2025/01/19 sun
前回の章
ここ最近になって物事の流れが、いい方向へ風が吹いているというのを肌で感じる。
ついこの間までの自分は、いわば復讐の権化ではないが、憎悪を常に心の中で飼い、前の店を叩き落さないと自身の気が済まない状態だった。
だが新天地に実際行ってみてどうだろう。
新井社長は非常に自分の事を買ってくれ、とても大事にしてもらっている。
給料だって約一・五倍になった。
時間も前より作れるようになった。
恨みつらみではなく感謝を覚えたのなら、心構えを正さないといけない。
まず誰かを潰すという為に頑張るのではなく、お世話になったところで自身ができるスキルを最大限に開放し、その店を繁栄させる。
それが本来の筋道ではないだろうか。
おそらく前の店では何をしても、どんなに数字を出しても、それに対しての感謝や認めがまるでなかったので、ずっと不満を抱きつつけていたのだろう。
もちろん客は奪う。
ただあの店を潰すではなく、自身の店の繁栄の為に。
だがもう俺の視界には、前の店の存在が日に日に薄れていくのを感じる。
できれば俺は、この流れに身を任せ、自然体でやっていきたいと思う。
あかりが、俺のリングへ上がる姿を実際に見たいと言った。
今、古傷も兼ねて身体をメンテナンスし始める。
もう四十…、されど四十……。
今一度鞭を打って、どこまで身体を戻せるのか挑戦したいと思う。
「裏切り者の~名を~う~けて~……」
デビルマンの主題歌の始まり。
前の店のインターネットカジノ『牙狼GARO』の従業員の渡辺から連絡が掛かってくる。
最近知った事であるが、馬鹿店長の猪狩が自分でクビにしたくせに、何故か二軒斜め向かいの店で働く俺を『裏切り者』とか抜かしているようだ。
一月下旬の時点で、仕事ができない部下を育てなきゃって意識もあったし、突然辞めるのは大人気ないから人が入るまではいるというのがあった。
だから定期券を二月の終わりまで買ったのだ。
つまり、それまでに俺が店を抜けたとしても、形になるようにである。
それを猪狩へ伝えたら「いや、岩上さん…、もう今日で上がってもらっていいんで」と言われ、一日でクビにされたのだ。
これって誰がどう見ても、猪狩が俺をクビにした形だと思うんだけどな……。
この半年ずっとストレスが溜まり、自分の感覚、感性といったものが間違っているのかとまで考えた。
そこまで日々悩み続けた。
だけど他の店に出てみて、初めてあの場所が異常だっただけなのかと自覚できた。
何故俺が今の店に行こうとした時、太客の高橋南がそこの新井社長へ、俺をプッシュしてくれたのか?
何故、俺が辞めた事に対し、『牙狼GARO』の常連客が怒っているのか?
何故、辞めてしまった俺に対し、渡辺が未だ連絡を取ったり、一緒に飯を食いに行ったりしているのか?
そこら辺分からない限り、あの馬鹿店長の猪狩たちって、ずっとあのままなんだろうな。
可哀想に、ラーメン……。
週に一度は秋葉原へ通ってるとか……。
俺がオタクなのは隠さないとか……。
店の壁にアイドルのポスターをベタベタ貼ったりとか……。
『AKB48』のサイン会行った時の写メを部下に自慢げに見せたりとか……。
一度死んでこい、猪狩……。
まあ今の店の新井社長は、俺を『うちの宝だ』と評価してくれている。
だから俺は『8エイト』を流行らせる為に今日も一時間、ホストクラブ『愛本店』の横で、通りに立ち続けた。
『牙狼GARO』の斜め向かいに立つ事で、知っている客はわんさか通る。
もちろん俺からは声を掛けない。
最低限のマナーは理解しているつもり。
ただ客のほうから声を掛けられ「何で岩上さん、あそこ辞めちゃったんですか?」と聞かれたら、俺は正直に話すだけ。
「あの店、突然クビになったので、今はここの『8エイト』でお世話になっているんですよ」
「え、じゃあ俺もこっちに今度から行きますよ!」
そこそこ金を使う太客は、そうやって時間を掛けて徐々に『牙狼GARO』から『8エイト』に移行した。
俺が来て下さいと言った訳ではない。
勝手に客がこの店を選んで来ているだけ。
それを裏切り行為と抜かすなら、おまえらがした事は何なのだ?
俺は客の心の現実を理解していただけの話である。
今日仕事を終えたあと、前の店の渡辺と食事をした。
理由は簡単に言えば引き抜き。
俺が育て、非の打ち所のないレベルまで育った渡辺は、とても可愛く感じる。
昨夜、新井社長から「誰か従業員いないか?」と聞かれたので、あの店でコキ使われ、安月給のままなら、もっと好条件で働いたほうがいいだろうと思い、声を掛けてみる事にしたのである。
これまでの様々な話をし、未だ前の店の件を引きずっている自分がいるのに気付く。
『牙狼GARO』でやられた事を恨みつらみに思っているいる時点で、俺は駄目なのだ。
レベルが違うのは自覚しているのに、何故まだそこへ降りようとするのか?
