのを見送ると、すぐ雑巾を持って掃除をするぐらい。その時は同じように掃除機を隅々まで掛けて、木の廊下を丁寧に拭いていたのね」

「ずいぶんと地味な夢だね」

「うん、そうだよね。ただ一つ違ったのが、いつの間にかおばあちゃんの近くに一人の男が立っていたの」

「家族の人?」

「ううん…、見た事もない知らない人」

「そうなんだ。…で、それって一体誰だったの?」

「今でも分からない…。不思議だったのが、本当にすぐそばに立っているはずなのに、おばあちゃんはその人の存在にまったく気付いていないの。ごく普通に掃除をしているだけ」

「まるで気付いていないんだ?」

「少しして男の人がおばあちゃんに近づいて、そっと肩の辺りに手を置いたのね」

「うん」

「そしたらおばあちゃんが急に二人になって、一人はそのまま廊下を拭き続けるおばあちゃん…、もう一人のおばあちゃんは男の人の手を取って、子供が喜ぶような屈託のない笑顔をして立ち上がったの」

「分裂したって事?」

「う~ん、分裂…、うまく表現できないけど、そんな風な感じかな」

「一人は変わらず男の存在に気付かず、もう一人は男の存在を分かったって感じ?」

「そうね…、そんな風に見えた。何故かその男の人が話す声が聞こえたのね、私にも。『さあ、私と一緒に行こう』って…。そのまま手を引かれ、おばあちゃんは男の人と玄関から出ていったの」

「もう一人のおばあちゃんは?」

「変わらずに掃除をしていたんだけど、玄関の戸が閉まると同時に廊下へ突っ伏すようにして倒れたの」

「……」

「それから二度と起き上がる事はなかった……」

「辛い夢を見たんだね……」

「夢じゃない……」

眞澄の声が震えていた。

「え?」

「あれは夢なんかじゃなかった…。だっておばあちゃん…、心不全だったんだけど……。私が見た光景と同じようにして亡くなっていたんだって……」

「……」

「多分、私はおばあちゃんの最後の瞬間を見てしまったんだと思うの……」

「そっか……」

そんな台詞しか思いつかない俺って情けない。

辛い過去を思い出したのか、眞澄はテーブルへ突っ伏して泣いていた。

そっと彼女の肩へ手を置く。

小刻みに震える体の振動が、腕を通して伝わってくる。

「そ…、その男の人ね……」

「眞澄…、辛かったら、もう無理に話す事なんてないんだよ」

ちょっと触っただけで壊れてしまいそうな宝物を大切に扱うような気持ちを込めて、優しく話す。

「それがね…、昨夜私が見間違えたって言ったでしょ? コートを頭から被った人が見えたって」

「ああ、それが?」

「おばあちゃんの時と…、同じ人だったの……」

「……」

死神……。

自然とその言葉が頭の中で浮かび上がる。

死を司る神……。

生死を操る存在……。

死という暗い概念からか、不吉なものとして扱われる事が多いが、果たして本当にそうなのだろうか?

人間の真の始まりと終わりは、生の誕生と死になる。

つまり一番大事で逃れられない場を任されている存在そのもの。

様々な説を聞く。

魂を抜かれるという恐怖の対象として。

また魂を導く為の案内人として。

先ほどの眞澄の話だと、その両方の表現が合う。

おばあさんの魂を抜き、それを導いた。

彼女が中学時代に見た二人のおばあさんとは、一つがこの現世で存在する体の部分であり、もう一つが魂が具現化した部分なんじゃないだろうか?

すっかりと冷めてしまったコーヒーを飲んでみる。

いや、湯気が立っていないからそう思っただけで、もう俺には熱い冷たいの区別すら分からない。

「分かった。契約成立だ」

あの男はそう言った。

何となく分かってきたような感じがする。

不注意で轢き、殺してしまった子供の命を助ける代わりに、きっと俺は味覚という部分を奴に奪われたのだ。

だからこそ、契約という言葉を使ったんじゃないか?

