岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

9 ブランコで首を吊った男

2019年07月15日 15時04分00秒 | ブランコで首を吊った男/群馬の家

 

 

8 ブランコで首を吊った男 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

~静香の章~スヤスヤと眠る隆志。寝顔を見ていると、昼間駄々をこねて困らせているのが、嘘のように感じる。この子は、私が生んだ子供。お腹を痛めて産んだ、ただ一人の息...

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~早乙女の章~

 ついこの間、不可解な事件があった。
 デザイン会社で働く俺は、知り合いがその不可解な事件に巻き込まれたのを知り驚いた。調査の結果は、自殺だという結果になったが、俺はおかしいと感じている。
 その知り合いの名前は、亀田。
 四十歳で、デブで気持ち悪いオタク野郎だった。
 うちの仕事を在宅で引き受けているデザイナーだ。
 何を考えているのか分からない無表情な顔。こんな奴、生きている価値があるのだろうか……。
 いつも心の底でそう思いながら、亀田に接していた。俺のマンションの近くのアパートに住んでいる。いや、言い方が間違った。生前に住んでいたか……。
 その亀田が自分の部屋で、ドアノブに紐をかけて首吊り自殺をしたという。
 あのむさい部屋は過去に、仕事で仕方なく行った記憶がある。極端に人と接触するのを嫌がる亀田は、打ち合わせ場所にいつも駅前の喫茶店を指定してきた。以前、そこが定休日だったので、その時に亀田の部屋で打ち合わせをしたのだった。
 オナニーしかしていないような部屋の臭い。ゴミ箱にはティッシュの山で、満タンになっていた。
 床に元々は白なのに、すっかりと黒ずんだ女性物のパンティがあったらしい。まあ、あいつにはお似合いの部屋だ。
 でも、一つ引っ掛かる点がある。
 普通、そんな状態で自殺なんかするのか……。
 俺には、自殺願望などまったくないので、自殺者の心理状態など理解はできない。それにしても、妙な何かが頭の中で引っ掛かっていた。
「おい、早乙女」
「は、はい」
「仕事中、ボーっとしてんじゃねえよ」
「すいません」
 まったく口うるさい上司だ。俺は知ってんだぜ。この間、事務の佳代子にふられたの。善戦空しく口説いていたけどな。俺は心の中で笑ってやった。
 それにしても、亀田の自殺は不可解だ。最後に会ったのって、一ヶ月前ぐらいだったのにな……。
 これはひょっとすると、霊的現象が絡んでいるのかもしれない。
 俺はつい、そこへ物事をこじつけたくなってくるんだ。もう俺も二十三歳。それなのに、まだ一度も霊体験など、した事がない。あれだけ色々と肝試しに行っているのにな。
 金縛り一つでも、ひと目見るだけでも何でもいい。
 俺は霊体験がしたいのに……。



