2024/10/15 tue
前回の章
まだ俺たちが二十歳の頃、「ゴリに彼女を作る会」というくだらない組織を立ち上げた事があった。
もちろん俺が会長で発起人でもある。
何をするのかというと、純粋に飲み会を開き、ゴリにより多くの女の子と知り合わせようというものだった。
メンバーはほとんど同級生のみで結成され、総勢ゴリも入れて七名だ。
何度か飲み会を開き、たくさんの女の子と知り合ってきたが、当然の事ながらゴリの彼女になろうという奇特な子はいない。
そこでまず会の名前が悪いのではないだろうかと、大真面目に話し合い、名称を変えてみた。
伝説を作ろうじゃないのという意気込みから、『クリエイト・パーフェクト・レジェンド』という横文字の名前にしてみる。
頭文字をとって『CPL』と呼んだ。
会の名前が変わっても、やる事は変わらない。
出来る限り女の子との飲み会を取ってくるだけなのだが、十数回飲み会をしている内、俺はある事に気付いてしまった。
俺以外のメンバーは、この会に入っていれば、よく飲み会に誘って女の子と逢えるぐらいにしか思っていない事に……。
自分が気に入った子がいれば口説き始め、酷い奴になると金も払わずその場から消える奴だっていた。
ほとんどのメンバーがゴリにというより、自分がおいしい思いをしたいというだけなのである。
それに気付いた俺は、『CPL』という組織を作った事を悔やんだ。
俺だって今まで出逢った子の中でいいなあと思う子はいた。
しかし、立場を考え自粛してきたのが馬鹿みたいである。
次第に情熱は覚めていった。
週に一度やっていた飲み会は、次第に回数が減っていく。
それに気付いたメンバーの一人が会の危機感を覚え、初めて俺以外にも飲み会の約束を取ってきてくれるようになった。
私利私欲に走る人間が多い中、俺の考えを分かってもらえたという喜び。
落ち込んでいた分、嬉しさは倍増した。
そんな調子で一人一人が徐々にだが意識が変わってきた感じがする。
みんなで集まり、真面目に討論する機会も自然と増えた。
ゴリに彼女を作ってあげようという基本コンセプトの中で、ただ飲み会の回数を増やすだけでは意味がない事に気付く。
いかにゴリが素晴らしい男であるかのアピールは、俺たちがサポートしながら異性に伝えなければいけない。
実際いいところなど何もないゴリであるが、嘘でもいいから彼の良さを教え、彼女を作らせたい。
まず飲み会を始めるにあたりゴリの紹介の仕方だが、簡単な職歴、趣味などをいかに好印象で女性陣に伝えられるかを話し合う。
ゴリは印刷業の中の製本という仕事をしている。それは誤魔化しようのない事実であり、逆に将来的に見れば安定した企業で働いている強みにもなる。
唯一の欠点は、仕事柄爪の部分が油汚れで真っ黒になってしまうところだけど、飲み会前日によく手を洗わせ爪を切ればクリアできる部分だ。
面倒なのか、いつも爪の真っ黒なゴリ。
彼をを呼び出し、飲み会前日には綺麗にしておくよう注意する事にした。
すると彼は口を尖がらせながら反論をしてくる。
「ゴリさ、せめて飲み会の時ぐらいは爪の先まで綺麗にしてきてよ、な?」
「おいおい、これは仕事をいかに頑張っているかという勲章でもありな……」
遠くを見るような目で格好をつけているつもりのゴリ。
「別に仕事を真面目にやろうが、やらなかろうが、どっちにしても汚れる仕事だろ? 気持ちは分かるけど、女の子には不潔な人って印象しか与えられないぞ」
「その程度でしか分からない女じゃ、駄目だろ?」
「おまえな…、今まで何回飲み会やってきたと思う? 誰一人そんな屁理屈を理解するような子なんている訳ないじゃん」
「う、ああ……」
言葉に詰まった時に出る彼の口癖、「う、ああ……」。
「要は飲み会の時ぐらい、清潔感を漂わせてくれってだけなんだから、そんなムキになる事ないだろ?」
「ま、まあな」
「彼女ほしいんでしょ? 作りたいんでしょ?」
「ん…、ああ……」
「じゃあ、頼むからこれぐらい言う事聞いてくれよ」
「分かったよ」
不服そうに返事を返すゴリだが、考えてみれば何故この男はここまで偉そうな態度でいるのだろうか?