そしてあと二回と彼は言った。

次にこの右手の能力を使えば、また何かしらの障害が自身の体に反映されるだろう。

味覚を失った。

残るは何だ?

視覚……。

聴覚……。

嗅覚……。

触覚……。

目が見えなくなる。

耳が聴こえなくなる。

匂いが分からなくなる。

手で触った感覚すら分からなくなる。

どれが無くなっても嫌だ!

おそらく次に誰かの命を救ったら、その内のどれかを失ってしまう。

二度目を使った瞬間、俺は間違いなく魂を奪われるんじゃないか?

「私の見間違いだよね? そうだよね?」

「ああ、当たり前だろ。おまえの見間違いだ」

俺は眞澄の体をギュッと抱きしめながら、天井を睨みつけていた。

 

何を食べても無味無臭の生活が始まる。

ものを食べていて味は感じなくても、これは固い、こっちは柔らかいという感触だけは分かった。

不思議な事に、腹が減ったという感覚だけは感じる。

因果なものだ。

それ以外支障がないとはいえ、やはり味わう事ができないのは悲しいものである。

健康に良いという部分では、味覚が分からないから今まで嫌いだった食べ物も、普通に気にせず食べられるかと言うとそうでもない。

俺の場合、一番嫌いな食べ物は納豆だった。

体にいいという事ぐらい理解していたが、どうもあの匂いが苦手なのだ。

一度食べてみたが、雑巾の腐ったような味も駄目でずっと敬遠していた。

味覚を失った機会に再度チャレンジしてみたものの、あの匂いが鼻をつきやはり食べられない。

日々張り切って料理を作る眞澄。

俺は過去食べた時の記憶を思い出しながら、食べる料理を常に絶賛した。

彼女にこの味覚の件を伝えるつもりはない。

心配させるだけだろうし、おそらくこれは現在の医学で治せるようなものではないと思ったから。

食というもの自体に興味を失った俺。どこか心にポッカリと空白ができたような感覚。

職場の同僚から食事や飲みへ誘われても、基本的に断るようになった。

味が分からないから、当然そこに感動も何もない。

そんなものに余計な金を使うのはごめんだ。

そんな状況の中、あと二日で結婚式がやってくる。

毎日眞澄の手料理を食べられる。そんな楽しみを奪われた俺にとって、今後の結婚生活はどのように影響してくるのだろうか?

フードを被ったあの男…、あれ以来俺の前に姿を現す事はなかった。

一体奴は何を考えている?

会ったら聞きたい事は山ほどあった。

車で轢いてしまった子供の命を救ってくれた事には感謝をしている。

あの時この先の人生が真っ暗になってしまう。

そんな絶望をこうして普通にいられるようにしてくれたのだから。もし、あのタイミングであの男が現れなかったら、今の俺はいない。

だが味覚を奪うなんてあんまりだ。

披露宴で出す料理について、どれだけ眞澄と相談し合い楽しみにしていたと思う?

毎日仕事を終え帰宅する前、心待ちに眞澄の料理をしていたんだぞ、俺は……。

味わえないという事が、こんなに辛い事だなんて思わなかった。

人間が生まれた時から当たり前のように備わっていた能力。

その一つがこうして無くなるなんて。

毎日セックスしない日はあっても、一日だって食事をしない日はない。

つまり俺は人生を生きる楽しみを半分以上奪われた事になる。


 

年を取るって色々なものに気付き、また色々なものを失うものなのかもしれないな。

ギネス挑戦を立ち上げ、それに向かって執筆する日々。

しかし世界記録までまだまだ数年は掛かってしまうだろう。

その間も時間だけは平等に過ぎ去っていく。

やっぱ育ての親であるおじいちゃんには栄誉を勝ち取ったところをもっと見せたい。

なら、もっと貪欲に各賞を狙ってみてもいいんじゃないだろうか。

出さなきゃ獲れない。

そして衰えたと思っていた身体……。

まだまだ一般人離れした力が残っている現実。

多くの人間はその力に感心してくれる。

勢いとかそういうんじゃなく、そっちも考えてみようかな。

今度は強さを見せるという定義の元に。

いくら考え悩んだっていい。

でも、時間だけはこうして刻々と着実に過ぎていく。

脱線するなよ、俺は京子叔母さんの為に『スリー』を書いている。

書き急げ。

時間は制限あるのだ。

 