 仕事を終え、ビルを出ると、入り口のところに人影が立っていた。その人影は俺を見ると、足早に近づいてくる。ニコニコ笑いながら近づく影は女だった。もちろん俺の彼女の美和だ。
「仕事お疲れ様、雷蔵」
「ああ」
「ご飯でも食べに行く? それとも、何か作ってあげよっか?」
「どっちでもいいよ」
 素っ気なく答える。
 行きつけの喫茶店で、偶然相席になったのが、出会いの始まりだった。こいつと付き合いだして、まだ一週間。毎日のように美和は、会社まで迎えに来てくれる。
 料理が趣味で、食べ物の事になると目の色が変わる。俺にどこの店はグラタンがおいしいだの、あっちの店はサラダのドレッシングが絶妙だの、そんな台詞しか言わない。
「だいたい、雷蔵は食に関して、栄養のバランスが悪すぎるのよ」
 そうやって、いつも俺の食生活に口を挟んでくる。
 もともと腹に入れば、何でも同じといった感覚できているから、今さらそんな事を言われたってどうしょうもない。
「気はそれなりに使ってるって」
「それなりじゃ……」
 美和の言葉を遮って、俺は歩き出した。
「あなたに何かあったら、私は悲しいから…。だから、いつも口うるさくなるのよ」
「ああ、分かってるよ」
 確かに心配はしてくれているのだ。悪い感じには捉えていない。でも、もともと関心のない事なので、正直うざかった。
 綺麗な黒髪を人差し指で、クルリと絡ませながら、美和は俺のあとをついてくる。素っ気ない俺なのに、よくもまあ文句も言わず、黙ってついてくるもんだ。
「美和……」
 立ち止まり、振り返って話しかける。付き合いだして、まだ一週間だが、そろそろ潮時かもしれない。
「何、どうしたの?」
「一体、俺なんかのどこがいいんだ?」
「全部」
「嘘こけ」
「ほんとだよ」
「まだ、知り合って一週間だぞ。一週間。何が分かるんだよ?」
「それはそうだけど、分かりたいって思ってる」
 彼女から物凄いアプローチで、折れた形になり付き合ったが、最近はどうかと感じていた。いまいち、話も性格も噛み合っていないような気がする。
「何が分かるんだよ?」
 このままいけば、別れ話に展開しそうだ。
「食べてるものに関してね、あまり関心がないのは分かってる。でも、心配だから言っちゃうの。それは分かってほしいの」
「そんな事を聞いてるじゃない」
「あとは、怖いものが、すごい好きなのも理解してる」
「でも、おまえは嫌がるじゃないかよ」
「だって……」
 週に三回は、色々なレンタルビデオに行って、ホラー系の作品を借りてきている。とにかく怖いものが大好きなのだ。
 しかし、美和は絶対に見ようともしない。臆病なのは分かる。でも、俺が見ているのは作り物だ。出来れば本当の体験を自分でもしたい。
「怖いものが俺は好きなんだよ。実際にそんな体験ないしよ。だからとことこ追求したいんだよ。でも、おまえは俺がDVD借りてきても、一緒に見る事すらしないじゃん」
「……」
「黙ってちゃ、何を考えているのか理解できないよ。自分だけ分かりたいって思ってれば、それでいいのか?」
「そ、そんなんじゃない……」
 美和の顔は、今にも泣き出しそうな勢いだった。
「別に悲しませるつもりはない。でも、うまくやっていけるのか? おまえ、自信あるか? 趣味だって全然違う。確かに俺は、おまえを抱いたよ。顔だって好みだ。でも、性格が、噛み合わな過ぎる……」
 道端だというのに、美和は泣き出した。
 少し心が痛むが、仕方がない。このまま、適当に付き合っていても、お互いが不幸になるだけなんだと、自分に言い聞かせた。
「とりあえず、今日は帰るよ。食事に行く気分でもない」
 泣いている美和を置き去りにして、俺はマンションへ向かった。

 部屋に帰っても、気分はスッキリしなかった。
 久しぶりの一人の時間だというのに……。
 ここ一週間は、いつも隣に美和がいた。付き合いだしてからの一週間は、同棲のようなものだった。
 いつもいて、当たり前の存在になっていたのかな。先ほどの状況を思い出すと、少し言い過ぎたような気がしてきた。
 特にする事もない。暇をボーっと、ただ悪戯に持て余すのは嫌だった。
 俺って落ち着きがない証拠なのかな?
 まあいい、レンタルビデオにでも行って、ホラーでも借りてくるか。
 簡単にシャワーを浴びて、手早く身支度を済ませた。
 部屋を出ようとした時、携帯が鳴り出した。美和からの着信だった。
「はい……」
「雷蔵さん……」
「何だ?」
「今からそっちに行っちゃ駄目?」
「これからレンタルに行こうと思ってたんだよ」
「私も一緒に見るようにするから…」
「無理だよ。おまえ、いつもつまんなそうにしてるじゃん」
「努力する。努力するから、お願い……」
「分かったよ……」
「ほんと?」
「ああ、部屋で待ってるよ」
「すぐに行くね」
 俺はソファーに腰掛け、美和を待つ事にした。ちょっと口うるさいけど、性格はかなりいい女である。少し、俺の配慮が足らないかな……。
 部屋の電話が鳴り出す。美和じゃないな。さっき、俺の携帯にかけたばかりである。
 誰だろう?
 受話器を取ると、聞き覚えのあるダミ声が聞こえてきた。
「はい、早乙女ですが……」
「おう、元気かい、雷ぞっち」
「何だ、ゴッホか……」
 昔からの友達、岡崎勉からだった。
 俺の名前は雷蔵だって、何度も言っているのに、いつも雷ぞっちとか訳分からない名前で読んでくる変な奴だ。
 こいつのあだ名はゴッホ……。
 年が同じなだけで、性格やルックスはすべて逆だった。
「何だはないだろ、何だは……」
「どうしたんだよ」
「ん、いや~、これから飲みにでも、どうかなと思ってさ」
「悪いな、これから美和が来るんだよ」
「ああ、この間、彼女にした子かい」
「そうだ。また、今度な……」
 電話を切り、テレビをつける。ゴッホの奴、寂しそうな声をしていたな。あいつは彼女いない歴二十三年。今現在も記録を更新中だ。
 以前、俺も協力は散々したもんだ。でも、あいつの良さを分かる女なんて、この世にいるのだろうか?
 中学の時からの付き合いのある友人だ。それは、やっぱりうまくいってほしい。
 でも、あいつも美和と一緒で、怖いの駄目なんだよな。そっちのほうも大丈夫なら、女なんていくらだって紹介してやれるのにな……。