もちろん今の店だって、百パーセント満足している訳じゃない。
しかし、人生なんてそんなものなのだろう。
そういった邪魔、障害が纏わりついてくるからこそ、人はそこで考え、反省し、何かしらの結論を出す。
つまり、俺はこれまで誰かのせいにする事で、肝心な何かから逃げ、本来の立ち位置を見失うところだったのだ。
レベルが低いと先程感じた。
なら、何故俺は程度の低い彼らに腹を立て、同じ場所へ立とうとしたのか?
もっとうまく立ち回れたのではないだろうかと。
今朝の渡辺との話の中で生まれたもの。
それは自身の猛省だった。
至らない部分があり過ぎる自分。
でも、少しでも気付けた部分があるのならそこを猛省し、いくらでも正す事はできる。
まだまだ発展途上なのだ、俺は。
もっと様々な面で成長したい。
ならば、自身を誇り、驕るのはやめよう。
つまらないプライドをつけると、人間はそこで成長が止まる。
どうする事が自分の本当の意味でプラスになれるのか。
そこに焦点を置き、もっと色々な面で気付かねばならない。
今、こうして思っているのは、同じ失敗をしないよう自身への戒めとして。
自分でどうありたいか、朧げながらようやく見えてきた。
でも、それはまだそこへ到達していないし、誰かへ話す事でもない。
現時点での自分を日々昇華し、その姿を黙って見せていればいいのかもしれない。
せっかく生きているのだ。
もっともっと頑張ろうじゃないか。
そしてより挑戦し続けよう。
そしていつか、この経験を小説に……。
オールトゥギャザー。
新日本、ノア、全日本プロレス、三団体が手を組み、震災の為に行ったチャリティー興行である。
今日、初めて小橋さんと武藤敬司がタッグを組んだ試合を見た。
あれだけの肉体を誇った小橋さんの現状の動き。
天才的だった武藤の躍動感の喪失。
それでも二人は身体に鞭を打ち、未だリングへ上がり続けている。
小橋さんは肉離れの状態なのに、最後トップロープの上にあがり、ムーンサルトプレスを決めた。
どれだけの衝撃が膝に…、いや、故障箇所へ掛かったのか……。
全盛期の動きができなくなっても、癌から復帰しても、小橋さんは今をずっとファンに見せつけている。
見てて、俺って何をしているんだろうと非常に情けなくなって涙が出た。
ずっと何かしらの言い訳を探しながら、全然違う道を歩いてきた俺。
自身の格好悪さを振り返る。
小橋さんの勇気を見て、罪悪感のようなものを覚えた。
今でも背中を見せてくれた小橋さん。
本当にありがとうございます。
天国で三沢さんも鶴田師匠も喜んでますよ。
でも、あまり無茶だけはしないで下さい。
部屋の電球って、一年で何回ぐらい変えているのだろう?
俺の場合、明らかにおかしい。
今さっきも切れてしまい、まだ二月最後だと言うのに今年はこれで三回目……。
去年だと八回も変えた。
もちろん電球は色々なところで買ってみた。
スーパーのマルエツや百円ショップ、近所の電気屋など。
電球の交換が、何だか多いなあと思うのは、ただの気のせいなのか?
突然親父の妻となった加藤皐月が家に入ってきた頃、よく電球が切れた。
叔母さんであるピーちゃんと揉めた時も、よく切れた。
群馬の先生に言われた台詞を思い出す。
俺はあまり怒ってはいけないと……。
変な力でも働いているのか?