京子叔母さんの為に『スリー』を執筆中の俺。

叔母さんがこの作品を望んでいる訳ではない。

言い換えれば、ただの自我の為に書いている。

自我とは言い換えれば己の欲望。

不器用な俺は、いつだってたった一つの事しかできない。

ピアノを始めた時は、全身全霊を込めて鍵盤に魂を叩きつける。

同じ曲を一日七時間ずつ毎日弾いて、それでようやく曲をすべて暗記できた。

だから他の事なんて何もできなかった。

小説もそう……。

最初に物語の終わりまで頭の中で想像し、基点と基点を繋げていく作業。

その中へひたすら思った事を書いてみる。

気付けば書く事が楽しくなり、没頭する自分がいた。

整体は困った患者を治して楽にしてあげたい。

その信念で接していたつもり。

でもある日患者から言われた台詞がある。

「先生はもっと整体に本腰を入れなきゃ駄目だよ」

もちろんちゃんと入れているつもりだった。

「だって先生…、半分以上小説のほうに神経が行っちゃっているでしょ?」

そう言われ、返す言葉がなかった。

でも原点ってやっぱプロレスなんだよな、俺は……。

強くならなきゃ殺されちゃう。

理不尽な暴力に対し、自分を守りたい。

幼い頃、そんな渇望があり、強くなりたかった。

気付いたら身体は大きくなり、他のみんなが畏怖する存在になっていた。

でも、これらって結局自分の自我でしかない。

言い換えれば俺のマスターベーションに過ぎない。

ピアノを弾き出して、大勢の前で発表会をしたかった。

いや…、ちょっと違う。

一人の女の前で演奏を聴かせたかった。

小説もそう。

一人の女に読ませたくて、クレッシェンドを書いたつもり。

ピアノの時と違って、作品は読ませる事ができた。

オマケに賞まで運良く獲れてしまった。

プロレス……。

総合格闘技のリングの上でなら何度か立ち、戦った。

自分の好きな入場テーマ曲で入場するシーンが一番好きだった。

うん、充分幸せな人生を送ってきたじゃないか。

やりたい事をしてこれたのだから。

なら、今度はおじいちゃんを喜ばせる為に、もう一度ぐらい賞を狙ってもいいんじゃないだろうか?

人を喜ばせたいからやるって、自我になるのかな?

まあそんな理屈なんてどうだっていいや。

人の考え方、捉え方など十人十色だし、誰に聞いたって結局のところ、結論なんてでやしないのだから。

要はやる自分自身が一番納得してればそれでいい。

やってみよう、もう一度。

過去、必死に頑張った分、ちゃんと結果がついてきているじゃないか。

自身で考え、迷い、悩み、そして生きる事の意味合いをずっと考えてきた。

そんなのまだまだ生きていくのだから、もっと先になってからまた考えればいいじゃん。

おじいちゃんを喜ばせよう。

もちろん朝早く起きて、家の掃除やゴミだしなどは俺がやる。

おじいちゃんにもう負担など掛けさせたくないからね。

これだって俺の自我なんだ。

そして応援してくれている人たちを笑顔にさせよう。

いや、向かう過程の姿…、そして次に結果。

この二つが重ね合って初めて言える事か。

なら、答えは簡単だ。

また結果が出るようにと頑張って賞を狙おう。

頼れるのは自分自身。

今後戦っていくのも自分。

時間をもっとうまく作り、トレーニングもまた始めよう。

またあの頃の感覚を取り戻すのは難しいかもしれない。

でも、いいじゃないか。

やるのは俺なんだ。

もう自分の為にって散々好きにやってきたんだから、今度は誰かを喜ばせる為にまた…、もっともっと頑張ってみよう。

何を言われても、どんな邪魔をされても……。

別にいいじゃないか。

俺が勝手にやってんだからさ。

必死にもっと生きてみようよ、自身を誇れるぐらい。

それでいいじゃないか。

 