 もう何年前になるかな……。
 幸福のマリア像って呼ばれている場所があって、そこに行けばマリア像みたいなものが見えた。俺は何故、そう見えるか、そのからくりは分かっていたけど、ある日、ゴッホをさりげなくその場所へ連れて行った事がある。
「おい、あれ…。あれって何だ?ちょっと、車、停めてみ」
「な、何だよ……」
 ゴッホは、恐る恐る車をゆっくり停車させた。俺は笑いたいのを堪えながら、真面目な顔で言った。
「ほら、あそこ…。道路の先に何か立ってねえか?」
 指を指しながら説明すると、ゴッホの顔が引きつりだす。
「うわぁ~、や、やめてくれよ……」
「だって、どうすんだよ?ここじゃ、Uターンできないから、前に行くしかないぜ」
「い、嫌だ…。怖ぇよぅ…。怖ぇよぅ……」
 術中にはまったゴッホは、本当に体を震わせながら怖がっている。俺は、しばらくその様子を見てニヤニヤしていた。
 単なる目の錯覚なのだが、この道路の先は歩道橋があった。その階段の鉄柵が、暗くなった時、遠くから見れば、マリア像が立っているように見えるのだった。俺はうずくまるゴッホに気づかれないように、ライトをハイビームにする。すると、更に像のようなものが、鮮明に浮き上がって見えるのだ。
「怖ぇよぅ…。もう嫌だよ……」
 さすがに可哀相になってきたので、肩を叩く。
「おい、ゴッホ。ゴッホってば」
「怖ぇよぅ…。怖ぇよぅ……」
「おい、ゴッホ。落ち着けって」
「嫌だ」
「よく見ろよ」
「嫌だ。怖ぇよぅ……」
「いいから、よく見ろって」
「……」
 強引に前を向かせようとすると、暴れだすゴッホ。ちょっと、やり過ぎたかもしれない。
「落ち着けって。見ろよ、霊とかじゃないから」
 霊じゃないという言葉に反応したのか、ゴッホはゆっくりと前に顔を向ける。
「じゃ、じゃあ、あれは何だよ……」
「車、前に進めてみ」
「嫌だ!」
「いいから、ほら」
 ようやくゴッホは、アクセルなど一切ふまず、徐行でゆっくりと進ませた。
「ちゃんと見てみな。マリア像の正体が分かるから」
 歩道橋に近づくにつれ、マリア像の形が変わってくる。二十メートルも離れない位置にくると、歩道橋の鉄柵がちゃんと見えてきた。
「なんだよ、ただの歩道橋じゃねえか」
「ふん、それに散々ビビッていたくせによ」
「俺、駄目なんだよ。怖いの…。お化け屋敷も無理なんだ」
「このヘタレが……」
 ただの目の錯覚という事が分かると、ゴッホは安心したようだ。先ほどの、あの怖がりよう。どうせなら、ビデオカメラで撮っておけばよかった。