それならもっと具体的にあの時、加藤皐月が自然死するくらいの力が欲しかった。
まあ最近電球が切れる原因は分かっている。
今働いているインターネットカジノ『8エイト』のせいだろう……。
面接時、新井社長は俺に対し千五百円の時間給を払うと言った。
しかもあの店は裏稼業独特の日払いではなく、月給制。
無一文で働く俺は、定期券こそあったから辛うじて通勤だけはできた。
待ちに待った給料日。
もらえた金額は予想を大幅に下がる金額だった。
さすがに俺は、新井社長へ抗議する。
時間給千五百円を千円で計算され、十二時間勤務だったのが、店都合で八時間勤務にされたのだ。
「うーん、うちは時間給、最初は千円っちゃよ」
まったく悪びれずに話す新井社長。
人柄は悪くないが、かなりいい加減な性格なのかもしれない。
自分なりに、この店へ貢献した自負はかなりある。
高橋南を始め、隣のホストクラブ『愛本店』のホストたちも、ここへ客として連れてきた。
それだけじゃない。
『牙狼GARO』時代の太客は、俺が道端に立つ事で声を掛けてくれ、大部分の客がこの店へ来てくれた。
だからこそ店長の猪狩や番頭の根間は、渡辺ら従業員たちへ俺の事を裏切り者と呼んでいるのだろう。
前の店の太客はごっそり減り、それが今の店に来ているのだ。
二十四席あるのに閑古鳥が鳴いていた『8エイト』は、俺が来た事で半分近く席が埋まる状態の店になる。
それを八時間勤務にされ、時給千円という現実。
ジレンマは日々溜まっていく。
同じ遅番で働く従業員の石松。
四十歳の俺より十歳も年上の五十歳。
彼はとても偏屈な威張りん坊で、融通がまるで利かないタイプ。
このだだっ広い店で各番従業員は二人だけ。
俺がホールを担当し、石松はキャッシャー兼フードを担当した。
これだけ広くりっほな内装に反比例し、手書きの雑なメニューだった『8エイト』。
俺は家からわざわざ自分のノートパソコンを持ってきて、見やすいフードメニューをデザインした。
新井社長や早番の従業員である入江とおかっぱ頭の山下は「凄えっ!」と言いながら喜んでくれた。
前の『牙狼GARO』と比べると、袋のインスタントラーメンを茹で、ネギを入れて出すだけの簡易な食事。
ピラフ、炒飯なども冷凍食品を電子レンジでチンして出すだけのお粗末なものだった。
ドリンク類も、ファミリーレストランや漫画喫茶にあるようなディスペンサーが二台置いてあるだけで、すべてそこのメニューからグラスやカップへ入れて出す。
元々この店にいる常連客がフードを注文する。
「すみません、味噌ラーメンと炒飯もらえます?」
「畏まりました」
俺はキャッシャーまで歩き、空いている小窓へ向かって「二十三卓様、味噌ラーメン、炒飯をお願いします」とコールをした。
「は? 二十三卓って、一人だけでしょ? 一人フードは一品だけだよ、一品!」
「基本はそうでしょうけど、あのお客様、八十万使っているんですよ? 二品頼むくらい、別にいいじゃないですか」
「駄目! 一人一品!」
コイツ、どうしょうもないオヤジだな……。
俺は客に平謝りをして、一品を選んでもらう。
この馬鹿がいると、俺がいくら客を引っ張ってきても駄目にする危険性があるな……。
インターネットカジノには、様々なサイトがあり、各サイトのポイントを現金と交換してギャンブルをする。
どの店でも一万円が百ドルという単位は変わらない。
店によって扱うサイトの違いはある。
『ボヤッキー』では、マイクロゲーミング、クルーズ、ブルーフラミンゴの三サイト。
『牙狼GARO』では、マイクロゲーミング、ブルーフラミンゴの二種類。
ここ『8エイト』では、マイクロゲーミングとセブンスターというスロット中心の変なサイトを扱っていた。
俺がこの店に入り二週間経つが、誰もこのサイトをプレイしているのを見た事がない。
十七卓のチャイムが鳴る。
奥の通りにある席へ向かう。
「はい、どうしましたか?」
「このセブンスターってサイトあるじゃないですか」
「ええ」
「これ、やってみたいんですけど。マイクロからクレジット移してもらえますか?」
「畏まりました」
俺は足早にキャッシャーへ行き、石松へ「十七卓様マイクロからセブンスター。十七卓様マイクロからセブンスターへご移動お願いします」とコールする。
「はあ? 何よ、それ?」
「だからセブンスターってサイトへ移動ですよ」
「はあ? 何でそんな面倒なの聞いてきてんの?」
「知りませんよ! お客様が言ったんだから、早く移動して下さい」
「こんなのやった事ねえよ……」
石松はブツブツ独り言を呟きながら四苦八苦している。
普段まったく動かないんだから、とっととやれよ、この豚野郎が。
三十分の時間が流れても、石松はサイト移動の処理をできない。
再びチャイムが鳴る。
客は怒りながら「まだですか?」と不機嫌そうに言った。
「もう少々お待ち下さいね」
またキャッシャーへ走って向かう。
「石松さん! まだできないんですか?」
「うるせーよっ! こっちだって一生懸命やってんだよ!」
自分ができていないのを棚に上げ、何て言い草だ。
またチャイムが鳴り、向かうと「もういいよ! OUTして」と怒って帰ってしまう。
「何だよ、あいつ。だったらはなっから面倒臭い事やらせんなよ!」
そう怒る石松を俺は軽蔑の眼差しで見るくらいしかできないでいた。
まだ入って間もない俺。
前の店『牙狼GARO』も問題山積みの店であるが、ここ『8エイト』も結構ヤバい店だった。
ホストクラブ『愛本店』の湊が、姫川というホストを連れて来店してくれる。
「岩上さん、こっち来ちゃったから、俺もこっちメインになりましたよ!」
「すみません、湊さん」
「あ、それで後輩の姫川連れて来たんで、よろしくです」
「わざわざありがとうございます」
「随分広い店ですねー。席数滅茶苦茶あるじゃないですか」
「一応ですね、こちらの手前の川がマイクロバカラの張れる上限が十万。奥の川が二十万円まで張れる設定となっています」
「一張り、二十万円かー。うちらは手前のほうでいいよね」
「そうっすね」
湊は二卓、姫川は三卓へ腰掛ける。
「じゃ岩上さん、これで」
俺は金を受け取り、コールを飛ばす。
「二卓様湊様で、マイクロ二千ドル。二卓様マイクロ二千ドルお願いします」
相変わらず返答無し。
石松は一体何様のつもりなんだろうか?