思い切り執筆にどっぷり浸かりたくなり、先日会社へ休みが欲しいと尋ねてみた。

しかし、現在自分の事は隠しながらの状態で働いている為、事務員へ適当な言い訳を言ってみる。

「明日から三日間休みもらいたいんですけど」

「旅行か何か行くんですか?」

「いえ、部屋で思い切りオナニーをしたいなあと思いまして」

「駄目です。ちゃんと出てきて下さい……」

「え、駄目なんですか?」

「ええ、駄目です。仕事を終わってからゆっくりして下さい」

「はあ…、分かりました。じゃあ明日も出ますよ」

もうちょっと真面目な言い訳を考えれば良かったなあ。

小田柳にその様子を話すと大笑いしていた。

内心は本当に焦っている。

こうしている間にも、京子叔母さんは癌で闘病中。

余命半年って、どのくらい持つのか?

実は『スリー』の執筆が滞っている。

次はどの感覚を無くし、どういった場面で生き返らせるシーンを演出するか。

味覚を無くしただけの主人公では面白くない。

そんな事を考えていた仕事中、レフリーのジョー樋口さんの訃報を聞く。

ジョー樋口さん八十一歳。

本名、樋口寛治。

元全日本プロレスレフェリー。

十一月八日、肺腺癌のため死去。

葬儀は遺族の意向で親族のみで行う。

横浜市出身。

千九百六十年にプロレスラーを引退し、レフェリーに転身。

ジャイアント馬場社長が旗揚げした全日本プロレスで活躍して千九百九十七年に一線を退く。

二千年にプロレスリング・ノアに移り、監査役などを務めた。

自分とは当時あまり接点のない人だったけど、三沢さん、ラッシャー木村さんと続いていたので悲しい気持ちだった。

今頃天国で馬場社長や鶴田師匠、三沢さんたちと笑顔で会話しているんだろうな……。

 

川上キカイの帰り道、川越市駅へ着き家へ戻る途中、地鶏・串のみっちゃんの前を通る。

ここのマスターは本当にいつも笑顔で、俺が整体を開業すると、すぐ患者を紹介してくれたっけなあ。

近々行かなきゃ……。

でも、川越祭りのあと以来、店を閉めているみたいだけど、今度電話してみようかな。

そういえばマスターが紹介してくれた患者の泉は、どうしているのだろうか?

あの子も変わった子だった。

岩上整体終了後、一度プライベートで会い飲みに行った。

その時、俺は寄った勢いでラブホテルへ連れていく。

泉は一緒にお風呂を入るのまでは許可してくれたが、抱かせてくれなかった。

「先生、私と結婚してくれる? それなら抱かれてもいい」

そう言った泉。

俺がいくら調子いい事を言っても、彼女は結婚する以外身体を許さないと頑なだった。

あの時以来連絡を取っていない。

そんな事を考えながら、その先にある中華料理『王賛』へ寄る。

 

王賛マスター直伝:茄子の辛味炒め - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

2024/06/30sun茄子の辛味炒め茄子の辛味炒めby新宿トモ醤油、酢、豆板醤、オイスターソース、砂糖などが絶妙に醸し出す、あんかけ茄子のハーモニー当時私が岩上整体開業時代...