少しぐらいこちらに感謝を感じても良さそうなものだが……。
まあ仕方ない。
これが彼独特のゴリイズムなのだから。
それを承知で俺も長年付き合っているのだ。
メンバーの一人である大沢が、飲み会の話を持ってきた。
相手は女子短大生らしい。
俺たち『CPL』のメンバーは歓喜の声を上げ喜んだ。
後に俺の全日本プロレス行きを壊した大沢。
この先の未来にそんな地獄が待っているとは知らず、まだこの頃はよくつるみ、懲りずに酒を飲んでいた。
「いいか、みんな。あくまでも主役はゴリだぞ? それを忘れないでくれ」
飲み会前日にメンバーを集め、俺は一人一人の顔を見ながら言った。
静かに頷くメンバーたち。
彼女いない歴二十年のゴリに彼女を作るという目的意識を忘れてはならない。
自分でも何故こんな馬鹿げた事に必死なのか分からないが、これも若さたるゆえんであろう。
要は今が楽しければそれでいいのだ。
当日になり飲み会が始まる。
目の前にはキャピキャピした可愛い女子短大生のグループが五名。
俺はゴリに小さな声で「誰がいい?」と聞いてみた。
「う~ん、一番右の子かな。あ、真ん中の子もいいね」
ゴリのお気に入りをチェックしてみる。
どちらも甲乙つけがたいほどの美人だった。
右の子はソバージュが似合う切れ長の目をした美人。
真ん中の子は、中学生と言っても通じるぐらい童顔で愛らしい笑顔を振りまく可愛い系。
この男、非常に面食いなのだ。
「飲み会を開始したら、うまく席を移動させるから。ちゃんと自分をアピールしてくれよ。こっちもフォローに回るからさ」
「あ、ああ」
「それと『二頭を追う者、一頭も追えず』ということわざがあるだろ?」
「はあ、何だそりゃ?」
「聞いた事ぐらいあるだろうが」
「いや、まったくねえ」
「じゃあ、聞いた事なくてもいいよ。分かり易く言うと、どちらか片方に標準を絞れって事。分かった?」
「何で?」
「逆に聞くぞ? もし、女のほうからゴリの事いいなあって寄ってくるとするだろ?」
「ああ」
「その子が、俺にも同じように色目使ってきたらどう思う」
「ケツの軽い女だなって思うね」
「だろ? さっきのことわざはそういう事」
「何で? 二頭追うと、ケツが軽いの?」
すっかり忘れていた。
こいつは馬鹿だった事を……。
「もうその話はいいよ…。とにかく一人に絞っとけよ」
「分かったよ」
こうして飲み会は始まった。
双方簡単な自己紹介をしながら、ゴリの番になる。
「あ、はじめまして、名前は岩崎です。仕事は帝国印刷ってところで、製本の仕事をしているんだけど、分かり易く言うと……」
ゴリはそう言いながら、テーブルの上に置いてある紙ナプキンを一枚取り、どうでもいい説明をしだした。しかもあれだけ言ったのに、爪の先は真っ黒のままである。
「まず、このナプキンっていうのは変形の四つ折りってもので、これを機械でどうやって折るかと言うとね。まずこれをこう折り込んで、さらに……」
ヤバい。
女の子たちが何だこの男はといった表情で呆れている。
俺は途中で割り込む事にした。
「あ、みんな、ごめんね。ゴリ、そういうのはあとでいいから。えっと、簡単に彼を紹介します。彼は岩崎努。仕事は印刷業をしているんだ」
「いや、違う!」
ゴリが逆に割り込んできた。
「何が違うんだよ?」
「俺がやっているのは製本」
何をこいつはそんな事にこだわっているのだ?
「だから印刷業の製本でしょ? 印刷業でいいじゃねえか」
「違う。製本!」
マズい。
どんどん場が白けていくのが分かる。
「とりあえず乾杯しましょう! はい、みなさん、グラスを手に持って。では、カンパーイ!」
俺は強引に乾杯をさせて、飲み会を開始させた。
酒が入ると人間誰でも陽気になるもので、和やかな空気が辺りに充満する。
この飲み会を持ってきた大沢は、お目当ての子に猛烈なアタックを開始していた。
大沢は酒が入ると酒乱の気があるので、いつもこちらは神経を尖らせておかないといけない。
ある程度で酒を止めておかないと、あとで警察沙汰になるぐらいの事は日常茶飯事なのだ。
ゴリは黙々とビールを飲んでいた。
「おい、少しは女の子に話し掛けなって」
「う、ああ……」
この男、一対一になるとまるで口下手になってしまうのだ。
「どっちの子がいいんだよ?」
「うあ……、やっぱ俺はあの子かな」
そう言ってゴリは可愛い系の子を指差した。
仕方ない。
ここは協力しないとな。
俺はゴリ指名の子のそばに行き、明るく話し掛けた。
「どうも、岩上で~す。グラス空だけど、何か飲むかい?」
「う~ん、ビールあまり好きじゃないから、チューハイがいいかな~」
「ゴリ、彼女にメニュー取ってあげて」
「う、あ、ああ……」
さりげなくゴリを彼女の隣へ呼び込む事に成功。
「ほら、色々メニューあるでしょ。何がいい? あ、そういえば何ちゃんって呼べばいいのかな?」
「あ、俺、薫っていうの」