「自分もいいっすか」
「三卓様姫川様で、マイクロ三千ドル。三卓様マイクロ三千ドルお願いします」
また無反応。
「ドリンクはどうなさいますか?」
「ホットブラックで」
「カルピスソーダで」
「畏まりました」
俺は彼らのドリンクを作る。
小窓から覗き込むように「どっちがどっちよ?」と石松が怒鳴ってくる。
「二が湊さん、三が姫川さん」
「INは?」
さっき二回繰り返して言ったのに、聞いてねえのかよ、このゴミ屑野郎が……。
「二が二千。三が三千」
キャッシャーのドアが勢いよく開き、石松が出てくる。
「おい、岩上! 何だよ、その言い方は?」
「石松さん、先にIN入れて」
「はあ? こっちゃあ先輩だぞ?」
面倒臭い奴だな……。
「客優先。早くしろ」
「おい!」
石松が俺の胸倉を掴んできた。
本当に馬鹿じゃないのか、コイツ。
「離せよ。怪我するぞ?」
「おまえなー! 誰に口利いてんだよ!」
ちゃんと忠告はしたからいいか……。
石松の手首を掴む。
もう片方の手で腕を内側へ捻じり上げる。
逆に捩じると後ろから倒れ、後頭部を打つ可能性があので、その辺も考慮してやった。
悲鳴を上げながら前転するように床へ倒れる石松。
「悪いけど、これでも元プロの格闘家なんでね。暴力行為で来るなら、いくらでも受けるけど?」
「……」
「来ないなら、とっととIN入れてこい!」
黙ってキャッシャー席へ戻る石松。
俺はドリンクを持って客席へ向かった。
「え、何すか何すか、さっきの」
「すみません、見苦しいところをお見せしてしまって」
「いやいや、胸倉掴んだと思ったら、いきなり回転させて倒したじゃないですか!」
「多分お腹が急に痛くなっただけですよ、おそらく」
「えー、今度詳しく教えて下さいね」
人懐っこい湊をいなし、ドリンクを置く。
十二卓のチャイムが鳴る。
手前の列、奥に陣取るフィリピン人女性集団。
『8エイト』で前と決定的に違う点。
それは客層の違いだ。
外国人を始め、ヤクザ者の客すら入れる。
『牙狼GARO』では日本人のみだったので、ちょっとしたカルチャーショックを覚えたものだ。
「はい」
十二卓へ向かう。
「お兄さん、とても強いネ」
さっきのシーン見られていたのか。
「大した事ないですから」
「お兄さん、私、気に入った。今度私の店、飲み、来る。OK?」
「無理ですよ」
俺は呆れた顔で背中を向けた。
一日八千円しか稼げていないのに、何でフィリピンパブへ行かなきゃいけないんだ。
ホストの湊は二十万溶けた時点で姫川を残して先に帰る。
残された彼はあつくなっているようで、さらに追加で二十万のINを入れてきた。
これでトータル五十万円のIN。
「取り戻せますかねー、岩上さん……」
「姫川さん、熱くなっては駄目ですよ。バカラは冷静さか大事ですから。あとやめ時も大切ですからね」
十二卓のチャイムが鳴る。
「お兄さん、これネ」
「十二卓様マイクロ三十ドル。十二卓様マイクロ三十ドルお願いします」
また反応無し。
俺は小窓に三千円を置く。
黙ってその金を取ったので、聞こえてはいるのだろう。
この店もよくこんな無愛想な男を雇ったものだ。
「あー!」
姫川が大声を上げて立ち上がる。
入口方向へ向かって歩き始め「帰ります」と声を掛けてきた。
「大変申し訳ありませんでした。お疲れ様です」
ドアを開けて姫川を送り出す。
三卓のテーブルを片している途中、画面にまだ六十ドルのクレジットが残っているのを見つけた。
五十万円の金が溶け、最後に大きく張って負けて、残りクレジットの六千円分残っているのを忘れて帰ってしまったのだろう。
一応戻ってくるかもしれない。
俺はキャッシャーにいる石松へ一言掛け、台をキープしておく。
二時間経っても姫川は戻らず、俺の業務終了時間となった。
七時になり早番の入江が来たので、三卓は姫川のキープだと伝え、店をあとにした。
現在の俺の勤務時間は夜の十一時から朝の七時の八時間。
一日出て八千円だから、月に三十万もいなかい。
あかりとのデート代の捻出すら難しい状況。
自然と彼女へ返信するメールの数も減ってしまう。
良かれと思ってやっている事が、次々と裏目になる。
精神的に疲れているな……。
俺は帰って風呂も入らず、すぐ横になった。
今の店を辞めるにしても、次の店を見つけ、もちろん給料面などもちゃんと考慮しないと意味がない。
あかりの存在もあるので、俺は色々な意味合いで焦っていた。
リング復帰もクソもないな、こんな状況じゃ……。
携帯電話の鳴る音で目を覚ます。
いつの間にか寝ていたようだ。
着信を見ると『8エイト』から。
まだ九時半だった。
何の用だろう?