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何を食べようか迷っていると……。

「先生…、いつものやつにするかい?」とメニュー外の特製料理を作ってくれる事に。

ここだって顔出したの、半年以上ぶりなのに、笑顔で俺を迎えてくれる。

王賛マスター特製の肉の味噌炒め。

味噌料理の味付けは本当に天下一品でおいしいんだよなあ。

俺はマスターに『地鶏・串 みっちゃん』の事が気になり聞いてみた。

「う~ん、亡くなっちゃったんだよ……」

「え……」

「脳溢血で川越祭りの時倒れてさ、十月の二十五日に亡くなってね」

「……」

近い内行こうって思っていたのに……。

まだあんた、俺の一つ上だから、四十歳じゃねえかよ。

早過ぎるって……。

友達って訳じゃなかった。

でもさ、お互い近所で商売をし合っていた同士の絆って、間違いなくあったよね?

俺が『新宿クレッシェンド』で賞を獲った時だって、本当に喜んでくれたし……。

お悔やみ申し上げます。

何か凄く寂しい気持ちです。

早過ぎるんだよ、馬鹿野郎!

 

 経費削減の為、会社のみんなの弁当を作らなくなった俺。

それでも上司の小田柳は、一服休憩の度に缶コーヒーをご馳走してくれる。

そんな彼の誕生日が近付いてきた。

金も何も無い俺。

まずは入院中の京子叔母さんへ、借金を返さなきゃ。

今回はいつも世話になっている小田柳の誕生日なのだ。

俺は帰ってから、食材を買いに行き、ミートローフを作った。

【お献立】

・ミートローフ

・自家製ポテトサラダ

・自家製メンチカツ

・自家製肉団子

・ピリ辛焼きうどん

・おにぎり

うどんは家にあった乾麺を茹でて戻し、それを焼きうどんにする。

料理中、叔母さんのピーちゃんに見つかり「この泥棒野郎が!」と罵られた。

心にまた一つ傷がつく。

そんなに俺が憎いのだろうか?

うどん一袋とはいえ、勝手に家のものを使った俺が悪い。

素直に謝った。

明日はこれで小田柳も少しは喜んでくれるかな。

部屋に戻ると、親父と加藤皐月のキンキン声が聞こえてくる。

またこの家に図々しく来やがったのか、あの女……。

先ほどピーちゃんから言われた「この泥棒野郎が!」という台詞。

何故彼女は俺には強く酷い事を平気で言え、加藤皐月には何一つ言えないのだろう?

俺なら何を言ってもいいというのか?

考えだすと、苛立ちが止まらなくなる。

駄目だ、抑えろって……。

明日は小田柳に誕生日プレゼント代わりに、ミートローフを持っていくんだろ?

トイレへ行こうとすると、親父の部屋から出てきた加藤皐月とちょうど鉢合わせになった。

「あら、智ちゃん…。あなた、いつまでそうやって自由に生きていくつもり? お父さんの息子は智ちゃんと徹っちゃんだけなのよ? 早く家を継ぐなり決めないと……」

「うるせぇ! このクソ女が! どの面下げてこの家に来やがんだ。勝手に入ってくるんじゃねえよ!」

俺は部屋に戻り、ドアを思い切り閉める。

平穏無事で穏やかだった心が、憎悪に侵食されていく。

ドアをノックする音が聞こえる。

開けるとピーちゃんだった。

「大声出すなよ、近所迷惑だ」

関わらないように…、何を言われても抑えるよう懸命に努力はしていたつもり。

何でコイツは俺だけに偉そうなんだ?

貴彦と内緒での養子縁組をするは、加藤には何も言えず、俺には泥棒とかゴキブリ以下とか抜かしやがって……。

「俺に話し掛けるな。本当に殺すぞ、おい……」

ボソッと口に出た。

「おまえなんか、いつだって口先だけだ。何もできないくせに」

それだけ言うと、ピーちゃんは三階へ上がっていく。

もし、この世に法律やモラルといった心を規制するものが無ければ、俺は欲望の赴くまま、気に食わない人間を殺したい……。

どいつもコイツも……。

部屋の電源が切れる。

またかよ。

俺は壁を思い切り殴る。

また一つ壁に穴が開いた。

 

闇 184(リタルダンドとコンチェルト編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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