「へえ、薫ちゃんって言うんだ。ゴリ、いい名前だと思わない?」
「あ、ああ、いい名前だよね」
「薫ちゃん、この男はね。○○子とかそういう名前じゃなくて、薫ちゃんみたいな名前の子が大好きなんだよ」
「え~、何で~」
「おいおい、俺はそんな事ひと言だって言ってねえじゃんかよ。話を勝手に作るなよ」
この大馬鹿野郎が……。
こっちはおまえの為に少しでも盛り上げようとしているのに。
「あ、薫ちゃん、何を頼む? 甘い系が好き? それともさっぱり系かな?」
慌てて俺はフォローに回る。
するとゴリは無造作にメニューの上に手を乗せ、ビールを指差しながら言った。
「中生がいいんじゃないの?」
さっきこの子が自分でビール苦手だと言っていたのをもう忘れたのか……。
しかもゴリの指先は油汚れで真っ黒けである。
薫ちゃんの表情が少し変化したのを俺は見逃さなかった。
俺は深く溜息をつき、トイレへと向かった。
ゴリの身勝手さを直さないと、うまくいくものもいかなくなる。
それは今回の飲み会でもハッキリ分かった。
たまには俺自身、普通に楽しむか。
席に戻る途中で、近所に住む先輩の集団と出くわす。
偶然だが、先輩は程よく酔っている感じで気さくに声を掛けてきた。
「おう、岩上。今日はどうしたんだよ?」
「お疲れさまです。今日、ちょっと飲み会なんですよ」
「いいなあ、お姉ちゃんたちと仲良くか」
「いえいえ、自分は周りが酔わないか気掛かりでいつも酔えないんですよ」
「まあ、せっかくだ。一杯飲んで行けよ」
ゴリの様子が気になったが、このままサッと行ってしまうのも失礼なので、少し先輩の席で酒を付き合う事にした。
日頃の鬱憤が溜まっていたのか今日の先輩は妙に愚痴っぽい。
適当になだめながら飲んでいる内に、いつの間にか三十分ほど過ぎていた。
「先輩、そろそろ連れいるんで戻りますね。ご馳走さまです」
挨拶を済ませ席へ戻ると、テーブルからゴリがポツンと離れた位置で下を向いて座っていた。
表情も冴えない様子である。
気分でも悪いのだろうか。
「おい、ゴリ? どうした?」
俺は慌ててゴリの顔を覗き込む。
すると、ゴリはこちらを向き、「岩上、気持ち悪っ……、ゲホッ」と、いきなりゲロを吐いた。
「……!」
もちろん俺のスーツはゴリのゲロまみれになる。
「やだ、この人……」
「信じらんない~」
一緒にいた女性陣は介抱する気もなく、逃げるように帰ってしまった。
蜘蛛の子を散らすとは、この事だな。
恐らくゴリは場の空気の読めない会話をして、一人淋しく酒をバンバン煽っていたのだろう。
途中で気持ち悪くなりジッと我慢しているところに、タイミング悪く俺が戻ってきたのだ。
ゲロを掛けられた怒りより、ゴリへの同情心のほうが俺の中では強かった。
ゴリに肩を貸してトイレに連れて行く。
メンバーの二ノ宮裕二が「僕、車持ってくるよ」と居酒屋から出て行く。
ゴリの背中をさすり、とことん吐かせ介抱する。
「大丈夫か? どうしたんだよ、こんな酔っちゃって」
「わ、わりー、岩上……」
「まあいいよ。吐きたいだけ吐きな」
ゴリは何度も吐き、やがてダウンするように横になった。
少しして二ノ宮が車で居酒屋前に到着する。
二人でゴリの身体を持ち上げ、慎重に車内へと運ぶ。
「珍しいね、ゴリさんがこんなに酔うなんて」
バックミラー越しに後部座席に横たわるゴリを見て、二ノ宮が言った。
「俺、先輩に偶然会って捕まっててさ、帰ってきたらゴリがいきなりああでしょ。何でこいつ、こんなになるまで飲んだの?」
フロントガラスに水滴がつく。
雨が降り出したようだ。
「ゴリが狙ってた薫って子いたでしょ? 岩ヤンが消えてから、ゴリさんがあからさまに話し掛けていたんだけど、嫌がってね。途中で席変わっちゃってさ。それでゴリ、寂しそうに中生を何杯も一気飲みしだしちゃってね」
「なるほど……」
ゴリは幸せそうな表情で寝ていた。
呑気なものである。
「ゴリさん、あとちょっとで着くよ。もうちょっと我慢してね」
すぐそこの角を曲がればゴリの家に到着する。
しかし、寸前のところでゴリの口元からゲロが再びこぼれだした。
「あ~……、やっちゃった……」
二ノ宮個人の車でなく家の車だったので、彼は泣きそうな顔をしていた。
「とりあえず運ぼう」
俺は、ゴリのゲロがこれ以上つかないよう首元に腕を回し、そのまま車から引きずり出した。
腰の部分の下側から腕を通し、プロレス技のブレンバスターのような体勢のままゴリを家に運んだ。
「岩ヤン、一人で大丈夫?」
「何とかね」
ゴリの家の玄関は、砂利があり、大きな石が順に並べられている。
雨が降っているので滑らないよう最新の注意を払う。
玄関先まで来て、「すみませ~ん」と大きな声を出すが、夜中なので岡崎家の人間は誰一人出てこない。
両腕が塞がっているので、足で玄関の戸を開けようとした時だった。
「あっ!」