「はい、岩上です」
「あ、岩上さん。ごめんね、寝てた?」
早番の入江の声。
「大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「三卓のホストの人いたでしょ?」
「ああ、姫川さんですか。彼がどうしました?」
「あんね、三卓なんだけど、クレジット六千残ってなかった?」
「ああ、ありましたね」
「それ、どうした?」
「石松さんには伝えておきましたよ」
「いや、石松さんに聞いたら知らないと」
「はあ?」
「姫川さんが今店に戻ってきて、座ったらクレジットが無いって話になってね」
「だってキャッシャーは、石松さんしかしてないですよ?」
「それが聞いたら、岩上さんが勝手に内緒でOUTして六千円持ってったんじゃないかって……」
「はあ? 俺がどうやってそんな事をするんですか?」
「いや、あくまでも石松さんが言ってたというだけで……」
「今から店行きますよ! 納得できない」
俺は川越に帰り、一時間も寝ていないのに再び着替えを済ませ、また歌舞伎町へ向かう。
どう考えても石松が残っていた姫川のクレジットをOUTし、金を抜いたとしか思えなかったからだ。
その濡れ衣を俺に被せようとした。
潔白を証明しなきゃならない。
待てよ…、これは考えようによっては、石松をクビにできるチャンスでもある。
落ち着け。
冷静に……。
カッとなって行動して、これまで何度失敗した?
前の『牙狼GARO』でも、結局俺はあんな猪狩のような屑に,いいようにやられたじゃないか。
最善策を探せ。
俺は電車で向かいながら、上策を考えていた。
西武新宿駅へ到着。
『8エイト』へ向かう。
花道通りから『愛本店』のある通りへ。
「岩上さん!」
声を掛けられ振り向くと、ガジリ屋ヤスが立っていた。
「あ、どうも」
「岩上さん、『餓狼GARO』を何で辞めちゃったんですか? あの店、岩上さんで持っているようなもんじゃないですか」
また急いでいる時に面倒臭い奴と出くわしたものだ。
だいたい働きもせず、インカジめぐりをする為に上野から池袋まで一年間の定期券まで買っているような男である。
オマケに大の話好きなので、本当にコイツは質が悪い。
「ごめん、ヤスさん。ちょっと急いでて」
「何で辞めたのかぐらい教えて下さいよ」
ウザい、ウザい、ウザい……。
「ごめん、本当に急いでいるんだ」
「じゃあ、岩上さんの連絡先だけでも教えといて下さいよ」
今斜め向かいの『8エイト』で働いている事を知られ、ヤスに来られても、それはそれで何か嫌だ。
「はい、これが俺の番号ね」
仕方なくプライベート用の名刺を渡す。
「え、岩上さん! これ、岩上さんですよね? 何でリングの上にいるんですか?」
いくら急いでいるとはいえ、面倒な奴に名刺を渡してしまった。
俺が自分でデザインしたプライベート用の名刺は、何パターンか作ってあり、試合の時の写真、ピアノバージョン、小説バージョンと背景にそれぞれの画像を使っている。
たまたまヤスには総合格闘技DEEP復帰戦の時の名刺を渡したようだ。
「ヤスさん! 急いでいるって言ったじゃん!」
「あ、すみません……」
ヤスが通りから消えるのを待って、俺は店の階段を上がった。
早番の入江がドアを開け、俺はキャッシャー室へ向かう。
「姫川さんの六千円がって話…、何がどうしたんです?」
「あんね、さっき電話した時姫川さんが店に戻って来たんよ。それでクレジットが六千円残っていなかったですかってね。遅番は石松さんと岩上さんやけん、それで石松さんに聞いたら、岩上さんがって言っとったんや」
「俺が客の忘れたクレジットの金を取る訳ないじゃないですか」
「まあ、それは石松さんが言っとっただけでね」
キャッシャーの横にある複数のモニター画面。
「入江さん、このモニターって録画機能ついているんじゃないですか?」
「ちょっと待っちょって…。あー、確かについちょるね」
「左下のモニターのキャッシャーが映っているところ…、俺と石松が交代する手前の時間から再生して見てみましょうよ」
山下がマウスで再生のボタンを押す。
画面にはちょうど俺がキャッシャー室へ入り、着替えているところが映る。
入江と山下へ頭を下げて部屋を出る。
これは俺が店を出るところだろう。
早番の二人がホールへ出る。
キャッシャー内は石松一人。
彼はキョロキョロ周りを確認し、財布から六千円を取り出しワイシャツの胸ポケットへ入れた。
「あっ! 石松じゃねえか、取っているの」
「ほんとだ!」
「ハッキリ映ってますね」