 俺の部屋に美和が来た。先ほど俺が、冷たい言葉を浴びせたせいで、美和の目は赤くなっていた。
「さっきは悪かったな」
「ううん、いいの…。私がもう少し気をつけていれば……」
 下をうつむきながら、美和はボソッと話す。俺には冷たい行動をとられるのが、何よりもこたえるといった感じだ。自分が言い出した事とは言え、少し哀れになってきた。
「お腹は…、飯は食ったのか?」
 そんな簡単な台詞一つで、美和は顔を上げる。表情が一気に明るくなっていた。恋愛とは、惚れたほうの負けである。損をするのは、いつだって惚れたほうだ。
「まだ…。何か食べに行く?」
「何だよ、急に明るくなりやがって」
「だって嬉しいじゃん。好きな人と一緒にご飯食べるなんて、一番幸せな事だもん」
「けっ、単純な思考でいいね」
「うん、だから幸せなんじゃない」
 美和はそう言って、嬉しそうに微笑んだ。もともと身支度は整えていたので、すぐに部屋をあとにする。
 近所のラーメン屋に入る事にして、テーブルにつく。味噌ラーメンと、餃子を注文し、美和はチャーハンを頼んだ。
 うまくも、まずくもないこのラーメン屋は、そこそこの客入りだった。十分もしない内に料理が運ばれてくる。
 まだまだ食い盛りの俺は、あっという間に麺をたいらげる。まだ、腹は半分ぐらいしか満たされていない。マーボ豆腐定食も頼んでおけばよかった。餃子も食べ終わり、ラーメンのスープを飲もうとすると、美和が声をかけてきた。
「待って、雷蔵」
「何よ?」
「スープはね、できれば飲むの、やめたほうがいいと思うの。カロリーが……」
「うるさいよ、いちいち……」
 また、始まった。俺は言葉を途中で遮った。
「……」
「俺は、おまえのそういうところが嫌なんだよ」
「ご、ごめんなさい……」
「俺がな、何を腹に入れようが、俺の自由だろ? スープを飲むと、ガンにでもなるのか?」
「ううん、そんなんじゃないけど……」
「カロリーが何だとかさー、いつも言うけどさー。そんなにカロリーカロリー言うなら、もっと健康オタクでも彼氏にしたほうがいいよ」
「わ、私は、そんなつもりで……」
「そんなつもりでも何でも、俺には、そういうのうざいんだよ!」
 美和はチャーハンを食べる動作をやめ、俺をジッと見ている。
 まだ、チャーハンは三分の二以上残っていた。
「こういう状況に何度なってる? まだ、俺たちが付き合いだして一週間だぞ。一週間…。おかしいだろ? 付き合い始めのカップルが、こんな喧嘩みたいな形ばかりなんてよ」
「……」
 店内はシーンと静まり返っていた。
 数人の客の視線が、背中に刺さるのを感じる。
 確かに美和はいい女だ。男なら、みんな可愛いというだろう。この状況ではどう見ても、俺が悪者に映っているんだろうな。