雨でズルッと足が滑り、垂直落下式ブレンバスターのような状況で倒れる俺。
このままだとゴリの脳天を玄関に打ちつける形になってしまう。
俺は倒れながらもゴリの頭をかばった。
それでもゴスッと鈍い音が聞こえた。
「う~ん……」
泥酔していても頭が痛かったのだろう。
いい角度でゴリの頭を玄関に突き刺してしまったのだ。
ゴリは頭を抑えながら、玄関先で転げまわっている。
「今のヤバくない?」
二ノ宮が心配そうに言うが、とりあえず家の中に入れる以外方法など思いつかない。
俺は転げ回るゴリを担ぎ上げ、「玄関先に寝かせておきますよ~」とだけ声を掛け寝かせた。
そして逃げるようにその場から離れた。
これが『垂直落下式ブレンバスター事件』の全貌である。
翌日になり、ゴリの頭が大丈夫か気になっていた俺は、電話を掛けてみる事にした。
素直落下式ブレンバスターで頭から落ちたのだ。何事もなければいいが……。
電話のコールが数回鳴り、すぐゴリ本人が出た。
「ゴリ、昨日は酔ってたけど平気?」
「いや~、さすがに二日酔い。でも、飲み過ぎで妙に頭がガンガンするんだよね」
「そ、そっか……」
「何かすごい痛くてさ。まあ、二日酔いだろうから、味噌汁でも飲んで横になってるよ」
「そうだね。お大事に……」
まああれだけしっかり会話できるのだから、問題ないだろう。
それから一週間が過ぎ、ゴリ自身頭の痛みには触れていないので、垂直落下式ブレンバスターをお見舞いした事は、未だ彼に伝えていない。
百合子と栄子は涙を流しながら大笑いしている。
そう…、ゴリの話は自分に関係無ければただの面白い話なのだ。
「ねえ、ゴリに紹介するっていう直子さんの話は……」
「智ちん、そんな事より栄子ちゃんももっとゴリさんの話を聞いてみたいって」
「……」
元々この食事会は、ゴリと栄子側の直子を紹介させるという名目で集まっているのになあ。
仕方なく俺はゴリ話を続けた。
バレンタインデーが今年もやってきた。
言うまでもない。
ゴリの生まれためでたい日でもある。
でも彼はいつも孤独な誕生日を過ごしてきた。
きっと今年も例年通りだろう。
この頃俺はインチキ社長平子の零細企業3Sカンパニーという胡散臭い広告代理店で働いていた。
俺は仕事柄、こういうイベントが近付くと忙しくなってくるので、当然休みはない。
うちの会社にはキャンペンガールも多数いるので、こういう日は愚痴を言い合うのが当たり前になっていた。
「岩上さーん…。ちょっと聞いて下さいよー」
この間、キャンペンガールとして入ったばかりの女子短大生の大畑瑞穂が俺に近付いてきた。
俺は男三兄弟だったので、こんな子が妹だったらいいなという感覚で可愛がっている。
彼女は何かと俺に懐いていた。
「おう、瑞穂ちゃん。何かあったのかい?」
「今日バレンタインデーだと言うのに、二ヶ月間付き合ってた彼氏に昨日フラれちゃったんですよー。信じられないと思いません?」
「それで今日、仕事のシフトを急に入れてたんだ。ありゃりゃ、可愛そうに……」
「じゃあ、岩上さん。今日仕事終わったらご飯ご馳走して下さいよー」
「何でそうなるんだよ?」
「だってご飯でも奢ってもらわないと私、可哀相じゃないですか。ちゃんとチョコレートぐらいプレゼント致しますから。いいでしょ、ね?」
俺には現在彼女がいるが、バレンタインデーも仕事だと言ったら怒って、電話も出てくれなくなり、お互い気まずくなっていたので、仕事終わったあとの予定は空いていた。
妹のように可愛がっている子からの誘いだし、仕事終わってから一緒に食事に行く約束ぐらいいいだろう。
その日は大畑瑞穂との約束もあるので定時の五時に上がるつもりでいたが、忙しくて三時間も残業になってしまった。
大畑こんな遅くなっちゃ、きっと怒っているだろうな……。
会社から出てトボトボ道を歩いていると、背後から突然声を掛けられた。
「もー、遅過ぎですよー」
声の主は大畑瑞穂だった。
会社の近くの公園にあるベンチで、今まで俺を待っていたのだろうか。
ちょっとした罪の意識に狩られる。
「ごめん、ごめん。どうしても仕事が忙しくなっちゃってね」
「同じ会社にいるから、そのぐらい分かってますよ。いつも岩上さんて忙しそうだもんね。ところで今日は何をご馳走してくれるんですか?」
「何でもいいよ。君の好きなもので」
「じゃーこの間、見つけたお洒落なレストランあるんですよー。そこでいいですか?」
「はいはい、構わないですよ」
大畑の言うお洒落なレストランは、実際に来てみると本当にお洒落なレストランだった。
俺たちは中に入り、スパークリングワインを注文する。
「はい、岩上さん。義理チョコでーす」
「嫌な渡し方だな。まーいいや、ありがとさん」
料理を選び終わる頃にはワインも届き、早速乾杯する。
「おいしー」
そう言う大畑の顔は笑顔でいっぱいだった。
見ていると、こっちまで楽しくなってくる。