少しして入江と山下がドリンクを持って中へ入ってくる。
そこで再生を停めた。
「ね? 俺は何も知らないって言ったでしょ? 石松、どうするんですか?」
あのクソオヤジ、本当に舐めていやがる。
人のせいにしやがって……。
「うーん、とりあえず社長へ報告やな。客の金を盗んだ訳やしね」
こうして即日で石松は『8エイト』をクビになった。
一人欠けた状態になるので、八時間の三交代勤務から十二時間体制へとこれで変わる。
俺は夜十時から朝十時までの遅番。
他に従業員の小澄、それと二日後に新井社長の後輩を地元福岡から呼んだので、遅番に入るらしい。
早番は新井社長が見る形で入江、山下、松沢の三人。
とりあえず今日の夜と明日は、俺と小澄の二人で店を回すようだ。
新体制になり、給料もとりあえず一日一万二千になった。
これからでも遅くはない。
まだ全二十四席が満席になる事がないこの店を俺は流行らせて、この店のオーナーからの評価を得たい。
二日間、客がノーゲストになると、俺は道端に立ち『餓狼GARO』の常連客が声を掛けてくると店へ誘導した。
新井社長は、新規客を店に引っ張ってくる俺の能力を大変喜び評価してくれる。
ただ時間給は千円のまま。
早番の入江に聞いたところ、新井社長はこの店のオーナーではなく、あくまでも名義社長に過ぎないらしい。
前の店『餓狼GARO』でいえばパクられ要員の青柳と同じようなもの。
面接時、俺に対し時給千五百円出すと言った新井社長。
蓋を開けてみれば千円だった。
調子のいい事は言うが、それを実現できる力が何もないのだろう。
そんな新井社長の後輩が『8エイト』にやってきた。
「岩上です、よろしくお願いします」
「あー、よろしくやでー」
「あの…、お名前は?」
「楊さんや。中国人の楊さんやで」
流暢な日本語を話し、見掛けも日本人なのに、何故か自分を中国人だという楊。
年は五十二歳。
ちょうど俺より一回り上。
彼曰く、オーナーに頼まれ店の監視役として来たと言う。
当初は気さくなオヤジかなと思ったが、一緒の職場で働いているととんでもない人間だった。
楊は俺を見て「昔はヤンチャでな、少年院とかしょっちゅうやったけど、一人だけ喧嘩が敵わんかった奴がおったんや。それが岩ちゃんのような感じそっくりの奴での~」と言っていた。
その人と俺はまったくの無関係だし、何故そんな意味不明な話をするのか不思議である。
そんな楊が曲者だと分かる事が徐々に判明。
俺がここにいると知って来店するようになった元『餓狼GARO』の客層と、元々のここの客が合わさったのだ。
二十四席ある店内は、まだ満席とはならないものの二十席分埋まるケースは増えた。
新人スタッフの小澄に朝方になってゴミ出しのお願いをすると「まだゴミが入るやないか。これで捨てるのはもったいないで」と横から口を挟んでくる。
確かに七十リットル用ゴミ袋で、まだ三分の二ほどしかゴミが溜まっていない。
だが、遅番の時間帯は忙しい。
それに明日の早番の時間帯でゴミ袋がパンパンになったとしても、ゴミを出すのは朝のこのタイミングしかない。
俺はこの店に入った当初、上の人間といってもクビになった石松からゴミは少なくても必ず出すと指導されていたので、それを忠実に守っただけの話だが、どうも楊はそれが気に食わないらしい。
「誰がゴミを毎日出せって言うたんや?」
「石松さんです。量が少なくても出してほしいと」
「辞めた奴の事なんか聞いてどうする。俺がオーナーに頼まれてこの店を見てんやで!」
楊は小澄に何度も問い詰めていた。
何故なら何かを確認する際、小澄は必ずといっていいほど、俺に聞いてくるからである。
「おい、何で岩ちゃんに聞くんや?」
「でも…、一応岩上さんに確認取ったんで……」
「俺がここ見とるんやで?」
この一件で、何となく彼の人柄が分かったような気がした。
一抹の不安を覚える。
その不安は、ただの杞憂では終わらなかった。
インターネットカジノでは、金を管理しポイントに変換する場所を『キャッシャー』と呼ぶ。
これはホテルやレストランでも同様の呼び方だろう。
とある日、楊が「バンクがな」と言い出したので、何を指して話しているのか分からず、何度か聞き直す。
すると楊は怒るようにキャッシャーを指して「バンクやろうが」と声を荒げる。
俺は笑顔で「あ…、キャッシャーの事ですね」と返しただけなのに、呆れたような表情で首を振り、「どうも岩ちゃんとは合わんのう…。合わないってのは致命傷だなあ」と言い出した。
自分と合わないから致命傷?