 突然、肩をつかまれる。
 振り向くと、チンピラ風の男二人が、俺の背後に立っていた。挑戦的な目つきで、俺を睨んでいる。二人とも、どう見ても俺より年上だった。
「な、何だよ……」
 喧嘩が得意でない俺は、いまいち強く言い出せない。
「おう、兄ちゃん。店の中で、でけえ声を出してんじゃねえよ」
「す、すみません……」
 俺が謝ると、下品な声で笑いだした。
 いかにも喧嘩慣れしたような目つき。体つきはそんなでもないが、拳がゴツゴツしている。
 もう片方の黙っているほうは、サングラスを掛けていて、体もでかい。
 二人とも、パンチパーマみたいなヘアースタイルで、どう見ても一般人ではないようだ。
 内心、怖くて仕方がなかった。いくら怖いのが好きだといっても、こういうのはごめんである。
「おい、姉ちゃん。こんな馬鹿と一緒にいないで、俺らと一緒に飲もうや」
 美和は、こういった側面に接するのは、初めてなのだろう。無言で震えていた。ここは俺が怖くても、何とかしなと駄目だ。最低限の男の条件ぐらいは、まっとうしないといけない。自分で必死に言い聞かせる。
「姉ちゃん、べっぴんさんだなあ。ほら、こっち来てビールぐらいつげよ」
「や、やめて下さい……」
 何で誰も、この二人をとめようとしないんだ?
 店の親父は何をしてるんだ?
 俺は周りの出方を伺っていたが、誰も動く様子は一切なかった。これだから今の日本は腐ってるって言われんだ……。
「や、やめろ……」
 懸命に声を振り絞り言った。声が小さく震えているのが自分でも分かる。サングラスを掛けたでかい男が、俺に凄んできた。心臓が萎縮するような感覚。
「あん?」
 大男の顔が、どんどん近づいてくる。
 心臓まで悲鳴を上げそうだった。男の臭い息が、俺の鼻の穴を通り、胸まで漂ってくるような気がする。気分が悪い。
「もう、おまえはあっち行けや、ボケ」
「兄ちゃん、すっこんでろ」
 言い返さないと……。
 喉まで出掛かっているのに、声が出ない……。
 俺は、体が震えていた。でも、美和を置いて、この場から逃げたりはできない。
「何か、文句あんのか、おう?」
 もう一人の男まで詰め寄ってくる。恐怖が体を包み込む。怖くて顔をそらしたいが、そうも言ってられない。
 軽く呼吸をしてから、俺は睨みつけた。男の表情が一辺する。
「す、すみません。お、俺の女に…、て、手を出さないで下さい……」
 声が震えているが、自分の意見をはっきり伝えた。俺は殴られてもいいや。美和さえ、無事なら……。
「あん、何て言ったんだ?」
 大きい男が胸ぐらをつかんでくる。
「や、やめろって言ったんだ……」
「あ?」
 自分より弱い人間をいじめて、そんなに楽しいのか?
 はっきりそう言ってやりたかった。
「お、俺の女に手を出すな……」
 そう言うのが、精一杯だった。
「上等だよ、このガキ」
「兄ちゃん、表、出ようか?」
 胸ぐらをつかまれた状態で、俺は外に連れ出される。誰も喧嘩をとめようとする者はいなかった。そばで美和が、心配そうに見つめている。
「美和、早く行け。俺はいいから、早く……」
「雷蔵……」
「早く!」
 目でも必死に訴えた。何の為に、俺がこうやって突っ張っているんだ。
「行けっ……」
 泣きそうな顔をしながら、美和は何度も後ろを振り向きながら去っていく。こんな状況なのに、少しはホッとできた。
「いっちょ前にナイト気取りかい、兄ちゃん。格好いいな」
「おまえは逃がさねえぞ、おい」
「……」
 俺は、二人に近くの公園へ連れて行かれた。