料理も食べ終わり、食後のコーヒーを飲みながら談話をしていると、大畑が俺に尋ねてきた。
「岩上さん、彼女さんとはうまくいってるんですか?」
「いってたら、こんなバレンタインデーに大畑さんとこの時間、一緒に食事してる訳ないだろう? 今日、仕事だって言ったら怒って逢ってくれないんだ」
「大変ですねー」
「まー、色々とね」
「私もそういう彼氏とのやり取りが欲しいなー…。ねー、岩上さんの友達で今、誰かで彼女募集中の人っていないんですか?」
真っ先に頭の中で思いついたのがゴリだった。
慌てて掻き消す。
「うーん、どうだかね……」
「ウソだ! 今、誰かいるっていうような顔してましたよ?」
女は時にとても鋭くなる時がある。
ここは素直に白状するしかない。
「まあ、いないと言えば嘘になるけど……」
「じゃあ、私に紹介して下さいよー」
妹のように可愛がっている大畑瑞穂をあのゴリに……。
何だか複雑な気分だった。
「駄目なんですか?」
「いや、駄目って事はないよ」
「じゃあ、いつ紹介してくれるんですか?」
「うーん……」
「私、今週の土曜と日曜なら予定空いてるんで、その時に紹介して下さいよー」
この子に強く頼まれると、俺は何故か拒めなかった。
こうなってしまったら仕方ない……。
「分かったよ。俺の友達に伝えとくよ」
「やったー。じゃあ、入り口の所にプリクラがあったから、早速撮らなくちゃ」
「何で?」
「実際に会ってから、こいつはタイプじゃないって言われたら悲しいじゃないですか」
「気が早いなー……」
「こういうのはタイミングが大事ですからね」
会計を済ませ大畑はプリクラを撮っていたが、何度か撮っても機械の調子が悪かったのか、出てきたプリクラは画質がボヤけ気味でよく撮れていなかった。
「ちょっとー、見て下さいよー、これー」
「あーあー…、確かに酷いな…。店員に言って機械の調子を見てもらおうか?」
結局三十分ほど見てもらったが、機械は故障しているけど原因が分からずじまいで、プリクラは直るまで撮れませんと言われてしまう始末。
大畑は落ち込んでいたので、俺は元気付けようと声を掛けた。
「大丈夫だよ。一応このプリクラ見せながら、ちゃんとフォローしておくから」
「ほんと? お願いしますねー」
「任せときなって」
大畑瑞穂は俺から見てもかなり可愛い部類に入るが、それでもプリクラの写真の出来は酷いものだった。
この写真を見せて紹介すると言っても、喜びそうなのはゴリぐらいしか思いつかない。
あいつにはうまく言っておけばいいか。
ゴリに電話を掛けてみる。
「もしもし、岩崎ですけど……」
「おう、ゴリか。おまえにいい話を持ってきたんだ」
「何の?」
「女の子の紹介話」
「ほんとかよ?」
「ほんとだって」
「ウン臭いな……」
「それを言うなら胡散臭いだろ。まあいいや、今から会えるか?写真もあるんだけど」
「ああ、見るだけならいいよ」
ゴリはふてくされているように表面上見せているだけで、内心嬉しいに違いない。
ここらで少し引いてみるか。
「別に無理にとは言わないよ。俺の会社のキャンペンガールやってる短大生の子で、歳はうちらの一個下。結構可愛い子だし、嫌なら他に紹介するから」
「待てよ、誰もいいなんて言ってないだろ?」
すぐにゴリはチンケなプライドを捨てて、餌に掛かってきた。
「いや、声が明らかに嫌そうだったし、無理させても悪いしね」
「無理じゃねえよ。いいよ、今から岩上の家に行くから待ってろよ」
そう言い終わるとゴリは電話をすぐに切った。
焦るぐらいならハナッから素直になればいいものを……。
すごい勢いで車を飛ばしてきたのか、ゴリは家まで三分で来た。
電話を切ってから大急ぎでやってきたのだろう。
「ハーハー…、しゃ、写真は?」
「来るなりいきなりそれかよ?」
「ほんとは無いんだろ?」
「あるよ、ほれ」
しばらくゴリは、大畑瑞穂のプリクラを見ていた。
「なあ、ゴリ。写真写りが悪いだけで、実際は本当に可愛いよ」
「うーん……」
どうやら自分の頭の中で都合良く思い描いていたのとは違う様子で、生意気にもショックを受けているだったみたいだ。
「おいおい、俺が可愛いよって言ったら、実際に可愛いのはゴリも知ってるだろ?」
「うーん……」
「とりあえず、会うだけ会ってみればいいじゃん」
煙草に火を点けてゆっくり煙を吐き出しながら、まだゴリは悩んでいた。
「どうしたよ、黙っちゃって」
「ん…、ああ……」
「嫌なのか?」
「これじゃあ、いいや」
何だ、この野郎……。
仮にも俺が妹代わりに可愛がっている子を捕まえて、その台詞。
「おまえな…、言い方ってもんを少し考えなよ。これじゃあってよ……」
「うーん…、やっぱわりーけどやめとくわ」
これはこれで何だか悔しい自分がいる。
「写真写りが悪いだけで、実際は本当に可愛いんだぞ?」
「でもやっぱいいよ。そんな可愛いなら、誰か別の奴に紹介してやればいいじゃん」