つまり…、オーナーから任されていると話す楊とそりが合わないと、クビって遠回しに言いたいのだろうか?
新井社長からは絶大な信頼を得、自己のスキルを存分に発揮しながら懸命に店の為にやってきたつもりだ。
早番の人間たちも、色々な事を教えて下さいと笑顔で接してくれる。
だが、この人の物言いは一体何なのだろう?
俺はこの時より、一歩身を引いて楊と接する事に決めた。
以前なら頭に来て「そんな気に食わないのなら辞めてやるよ」と返していただろう。
だが、今回は自分一人ではない。
俺がこの店に移ったせいで、多くの客たちが来てくれているのだ。
自身の一時の感情に流されて、自暴自棄にはなれない。
酷く傷つけられたプライド。
しかし、そんなものが何だと言うのだろう。
すべてが気に食わないなら、自分で商売を始めるしかないのだ。
現在、そんな資金など到底ない。
なら、自身の感情やプライドなどクソにも劣る。
そんな状況の中、小澄が店を飛んだ。
ネチネチした楊の性格に嫌気がさしたのだろう。
楊と俺の二人で遅番の時間帯を回すようになる。
新井社長は求人で来た面接の人の履歴書を俺へ見せてきた。
「岩ちゃん、このメガネ掛けたのが面接に昼間来たっちゃ。これ、採用してみる? 夜で」
「あっ!」
面接に来た人間は『ボヤッキー』、そして『餓狼GARO』にも一緒に移った西浦だった。
勘違いして何も仕事をしない男。
全従業員たちから愛想を尽かされ辞めていった屑。
「何ね、岩ちゃんの知り合いっちゃ?」
「社長…。この人は雇わないほうがいいですよ。まったく仕事になりません」
俺の一存で西浦は不採用となる。
「まあ楊の奴が九州から後輩をこの店に呼んだっちゃ。もう少しだけ二人で辛抱してやってくれんかね」
「分かりました」
あの楊の後輩か……。
まあ仕事なのでしょうがない。
そんな楊は慣れもしないキャッシャーへ、居座るようになった。
俺の事を妙に毛嫌いしている為、金の管理をさせたくないかららしい。
「岩ちゃん、こういう商売は信用が大事なんやで。岩ちゃんも、も少しワイの信用得るようにせんとのう」
新井社長の後輩ってだけで、コイツは何を勘違いしているのだろうか?
仕事じゃなかったらぶっ飛ばしてやりたい。
この男と二人でしばらく遅番か……。
たまに来るあかりからの連絡だけが、俺の心を癒してくれた。
カジノで大切な事は、金のやり取り。
そして顧客への接客対応である。
夜は忙しい。
今までの常連客に加え、俺を慕って来てくれる客までがいるのだ。
一瞬で十名近くの客が入ってくる事も当然あった。
一人でおしぼりを個々に渡し、何卓でいくらのINを入れるのか。
そしてドリンクを出し、中にはフードを頼む客もいる。
その中で最優先させるのは、もちろん金のやり取りであるIN。
一円たりとも間違えず、店内の状況を把握させねばならない。
「二十一卓様、マイクロ二千ポイントお願いします」
二十万円のINをする際、ホールで大きな声を出してコールをする。
楊の近くまで行くと「二十一卓で二千です。名前は田中様で」と伝える。
キャッシャーが不慣れな楊は、INの際必ずと言っていいほど「毎回どこの客がINをしたんや? あと名前は?」と聞いてくる。
正直あんたはキャッシャーに座って、俺が受け取ってきた金を見て、キーボードの数字を叩くだけなんだから、何度も聞き返すなよと思う。
全二十四席もある店は、前の店と比べると倍近くある。
そんな中客が一気に来ると、さすがに俺も計算違いしないよう大変だ。
どの客がどの卓にいるか。
いくらINしたか。
入ってきた時間は。
ドリンクは何を頼んだか。
人数分把握するようなので、その瞬間だけは必死になる。
整理して紙に書いていると、楊はそんなのお構いなしにどうでもいいくだらない世間話をしてくるのだ。
状況をまるで分かっていない馬鹿な楊。
俺の素っ気無い対応を見て、また一人不機嫌になっていた。
本音を言えば「あんたの機嫌を取るよりも、客の対応のほうが大事でしょうが!」と言いたい気分である。
「え~と、二十卓は誰だっけ?」
「二十は佐藤様です。これまでのINは、百、百、二百と入れて、現在トータルが四百ですね」
「十八は?」
「十八は鈴木様。INは五百、三百の…、OUTが千五百二十二です。オリが二百入れてるので、現在五百二十二勝ちですね」
「三卓は?」
「三は五十嵐様。INは百五十、五十、二百で現在トータル四百負けです」
「二十は鈴木さんだな?」
「いえ、違います。二十卓は佐藤様です」
「十八は五十嵐さん?」
「いえ、五十嵐さんは三卓です」