 目の前には、ブランコが見える。
 体のあちこちが痛い。あいつら、無抵抗の俺を散々殴りやがって……。
「いてて……」
 起き上がるのも一苦労である。すぐ近くの赤いベンチに腰掛ける。座っただけで痛みが走る。
 そういえば、美和はあれからどうしているのだろう?
 俺は携帯を取り出し、美和にかけてみた。一回目のコールが鳴り終わらない内に、美和は携帯に出た。
「雷蔵、大丈夫?」
「うーん、どうだろ?まあ、こうして話していられるぐらいだから、問題はないだろ」
 明日の会社で何か言われないかな…。少し心配になってきた。
「今、どこにいるの?」
 俺は周りの様子を見渡してみた。マンションのすぐ近くの公園だ。まあ普段、公園には来ないが、近所なのである程度は把握している。
 俺の座っている赤いベンチのすぐそばに、ブランコが一台。普通の一人乗りのブランコではなく、二人が向かい合って腰掛けるタイプのブランコである。
 その横には、すべり台つきのジャングルジムがあった。あと目につくものといったら、砂場ぐらいなものである。まったく何の取り柄もない小さな公園だ。
 あの二人組、この辺に住んでいやがるのか?
 だとしたら、また顔を合わせる確立もあるかもしれない。嫌だなあ……。
「ねえ、雷蔵。もしもし?」
 美和と話しているのをすっかり忘れていた。
「あ、もしもし」
「大丈夫なの?」
「ああ、問題ない。それより、おまえはどこにいるんだ?」
「雷蔵の部屋よ」
「そうか、良かった。無事だったんだな……」
 ちゃんと美和を守れる事ができて安心した。
「ごめんね……」
「何が?」
「雷蔵を置いて逃げちゃって……」
「馬鹿だな、俺がそれを望んだんだろ?」
「……」
 携帯の向こう口で、美和のすすり泣く声が聞こえる。
「まあいい…。これから部屋に戻るよ」
 返事はなかった。泣き声だけが、かすかに聞こえる。怖かったのか。俺の事を心配しての涙かは分からない。でも、心が安らいでいた。
 ベンチから立ち上がり歩き出す。まだ、痛みで歩くのも容易ではない。
 ブランコの前を通る時、何ともいえない嫌な臭いが鼻をつく。
「くせっ……」
 公園には俺一人しかいないのに、思わず声を出してしまったぐらいだった。
 一体、何の臭いだ?
 うんちか…、ゲロか……。
 いや、そういった臭さの元が、すべて合体したような、凄まじい臭いだ。口の中にある唾液を吐き捨てる。
 辺りを見渡すが、誰もいない。人の気配すらない。さっきまでは喧嘩に夢中で、気がつかなかっただけなのだろう。とにかく、ここにいても臭いだけだ。俺は公園を出て、マンションへ向かった。
 その日は、部屋に戻ると、口数も少ないまま、お互いを激しく求め合った。

 朝、起きると、顔がかなり腫れていた。色男が台無しである。まあ、一日も経てば、腫れは引くだろう。
 会社に連絡して、今日は有休をとる事にした。さすがに喧嘩ではと言えないので、具合が悪いと伝えるだけにしておく。
 キッチンで朝食を作る美和の後姿を眺める。こいつと付き合いだして一週間。たかが、一週間。されど、一週間……。
 こいつを守る事ができて、本当に良かった。あの時、何かあったら、俺は人間として失格である。
 美和は幸せそうに微笑みながら、次々と料理を運んできた。
 野菜たっぷりのミネストローネスープ。
 綺麗に彩りも考えたサラダ。
 ハムとチーズを挟んだクロワッサン。
 ベーコンがたくさん入ったジャーマンポテト。
 トマトとモッツェラレラチーズのサラダ。ほうれん草のおひたし。
 目玉焼きと、朝から非常に豪華な食事になったものである。
「そんなに喰えないよ」
 俺が笑いながら言うと、美和は嬉しそうに笑った。しかし、こうやってゆっくりと朝食をとるのは、本当に久しぶりだった。たまには、こういうのも悪くない。
「美和、おまえ仕事は?」
「うん、雷蔵が休むと思ったから、私、有休とっちゃったの」
「もし、俺がとらなかったら、どうするんだよ?」
「そんな顔じゃ、会社に行けないでしょ?」
「確かに……」
 心の底から、久しぶりに笑えたような気がした。
 美和は化粧品屋に働いている。少し吊り上がり気味の目だが、美和を見れば、大抵の人間は綺麗だと思うだろう。俺も食事の件に対しての口うるささと、怖いのが嫌という以外には、何の問題もない。
 少し甘ったれたような喋り口調。厚ぼったい唇。スタイルだっていいほうだ。今まで、たくさんの女を抱いてきたが、これで中身もいいという女は稀である。
 まだ、結婚を考える年ではないけど、もし、するなら、こいつみたいな女が一番いいのかもしれない。
「おいしい?」
「ああ、うまいな」
「良かった」
 テーブルに両肘をついて顔を支え、俺の食べる様子を見ながら微笑む美和。
 そういや、喫茶店での最初の出会いも、こいつはこうしていたっけ……。

 

 

10 ブランコで首を吊った男 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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