このクソ野郎……。
言うに事欠いて、何ていう言い草だ。
「分かった。別の奴にでも紹介するよ。俺が妹代わりに可愛がってる子だったから、最初にゴリへ紹介しようと思ったんだけどね。気に入らないんじゃ仕方ないな」
「ああ、わりーなー」
まったく悪びれるわけでなく、口先だけで言葉を発するゴリの背中を見ていると、静かな青い炎の殺意が芽生える。
翌日になって会社で仕事をしていると、大畑瑞穂が近付いてきた。
「岩上さんー。誰か紹介してくれる人、見つかりましたか?」
「ごめんね、もう少し時間もらえるかな? 今週の土日には絶対に紹介するから」
「期待して待ってますよ」
「ああ、仕事に戻りな」
大畑にああは言ったものの、一体、誰にこの事を振ればいいのだろうか。
今日はその事で色々と考えてしまい、仕事がほとんど手につかない。
こうなったのもゴリのせいだ。
あの野郎、せっかく俺が可愛い子を紹介してやるって言っているのに、これじゃ嫌だとか贅沢抜かしやがって……。
出されたオカズを黙って喰えって感じだ。
家に帰ってから地元の友達関係に電話を掛けまくってみる。
大抵の奴は彼女がいるか、ゴリが断るような女はいいよと言われた。
これじゃ、あまりにも大畑瑞穂が可哀相だ。
俺はしつこく何人にも電話を辛抱強くしていると、同じ中学時代の同級生、林昌彦が紹介の話にのってきた。
この男も『CPL』のメンバーである。
「へー、岩上が可愛いって言うじゃ、本当にそうなんだろ? 僕、今は彼女いないからぜひその子を紹介してくれよ」
素直にそう言われると、俺も嬉しかった。
よくよく考えてみたら、ゴリに大畑を紹介したってうまくいく訳がないのだ。
きっと彼女も、実際に会ったら嫌がるだろう。
その点を考えたら林の方がいい。
「今週の土日のどっちか、予定空いてるか?」
「どっちでもいいよ。いつも僕、暇してるし」
「こういうのは早いほうがいいから、土曜日にしておこうな」
「分かった。わざわざ連絡くれてありがとうね」
こうして気分良く俺は電話を切る事ができた。
あとは大畑瑞穂に連絡して当日に二人を会わせるだけだ。
林との電話のあと、大畑に連絡すると、彼女は大喜びしていた。
土曜の昼過ぎに目を覚ますと、シャワーを浴びる。
今日は夕方の五時から二人を会わせる約束の日だった。
確か、所沢駅の改札で五時に待ち合わせだったよな。
ゆっくりシャワーを浴びて、眠気をすっかり覚ます。
リビングのソファーに腰掛け、四時ぐらいまでまったりしていると、弟の徹也が俺を呼んでくる。
「兄貴ー」
「何?」
「友達が来てるよ」
誰だろう?
玄関まで行くと、ゴリと中学時代の同級生の佐々木秀樹が一緒に立っていた。
「何だ、ゴリか」
「何だはないだろ」
「急にどうしたんだよ?」
「暇でやる事もなかったから、オッサとおまえの家に来ただけだよ」
「岩上君、久しぶりだねー」
「おお、オッサ。会うの何年ぶり以来だ?久しぶりだなー」
佐々木秀樹は、昔からついている仇名がオッサだった。
その由来は分からないが、オッサにはもう一つ別の仇名があった。
「あれ、岩上。オッサって言うの珍しいね。いつもはオロナミンジュニアって言ってたのにさー。まあ、オッサは嫌がってるけどね。ウヒヒ……」
そう別名オロナミンジュニア。
当時、オロナミンCのCMで『大村崑』が出演していたが、オッサは小さい時からどこか『大村崑』に似たような感じがあったので、たまにオロナミンジュニアと呼ばれていた。
「中学卒業してから、あまり言われなくなっていたのになー」
「そうそう、オッサにゴリ。悪いけど、今日俺は五時から予定があるから、それまでしか一緒にいれないよ」
「別に構わないよ。何か用事でもあんの?」
「この間、ゴリに俺が妹代わりに可愛がってる女を紹介するって言ったろ。おまえがいいって言うから、今日林に紹介するんだよ」
「へー、そうなんだ」
俺が今日、引き合わせる話をしたのに、ゴリはまったく悔しがる素振りすら見せない。
それが何だか悔しかった。
その時、電話が鳴り出した。
「もしもし、岩上ですが…」
「智……」
蚊の鳴くような小さな声だったが、俺には誰かすぐに分かった。
彼女の美千代だった。
この間のバレンタインデーの件以来、初めて美千代から連絡してきた。
「何の用だよ?」
「この間は怒っちゃってごめんなさい」
「…で、今日は電話してきてどうしたの?」
「謝ろうと思って…。は仕事柄、忙しいの分かってて私、ワガママ言っちゃったから…。あれから色々考えたんだけど、やっぱり私がいけなかったなと反省したの」
「うん、まー…、俺も少しは気を使って、バレンタインぐらい休みとっとけば良かったよな。俺のほうこそ、ごめんな」
「ううん…、私こそ、ごめんね。今、智に逢いたくなっちゃったの。これから逢えないかな?」
何で今日に限ってこう色々と急な予定が舞い込む?