接客しつつこのようなやり取りが延々と続くので気が狂いそうになる。
俺一人でキャッシャーまでやったほうが楽だし正確なぐらいだ。
ここまで丁寧に伝えているのに、何故か楊は計算を間違う。
それでも自分では仕事ができると思い込んでいるから質が悪い。
昨夜、忙しい中ヤクザ者の客が来た。
海外サーバーを通してやるライブバカラ。
ほとんどのインターネットカジノはこのライブバカラが主流である。
最もシンプルで勝負が早いギャンブル。
おいちょかぶと似ているが、ディーラーのトランプをめくってプレイヤー(画面左側)、バンカー(画面右側)に二枚ずつ、もしくは状況次第で三枚めくって、九に近いほうが勝ちというルール。
十以上、ジャック、クイーン、キングはゼロとカウントし、置かれた枚数の合計の数が多いほうを予想するだけの簡単な賭博。
最低ベッドは千円から、最高で二十万円まで張る事ができる。
そのヤクザ者はいきなり「この台おかしいわ」と大声を出して俺を呼ぶ。
状況を聞くと、バンカーに張ったはずなのに、プレイヤーになっていたと因縁をつけてきた。
インターネットカジノの場合、そういったケースも踏まえて客のゲーム履歴を閲覧する事ができた。
つまり、何時にこのゲームでどれだけの金額をプレイヤー、またはバンカーに張ったのか。
それは当たったのか、外れたのかという証明をするものである。
当然プレイヤーでもバンカーでも張る際、ベッド額を決めた後に必ず確定ボタンを押さねばならない。
それを押して初めてポイントが消化され、クレジットが減るのだ。
何が言いたいかというと、そのヤクザが言った事は単なる言い掛かりに過ぎないというもの。
俺は楊さんのところへ行き、そのゲームの結果を印刷してもらい、再びヤクザ者の席へ向かう。
丁重な言葉使いで詳しく説明するが、十万円負けているヤクザは中々納得しようとしない。
普段なら自分一人で説得して終わらせるのだが、また勝手に行動すると楊さんがあとでうるさいだろう。
なので一度キャッシャーへ戻り、楊へ状況を話した。
すると楊は「俺が行ってやる」と俺の制止も聞かずにヤクザ者のところへ行ってしまう。
あの客を説得できればいいが……。
俺は遠目で眺めていると、数分で楊は戻ってくる。
「全額金を返せって言ってるよ……」
逆に客を余計怒らせてしまったようだ。
「それはあり得ないですよ。バンカーに張ったなのに、プレイヤーだったなんて、今までのインカジどの店でもそんな事はないですから。俺がまた言って説明してきましょうか?」
「いや、俺は社長じゃないから、社長に連絡する」
「……」
現場で起きた事ぐらい、現場で解決しなきゃ駄目だろう……。
内心本当に呆れた。
真夜中なので社長は寝ているのだろう。
当然電話は繋がらない。
ヤクザが大声を出し始めたので、俺は応対へ向かった。
「どうなってんのや?」
「今ですね、社長へ連絡しているのですが、何分この時間帯なので繋がらない状況なんです」
「じゃあ、はよ全額返してくれや」
「大変申し訳ございませんが、その件に関しては私の範疇を超える状況となってしまうので、私の一存では決め兼ねます」
「じゃあさ、代わりにポイント入れてくれよ」
「お客様…、それについてもですね、申し訳ございませんが、できかねます」
「じゃあ、どうすんのや?」
「先程の者が社長へ連絡をしていますが、このままお客様をお待たせさせるには大変忍びないです。なので、追ってお客様の連絡先をお聞きしますので、うちの社長から連絡させます。それで納得してもらえないでしょうか?」
「おいおい…、手ぶらで帰す気かよ?」
ヤクザ者は立ち上がり威嚇してきたが、その辺はさすがに慣れっこである。
俺は姿勢を正しくしたまま、視線も外さず、堂々と口を開く。
「大変失礼なのは重々承知しております。ですが、このままただ悪戯にお客様の貴重なお時間を使って待たせるという行為自体、より失礼だと分かって下さい。うちの社長からは連絡つき次第必ず連絡させますし、今日のところはお引取り願えないでしょうか?」
そこまで言うと、ヤクザ者も諦めたのだろう。
おとなしく席を立ち、歩き出した。
ドアを開けて送り出す際「当店へご足労頂いたのに、気分を害すような事になってしまい、申し訳ございませんでした」と頭を下げる。
「ほんま頼むで。連絡待っとるから」
「かしこまりました」
これでヤクザ者をとりあえず追い返せた。
まったく楊がいきなり社長なんて言い出すから……。
店内へ戻ると、楊は「岩ちゃんの対応が悪いからだ」と俺のせいにし始めた。
この人と一緒にいると、通常の三倍以上疲れる店だな……。