頭が痛くなってきそうだった。
まあ彼女である美千代と仲直りできたのは、非常に嬉しい事だ。
ゴリがオッサを連れて遊びに来てくれたのも懐かしい気分になれたし、嬉しい気持ちはある。
でも、何で今日に限って一気に来るのだろうか。
「どうしたの、智? 迷惑だったかな?」
「い、いや、問題ないよ。今から美千代の家まで迎えに行くよ」
「うん、待ってるね」
「ただ、友達も今さっき来ちゃって一緒なんだけどいいかな?」
「うん、全然構わないよ。ごめんね、ワガママばっかり言って……」
「全然、何言ってんだって。俺だって友達に美千代を紹介したかったというのも前から思ってたし、ちょうどいいよ。じゃあ、これから行くね」
電話を切ってから、ゴリとオッサに頭を下げる。
「ねえ、今の電話の内容聞いたでしょ? 頼む。これから女を向かいに行くけど、口裏をうまく合わせてくれないか? あいつ凄いヤキモチ焼きだから、俺が紹介とはいえ他の女と関わるのをすごい嫌うんだ」
「まあ、こういう場合じゃ、しょうがねーよな。じゃあ、俺の車で美千代ちゃんを迎いに行くとするか」
「悪いな、ゴリ」
こうして俺とゴリとオッサの三人は川越の隣町である川島に住む、俺の彼女を迎えに行く事になった。
川越まで美千代を迎えに行って帰るのを考えると、約束の五時までギリギリだ。
この際、美千代にはみんな一緒に集まる予定だった事にしないとマズい。
「ゴリにオッサ。あのさー、かなり強引なんだけどね…。これから林に大畑瑞穂って子を紹介するけど、美千代がうるさいから話を合わせてほしいんだ」
「何て合わせりゃいいの?」
「まずゴリもオッサも林も、今日みんなで集まって食事する予定だったって」
「すげー強引だなー。その大畑さんて女の子はどう説明するのよ?」
「俺たちが集まる約束をしてたら、林が彼女を連れてきちゃったって事にする」
「だって今日初めてその二人は会うんでしょ? いくら何でも無理があるよ」
「無理でもなんでも俺の為にみんな、話は合わせてもらう」
「あいかわらず強引な奴だな。まー、俺は別にそれで構わないよ。オッサは?」
「僕も構わない」
「ありがとう。恩にきるぜ、二人とも……」
そこまで話すと、ゴリの車は川島に住む美千代の家に近付いていた。
美千代の家まで着くと、軽くゴリがクラクションを鳴らす。
その音で美千代は家から出てきて、俺たちの乗る車の近くに来た。
「ごめんなさい」
「俺よりもこっちにいる友達のゴリとオッサに謝ってくれよ。わざわざ俺と美千代の為に付き合って迎えに来てくれたんだぞ」
「すいません、わざわざ来て頂いて……」
「い、いやー…。そんな気にしないでよ。なあ、オッサ」
「あ、ああ…、全然気にする事ないよ」
二人とも女に縁が無い生活を送っていたので、俺の彼女とはいえ異性を前にして少し緊張していた。
とりあえずこの場はOKだが、問題はこのあとだ。
いかに林と大畑の二人に状況を理解してもらって協力してもらうかである。
二人とも初対面、しかも今日これから紹介で会うという事になっているのに、突然カップルのふりができるのか……。
いや、してもらわないと俺が困ってしまう。
絶対にそうしてもらうしかない。
川越市駅に着くと、俺は美千代に話し掛けた。
「いい、美千代? ゴリたちと、ここで待ってて。もう一人友達と待ち合わせなんだけど、何かそいつ、彼女も連れてくるらしいから改札まで迎えに行ってくるから」
「うん、分かった」
よし、第一関門突破……。
時計を見ると五時まであと一分だった。
俺は全力で駅の改札に向かう。
改札まで来ると、二人の姿はまだ見えない。
まだ時間にして五分も経ってないのに、妙に長く感じた。
夕方なので電車が到着すると、改札口は人であふれ返る。
一人一人丹念にチェックを入れていると、大畑瑞穂の姿が見えた。
「おーい、大畑さーん」
「あ、岩上さん」
俺に気付いて大畑が近付いてくるのと、同時に林の姿も見える。
ひょっとしたら神様が俺に対し、うまくいくように協力してくれているのかもしれない。
二人が俺のそばに来てから、話を切り出した。
「どうも、林。こちらが大畑瑞穂さん。…で、こちらが林昌彦ね」
二人ともはじめましてと挨拶を交わしている。
お互いに少し緊張しているみたいだ。
「あのさー、二人に俺からお願いがあるんだ。いいかい?」
「どうしたんですか?」
「何?」
「俺の彼女が訳あって今、一緒にいるんだ。あと友達二人…。友達はどうでもいいんだけど、大畑さんも林も俺の彼女の前で付き合っているという事にして欲しいんだ」
二人とも状況が掴めていない様子でキョトンとしている。
時間があまりない。
手短に説明しなければならない。
「俺の彼女、すごいヤキモチ焼きなんだよ。だから俺と大畑さんが知り合いでって事になると、後々面倒なんだ。だから二人とも俺に協力してくれないか?」
「うーん、よく分からないんですけど、私と林さんでしたっけ? ようするに、私たちがカップルのフリをすればいいんですよね?」
「うん、お願いできるかな?」
「私は問題ないですよ」
「林は?」
「うん、何か変な紹介になったけど、この際仕方ないよね」
「ありがとう、二人とも」
よし、あとは天に運を任せるだけだ。
俺は必死に心の中で神様に祈った。
ゴリの車に六人がギュウギュウ詰めになって、ファミリーレストランへ寄る事にした。
幸い林の自宅がレストランの近くにあったので、彼は車一台じゃ大変だろうと、車を取りに行ってくれた。
「一緒に彼について行かなくて大丈夫なの?」
「え、ええ…。彼が待って先に注文してろって…。彼から急に今日会おうって言われたんですけど、こんなに大勢いると思いませんでした」
ありがとう、大畑瑞穂……。
俺のさっきの話でうまい具合にアドリブを利かせて話を合わせてくれている。
感謝しきれないぐらいの演技だった。
「林とは付き合ってどれぐらいなの?」
ゴリがいらぬ、質問を大畑さんにしてくる。
美千代がそばに居なければ、怒鳴りつけているところだった。
ボロが出ない内に俺は美千代の注意を出来る限り、大畑に向けないよう努める事にした。
「美千代は何、頼む?」
「え、うーんと…。このパスタでいいわ」
「じゃあ、俺はハンバーグとドリアでも頼もうかな」
「食べ過ぎよう。太っちゃうよ」
「大丈夫だよ、これぐらい……」
横目で周りの様子をチラリと見ると、ゴリは林のいない間をいい事に大畑に色々と話し掛けている。
実物を見て、写真とは全然違うのを理解したみたいだ。
内心あいつは俺の紹介を蹴ってしまい、とても悔んでいるのだろう。
オロナミンジュニアはそのやり取りを見て、何を考えているのか薄っすらとニヤけている。
「ただいまー」
そうこうしている内に林が帰ってきた。
これで何とかなるだろう。
料理が運ばれて食べ終わったら、無責任だが俺と美千代はこの場から退散すればいい。
林と大畑は即席の偽カップルとは、とても見えないような名演技だった。
ゴリとオッサの二人は、羨ましそうに俺と林の両カップルを眺めていた。
「みんな、食事も終わったし、そろそろ俺たちは帰るよ」
「えー、もう帰っちゃうの?」
またゴリが余計な口を挟んでくる。
俺は美千代に見られないように、ゴリをひと睨みすると、伝票を持ってレジに向かった。
みんなの分を払うのは痛い出費だが、無言の感謝のつもりだった。
紹介すると言ったけど、あの二人には今回悪い事をしてしまった。
今度、お礼をしなければいけないな……。
帰り道、美千代と一緒に歩いていると、彼女はずっと無口のままだった。
「どうしたんだ、美千代?」
「あの大畑さんて林君の彼女の人……」
「うん、その彼女がどうかしたの?」
「とても綺麗だったね……」
「馬鹿だなー…。おまえのほうが全然可愛いよ」
俺がそう言うと、美千代は道端で急に泣き出してしまった。
「おい、どうしたんだよ」
「ご、ごめんね…。何でもない……」
「何でもないのに、何故、泣くんだよ?」
泣いて真っ赤になった瞳で、美千代は俺を睨んでくる。
「あの人、林君って人と付き合ってるのに、しょっちゅう智のほうばっかり見てたんだよ? そんなのおかしいよ……」
確かに大畑からしてみたら、今日紹介ってつもりで来たのに、初対面の男三人の中にいきなり放り込まれたのだ。
しかも置き去りのまま……。
彼女の気持ちを考えると、俺しか知り合いはいないのだから、きっと心細かったのだろう。
考えると、本当に悪い事をしてしまった。
「気のせいだろ? 考え過ぎだ……」
「今日の智、おかしいよ…。もう私、今日は帰るね……」
「お、おい…。何でそうなんだよ?」
「知らない……」
そう言い残して、美千代は俺の前から走り去っていった。
今日は本当に踏んだり蹴ったりだ、チクショウ……。
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